第218話 ラグリフォート領、南東部の戦い2




 エウリアスは腹ばいになって、崖の上から拡張工事の様子を窺っていた。

 草の隙間から、慎重に味方の兵士や敵兵を見下ろす。


 この街道自体は、旧帝国時代に作られたものだ。

 自然にできた崖を利用しつつも、山を削り、岩を削り、切通きりどおしを作った。

 延々と、数キロメートルもだ。


 ぶっちゃけて言うと、ここまでやる意味はない。

 ここに街道を通す労力と、得られる利益がまったく釣り合っていないからだ。

 しかし、そこはさすがの皇帝である。

 やると言ったら、どれだけ莫大な金がかかろうと、実行した。

 そうして、完成させてしまった。


 一説には、皇帝の好きな食材を届けさせるため、この道を切り拓いたと言われている。

 鮮度が落ちると食べられなくなったり、味が落ちたりするため、一分一秒を縮めるために山を貫いたのだ。

 すごい執念だと思うが、呆れる気持ちの方が遥かに勝る。

 そんなに食べたければ、自分で食べに行けよ、と。


 そうして、現在行われている拡張工事。

 これは、そんな切通しの幅を広げるためのものだ。

 馬車がすれ違えるだけの道幅はあるのだが、一部狭い場所がある。

 この狭い場所を広げ、他と同じだけの幅を作ろうとしていた。


(…………何で、こんな街道を広げるんだ?)


 これまでサザーヘイズ領主軍の奴らは、ラグリフォート領の兵士を使って倉庫を建てさせていた。

 おそらくそれは、ムルタカ領にある補給基地の物資を運び込むためだと考えられる。


(もしかしたら、ヤノルス男爵領にも同じような補給基地がある? ムルタカ領からレングラーの駐屯地に物資を運び込むのと同様に、ヤノルス領からも物資を運び、南部の駐屯地にも入れるつもりだったのか?)


 現状、ヤノルス男爵がサザーヘイズ大公爵と協力している確証はない。

 状況的に敵側そっちだと考えているが、実はラグリフォート領と同じで領主をいきなり押さえられた可能性もある。

 とはいえ、はっきりしたことが分からない以上、ヤノルス男爵に積極的に関わるのは避けた方がいいだろう。

 何より、ヤノルス領へ続く街道の拡張工事を、サザーヘイズ領主軍が行わせている。


 そして、これは軍事作戦なのだ。

 このままにしておいて、こちらが得することなど皆無だろう。


 エウリアスがそんなことを考えていると、背後の気配が動いた。

 タイストだ。


「坊ちゃん、合図が来ました。」


 エウリアスが横を見ると、遠くで赤い旗を見せている騎士がいた。

 これは、隘路に敵兵が入ってきた合図だ。

 リュークハルドが隘路の入り口の敵を蹴散らせば、少なからず逃げ込む敵兵がいる。

 崖に沿って距離を空けて騎士を配置し、エウリアスからは見えない遠くの地点で敵兵の侵入を見張らせていたのだ。


「思ったよりも敵の侵入が早いが…………まあいい、いっちょやるか。クロエ、頼んだぞ。」

「うむ。あとで極上の酒を頼むぞ。」

「はいはい。」


 最近なんだか、クロエが贅沢を言い始めた。

 ほんとに味なんか分かってんのか?

