元運だけ女は今世で疫病神に憑かれてます

noll -ナル-

「喜べ人間、お前はワンモアチャンス制度に当てはまった」



 ……この世界は、思っている以上に馬鹿で溢れている。それをいつ感じたかと問われれば、私は今であろうな、と答えよう。まさか此処まで周囲が馬鹿だとは思いもよらなかったのだ。さて、自己紹介をしよう。私はマリアン。マリアン・トゥーワ。とりあえず令嬢をしているしがない貴族である。ちなみに婚約者のサイラス・ルインという存在が居るのだが、今まさにその婚約者から婚約解消イベントが起きているので忘れても良い名前と成り果てた。


「君には失望したよ」


 落胆の溜息と共にかつての婚約者であった馬鹿は葡萄色を全身に浴びた女、オリヴィア・キラーという馬鹿の腰を抱く。そうは言うが、この馬鹿は私に勝手な理想を抱き、勝手に失望しているので向こうは大ダメージに対し、私はノーダメージである。そしてどう見てもお粗末な泣き顔を作って「ふええぇ~ん、どうしてこんなことするのぉお~?」とウザい発言をする。おいてめぇ、そんな台詞用意してるんなら先に言え。そして隣が「いいぞ、いいぞ! 盛り上がってきましたー‼」と五月蠅く囃し立てるな、なんで聞こえもしないのに煽るんだよ。そんでもってもう少し可愛い声にしろ、今のは流石に鳥肌が立つ上にキモいしか無い。そしてサイラスの友人であるマイロ・サヴァイは大した交流もしていないのに全て知った装いで「……まさか君が此処まで愚かだったとは」とか口走らないで欲しい。思わず自分の記憶を掘り返し、馬鹿との思い出を探ってしまった。そして驚くほどに何も無くて、そっちに驚愕してしまった。むしろあの馬鹿にはどんな思い出があったのだろうか? そっちの方が気になってしまう。隣で「あぁ、ご飯が……ご飯が欲しい。今が飯時だ…………」とかトチ狂っている声が聞こえるが、私はそれを華麗に無視した。周囲が羨ましく思う。


「あぁ、オリヴィアすまない。まさかこんな事を彼女が起こすだなんて……、でも大丈夫。僕が君を護るからね?」


「本当? サイラス君が私を守ってくれる……の? ふ、ふええぇ~ん!」


 そして黙っていればオート機能かのように流れていく会話劇。え、何この茶番。


「……大丈夫、大丈夫だよ、オリヴィア。もう、君が怖がることは起きない。僕が約束しよう。さあ、このままではオリヴィアが風邪を引いてしまう」


「で、でも……」


「さっきも言っただろう? 僕は君が、いや、僕たちが守ってあげるからね?」


「いいね! いいよ、もっと頂戴‼ そういう展開が最高に美味しい‼」


 最後の台詞は私の隣の発言である。というかもうちょっと声量を考えて欲しい、ハッキリ言ってこの空間内でダントツに五月蠅い。聞こえないからってオープンにし過ぎである。本当に、この世界は馬鹿しかない。

 そんな感情を私が沸々と募らせていると、徐に隣から肩をポンポン、と叩かれる。私が流し目で隣へと視線を向けると、隣が恍惚な笑みと共に親指を立てていた。所謂、グッドサインである。


「いやぁ、待ちに待った展開だね! 漸く僕の努力が実を結ぶ……‼ さあさあ、最高の演出をして僕の腹を満たしてよ‼」


「……………………………………………………」


 ――訂正しよう。此奴は馬鹿ではなく性根の腐ったクッッッッソ野郎だった。

 さて、隣の紹介をいまだに忘れていたのを思い出したので紹介しておこう。私の隣で涎も拭わずに「いいね、いいね!」とかトチ狂っているクッソ野郎の名はネイア・トーテム。私にしか見えない、触れられない幽霊である。そして人の不幸で飯を食って生きていたいというマジで糞野郎な思考回路の存在である。はっきり言って憑りつかれた時点でお祓い案件であるが、コレのお祓いが出来る世界線ではないらしく、私は無くなく此奴に憑かれている。


