第220話 混乱の王国と非情な決定
エウリアスが、ラグリフォート領の南東部で兵士たちを解放した、二日後。
王城には、サザーヘイズの領主軍がすでに挙兵し、戦闘が勃発したことを知らせる早馬が到着した。
早馬を送ったのは、一つの貴族家だけではない。
『サザーヘイズ領主軍の行動は、陛下からのご命令とのことだが、本当か?』
最初に届いた手紙は、サザーヘイズ領主軍の侵攻する、ルート上の貴族家からの問い合わせだった。
サザーヘイズ領主軍の行動に疑問を抱いた貴族家が、王城に確認を取ったのだ。
しかし、すぐに別の貴族家からの早馬が到着した。
『サザーヘイズ軍と戦闘が発生。サザーヘイズ軍は検問を突破し、西進。』
『サザーヘイズ領主軍は、二万にも三万にもなるような大軍。』
『少なくとも五万を超えると思われる大軍が、街道を西進中。』
次々に到着する早馬のもたらす情報は、やや一貫性に欠ける、バラバラなものだった。
これらの早馬とともに、別件での早馬も王城に到着した。
厳密には、こちらも別件とは言えないが。
『領主軍を発しろとのご命令は
『サザーヘイズ家が反乱とは、どういうことか?』
国王の名前で発した、各地の領主に対する北部と東部への出兵命令。
王都で官職に就いている貴族は勿論、近隣の領地にいる貴族家からも問い合わせが殺到した。
王城は、これらの対応に追われた。
『領主軍を出せ。』
と言われ、
『御意。』
と即座に動けた貴族家はほぼ皆無だったのだ。
三百年の安寧。
平和に慣れ過ぎた貴族たちは、戦うことをすっかり忘れてしまっていた。
騎士学院の修了を、貴族家の家督を承継する条件にした。
この法律は、近年まで施行されていた。
しかし、騎士や兵士を派遣し、戦わせることは想定していても、自分が戦うことはまったく考えていなかったのだ。
一応、動けた貴族家もあった。
ただ、そうした領地でも準備を必要とした。
命令が届き、即座に領主軍を発することのできた領地は、さすがにいなかった。
「なんたるザマか…。」
宰相イグナッシオは、執務室で苦虫を噛み潰したような顔で呟く。
現在、サザーヘイズ領主軍は王都まで六日ほどの距離まで迫っていた。
侵攻ルート上の領地が領主軍を出して足止めしているが、はっきり言ってまったく効果はなかった。
とはいえ、これは仕方がないだろう。
男爵領や子爵領では、領主軍などせいぜい数百人。多くても千を超える程度なのだ。
散発的にぶつかっては叩き潰され、ロクに足止めもできていないのが実情だった。
サザーヘイズ軍は北部を横断するように西進し、刻一刻と王都に向かって進んでいる。
そして、一番の問題はサザーヘイズ領主軍の戦力がはっきりしないことだ。
最初に届いた情報では、二万~三万とされていた。
しかし、以降の報告ではかなりのばらつきがある。
イグナッシオは、サザーヘイズ領主軍の規模を、五万~七万と仮定することにした。
事前に掴んでいたサザーヘイズ領主軍の規模よりも、遥かに多い。
「…………
おそらく、マクシミリアンは領民の一部にも従軍を命じたのだ。
そうなると、質はともかく、数だけはまだまだいることになる。
広大な大公爵領には、数百万の領民がいるのだから。
イグナッシオは軽く目を揉み、執務机の上の報告書を手に取ると、ざっと目を通す。
これらの報告書は、関係各所からの物だ。
財務大臣であるホーズワース公爵。
農務大臣であるミーラワード公爵。
この二人からの報告は、イグナッシオのいくつか頭痛の種を、取り除いてくれるものだった。
戦費の調達と、食料の輸送。
幸いにして、この二つはかなりスムーズにいっていた。
経験豊富な大臣二人のおかげで、継戦能力をきっちりと把握できたのは大きい。
「ホーズワース公爵の罷免を抑えられたのは、本当に助かったな……。」
国王ミケルカッツの意に背く形で、家督承継に関わる法律の撤廃に動いたホーズワース公爵。
ミケルカッツは、そんなホーズワース公爵を財務大臣の職から退けようとしたのだ。
それを抑えたのは、イグナッシオだった。
ここで罷免してしまえば、もはや関係の修復は不可能。
力を持ち過ぎた貴族家の、勢いを削ぐのはいい。
しかし、あまりに対立が強まると、国が揺らぐ。
そう考え、しばらく様子を見るように進言したのだ。
その間に、次の財務大臣を慎重に選ぶことを勧めた上で。
また、軍務大臣も十年以上務めるベテランだ。
