Ribbon chocolate 3 ~花占い師のお告げ~

杏藤京子

Chapter 1 お悩み相談

 ヴァイオレット女学園には三つの掟がある。


 一つ目に、いついかなる時も誠実であること。二つ目に、自分も他人も愛すること。三つ目に、小さな幸せを噛みしめるほどに謙虚であること。朝礼では毎回、これらの掟を学園シンボルの花に誓っている。

 その慣習のおかげで、うちの生徒には慎ましやかな子が多いから……。


「なんでなのよーっ」


 そう声を上げる銀髪の少女が、その場でひときわ目立っていた。


 ここは校舎のエントランス。そもそもヴァイオレット女学園に入るためには、馬車がしょっちゅう通る市庁舎前を過ぎて、警備員さんが脇にいる鉄製の門をくぐって、それから長い石通路を抜ける必要がある。つまり学園の関係者でなければ、ここに辿り着くことすらできないということ。


 だから彼女は間違いなくうちの生徒なのでしょうけれど、その地団駄を踏む姿からはとてもそうとは思えなかった。


 いったい、何があったのかしら?


 内巻きボブの銀髪少女は、うさぎのぬいぐるみを抱えた少女と向かい合っている。そしてしきりに「なんで、なんで」と繰り返していた。


「だ、だって……そんなに高いお金がかかるなんて、絶対おかしいよ……」と、ぬいぐるみ少女。


「未来を教えてもらうんだから当然の価格じゃない。……そうだ! その人のおかげで、東の国の騎士団長が助かったって逸話があるらしいのよ。ね、興味出てきたでしょ!?」


 ぬいぐるみ少女は縮こまりながらも、しっかりと首を横に振る。ああ、銀髪少女がまた、不満げに口を尖らせているわ……。


 そのとき、「ルゥナさん!」と建物を揺らすような女性声が響いた。

 音楽のベイカー先生の声だわ。彼女はランウェイに登場するモデルのように廊下を歩きながら、「あなた、今日の日直でしょう。早く教室にいらっしゃい!」と呼びかけた。


「あっ、はーい! ……とにかく絶対、何が何でも、放課後は空けておくのよ!」

 人差し指を立ててそう念押しし、銀髪少女のルゥナさん──でいいのかしら──は、ベイカー先生の元へと小走りしていった。


 残された少女はぬいぐるみに顔をうずめて、表彰状やトロフィーが飾られたショーケースのそばで立ちすくんでいる。


 ……ちょっと待って。あの子、泣いてない?


 彼女の目の縁には涙が溜まっていて、大洪水を起こしてしまいそうなほどだった。

 そんな姿を見てしまったらもう、放っておくことはできない。私は教室へ向かいかけた足を早急に方向転換させ、ネイビーのコットンハンカチをスカートから取り出した。そしてそれを、彼女の前にそっと差し出す。


 いきなり知らない人が現れたことで驚いたようで、彼女は瞬間的に身を震わせた。


「涙。これで拭いて」

「えっ? あ……。……だ、だいじょうぶ。自分の、持ってるから……」

 そう言って彼女は後ろに手を回し、背負っているショルダーバッグの蓋に手をかけた。けれど、ぬいぐるみを持ったままでは片腕がふさがっているから、どうにも開けづらいらしい。手が空中の何もないところを掴んでは、うろうろしている。


 私は了承を得てから、彼女の目元をハンカチでぬぐった。


「……ううっ……。……あり、ありがとうっ……」

「いいの、いいの。この子はあなたのお友達?」


 私は滑らかな生地が使われた、うさぎのぬいぐるみを覗き込みながら尋ねた。短い手足と、刺繍された茶色の丸目がとても愛らしいわね。


「うん。手芸が得意だから、こういうのよく作ってて………。……ご、ごめんね。こんなの、気持ち悪いよね……」

「手作りってこと? すごいじゃない!」

「……そんなこと……えへへ……」

 彼女は恥ずかしそうに、口元をぬいぐるみで隠した。


「私、アメリアよ。よろしくね」

「私はシェリル。初めまして。……あの、私たち初対面だけど……。……ちょっと、お願いをしてもいいかな?」

「ええ、どうぞ」


 私たちは横並びになって、分厚い柱が続く廊下を歩き始めた。ここからは、正門広場の花壇がよく見える。

 下向きに咲くスズランのように背を曲げながら、シェリルは少しずつ語り始めた。


「私は昔から、ぬいぐるみがいないと安心できなくて……変だよね……だから、お友達もなかなかできなくて……。でも、そんな私とも仲良くしてくれる幼馴染がいるの。ルゥナっていうんだけど……」

「分かるわ。銀髪のボブヘアでしょ?」

「そう。ルゥナは明るくて、面白くて、それに優しいの。去年の夏に私が熱中症で倒れたときも、ずっと氷を体に当て続けてくれたし……。それくらい、とってもいい子なんだよ。……でも……。……ちょっと、神秘的なものへの憧れが強くて」

「神秘的なものって?」

「占い、超能力、あとは幽霊とか宇宙人とか。……もちろん、そういうものが好きなルゥナが私は好きなの。だからよく付き合うんだけど、今日の放課後、一緒に行こうって誘われている占い屋が……」


 シェリルは顔の中央にしわを寄せて、まぶたを閉じた。


 王族の肖像画が並ぶ突き当りを左に曲がり、階段を上り始めた頃にようやく彼女は、「……絶対、怪しいのっ」と言い切った。


「怪しいって、どうしてそう思うの?」

「まず、料金が高すぎるの。あんな額、そうそう出せるわけないよ……。それに、あちこちの路上に出店しているのも、怪しいなって思うの。本当に信頼できる人なら、きちんと場所を借りて、そこに土地代を払いながらお店を経営するはずでしょ? ルゥナは、旅の占い屋だから色々なところを回るのは当たり前、って言ってたけど……」


 隣にいるシェリルがぬいぐるみを強く抱きしめたのが、雰囲気だけで伝わってくる。横を見ると、彼女は猫のように小さな顎をぬいぐるみの頭に乗せていた。


「お父さんも最近、子供を狙う不審者がいるから気をつけろって言ってたし……。関わらないほうがいいんじゃないかなって思うの……。でも、ルゥナは行く気満々で……」

 授業教室がある階までやって来て、シェリルは掃除用具入れのロッカーの前で立ち止まった。


「……私と一緒に、ルゥナを止める方法を考えてくれない?」


 私は口元に手を当てて、数秒間考えを張り巡らせた。


 いくらやめたほうがいいと説得しても、出会ったばかりの私の意見なんて聞き入れてもらえない気がする。仮に説得が成功して今日は行くのをやめたとしても、明日、明後日になれば気持ちが変わってしまうでしょうし。


 大事なのは、絶対にそこへ行かないぞという強い意志を彼女が持つことよね──。


「……例えば、そこの占い師がお客さんを騙してお金を稼いでいると証明できたら、彼女も行く気を失くすんじゃない?」


 私の言葉にシェリルは、その手があったか、と書いたような顔をしたけれど、すぐに表情を曇らせて「そんなことできるの?」と言った。


「……正直に言うと、私にできるかどうかは分からないわ。でも……」

 頭の中で、リボンをつけた金髪の少女が浮かんだ。


「あの子なら、やってくれると思う」

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