「どうやるかと冷や冷やしていた時期もあったけど、無事にこうなってくれて僕としては花丸上げちゃうほどに満点だよ! ま、ん、て、ん‼」


 五月蠅い、驚くほどに五月蠅くて今すぐに裏拳で整った顔に一発お見舞いしたい衝動に駆られる。しかしそれを行うという事は私の奇行が周囲に見られてしまうという事なので、私は怒りのゲージだけを溜めておこうと思う。とりあえず足と拳を必死に理性が止めているが、何が切っ掛けにプッツンするかは分からないこの状況。あぁ、全てが早く終わって欲しい。


「いいか! 君との婚約は今日、今この時を持って解消とする!」


「かしこまりました」


 待ちに待った解消イベント。それに笑顔で答え、了承すれば何故かむこうは「何を笑っているんだ!」と怒る始末。え、なんで私は怒られているんだ?

 私が内心で小首を傾げていると、何を感じ取ったのか知らないが馬鹿はハッとした表情を見せた。なんだ、いったい。


「あぁ、そうか。そういうことか。大人しく受け入れれば僕の心が少しでも揺らぐと思っての行動か?」


「………」


 此奴は何を言っているんだ? 脳みそに皺が本当にあるのか? 実はツルツルのピカピカじゃない?


「だが、残念だったな。もう君への恋心は当に冷めきってしまったよ。今の僕にはオリヴィアしかいない。この子こそ、僕の女神だ」


「さ、サイラスくん⁉ そ、そんな……め、女神だなんて…………」


 残念なのはお前らの馬鹿さ加減だよ。お前ら二人とも本当に目ん玉付いてる? 本当に脳みそ入ってる? 実はそう設定されて動く機械人形か何かじゃない? お前らの血、実は青とは言われても私は驚かないけど……、むしろ納得する。


「さあ、このままでは女神が風邪を召されてしまう。ほら、早く行こう」


「で、でも……」


 あ、これさっき見た茶番劇だぞ? それでまた馬鹿が「僕が守って~」とか抜かす奴だ。


「大丈夫だよ、僕の女神。君は絶対に、何があろうとも僕が守って見せるから」


「サイラスくん!」


 そう言い合って抱き合っている馬鹿二人ではあるが、女神って言葉のチョイスどうよ? 確かあの馬鹿、私の事を天使ちゃんだか呼んでいた時期があったが、現実で言って許される言葉ではない。それはあくまで非現実のそれも架空の人物が言うのだから嬉しいのであって、中身を知っている相手から言われても嬉しくもない。むしろ寒いだけだ。

 そんな事を思っていると、ようやく馬鹿は退場するようである。ようやく帰れる、その嬉しさと同時にようやく隣を黙らせることが出来る喜びに打ち震えていると、ふとオリヴィアと目が合った。馬鹿に連れられ、手を引かれる最中に私を一瞬だけ見たオリヴィアの表情にはもう涙は無かった。


「変わり身はえー……」


 思わず言葉が小さく漏れ出てしまう。そして何を思ったのかオリヴィアは私を見て、


「ふっ」


 と鼻で笑ったのである。不敵な笑みを添えて。

 ……………………………………………………は?

 …………………………プチン。

 ……いや、別に良いのだ。そういうイベントみたいなものだから。だが、タイミングが驚くほどに悪すぎた。だって私は今の今まで何に耐えて来た? 隣の馬鹿五月蠅いトチにトチ狂った戯言を聞きながら馬鹿の言葉も聞いていた勇者だぞ? はあ? 勇者に見せる態度じゃなくね? ていうか、お前はむしろ私に感謝しろよ、おい。なあ?


