第6話 広瀬琴美

 9年前、自分が担当していた少女が自殺した――。


 私は広瀬琴美ひろせことみ、32歳。長栄ながえ児童福祉課じどうふくしかこども相談室の相談員。要保護児童対策地域協議会ようほごじどうたいさくちいききょうぎかい(通称:要対協ようたいきょう)の一員で、主に虐待を受けた子どもや家庭の支援をする仕事をしている。


 6月11日(月) 16:30

 担当児の家庭訪問の帰り道、公園のベンチで横たわる少女と女子高生が見えた。先ほどまで一緒だったバディが別件対応で別れ、一人になった矢先だった。

「どうしたの?!」

 駆け寄ってみると、見覚えのある女の子だった。

「あなた、確か凛ちゃん?」

 女子高生は、スマホでどこかに連絡を取っていたようだったが、こちらに気付き、駆け寄ってくる。

「すみません。私田嶋って言います。今、その子をよく知る人に連絡を取っていて……。今から”こども相談室”に電話しようと思います。」

「そう。偶然にも私、その『こども相談室』で勤務している広瀬と申します。」

 首からかけていた、名札を見せる。

「え、そうなんですか?!良かった!しかも、広瀬さんに連絡しようとしていたんです。」

「え?そうなの?」

 なぜ、私の名前を知っているの?と疑問だったけれど、今は状況確認が最優先。

「どういう状況か教えてくれる?」


 田嶋さんの話によると、友人宅に向かう途中、ベンチで横たわる凛ちゃんを見つけたそうだ。凛ちゃんは少しぐったりしているものの話は聞けたとのこと。6/9の昼にこども食堂で食事をして以来、今までほとんど何も食べていないのだという。今朝、カップラーメンを見つけて、お湯を沸かしたが誤ってこぼしてしまい、左の太ももあたりを火傷。母親に助けを求めたが、大したことないと相手にされなかった。母親に今日は学校を休むように言われ、欠席した。昼頃、いつのものかわからない封の開いた菓子パンを少し食べたが、お腹の調子が悪くなりそうですぐにやめた。夕方になってやはり足がヒリヒリするので児童館の先生に診てもらおうと外に出たものの、学校も休んでいるし、誰かに話すと母親に責められると思い、公園で思いとどまっていた所を田嶋さんに見つけられたらしい。

 

「この人だあれ?」

「こんにちは。私は広瀬琴美っていいます。たしか、凛ちゃんだよね。前にこの公園で、由奈ちゃんと一緒に居る時に会ったの覚えてないかな?」

「あっ、あの時の。由奈姉ちゃんが子どもの頃、由奈姉ちゃんを助けたスーパーヒーローだぁ!」

 弱々しく笑う凛ちゃんと、先日亡くなった由奈ちゃんを想い、胸がズキンと痛む。

「そうだね。さて、凛ちゃん。凛ちゃんはどうしてほしい?」

 頭を優しく撫でながら、話しかけると、

「足が痛くないように薬を塗ってもらいたい。ご飯を食べたい。」

 と言った。

「そうだね。家には帰りたい?帰りたくない?」

「うん……と……。家には……、帰りたいけど……、帰りたくな……い。」

 そこまで言うと、ワッと泣き出した。まだ泣けるだけの力があってよかったと安堵する。

「わかった。よく頑張ったね。」

 私は凛ちゃんを抱きしめた。

「田嶋さん、少しの間、凛ちゃんについていてもらえるかな?取り急ぎ、いくつかやらなきゃいけないことがあるんだけど、お願いできる?あ、あと少し脱水症状が出てるかもしれないから、これをゆっくり飲ませてあげて。」

 そういって、未開封のミネラルウォーターを渡した。

「は、はい。」

 そういうと、彼女は凛ちゃんに寄り添うようにベンチに腰をかけ、水を飲ませた。


 私は、電話で上司に状況説明、児童相談所に通告。取り急ぎの支援計画と段取りをつけた。おそらく一時保護となるだろう。

 鈴木凛のことは、すでに学校、児童館から情報は上がってきていた。衣服の汚れ、体臭、紛失物が多く、給食をよく食べる。幼稚園までは問題なかったが、小学校に上がった頃からの変化で、ネグレクトが疑われた。そして、かつて凛の母親 鈴木さやか もまた、被虐待児だった。

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