第219話 ラグリフォート領、南東部の戦い3




 乱戦となった兵士たちの下へ、数十人の敵兵が迫ってくる。


「【襲歩しゅうほ】!」


 崖の上からその様子を見ていたエウリアスが、突然駆け出した。


「坊ちゃんっ!」

「エウリアス様!?」

「お、お待ちください!」


 下まで三十メートルはあろうかという崖に、そのままの勢いで飛び降りるエウリアス。

 そんなエウリアスに気づいた騎士たちが、驚いて声を上げる。


 戦っている兵士たちを軽々と飛び越え、エウリアスは崖下に着地した。

 クロエが速度を落としてくれたので、ほぼ実害はない。

 着地の衝撃で、エウリアスがちょっと涙目になったくらいである。


「ぁたたた……。」

「いきなり飛び降りてどうする気じゃ?」

「どうするって、勿論倒すさ。……ていうか、もう少し勢いを殺してくれない? まじ怪我するって。」

「文句を言うでない。転落死しなかっただけ有り難いと思うがよい。」

「そりゃそうなんだけどさぁ……。」


 補給基地に潜入した時は、この崖よりも遥かに高く飛び上がった。

 そのため「これくらいいけるだろ」とやってみたが、痛いものは痛い。


 エウリアスは長剣ロングソードを一振りすると、真横に右腕を伸ばす。


「クロエ、【次断剣じだんけん】だ。一撃だけでいい。」

「む? ……ええぞ、エウ。」


 すべてを引き裂く力を、長剣に纏わせる。

 そうして、エウリアスは腰を落とした。


「【襲歩】!」


 再びエウリアスは駆け出し、迫る敵兵に突っ込んだ。

 敵兵たちは、必死の形相でこちらに駆けてくる。


「ぅおおらあああぁぁあああああああっ!」


 エウリアスは道幅いっぱいに、横一文字に長剣を薙ぐ。


「「「ぐふっ!?」」」

「「「げはぁ!」」」

「「「ぎゃあああぁぁあああああああっ!?」」」


 エウリアスの方に突っ込んできた十数人の敵兵は、一撃で胴体を切断された。

 咄嗟に剣で防ごうとする者もいたが、その剣ごと切断する。

 敵兵の集団は、前を走っていた者の胸の辺りから切断され、ばたばたと倒れた。


「な、何だ!?」


 突然倒れた先頭集団に、後続の足が止まる。

 エウリアスは、戸惑い立ち止まった敵兵に斬りかかった。


「うわあぁぁああっ……ぎゃふっ!」


 迫るエウリアスに気づき、泣きながら喚く敵兵を斬る。

 エウリアスは敵兵の直中ただなかに飛び込むと、一人も通すことなく斬り伏せた。

 すでに【次断剣】は解除されているが、混乱し、恐慌をきたした敵兵を凄まじい速さで斬って回る。


「うわああぁぁあああ!?」

「たっ……助けっ……がはあっ!」


 さらに二十人ほどの敵兵を斬り捨てると、騎馬隊がこちらに向かって来るのが見えた。

 騎馬隊は、後続の敵兵を跳ね飛ばしながら、真っ直ぐにエウリアスの方にやって来る。


「エウリアス様ぁぁああ!」


 リュークハルドは隘路に侵入したすべての敵兵を踏みつぶし、斬り捨てると、エウリアスの前までやって来た。

 馬を下り、その場で跪く。


「リュークハルドか。どうだ、そっちは?」

「申し訳ございません! これほどの敵兵を逃し、エウリアス様と兵士たちを危険に晒してしまいました!」


 エウリアスは一度振り返り、斬り伏せた敵兵を見る。


「……そうだな。ちょっと、この数の侵入を許したのは失敗だったな。」

「面目次第もございません! かくなる上は、この首を刎ねて責任を取らせていただきます!」


 そう言うと、リュークハルドが自らのソードを首に当てようとする。

 エウリアスは長剣で、そんなリュークハルドの剣を止めた。


「リュークハルド。戦場の失敗は戦場で返せ。いちいち首を刎ねてたら、味方が一人もいなくなるわ。」

「し、しかし……!」