「ペコ」


 私は徐にその名を口にする。すると私の影を媒体に、その姿を見せたのは黒い獣であった。呼び出された獣はグルル、という唸り声を静かに上げていた。私はその声にうっとりしながら、そのまま言葉を紡いだ。


「食べていいよ?」


「良かねーよ⁉」


 隣からトンデモナイ声量のバッシングがきた。私が思わず耳が死んだ、と思い耳に触れていると、隣がパチン、という指を鳴らした音を響かせた。

 その瞬間――世界は静止し、灰色に染まる。色が残っているのは私と隣にいる馬鹿ことネイアだけ。私の命令を聞いて即実行しようと駆け出す一歩手前の獣が横目に見えた。


「……なに?」


 片耳が暫く使い物にならない、そんな気配を感じ取った為に私は抗議の意味も込めて睨みをきかせて問いかければ、何故かネイアが唖然としながら「はあ?」と声を上げた。


「なに? じゃ、ねーよ! 何しようとしてるわけ⁉」


「え? ペコに食事?」


「うっそだろう、お前⁉ お前に血は通ってるわけ⁉ お前の血って何色⁈ 青とか黒って言われない⁉」


「言われない。むしろ私が数秒前に思っていた思考みたいに陥っているお前を見て、吐きたい衝動になってる」


 思わず口元を手で押さえながら「おえ」と嗚咽を漏らせば、ネイアが即座に「おいやめろ!」と怒鳴る。あり得ない、まるで規格外の何かを見つめるかのような驚愕顔でネイアは私を見つめる。


「うっそだろう⁈ うっそだろう、お前!」


 ぶるぶる、と身体を震わせるネイア。まるで携帯のバイブレーションの如く震えるネイアに私は思わず口元を隠したまま笑みを浮かべてしまう。ヤバい、ウケる。

 しかしそんな私を知ってか、知らずか、ネイアはまるで子供の癇癪かのように床をダンダン、と踏み鳴らし始めた。


「なんで、なんでなんでなんで! どうしてお前は‼」


 ダンダン、と床を踏み鳴らすネイア。事が上手く運ばずに苛立つのは勝手だが、その姿はあまりにも餓鬼過ぎるので止めておいた方が良いと思う。私が心の奥でひっそりと小言を漏らしているのを知らずに、ネイアは「あ~、もう! なんで、なんで⁉ どーしてこうも上手くいってくんねぇーのぉおおぉぉおおお‼」と頭皮を掻きむしり始めた。勝手にやってろ、と思いながら死んだ片耳が早よ戻らねぇかなー……、と一人思っていると、ふと隣が静かになったのを感じた。

 どうした? 私が何気なくそう思い顔を動かせば、そこには呆然自失に陥っている馬鹿が居た。お、どうした? 私が珍しい状態に陥っているネイアを不思議そうに見つめていると、ネイアが徐に「僕はただ…………うましたいだけ、なのに」と呟きだした。

 うん? なに?

 なにせ今の私は片耳が死んでいる為に声が聞き取りにくくなっている。その為に無事なもう片方を意識的に使って聞き取らないといけない。私が「なに? もう一回言ってくれない?」と聞き返すと、ネイアがキッと目くじらを立てながら私を睨みつけた。


「僕はただ、お前のような不幸知らずが不幸を味わって絶望する顔を見て飯うましたいだけなのに‼」


「………………お前、本当に腐った根性してるよね」


 そして律義だな、さっき言った言葉を一言一句言っただろうお前?



 私とネイアの出会いは生誕よりも前に遡る。簡単に説明すると私には前世と前々世の記憶がある。まあ、前世は世に爆誕する前にお腹の中で爆死したのでハッキリ言って前世と呼ぶべきか悩むところがある。しかしお腹の中でも私の意識みたいなものがあったので、一応前世というカウントをしている。さて、私の前世はどうでもいい。むしろ前々世の方が重要だ。その話をしようと思う。

 私は前々世、天の川銀河の一部にあった太陽系、地球で生まれ育った一般ピーポーであった。しかし私には周囲とは違う特殊な物を持っていた。それが運であった。運も実力の内、そんなことわざが地球にあるが、私の運はその言葉の遥か高見をいった。

