第216話 幽霊公の最後





 フィリクスはだらんと剣を下げたまま、床に飛んだ血を眺める。


「ふむ……。久しぶりに本気で振ったが、感触は悪くないな。」


 そんなことを呟くフィリクスに、ウオレヴィ中隊長は目を見開いて驚く。


「な、ぜ……? これまでずっと……ロクに剣を振ってさえいなかったのに……。」


 フィリクスは、毎日の訓練を欠かさない。

 しかし、それはゆっくりとした動きで『型』の練習をしているだけ。

 あとは、ひたすら走り込んでいるだけなのだ。

 この屋敷にいる者で、フィリクスがまともに剣を振っているところを見たことのある者はいなかった。


 これは、フィリクスが意図してやっていたことだ。

 剣の腕を知られると、警戒される。

 そのため、大して剣を扱えないと思わせたのだ。

 この日が来ることは、から。


 剣を振らず、それでも剣の腕を鈍らせない。

 さすがにまったく鈍らないということはないが、それも


「フッ!」


 驚きに、剣を構えることさえ忘れたウオレヴィに、フィリクスは斬りかかった。

 ウオレヴィを袈裟斬りに斬り捨てると、すぐ横の騎士も斬り上げる。

 さらに踏み込み、別の騎士も斬って捨てる。


「ガッ!?」

「ぎゃっ!」

「グフッ……!?」


 フィリクスは、もはや一言も発することなく、次々に護衛騎士たちを斬っていった。

 十五年間、毎日のように顔を合わせてきた者もいる。

 今年になって配属されてきた、若い騎士もいる。

 フィリクスはそのいずれにも囚われず、目の前の騎士たちを斬っていった。


「おっ……大人しくしろっ!」

「陛下からのご命令だ!」


 呆気に取られていた近衛騎士たちが騒ぎ出す。

 しかし、その間の抜けた言い草にフィリクスは笑いそうなってしまった。


 殺すと言われて「はい分かりました」と従う馬鹿がどこにいるのか。

 それとも、この近衛騎士は従うのだろうか?


「次はお前を斬る。大人しくしろ。」


 フィリクスは「大人しくしろ」と言ってきた近衛騎士に、逆に言い返した。


「なっ……! ふ、ふざける――――っ!?」

 シュッ!


 フィリクスは、逆上した近衛騎士の首を刎ねた。

 自分でも大人しくする気がないのに、なぜあんな間の抜けたことを言ったのだろうか?


 フィリクスは、近衛騎士たちもあっという間に斬り捨てた。

 剣の切れ味が落ちたため、使っていた剣を投げる。


 ザンッ!

「グフッ!?」


 フィリクスの投げた剣が、護衛騎士の胸に突き刺さった。

 近くに落ちている、近衛騎士の剣を拾う。


 その後も、フィリクスは淡々と斬り続けた。

 護衛騎士たちは基本、軽鎧。

 力づくで斬れない物ではない。

 勿論、相当の腕を必要とはするが。


 広間リビングを動き回り、テーブルやソファーを乗り越え、縦横無尽に立ち回る。

 斬られた騎士で足の踏み場が無くなってくると、フィリクスは廊下に出た。


「な、何で!? ロクに剣も振れないはずじゃ……!」

「怯むなっ! さっさと殺――――っ!」

 ズバアッ!


 リビングの惨劇を茫然と見ていた騎士を斬り、斬りかかってきた騎士の剣を躱し、胴を薙ぐ。

 斬られた騎士の上半身が、半回転して落ちた。


「何なんだ、あいつはっ!?」

「いいかられ! かかれえええっ!」


 怒号と剣戟の音が、屋敷を支配する。


 おびただしい数の死体を作りながら、フィリクスは廊下を進む。

 多勢に無勢の場合、広い場所で戦うのは不利だ。

 廊下のような狭い場所にこそ、活を見出せる。

 実戦剣術の考え方の一つだ。


「ぐわぁ!」

「た、助け……っ!?」


 見かけた使用人も殺す。

 動く者は、誰でも殺す。

 どうせ、この屋敷にフィリクスの味方など一人もいないのだから。


 ガキンッ!