「しかしじゃない。信賞必罰は、指揮権を預かった俺の権限だ。勝手なことは許さん。」


 エウリアスがぴしゃりと言うと、リュークハルドは苦し気な表情で剣を下ろした。

 まったく、何でリュークハルドはすぐに首を刎ねろって言うかね。


 エウリアスは、長剣を一つ振ると鞘に納めた。

 リュークハルドに尋ねる。


「……それより、そっちの殲滅はどうなってるんだ?」

「概ね、順調かと……思います。」

「歯切れが悪いな、おい。まさか、ほっぽり出してきたのか?」


 エウリアスの目が、すっと細められる。

 リュークハルドがますます恐縮したように、頭を下げた。


「も、申し訳ございません。想像以上に敵兵が崩れるのが早く、隘路に大量に侵入されてしまいまして……。慌てて追いかけてきたため……。」

「入り口の状況は分からん、と。」

「申し訳ございません……。」


 謝罪し、リュークハルドが項垂れる。

 そんなリュークハルドの前に、エウリアスはしゃがみ込む。


 リュークハルドも経験が足りないのだろう。

 賊を制圧するようなことはあっても、戦場を経験したという者は、この国では皆無なのだ。

 エウリアスだって、これまですべてが思い通りだったわけじゃない。

 臨機応変に、何とか大きなヘマをしないようにカバーしてきたにすぎない。


「敵を過小評価するのは良くないが、過大評価するのも良くない。この経験を次に活かせ。」

「寛大なお言葉、感謝いたします。」

「二個小隊ほど置いていってくれ。リュークハルドは、引き続き隘路の入り口の殲滅にあたれ。できるだけ逃がさずに討ち取るんだ。」

「はっ!」


 リュークハルドは立ち上がると、敬礼した。

 エウリアスが頷くと、自分の馬に飛び乗る。


「二個小隊を残し、戻るぞ! 入り口の敵兵の殲滅を続ける!」

「「「はっ!」」」


 そうしてリュークハルドは、急いで戻っていく。

 敵兵があまり逃げると、周辺の町や村に被害が出てしまう。

 できるだけ殺しておきたい。


 エウリアスは、今は捕虜を取ることを考えていなかった。

 もう少し態勢が整えば、労働力として捕虜を使うこともできるが、今はその捕虜の監視する人員さえも惜しいのだ。

 そのため、非情であろうと冷酷であろうと、敵兵はすべて殺していた。


「ちょっと乗せてくれ。」

「はっ。」


 リュークハルドが残した小隊の騎馬に乗せてもらい、エウリアスは工事現場の方に戻った。

 こちらも、すでに敵兵は殲滅されているようだ。


「坊ちゃん! ご無事ですか!?」


 崖の上に残してきたタイストが、エウリアスに呼びかける。


「こっちは大丈夫だ! 上から監視を続けてくれ!」

「分かりました!」


 エウリアスが無事だと分かり、タイストがほっとした顔になる。


「それと、荷物を下ろしてくれ!」

「了解です! おい、袋を下ろせ!」


 崖の上に残してきた騎士たちに警戒を続けさせ、持ってきた袋をロープで下ろさせる。

 この袋には、食料や薬草、包帯などが入れてある。

 多少の負傷者が出ることは予想していたので、予め治療のための物資を運んでいたのだ。


「何人かで袋を受け取ってくれ。すぐに負傷者の治療と、食料を配るんだ。それと、この辺り一帯の確認もさせろ。」

「「「はっ。」」」


 とりあえず、一個小隊の騎士に工事現場全体の状況を確認させる。

 残りの騎士で、負傷者の治療をさせることにした。


 そうして指示を出していると、工事に従事させられていた兵士たちがエウリアスの下に集まる。


「ノアハ。やっぱりここにいたか。」

「坊ちゃん……。」


 最後の大隊長を見つけ、エウリアスは表情を和らげる。

 ノアハと呼ばれた、やや細身の老兵が、苦し気な表情でエウリアスの前に跪く。