 懸賞を応募すれば必ず当選、例え狙いを外したとしても副賞が当選。マークシート形式のテストはテキトーに塗りつぶせば満点確実。入試試験で熱を出しても、大雪やら台風が接近して試験日がズレたりする。売り切れ続出の作品などを運良く書店で購入出来たり、絶版になっている蔵書を古書店で見つけたり、整理券配布ではラス一を手に入れたり、自販機のルーレットでは必ず当たったり、病気をすれば運よく治療法が確立されて九死に一生を得る……などなど前々世の武勇伝は上げれば上げるほどある。

 まあ、詰まる所ではあるが、私は運だけ女だったのだ。

 しかし人間という物には必ず寿命という物がある。それには流石の運だけ女の私でも逆らえない。私の人生は運で決まり、運に翻弄される運だけの人生であった。

 一生分の運を使ったと言って良いだろう。私はあの時、どれほどの徳を積めば此処までの運を得られるのだろうかと深く考えてしまう程であった。けれど、死んで次の来世を知って私は納得した。

 私は母の羊水に包まれている胎児であった。まだ目も開けられないが声がかすかに聞こえた。温かい空間、トクトクという心臓音に微睡みを感じるも、突如として襲い来る不快感に私は嫌な予感と悲鳴を上げたくなった。どんどんと苦しくなる、何故、どうして、という呟きが漠然と浮かび上がるも、私の意識はすぐに闇へと誘われてしまった。

 ――これが、私の来世であり前世の記憶。多分であるが、私の意識はそのまま闇へと堕ちたので流産したのだと思われる。生まれる事無く死んだ来世こと今世に驚く間もなく困惑だらけのまま死亡とは何とも間抜けである。

 しかし死んだからと言って「はい、次の来世へ」という流れには何故かいかなかった。


「違うのぉお~! そうじゃないのぉお~‼」


 甲高い声であった。お菓子を買ってくれない、と駄々を捏ねる子供のような口調に私は思わず「……は?」と口を開き、瞼をこじ開ければ、その広がる光景に目を丸くした。

 広がるのは青い晴天と白い雲。けれども純白な白い雲の上に真っ黒な汚物のような存在がいたのを目にした瞬間、私は二度目の「は?」という呟きを零してしまう。

 塵のような存在はそのままゴロンゴロン、と転がっていた。まるで芋虫のようだ。いや、むしろ殺虫剤を当てられて苦しみ悶えるゴキブリであった。私はそれを見た瞬間、関りに会うべきではないと瞬時に察した。そして夢ならば早く覚めろ、覚めろ、と念じ始めた。しかし悲しい事に私の念じは叶う事は無く、私はゴロンゴロンと右へ左へと転がるゴキブリを見つめる事しか出来なかった。

 当たり前ではあるが、このゴロンゴロンと転がるゴキブリのような存在は列記とした人間である。しかし全身真っ黒なマントを身に纏った挙句、目深くフードを被っているせいで顔が見えない。もしかするとフードの中身は蟷螂かもしれない。それか異星人。死後の世界だ、何が待ち受けていても可笑しくはない。もしかしたら私が知らないだけで最近は死後の世界もグローバルになっているかもしれない。そうだ、きっとそうだ。しかし、だからといって駄々っ子を連れてくるのは如何な物だろうか?