 まあ、いつも協力してくれるから、それくらい構わないけどさ。


 エウリアスは崖っぷちから離れ、立ち上がる。

 ここからでは崖下の様子は見えないが、問題はない。


「【偃月斬えんげつざん】。」


 エウリアスは長剣ロングソードを抜くと、一振りする。

 続けて打ち下ろし、斬り上げ、横薙ぎを繰り出す。


「ぎゃあっ!?」

「ぐああぁぁぁああああ……っ!」

「な、何だ!? どうしたっ!」

「大丈夫かっ!?」


 途端に、崖下から悲鳴と怒号が聞こえ始める。


 エウリアスの作戦。

 それは崖上からの奇襲である。

 エウリアスはそんな騒ぎを無視して、何度も長剣を振るう。

 クロエが狙ってくれるので、エウリアスは長剣を振っているだけだが。

 いい感じに混乱し始めたところで、待機していた騎士たちが崖っぷちに立つ。


「ゲーアノルト様は無事だあっ! もう、言いなりになる必要はないぞっ!」

「エウリアス様がお前たちを助けに来たぞ! ともに戦えええっ!」


 騎士たちは、崖下にいる兵士たちに大声で呼びかけた。

 ゲーアノルトは無事。

 すでに救出された。

 もはや、言いなりになる理由はない、と。


「何でもいいっ! 武器を手に取れっ!」

「戦えっ!」


 そう声を振り絞り、騎士たちは呼びかけ続けた。







 隘路にある、拡張工事の現場。


「ぎゃあっ!?」


 突然、敵兵が血飛沫を上げて倒れた。

 大きな石を荷車に積んでいた兵士は、その光景をぼんやりと見ていた。


「ぐああぁぁぁああああ……っ!」


 少し離れた所から、また悲鳴が聞こえた。


「な、何だ!? どうしたっ!」


 横にいる敵兵が、いきなり倒れた敵兵に駆け寄った。

 倒れた敵兵は、首の辺りが綺麗に切られ、絶命しているようだった。

 そんな光景を茫然と見ていると、崖の上から声が聞こえた。


「ゲーアノルト様は無事だあっ! もう、言いなりになる必要はないぞっ!」


 最初は何を言っているのか、よく理解できなかった。

 これは、突然の事態に意識が追いつかなかったのもあるが、一番は心が萎えてしまっていたからだ。

 劣悪な環境で、過酷な労働を強いられた。

 領主を人質に取られ、もはや望みはない。

 そんな状況に耐えるため、考えることをやめてしまうのは、人としての防衛本能のようなものだろう。


「エウリアス様がお前たちを助けに来たぞ! ともに戦えええっ!」


 耳に届いた言葉の意味を、少しずつ少しずつ、兵士の頭が理解し始める。

 萎えた心に、沁み始める。


「…………エウリアス様……?」

「ゲーアノルト様は、無事なのか……?」


 同じように、過酷な毎日をただ耐えていただけの仲間が、顔を上げ始める。

 崖上には、見覚えのある軽鎧を身につけた騎士が並んでいた。


「何でもいいっ! 武器を手に取れっ!」

「……武器を。」


 その兵士は、ぽつりと呟く。


「戦えっ!」

「………………そうか。」


 呼びかけられる声に、揺り動かされるものがある。

 心に、沸々と湧き上がるものがある。


「もう、戦ってもいいのか……。」


 そう呟くと、傍らの荷車の方を見る。

 そこには、先程まで自分が積んでいた、一抱えもあるような大きな石があった。


 その兵士はふらふらと荷車に近づくと、手を伸ばす。

 そうして、大きな石を手に取った。

 人の頭よりも、さらに大きな石だ。


「しっかりしろっ!おいっ!」


 突然倒れた敵兵を抱え、別の敵兵が必死に声をかけていた。

 石を抱えた兵士は、その敵兵の背後に近づく。

 そうして、大きな石を振り上げると、湧き上がるすべての感情を叩きつけるように振り下ろすのだった。







「エウリアス様! 兵士たちが戦い始めました!」

「敵から剣を奪ったり、使っていたツルハシやスコップなどで対抗しています!」

「よし!」


 乱戦になると、少々危険なため【偃月斬】が使えない。

 だが、元々数の上ではラグリフォート領の兵士たちの方が、圧倒的に多い。

 その上、エウリアスが【偃月斬】で三十~四十人の敵兵を倒した。


 こうなれば、たとえ敵が剣を持っていても、さすがに多勢に無勢だろう。

 目の前の相手を斬ろうとして、背後から頭を殴られでもすれば、そこまでだ。


 エウリアスも崖下を見ると、予想通り圧倒的な状況になっていた。

 周囲を警戒しながら、タイストがそっと息をつく。


「何とかなりましたね。」

「石を投げてくるくらいはあるかと思ったけど、それもなかったな。」


 エウリアスは下から見えない位置で【偃月斬】を放っていたので、狙って石を投げるというのは難しいだろう。

 それでも騎士たちが姿を見せれば、多少の反撃はあると思っていたのだ。


「さすがラグリフォート領うちの兵士だ。すぐに動けるようになって良かった。」


 もしも兵士たちが動かない場合、エウリアスはすべて【偃月斬】で片付けるつもりだった。

 騎士たちを崖っぷちに立たせたのは、呼びかけるためではあるが、一番は囮だ。

 姿を晒させ、敵兵たちの意識を上に向けさせたかった。


 兵士たちの反抗ではなく、外部からの攻撃だと思わせる。

 こうすることで、兵士たちが無闇に殺されることを避けたかったのだ。


「負傷者は増えてしまうかもしれないけど、兵士たちが立ち上がってくれるのが一番だ。」

「反抗する意思をすぐに取り戻しました。彼らがラグリフォート領の兵士であることの、何よりの証明です。」


 タイストが感心したように言うと、エウリアスも頷く。

 これなら、彼らを戦力として組み込むことに問題はなさそうだ。


 そこでエウリアスは、視界の端の異変に気づいた。

 隘路の、緩やかなカーブ。


 そのカーブした先から、次々に敵兵が姿を現した。


「……ちょっと、数が多くないですか?」


 タイストも気づいたのか、そんな感想を呟く。

 エウリアスは顔を引き攣らせた。

 何十人という敵兵が、こちらに向かって来る。


 今、崖下では乱戦が繰り広げられている。

 圧倒的に優勢だが、この乱戦にあんな数の敵兵が突入してきたら、いたずらに犠牲者が増えるだけだ。


「リュークハルド団長は、失敗したのでしょうか?」

「…………かもしれないな。」


 すべてがそうそう思い通りになるわけがない。

 さすがに、リュークハルドが討たれたとは思わないが。


「このままじゃまずいな。タイスト、ここは任せる。」

「ちょ、坊ちゃん!? 待ってくださ――――!」

「【襲歩しゅうほ】!」


 エウリアスは駆け出すと、一気に加速して崖下に向かって飛び降りるのだった。




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