第217話 ラグリフォート領、南東部の戦い1




 ラグリフォート領、南東の端。

 ヤノルス男爵領へ抜ける街道の拡張工事に、ラグリフォート領主軍の兵士が送り込まれているとの情報を入手し、エウリアスはそちらに向かった。


 途中の町や村を解放しながら、さらに情報を集める。

 この街道の一部は隘路となっているため、そのまま行くのは危険だった。

 街道を挟む切り立った崖の上に伏兵でもいれば、被害は大きなものになるだろう。

 そのため、崖の上に行くルートがあるかを先に確認しておく必要があった。


「こちらから回り込むことで、この辺りから隘路に沿って崖の上を通れました。」

「敵兵はおおよそ三百。やはりラグリフォート領うちの兵を使って、拡張工事を行っています。工事をしているのはこの辺りです。」


 木箱の上に広げた地図に、拡張工事の場所、敵兵の配置を示す石を置く。

 崖の上のルートなどを、簡単に書き加える。


 地図を見て作戦を考えるエウリアスを、リュークハルドが見つめる。


「こちらは騎馬が三百。敵兵が三百ならば、そのままぶつかっても蹴散らすことは可能です。」

「ですが、それでは工事に従事している味方の被害が大きくなるかもしれませんね。」


 リュークハルドの意見に、タイストが懸念点を挙げた。

 駐屯地攻略のように、武器庫を解放すればそのまま戦力になるわけではない。

 今回は、完全に手勢だけで敵兵を殲滅しなくてはならない。

 それも、捕らわれた味方の被害を最小限にしながら。


 エウリアスは偵察からの報告を確認する。


「崖の上には、敵兵はいなかったんだな?」

「はい。敵兵はすべて隘路です。工事を監督し、監視するのが百。隘路の入り口となる、この辺りに二百です。」


 隘路の入り口に二百の兵を置いているということは、一応は襲撃を警戒しているのだろう。

 ゲーアノルトを奪い返されたことを、すでに知っているのか?