「こうじゃないのぉお~、僕が考えていたのはこうじゃないのぉお~!」


 転がるのに飽きたのか、今度はその場でバタバタと手足をばたつかせ始めた。しかし、やはりその姿は間抜けであり、殺虫剤にもがき苦しむゴキブリであった。関わり合いたくねぇ……、その気持ちがただただ溢れる。


「違うのぉおおぉ~! 僕の計画はもっと緻密だったの! そうなの‼」


 何の話だよ、思わず脳内でそう突っ込みを入れてしまう。


「なのに、なのになのになのに、こんなのあんまりだ! 折角、せーかく、君のような不幸も絶望も知らない最高のパッパラパーを見つけたのに、見つけたのに‼」


 パッパラパー……て、何だか酷い言われようだ。というより、結局このゴキブリは何なのだろう? 謎が謎を呼ぶ最中、黒いマントのゴキブリが突如として「……飽きた、疲れる」と零し、むくりとその場から起き上がった。そりゃあ疲れて当然だろう、身体全身使ってるんだから。


「おい、不幸知らずの人間」


「……………………」


「……………………」


「……………………」


「………………おい」


「……あ、私の事?」


「当たり前だろう⁉ 逆に聞くが、お前以外に誰が此処に居る⁈」


「いや、私には見えない何かが居るのかな……て」


「いねぇよ! 居て堪るか‼ むしろその発想に行きつくお前がこえぇよ‼」


 誰の事を言っているのだろう、と首を傾げながら静かに待っていればこの始末。なんなんだ、いったい。私が何をしたっていうんだ。


「……ッチ、まあいい。話しを戻そう」


 舌打ちを零しながらフードの上から髪を搔き乱す仕草は何処か歪であった。それって意味あるのだろうか? フード被らないと死ぬ呪いでも掛かっているのだろうか? ご愁傷様である。多分将来は禿一直線コースであろう。……いや待て、もしかして実はすでにツル禿なのでは……⁉ どうしよう。そう思えば思う程、目の前のゴキブリが哀れに感じる。


「ご愁傷様」


 あ、ヤバい。思っていた言葉が飛び出してしまった。


「は? ご愁傷様ってなにそれ、どういうこと?」


「いや、うん…………。気にしないで続けて」


「は? ……まあいい。そんで人間、僕は神だ」


 セーフセーフ、バレてないバレてない、と安心していた所にトンデモナイ爆弾が投下された。

 ……え、てか今このゴキブリは何て言った? は? 僕が神? 神って、神様の神? 実は紙の方じゃない? それか髪の毛? え?

 ……………………………………ふー、落ち着け私。冷静になるんだ。そうだ、八百万の神とも言う日本に住んでいたんだ、ゴキブリの化身みたいな神が居ても……、居ても…………。


「良くないな」


 あ、またしても思っている言葉が飛び出てしまった。


「は? 良くないってなんだ?」


「イヤ、ナンデモナイ。続けて?」


 ヤバいヤバい、と思いながらもそう悟られないように笑顔で話を先へと進ませようとする。しかし私の二度による失態のせいか、ゴキブリの様子が思わしくない。マズい、マズいぞ。仕方がない、こうなれば……。


「へ、ヘー、アナタッテカミサマナンデスネー」


「そうだとも! 僕は神! 神様なんだよ‼」


「ヘー、スゴーイ!」


「ふふん、本来であれば会う事など叶わぬ存在だぞ! 崇めよ、人間‼」


「エ、エ、ヤ、ヤッター」


 いや、勘弁してください。つーか、棒読みで言ってるのに気づかないってお前……実は馬鹿なのか? あ、そうか。ゴキブリも警戒心あるようでないもんな……、そうだよな、うん。


「うんうん、良いよい。だが残念だな、人間よ?」


 お、漸く本題が進む?


「人間、お前は僕に選ばれたんだ! 光栄に思え‼」


「……それは、どういう意味で、ですか?」


「それは勿論、僕にとっての最高の贄として……だ!」


「贄、ですか」


 贄ってこのゴキブリ、何時時代のゴキブリ? 縄文時代? 実は卑弥呼の家に入り浸っていたゴキブリ?

