二話

爆弾

 2024年1月28日。

 その日は珍しく、大雨だった。

 日々寒さが人間の意識をつらく陥れるというのに、冷たい雨がその身に当たればと、より一層憂鬱になってしまうのではないだろうか?

 ただ……憂鬱になるだけであれば、さほど問題はないのかもしれない。

 憂鬱。つまり生きている人間だけが感じ取れる負の感情。


 では。今、仰向けになっている女は何を考えているのだろう?


 は今、黒いコンクリートの地面で雨に打たれながら倒れていた。しかして、どうも倒れているだけではない。

 大量の雨が染み込んだ地面には赤くどろどろとした液体が交わりあって、さらさらと地面を赤く染め上げていた。

 また、金髪の女の首筋には二つの穴が開いていた。それはどうやら小さく鋭い“なにか”で貫かれたようであるが、その穴から赤い液はどろどろと溢れていた。

 

 どうしてこの女はこんな状態に陥っているのだろうか?

 だがこの世界で奇妙な怪我を負わされ倒れているのなら、答えは一つ。


 つまり怪物。それが答えだ。


 怪物は金髪の女をじっくりと眺めていた。

 人間のように二足の足で立つ、その顔は人にあらず。

 その顔は……ジャガー。南米に生息し、神の化身とも言われる哺乳類の肉食動物。その斑目模様のジャガーに瓜二つの顔をしていた。

 しかし体つきは細身で胸筋と腹筋がくっきりと分かれた人間の体であった。まるでジャガーの顔を被った人間といった印象であるが、これはれっきとした怪物。

 仮に斑目のジャガーノートと呼称するとして、この怪物は今、倒れた金髪の女を標的としていた。

 その証拠に、斑目のジャガーノートの目つきは睨みつけるように細く、そして口元の牙を剥き出しにしていた。


「…………オマエ……タベル」


 そして辿々しく、そう告げた。

 金髪の女はその言葉を聞き、ふと鼻で笑った。

 そして……げらげらと突然大きな声で笑った。

 ざざぶりの雨音もかき消すほどげらげらと笑った。

 どうしてこの女は笑っているのだろうか。

 自分の置かれた状況が最悪で、そして惨めであるから笑っているのだろうか?

 もしくは……この怪物に対して笑っているのだろうか?


「ははは。あーあ」


 そして残念そうに言った。

 この失意の言葉の意味を斑目のジャガーノートは分からない。

 しかし理解する必要もないとも斑目のジャガーノートには思えていた。

 思えば、この目の前にいる金髪の女のせいでこれまで長い時間、日陰に暮らす生活を余儀なくされていたのだ。

 おかげでろくな食事にもありつけず、何とか野良犬や野良猫を食い漁り生命を繋ぎ止めておくのが関の山。

 だが、そんな日々も今日で終わる。


 目の前にいるこの女を食べてしまえば、全てが終わる。

 それだけではない。今まで日陰で暮らしていた自分と同胞たちが心置きなく日向に出ることができる。それすなわち、人間たちを蹂躙して喰らう世界。


 斑目のジャガーノートは女の体を両手で掴み起こし、その顔を見る。

 しかし瀕死の状態であるにもかかわらず、ぶらんぶらんと揺れる女の目は……金色に輝き、笑っていた。


「ちく。たく。ちく。たく。」


 そして斑目のジャガーノートの目を見ながら、女は笑い、狂ったように無関係な言葉を紡いだ。

 ジャガーノートにはその言葉が何を暗示するのか分からなかった。

 だから問いかけてしまった。


「ナンダ……ソノコトバ………」

「運命が尽きる音ってやつかしら」

「ウン……メイ……?」

「知らないの?……あぁ、ごめんなさい。知るわけないものね。運命は人間だけが知る言葉。怪物であるあなたには分からないものね。最期だから教えてあげる。運命は絶対なの」

「ソノコトバ……ワカラナイ…………ダガ……オマエ……ソノコトバ……オレ……キライ………」

「あら怒ってるの?不愉快にされて怒っているの?よかったわね、に言葉を学ぶことができて」


 そうして女は笑みを浮かべた。

 残酷で、歪で、嘲笑を含んだ、にっこりとした笑みを浮かべて、呟いた。


「ちく。たく。ちく。たく───ぼん」


 ───刹那。


 雨音をほんの一瞬遮る大きな轟音。

 そして雨が一瞬蒸発するような瞬間。

 赤い焔が周りを飲み込んだ時。


 ───斑目のジャガーノートと金髪の女は爆発した。


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