 しかし、それでも逃げ出すことなく工事を続けさせている。

 それだけこの工事が重要ということだろうか。


「……分かった。作戦を決めたぞ。」


 そうしてエウリアスは作戦を説明し、部隊を二つに分けた。

 今回は二百五十の本隊と、五十の別動隊に騎士たちを分ける。


「本隊はリュークハルド、お前に任せる。入り口の二百を殲滅しろ。」

「はっ。」


 エウリアスに本隊を任されたリュークハルドが、敬礼する。


「タイストには別動隊を任せる。」

「任せてください、坊ちゃん。」


 タイストも敬礼すると、エウリアスは頷いた。


 エウリアスの作戦には、リュークハルドの理解の及ばない部分があった。

 しかし、エウリアスの傍に常についていたタイストが、そのことに疑問を差し挟まない。

 つまり、リュークハルドには分からないが、十分に現実的な方法があるのだろう。

 そのため、リュークハルドは意見を言わず、そのまま従うことにした。


 エウリアスの作戦や指揮を、これまでリュークハルドは直接見ていなかった。

 だが、最近の町や村の解放。

 何より、ゲーアノルトの奪還やレングラーの解放も、エウリアスの作戦と指揮によるものだと聞いている。

 きっとリュークハルドが心配しなくても、勝算があるのだろうと信じることにした。


 ならば、リュークハルドは与えられた役目を全うするだけである。


「よし、すぐに動くぞ。」

「「「はっ。」」」


 エウリアスの号令に、騎士たちは敬礼するとすぐに散開していった。







■■■■■■







 エウリアスは別動隊とともに、北に大回りして隘路へ向かった。

 目指すは、崖の上に出るルートだ。


 この別動隊の一番の任務は、エウリアスの護衛。

 エウリアスの作戦の肝は、エウリアス自身が握っていた。

 そのエウリアスを護り抜くのが、別動隊の主任務と言っていいだろう。


「ここからは徒歩になります。」


 すでに一度、崖上のルートを確認に行った騎士が、下馬を指示する。

 街道を外れた山道を馬で進んできたが、ここからは草叢に入る。

 獣道のような狭い道を、縦列に並んで歩く。


「北部の解放は上手くいっていますかね?」


 エウリアスの後ろを歩くタイストが、声をかけてくる。


「上手くいってるんじゃないか? 油断するのは良くないが…………こう言っては何だが、敵兵の練度は大したことない。」


 これまで何度となく戦い、エウリアスはそんな感想も持っていた。


 まあ、さすがにサザーヘイズ大公爵領の軍と言っても、ピンからキリまでいるのだろう。

 師匠ユスティナのような強さの兵がいれば、エウリアスでも一目散で逃げ出す。

 もしエウリアスが戦場でユスティナと相対したら、【襲歩しゅうほ】を使って即座に逃げ出す覚悟だ。

 あれは、人の皮を被った修羅である。


 エウリアスは過去のを思い出し、身震いした。

 幼少期に受けた訓練は、今もエウリアスの心に深く刻みつけられている。

 いい師匠だと思ってはいるが、訓練自体は意外と容赦がなかった。


 そんなエウリアスの様子に、タイストが怪訝そうに眉を寄せる。


「……どうしました、坊ちゃん?」

「何でもない……。」


 藪を進みながら、一人で冷や汗をかいていると、少し視界が開けた。

 前を歩いていた騎士が立ち止まり、前方に目を向けると、先頭の騎士が止まるように手で合図を送っていた。


 エウリアスは屈みながら、立ち止まった前の騎士を追い越した。

 そんなエウリアスに、タイストが続く。

 そうしてエウリアスは、先頭の騎士の下まで行った。


 草が生えているので分かりにくいが、あと数メートル進んだ先に崖があるらしい。

 この崖の下に街道があるわけだ。


「……工事を行っているのは、もう少し先になります。」


 先頭の騎士が、エウリアスに耳打ちする。

 エウリアスは頷いた。


 山の中にあるこの隘路は、数キロメートル続く。

 隘路の抜けた先あたりまでが、ラグリフォート領の領地だ。


 エウリアスは腹ばいになり、慎重に崖に近づく。

 そうして、草の隙間から崖の下を窺う。

 高さは、凡そ三十メートルといったところか。

 エウリアスの見下ろす真下には、人影はなかった。

 隘路の入り口の方を見るが、緩やかなカーブを描いてるため、二百いるという敵兵は見えなかった。


 今度は逆に、工事をしている方を見る。

 かなり先の方に、微かに人が動いているのが見えた。

 ここからは、まだ数百メートルはありそうだ。


 エウリアスは、ゆっくりと後ろに下がる。


「まだ結構あるな。」

「はい。ここからはこの崖沿いに進む形になりますので、気づかれないように進む必要があります。」


 エウリアスは頷く。

 空を見上げ、太陽の位置を確認する。

 まだ、リュークハルドが戦いを開始するまで時間はある。


「慎重に行こう。案内してくれ。」

「はっ。」

「タイスト、合図を出す担当の配置を。」

「分かりました。」


 そうしてエウリアスたちは、準備を進めつつ、崖下の敵兵に気づかれないように進んでいくのだった。







■■■■■■







 リュークハルドは森に隠れ、隘路の入り口を窺っていた。

 この森の中を街道が通る形になっており、その街道が隘路まで続いている。

 敵兵は隘路の入り口の周囲にテントを張り、然程警戒していないようだった。


 すでにエウリアスと別れて数時間が経過している。

 空を見上げ、太陽の位置を確認した。


「団長、そろそろかと。」


 隣の木に隠れ、同じように隘路の方を窺っていた中隊長が小声で伝える。

 リュークハルドは頷いた。


(エウリアス様を、一度は失望させてしまった……。)


 エウリアスに怒られはしたが、それでも領主を敵に捕らわれるという重大な失態は、自身によるものだとリュークハルドは考えていた。

 これ以上エウリアスの不興を買うわけにはいかないので、決して口にすることはできないが。


 とはいえ、エウリアスの信頼を裏切ることもできない。

 再び騎士団長を任された以上、その期待に応える義務がリュークハルドにはある。


(命に代えても、この役目を成功させねば……!)