 自分の口元が自然と引き攣っていくのが分かる。そしてそれを見てゴキブリは嬉しそうに声を上げる。


「僕はお前のように不幸を知らずに微温湯のような人生を送っている奴を突き落として絶望に染まったのを見るのが堪らなく好きだ! 飯が上手い‼」


「最低だな、おい」


 もう隠すこともせずに本音を口にする。しかしゴキブリは私の反応に豪快に笑い、嬉しそうに胸を張った。


「そうだとも! 僕は最低だ‼ だが、最低であろうとも、僕とお前の立場は変わらない‼」


「…………それで?」


 私が素直に更なる続きを促せば、珍しそうな反応を見せた。ゴキブリは「ほう?」とまるで梟のように鳴いた。ゴキブリは面白いのか「クックック」と笑いを零す。良く見れば肩がフルフルと震えていた。


「どうした? 嫌に物分りが良いでは無いか、人間」


「いや、前々回が順風満帆だったんでしっぺ返し喰らうのは覚悟してたんで……」


 だからと言ってこんなイカれた思考回路のゴキブリな神様と対面するとは思わなかったが。私の素直な返答に「前々回?」と零したゴキブリはふむふむ、といった様子で顎を撫でた。


「良い心がけだ、感心感心。……では、続けよう。僕はね? 人生の中で最も尊い物はなんだ、そう問われれば食事だと答えるほどに食には五月蠅いんだ。中でも地獄の底へと通じる蓮池から見る針の山の光景はさいっっっこうに食事を美味しくしてくれる! ……しかし最近、それだけでは腹は満たされるも、心が満たされなくなってきてしまったのだ。そこで、僕は考えた。考えに考えて、さらに深く考えて……、珍しく座禅をしてしまう程に考えるほどに考えて見つけたのが、今回の大計画なんだ! 聞きたいだろう? そうだろう? 聞きたいよね! だってお前は当事者なんだもん‼ 勿論、聞かせてあげるよ。僕が考えに考えた大計画。それはお前のような人間を僕の世界に堕として、数知れない不幸を味わって絶望して欲しいんだ! そうすれば、僕はお前の絶望顔を目の当たりに出来る上に、ご飯を美味しく味わうことが出来る! な、最高の計画だろう⁉ それで最初の実験体を探した結果、人間、お前が選ばれたんだ‼ だが、僕の計画は失敗した! なんだと思う? そう、お前だ! お前が世に生まれ出でる前に死んだことだ! 僕は困った上に、逆になるほど、とも思った! 確かに誕生する前に死ぬ、という流れは最高に不幸だし絶望だろう。だが、それは周囲の奴らだけだ。お前じゃない。僕は人間、お前の絶望した顔が見たいんだ。だから、計画は大失敗した。分かるか? 折角の大計画が初っ端から出鼻を挫かれる、この感覚を! 分からないだろう? だが、安心しろ。確かに僕の計画に穴があったのは分かった。だからそれを修正した! 此処まで言えば人間、分かるだろう? え? 分からないって? 仕方がない、教えてやろう。良いか、お前はもう一度、僕の手によって僕の世界に行くんだ! 安心しろ、産み落とされるまではお前の安全は保障しよう。ふふん、嬉しいだろう? だが、その後に待ち受けているのは不幸の連続だ! とくと不幸を、今まで味わったことの無い絶望を感じろ! そして僕に最高の食事を提供するが良い‼ 分かったか、に――グフッ⁉」


 あ、しまった。ゴキブリ神を思わず殴ってしまった。ヤダ~、汚い。ばっちぃ~、思わず殴ってしまった拳を衣服で何かを拭うようにゴシゴシする。

 しかし、驚くほどにこのゴキブリはクソのクズ野郎だな? 清々しすぎて拍手したくなってしまう。てか、何で神様になれたんだ此奴? 一応、神様だから話を最後まで大人しく……大人しく? まあいいや、聞いたけど流石に我慢に耐えきれずに殴ってしまった。反省などミジンコも感じていない。むしろ良くやった自分、と褒めたたえている。というより、話が長い。長すぎる。もう少し要点を絞って完結に出来ないだろうか? 話が長い奴は大体の人間が嫌うぞ? あぁ、だからゴキブリなんだな、分かったよ。

