第5話 旅立ちの日
あの日から二か月が経過した。
毎日六時に起きていたことで、体がその時間に起きることに慣れたのか、もうここ最近は鐘が鳴る前にパチッと目を覚ますようになっていた。
「さ~て、今日は待ちに待った八月十五日。さっさと着替えて王都に行く準備をしないと」
女性用の服ではなく男性用の服が用意されていた。
この日のために母さんが縫ってくれた服に袖を通す。
あたしは出発の準備をしながら、ここ二か月について振り返っていた。
朝六時から夜六時まで食事休憩とかを除き、ぶっ通しで続けた父さんとのクリフォルス森林での実戦形式での訓練。
訓練をする際に鬱陶しく感じてきた髪をバッサリ短く切ったこと。
体が慣れるまで常に全身筋肉痛で朝起きるのすらきつかったこと。
男性用の服に慣れてしまい、女性用の服に少々違和感を持つようになってしまったこと。
そして自分が授かったギフトがみんなとは少し違っていたこと。
たった二か月という短い期間だったけど、本当にギュッと詰まった濃い二か月だった。
支度を済ませたあたしは着替えや硬貨、食料などが入ったカバンを片手に部屋を出る。
部屋を出るまでは気づかなかったけど、大好物のスープの香りが広がっていた。
「おはよう、リーティア。今日は一段と起きるのが早いわね」
「母さんおはよう。前のあたしだったら遅く起きることはあっても、早く起きることなんてなかったもんね」
「あたしが言う前に先に言うなんてあんたも腕を上げたわね。っと、はいお待たせ」
母さんは大げさに悔しがりながらスープを皿によそう。
あたしは手に持っていたカバンを床に置くと、朝ご飯を食べるため席に着いた。
目の前にはスープが入った皿と普段の硬いパンじゃなくて、柔らかい白いパンがのった皿が置かれた。
この白いパンは年に数回、誕生日などの記念日に出てくる貴重なパン。いつものパンはライ麦、通称黒パンだけど、この白いパンは小麦と材料が違う。
また値段もあたしの手に収まるぐらいの白いパン一個と、両手を合わせてもはみ出るいつものパン五個でやっと同じぐらい。それが山のように積まれていた。
「か、母さん。こ、これ!」
「娘の門出なんだからこれぐらいするわよ」
あたしは感謝しつつ震える手でパンを掴む。ふわっとした感触とともに指が沈んでいく。
パンを一口サイズにちぎって口に放り込む。この白いパンはスープに浸さなくても噛み切れるほど柔らかい。
噛むたびに小麦の風味が口いっぱいに広がる。
あたしは白いパンを頬張りながら母さんに問いかけた。
「この手触り食感……最高だわ。それで父さんの姿が見えないけど?」
「口に入れたまま喋らない。父さんならまだ寝ているわよ」
話の続きを聞くため咀嚼もほどほどにパンを飲み込む。
「あの父さんが?」
「流石にノーザンでも体力の限界だったんでしょうね。昨日あんたが寝たのを確認した瞬間、ベッドに倒れ込んでいたもの。娘にカッコ悪いとこを見せないように振る舞っていたようだけど、最後という最後でヘマしたわね」
母さんは対面に座ると、頬に手を当て楽しそうにここ最近の父さんの様子について話してくれた。
あたしはそれを口を動かしながらただ黙って聞いていた。
父さんは体を休める時間、その全てあたしのために時間を割いてくれていた。
仕事をして帰って来て休む間もなく、ずっとあたしに付きっきりだった。そんなこと普通に考えればすぐに分かりそうなのに、あたしは自分のことばかりでそんなこと考えもしなかった。
母さんもあたしのために普段よりも二時間以上、早く起きて用意してくれていた。
あたしは家から離れるこの日になって、どれほど両親に支えられていたのか理解した。
それからはひたすらパンをスープを口に放り込み続けた。食べ続け気を紛らわせないと、感情があふれ泣いてしまいそうだったから。
朝から暴食したことで涙は引っ込んだけど、その代わり食べ過ぎてお腹がしんどい。
一歩も歩けそうにない、それどころか席から立つのすら無理。
「ふぅ~、もう何にも入んないわ」
「あんた……食べ過ぎよ。このあと王都まで歩くの分かってるわよね?」
「あ~、うん。分かってる、分かってる」
「本当に分かってるのかしらね」
イスにだらりと座り身を預けていると、ゴーンという六時を告げる鐘の音が響いた。
まだ少しお腹は苦しいけど、そろそろ出発しないと――。
王都に行くのは数年ぶりで今回はあたし一人、自分で言うのもアレだけど、もしかしたら王都で迷子になるかもしれない。
なので、万が一のことを考え気持ち早めに出発しようと決めていた。
あたしは重い腰を上げ床に置いといたカバンを拾い上げる。
「それじゃ母さん。あたしそろそろ行くね」
「もう少しお腹が落ち着いてからでもいいんじゃないか?」
「ちょっとだけ思ったけど……六時に出発するって前々から決めてたし」
「はぁ~、まぁあんたがそう決めたのなら別に構わないけど」
「それじゃ母さんいってきます」
自分で王国騎士になるため王都に行くと決心したはずなのに、家にいたい離れたくないという気持ちに別れを告げるように――あたしはドアを勢いよく開けた。
その時だった。
「待ちなさい、リーティア!」
背後からあたしを引き止める声が聞こえた。
振り向くと手のひらサイズの巾着袋を持った父さんがいた。
「と、父さん?」
「リーティア、これを持っていきなさい。少しは生活の足しになるだろう」
父さんはスッと巾着袋をあたしに向けて差し出す。受け取った巾着袋はズシリと重かった。
「こ、これは?」
「それは父さんと母さんからのちょっとした餞別だ。あと開けるのは家を出てからにしなさい」
「……分かった」
あたしは巾着袋をカバンに入れると、両親の顔見ながら別れの挨拶をした。
「それでは父さん、母さんいってきます」
「王国騎士になると決めた以上、必ず成し遂げてきなさい。リーティア」
「リーティア、いってらっしゃい」
あたしは家から出ると、一度も振り返ることなく村を出た。
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