 レングラーの駐屯地を任されていた、ルボフ。

 南部の駐屯地を任されていた、ネースバラー。

 そして、北部の駐屯地を任されていた、ノアハ。

 この三人の大隊長に加え、騎士団長のリュークハルドを入れた四人が、ラグリフォート領主軍の幹部だ。


 ノアハの受け持ちは本来北部なのだが、山ばかりのラグリフォート領の中でも、特に北部は山しかない。

 警戒のための兵士は残すが、それ以外は領地中の工事に狩り出されていた。


 エウリアスの前に跪いたノアハが、頭を垂れて謝罪する。


「申し訳ありません、坊ちゃん……。儂らがもっとしっかりしていれば、あんな連中に好き勝手されるようなことはなかったのですが……。」

「何を謝ることがある。よく我慢し、耐えてくれた。俺の方こそ、助けが遅くなってすまない。」

「そんな! やめてください、坊ちゃん!」


 エウリアスが謝ると、ノアハが慌てる。

 だが、エウリアスは首を振った。


「みんなが耐えてくれたから、父上を助けることができたんだ。みんな、胸を張ってくれ。お前たちが恥じ入ることなんて、何一つないんだ。」

「坊ちゃん……。」

「エウリアス様……。」


 そう。

 これはゲーアノルトの判断の誤りであり、これまでゲーアノルトを止めなかったエウリアスの誤りの結果なのだ。

 領主が動くと言うのは、本来重大な意味を持つ。

 そのことを軽く考えていたのはゲーアノルトであり、エウリアスだ。

 祖父から続く、ラグリフォート家三代の誤りのツケを、領地に住むすべての者に負わせてしまった。


 エウリアスからかけられる温かい言葉に、兵士たちが胸を詰まらせる。

 何人かの兵士は俯き、涙を流していた。


「さあ、まずは治療をしよう。怪我をしている者は遠慮なく言ってくれ。食料も用意した……と言っても、だけどな。」


 エウリアスがそう言うと、乾いた笑いが聞こえた。


 こんな場所では、まともに調理するのも難しい。

 何より、携帯用の糧食くらいしか持って来れなかった。

 八百人分ともなると、かなりの量になるからだ。


「入り口の殲滅が終われば、もう少しマシな物を運び込めるんだけどな。とりあえず糧食これで我慢してくれ。」


 そうしてエウリアスは、自らも食料の配布を手伝い始めた。


「うう……エウリアス様……。」

「……ちくしょう……儂らがだらしないから、こんなことに……!」


 糧食を配っていると、エウリアスの姿を見てぼろぼろと涙を流す者がいた。


「よく我慢してくれたよ。よく耐えてくれた。お前たちが必死に頑張っていたことは、分かっているよ。」

「……違うんです、坊ちゃん……。儂らは……儂らはっ……!」


 ただ、敵の言いなりになっていただけ。

 そんな、後悔と無力さ、怒りと絶望、そして解放された喜びに感情が追いつかない様子だった。

 エウリアスは、努めて微笑みを作る。


「今は、余計なことは考えなくていい。解放されたことを喜んでくれ。俺も、お前たちが立ち上がってくれたことを、嬉しく思う。」

「「「ぅおおおぉ……!」」」

「「「……坊ちゃぁん!」」」

「「「わぁぁあん……エウリアス様ぁ……!」」」


 エウリアスからかけられる言葉に、いよいよ男泣きし始める兵士たち。

 そんな兵士たちに囲まれ、エウリアスは苦笑するのだった。







「この拡張工事の理由。何か聞いていないか?」


 エウリアスは、糧食を食べるノアハの前に座り、削られた岩壁を眺める。


「すみません……。儂らには何も教えられていないもので。」

「まあ、それは仕方ないだろうな。何か耳にしていれば、対応を決める材料になったのだけど……。」

「対応、ですか?」


 エウリアスは、頷いた。