 私が塵を見るような目でその場に倒れ伏すゴキブリを見下ろしていると、ハッと覚醒したゴキブリがガバリ、と起き上がり驚愕した様子で殴られた箇所を抑えながら声を上げた。


「な、殴った⁉ 僕を⁈ 神である僕を殴った⁉」


「そうだけど? なんか文句ある?」


「あるに決まってんだろう! むしろなんで無いと思ってんだ‼」


「いや、お前の話を聞いた奴は誰であろうと殴れれば殴ると思うぞ?」


「はあ? この僕が殴られる? なんで? なんで僕が殴られなきゃいけないわけ?」


「お前は三歳児か」


 なんで、なんでってお前は乳幼児か何かなのか? 誰かから懇切丁寧に教えて貰わないと何も分からないのか? え、マジで言ってるの? ヤバくない、このゴキブリ? え、害虫だから思考回路も儘ならない…………⁉ あぁ、そっか……、そっかー。


「おい、なんで僕の肩を叩く」


「………………」


「肩をポンポン叩くな! だからといって今度は擦るな! それに何故、そんな憐れんだ目で僕を見る! 全て止めろ⁉」


「ゴメンね、人間の論理を押し付けちゃって……」


「……は?」


「ゴキブリであるお前が人としてどうのって考えちゃいけなかったね?」


 私がそう口にすればゴキブリが何故か困惑しながら「え、ゴキブリ? 僕のこといってるの?」と尋ねてくる。あぁ、そうか。お前、自分が何者であったか知らないタイプか……。


「あぁゴメンね、お前はゴキブリって名称で自分を呼んでいなかったんだね? なに、ゴキちゃん? コックローチ? それとも御器齧ごきかぶり?」


「おい、結局はゴキブリしか言ってねぇだろう! 今時言わねぇよ、ゴキブリの事を御器齧りって‼」


 いや、言う人はいるだろう。限りなく少ないだろうが。何時代の人だ、てなるだけで。


「だって見た目がゴキブリなんだもん。ゴキブリの神様かな、て思うのは必然じゃない?」


「必然⁉ 真っ黒なマントを身に纏っているだけでゴキブリの神様になるのって必然なわけ⁉ そっちに吃驚なんだけど‼」


「はあぁ…………じゃあなに? なんなのお前?」


「神様だよ‼ なんでそっちが譲歩してる形になってんだよ! 可笑しいだろ! 可笑しいだろ‼」


 ダンダン、と子供のように地団駄を踏み始めるゴキブリの姿に、私は首を傾げる。


「……うん? だから言ったじゃない? ゴキブリの神様ね、て」


「訂正しよう! 僕は神様だが、ゴキブリの神様じゃない‼」


「えぇ、分かったわゴキブリ」


「おい待て! ゴキブリから変わってないぞ⁉ 訂正しろ! 僕は神だ‼」


「えぇ、分かったわゴキブリ神」


「違う! ゴキブリを外せ‼」


「我儘なゴキブリね……、困ったわ。はあ…………」


「……おい、さっき訂正をいれただろう。応えろよ」


 地団駄を踏むのを止め、フルフルと身体を震わせるゴキブリ。まるで携帯のバイブレーションみたいである。私はそんなゴキブリにニッコリと微笑んだ。


「あら、別に聞き入れるなんて受け答えはしていないわよ?」


「なんで急にお前の方が偉い態度を取り始めてんだ! 可笑しいだろう! 僕の方が上なんだぞ⁉」


「だから?」


「は?」


「だって私、お前の事殴れたじゃん」


 私がゴキブリを殴った箇所を指差せば、あわあわと突然慌てた様子を見せ始めた。


「そ、それは僕が油断したからで……、お、お前なんて僕の力を持ってすればけちょんけちょんに出来るんだぞ?」


 けちょんけちょん? 餓鬼かよ、お前。しかしこの発言のお陰で私は指摘することが出来る。私は口元をニヤつかせた。


「そう、それよ」


「は?」


「だから、どうしてそうしないの? 普通に考えて、それが一番手っ取り早い行動よ。でも、お前はそうしなかった。どうしてなのか気になったけど、殴れて分かった。お前、神は神でも弱いだろう?」


 予想としては上中下の下の部分、良くて中の下であろう。上は無い、絶対。


「ぐ、ぐぬぅ……」


「今時の漫画でも言わねぇ図星の声だな、おい」


「ち、違う! 違うぞ! 僕は強いぞ‼ ただまだ子供ってだけで――あっ⁉」


「フーン、子供……ね?」


 じゃあ、上中下の中じゃ下の下か? むしろ修行中じゃねぇの?