現在、総司令部を王城内に設置し、軍務省の幹部はこちらに詰めている。
そのため、軍部との連携もスムーズに取れていた。
問題は、中央と地方の温度差だ。
情報伝達に時間がかかるため、地方では状況が把握しにくいのだ。
この情報の格差を埋めるために、現在分かっていることをある程度詳しく、地方の領主にも伝える準備を進めていた。
刻一刻と情勢が変わる中、ある時点での情報を一斉に領主に伝える。
これまではただ命令を発していただけだが、領主たちにも詳細な情報を教えるのだ。
これにより、各々の領主も何が起きているのかを正しく理解できる。
情報を受け取った時点では、すでに情勢の変化が起きているかもしれないが、
『少なくとも、何日前まではこういう状況だった。』
というのを理解できる。
そうして状況を把握してもらい、地方の戦力を少しでも早く結集することが、この反乱を鎮圧する鍵を握っている。
このため、現在は新たな命令を地方に発することにした。
正直、二転三転する命令が混乱を助長させるのは分かっている。
それでも、勇み足で発した命令を遂行していては、先にサザーヘイズ軍が王都に到達し兼ねない。
それほどに、状況は逼迫していた。
まず、先の命令では北部と東部に戦力を集める計画だった。
北部には王国軍六万と、北部と西部の領主軍。
東部には、東部と南部の領主軍だ。
これを破棄し、すべて北部に集める。
それも、現在サザーヘイズ軍のいる場所ではなく、王都から三日ほどの場所だ。
ここに王国中の戦力を集める。
時間稼ぎのため、北部にいた王国軍にはサザーヘイズ軍の正面に周り、ぶつかる命令を出した。
サザーヘイズ軍は確かに大軍だが、まだ一カ所に集まっているわけではない。
先頭の一万くらいは集まりつつあるが、ほとんどがまだ街道を移動中なのだ。
この先頭の一万に、北部の王国軍二万をぶつける。
可能であれば、その後は行軍中の後続を叩く。
これである程度散らせば、大きく時間を稼ぐことができる。
この稼いでいる時間で、王国軍をさらに集結させる。
中央に置いている王国軍は、最後の戦力として王都の近くに残す。
それでも、東部、西部、南部の王国軍が到着すれば六万だ。
また、ここに領主軍が集まれば、十万を軽く超える兵になる。
街道を移動中のサザーヘイズ軍の後続を叩ければ、大きく戦力を削れるだろう。
しかし、これは行わない。
なぜなら、各領主軍が散発的に攻撃しても、成功する見込みが低いからだ。
結集し、一塊となることで初めて大きな力になることができる。
ばらばらで戦っては、こちらの被害も大きなってしまう。
これまでは、各領地にそれぞれ命令を出す必要があったため、余計な手間もかかり、混乱もした。
だが、一カ所に集めることができれば、作戦も立てやすくなる。
その後ならば、二つ三つに分けて、多面的に攻撃を仕掛けることもできるだろう。
とにかく今は、一つに纏まることが先決。
これを完遂させることができるかが、勝敗を分けると言っていい。
そして、こうした作戦の転換により、一つの非情な決定がなされた。
ラグリフォート伯爵領への援軍の中止だ。
領境を封じていた東部の五つの領地は、目晦まし。
そう予想したイグナッシオの考えは当たっていた。
サザーヘイズ軍の動きに気づくのが遅れた理由の一つに、これらの領地がある。
そのため、イグナッシオと軍部は、一旦ラグリフォート領のことは放っておくことにした。
もしかしたら、今後もこれらの領地を使って何かを仕掛けてくるかもしれない。
だが、それらは一旦すべて置いておく。
本命のサザーヘイズ軍を叩き、サザーヘイズ領を潰せば、どちらにしろ尻すぼみなのだから。
大きくサザーヘイズ軍を叩くことができれば、その後に軍を分けてラグリフォート領に転進させてもいい。
だが、今はラグリフォート領のことは
一応、食料などの物資には余裕があるため、農務大臣のミーラワード公爵には対サザーヘイズ家との戦いに影響しない範囲での支援を指示した。
だが、直接の戦力はラグリフォート領に割く余裕はない。
少なくとも、今は。
イグナッシオは手にした書類を執務机に置くと、立ち上がった。
「……せいぜい持ち堪えてくれ。王国のために。」
そう呟くと、イグナッシオは次の会議に向かうのだった。
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