「ラグリフォート領を含め、五つもの領地が領境を封鎖しているのは知っているか?」

「いえ……。」


 ノアハたちには、本当に何も情報が伝わっていないようだ。

 エウリアスは簡単に状況を説明した。


「なるほど……疫病で領地を封鎖していることにしていたんですか。」

「そういうことだ。まったく、面倒なことを考える奴がいたものさ。おかげで俺が実情を知ったのは、領境の封鎖の話を聞いたずっと後だ。」

「そうだったのですね……。」


 エウリアスは、隘路の先に視線を向けた。

 この隘路を抜けた先には、ヤノルス男爵領がある。


「現状、敵として確定しているのはサザーヘイズ家とムルタカ家だ。ヤノルス家に関しては、敵か味方かはっきりしていない。」


 ムルタカ家と同様にサザーヘイズ家に協力している可能性もあるが、ラグリフォート家のように占領されている可能性もある。

 これを確認するには、人をやって調べるしかない。

 だが、それは大きなリスクだ。

 敵だった場合、調べに行かせた者が戻って来れない可能性がある。

 もし領主が捕らわれ、不当に占領されている場合も、戻れない可能性がある。

 どちらの場合でも、相応のリスクを背負わないとはっきりしたことが分からないのだ。


 エウリアスがどうするか考えていると、ノアハが真っ直ぐに見つめる。


「ならば、いっそ封鎖してしまいましょう。」

「…………やっぱり、そう思う?」


 ノアハの案に、エウリアスが片眉を上げる。


「封鎖しておけば、敵だった場合に侵攻の邪魔をすることができます。もしも敵じゃなかったとしても、儂らがヤノルス領のことが分からないように、ヤノルス領からもラグリフォート領こちらは分かりません。ならば、助けを求めるにはリスクが高すぎると考えるはずです。もしも助けを求める場合、封鎖されている領地は避けるでしょう。」

「ああ、俺もそう思う。」


 余程切羽詰まって、一か八かで助けを求めてくる可能性もゼロではないが、普通は封鎖された領地を避けるだろう。

 エウリアスが敵か味方か分からないと悩んでいるように、ヤノルス領からもラグリフォート領が敵か味方か分からないはずだから。


 エウリアスが街道を封鎖する案を否定しなかったので、ノアハが無精髭をいじりながら封鎖方法を考える。


「工事で削った石やら何やらは、近くにいくらでもあります。集めれば簡単な封鎖くらいは容易にできます。」

「あー……、どうせ封鎖するなら、入り口付近がいいな。」

「入り口付近? 隘路のですか?」

「そう。できる?」


 エウリアスが尋ねると、ノアハが軽く首を捻りながら考える。


「……ちと運ぶのに時間はかかりますが、封鎖自体は可能です。」

「それじゃ、頼む。…………せっかく解放されたってのに、いきなり使って悪いけど……。」


 エウリアスが申し訳なさそうにすると、ノアハが笑った。


「これまでの嫌々やらされていた作業に比べれば、遥かにマシってもんです。実際に封鎖する場所を確認しないと、どの程度時間がかかるかは言えないですけど。」

「すまないな。確認してからでいいから、封鎖が完了するまでの大体の時間を教えてくれ。」

「分かりました。糧食これが食べ終わったら、早速取り掛からせます。」

「ああ。それじゃ、頼んだよ。」


 そう言うとエウリアスは、立ち上がった。

 地面に座り、糧食を齧る兵士たちに声をかけ、労って回る。


「大丈夫か? 怪我があるなら、我慢せずに言うんだぞ?」

「エウリアス様!」

「ありがとうございます、坊ちゃん!」


 兵士たちが、笑顔でエウリアスに答える。

 笑顔の戻った兵士たちの声を聞き、エウリアスも笑顔になるのだった。




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