「あ、いや、ち、違うぞ! 年齢で言えばウン千なんだぞ⁉ だが、神の世界だとそれはまだまだ序の口――あっ!」


「お前、周りから馬鹿だって言われない? それか阿呆って?」


「う、う、ううう五月蠅い! 五月蠅い、五月蠅い‼ 違うぞ! 僕は馬鹿じゃない! 天才なんだぞ!」


「あー、はいはい。スゴイスゴーイ」


「今のは流石に分かるぞ! 絶対に僕を馬鹿にしているな⁈」


「うん」


「否定をしろ! 畜生‼」


 そう言って再びダンダン、と地団駄を踏み始めるゴキブリ。どうしたものか、と空を仰いでしまうも仰いだところで何もならないと察し、私はゴキブリを見やる。ゴキブリはまだ地団駄を踏んでいた。


「それでゴキブリ」


「ゴキブリじゃない!」


「じゃあ餓鬼」


「餓鬼でもない‼」


 じゃあ何と呼べと? え、神って呼べと? んな殺生な……。私が呆れた表情で見つめていると、やがて何を思ったのかゴキブリは頭を抱え出した。なんだ、どうした。『封印されし、第三の目が疼く!』とか厨二みたいな発言でもおっぱじめるつもりか⁉


「う、うぅうううぅう……」


 ヤバい、何かマジで『第三の目が!』とか言いそうな雰囲気醸し出して来た。止めろ、ネタ振っといて何だが絶対に止めろ。本当に実行されると面白くないから!

 私が一人馬鹿な事を思っていると、ふと何かが聞こえて来た。そう、それはまるで蚊のような声。


「……ィァ」


 勿論、出所は知っている。しかし、如何せん声が小さすぎる。お前どんだけ言いたくないんだ。


「うん? 何か言ったか?」


「…………ァだ」


「なんて?」


 おいおい、本当にどんだけ言いたくないんだ。そう思って片耳を傾ける。その瞬間、馬鹿の一つ覚えのようなデカい声が私を襲った。


「だから! 僕の名前はネイアだ‼」


 覚えたな! と続けて叫ぶゴキブリことネイアであるが、私は片耳が使い物にならずそんな言葉など耳に入って居る訳など無かった。

 これが、私とネイアの出会いである。酷い出会いもあったもんだ。もう二度と、こんな出会いが無い事を祈りたい。

 ――その後、私はネイアから「喜べ人間。お前は短命だった為、ワンモアチャンス制度に当てはまった」と聞かされた。溝にでも捨ててしまえそんな制度、と思っていればネイアから笑顔で手を振られながら「それじゃあ、逝ってこい」と言われたと思えば私の身体は宙に浮いた。いや、違う。投げ出されたのだ。雲に穴が開き、私は落下したのだ。私は咄嗟に頭上を仰ぎ見る。そして私はありったけの声で叫んだ。


「てんめぇえぇええええ、覚えてやがれぇええええぇぇええぇぇええぇ‼」


 誰かてめぇみてぇなクソ野郎の思い通りになるかってんだ! 私を舐めんな! 死んで転生したってな、私は私なんだよ! 絶対に変われねぇ、信条ってもんがあんだよ‼


「精々首洗って待ってろ、クッッッッソ野郎‼」


 ファック! と中指を立てながら私は堕ちていく。落ちて、堕ちて――闇に呑みこまれた。

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