 リュークハルドは強い決意を胸に抱き、森の奥へ入る。

 そこには、エウリアスに任された二百五十人の騎士たちが待機していた。


 リュークハルドの戻りを待ち、中隊長と小隊長が集まっている。

 隊長たちの顔は、みな怒りを堪えているようだった。


「……私は、ゲーアノルト様にお会いしてきた。」


 隊長たちを前に、静かにリュークハルドは呟く。

 痩せ細り、以前の姿からは想像もつかないほどに弱ってしまったゲーアノルトの姿を思い出す。

 リュークハルドは、この屈辱を、この怒りを、生涯忘れることはできないだろう。


「私は、己の無力が許せない……! ゲーアノルト様をあのような目に遭わせてしまった、己の不甲斐なさが許せない!」


 絞り出すようなリュークハルドの言葉に、隊長たちが悔しさに顔を歪めて頷いた。


「このラグリフォートの地を踏み荒らした蛮族どもが、すぐそこにいる!」


 リュークハルドが隘路の方を指さすと、隊長たちの目に強い怒りが宿った。

 この怒りは、もはや何をどうやっても消えることはないだろう。

 たとえ敵を滅ぼし、根絶やしにしても。

 ゲーアノルトが捕らえられ、傷つけられたという事実が消えることはないのだから。


「ゲーアノルト様の受けた苦しみ……そのほんの一欠片でも奴らに返してやれ!」


 リュークハルドは必死に声を抑え、震える拳を見つめた。

 そうして、勢いよく払った。


「奴らに、罪の重さを思い知らせてやれ……! 血の一滴も残さず搾り、ラグリフォートの地に捧げよ!」

「「「はっ!」」」


 隊長たちは敬礼すると、一斉にそれぞれの部隊に戻っていく。


「騎乗!」

「「「騎乗せよ!」」」

「「「騎乗!」」」


 小さいが、鋭い声が伝達されていく。

 騎士たちが、一斉に馬に飛び乗った。


「行くぞ! 私に続け!」


 そう言うが早いか、リュークハルドは森を通る街道に飛び出した。







 ドドドドドドドッ……!


 リュークハルドを先頭に、二百五十の騎馬隊が街道を駆ける。

 目指すは、隘路の入り口にいる敵兵二百。


 リュークハルドの率いる騎馬隊は、一丸となって敵兵に突撃を仕掛けた。

 敵兵たちは隘路の周辺に、適当に散らばっているだけだった。

 隘路を塞ぐでもない。

 バリケードを築くでもない。

 ただ、この地にバカンスでもしに来たようだった。


「てっ……敵襲っ! 敵襲ぅぅぅうううっ!」

「くそったれが! どこから湧いて来やがったっ!」


 騎馬隊の突撃に気づいた敵兵が、声を上げた。


 リュークハルドたちは構わず、右往左往する敵兵を騎馬ではね飛ばす。

 ソードを振るい、斬り捨てる。


「ぎゃぁぁああっ……!?」

「何だこいつら……ぐはあ!?」


 隘路の入り口に近づくと、騎馬隊が左右に分かれる。


「では、作戦通りに!」

「はっ!」


 分かれ際、声をかけ合う。


 騎馬による戦法は一つ。

 突撃による一撃離脱だ。

 足を止め、乱戦になることは避けるのが常道。

 なぜなら、機動力を使わないなら、騎馬である必要がほとんどないからだ。


 そうは言っても、いつもいつも思い通りに戦えるわけではない。

 足を止めての乱戦も、起きてしまうことは避けられない。


 だが、なるべく避けることはできる。

 リュークハルドは今回、そのために騎馬隊を二つに分けた。


 この二つの騎馬隊で、交互に間断なく突撃を仕掛ける。

 一方が離脱する時、もう一方が突撃する。

 別々の方向から、一撃離脱を繰り返す。


 この戦法は上手くいった。

 繰り返される騎馬隊の突撃に、敵兵は散り散りとなった。


「擦り潰せえっ!」

「「「はっ!」」」


 リュークハルドは敵兵に態勢を整えさせる間を与えず、数を減らしていった。

 しかし、ここでリュークハルドの予想外のことが起きる。


 敵兵が逃げ出したのだ。

 勿論、敵兵が逃走することは想定していた。

 予想外だったのは、それが早すぎたことだ。

 あっという間の総崩れだった。

 もう少し組織立った抵抗をしてくると考えていたリュークハルドにとって、ここまで脆いとは想像さえしなかった。


「団長! まずいです!」


 声をかけてきた騎士の言わんとしていることは、リュークハルドにも分かった。

 壊走する敵兵が、隘路に雪崩れ込み始めたのだ。


 リュークハルドは、思わず舌打ちをしてしまう。


「何たる弱兵っ! こうなっては予定よりも早いが、隘路に突っ込むしかない! 半分は入り口を塞げ!」

「「「はっ!」」」


 リュークハルドは手持ちの百二十の騎馬のうち、六十騎で隘路に突撃。

 残りの六十騎で入り口を塞がせる。


 最初に分けた、もう一方の騎馬隊百三十で隘路前の敵兵の殲滅を継続させる。

 もっと削ってからこの状況になると考えていたのだが、想像を遥かに超える敵兵の弱さだった。

 そのため、想定以上の敵兵が隘路に侵入することになってしまった。


「弱兵であることが、却って仇になるとは……!」


 皮肉としかいいようがない。

 しかし、隘路前の戦いがこちらの優勢となることは、初めから分かっていたこと。

 問題は、隘路内での戦い。

 あまりに多くの敵兵が入り込むと、工事をさせられている味方の兵に被害が出てしまう。


 当初の予定では、もっと数の減った敵兵を最後に隘路で踏み潰して、殲滅の完了だと考えていたのだ。


「……これ以上、失態を重ねてなるものか!」


 リュークハルドは、入り口に群がる敵兵を蹴散らしながら、そのまま隘路に突っ込むのだった。




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