 フィリクスが騎士を斬り捨てると、剣が根元から折れた。

 官給品の剣では、中には粗悪品が混ざっていることもある。

 フィリクスは手元に残った柄を放り投げると、すぐに別の剣を拾って殺戮を続けた。

 何本も何本も剣を取り替え、返り血で真っ赤になりながら、屋敷の中を進む。


「化け物めえぇぇえええっ!」

「怯むなっ! 殺せええええっ!」


 ザシュッザシュッ!


 血走った目で斬りかかる騎士たちを、素早い連撃で斬り捨てる。


 とはいえ、百人を超える騎士を殺し、さすがに疲労を感じ始めた。

 体力だけは目一杯に鍛えてきたが、やはり限界というのはあるらしい。


「ふぅーー……っ。もう少しやれると思ったのだがな……。」


 そう呟きながら、廊下の両側からじりじりと距離を詰める騎士に、剣を向けて牽制する。


「死ねよぉ! 何なんだよ、お前ええっ!」


 フィリクスに「死ね」と言いながら、その騎士は泣いていた。

 恐怖に足が震え、失禁もしているらしい。

 それでも逃げ出さないのは立派な心掛けではあるが、おそらく正気を失っているだけだろう。

 まともな思考の持ち主なら、ここは逃げの一手を選ぶべきだ。

 たとえ、国王の命令だったとしても。


 フィリクスは足に力を入れると、その騎士の横をすり抜けながら、斬り捨てる。

 再び動き出したフィリクスは、またもや動く者をすべて斬っていった。


 ズリ……。


 だが、血で濡れた床に足を取られ、体勢を崩してしまう。

 疲労により、踏ん張りが利かなくなってきた。

 そこに、上段からの振り下ろしが迫った。


「くたばれえええぇぇえええっ……!」

「クッ……!」

 ガキンッ!


 咄嗟に剣で受け止めるが、完全に尻もちをついてしまう。

 身を翻し、薙ぎ払いで目の前の騎士の足を斬り落とす。


 ザシュッ!

「…………ッ!?」


 その時、背中に衝撃と熱を感じた。

 背後から、別の騎士が斬りつけたのだ。


「や……やったぞ…………ガフッ!」


 フィリクスは振り返りながら、背中を斬った騎士の喉を突いた。


 ザシュッドスッガシュッ!


 しかし、動きの止まったフィリクスに、次々と剣が振り下ろされ、突き出された。


「…………っ……!」


 それでもフィリクスは、剣を杖のように突き立て、立ち上がる。

 フィリクスの脇腹には、一本の剣が突き刺さったままだった。

 ゆらり……と立ち上がるフィリクスに、騎士たちは本物の怪物を見ているような気持ちになった。


 フィリクスは、揺れる身体を何とか支えると、震える腕で剣を持ち上げる。


「………………面白く、なってきた……!」


 そうして、一歩、また一歩と踏み出す。


「フッ……お前、たちも……そう思う……だろう……?」


 脇腹に剣が刺さり、もはや返り血と自分の血の区別もつかないフィリクス。

 その姿に、生き残った騎士たちの多くは逃げ出した。


「うっ……うわああぁぁあああああああっ……!」

「死ねえええええええええっ!」

「……グフッ!?」


 だが、僅かに残った騎士によって、フィリクスは討ち取られる。

 倒れたフィリクスに、なおも剣が突き立てられた。

 その最後は、五本もの剣が身体に突き刺さった、凄惨なものだった。


「…………っ……まだ、だ……。」


 突き立てられた剣で床に縫い付けられ、血の海に沈んでも、フィリクスはまだ剣に手を伸ばす。


「……マク……リアン……様……、どうか、本懐を……遂げ……。」


 朦朧とする意識の中、それがフィリクスの発した最後の言葉だった。

 その言葉を聞いていた者は、一人もいなかったが……。







 ソリー公爵の死。

 公式には事故死したとされているが、多くの貴族は処刑されたことを察した。

 ただ、その死に様の凄まじさは、関係者だけの秘密にされた。


 犠牲となった騎士は、近衛騎士を含め百八十四人。

 使用人は十七人。

 フィリクスは、実に二百一人も道連れにしたのだ。


 フィリクスの死とともに、この結果を報告された国王ミケルカッツは、しばらく茫然とした。

 被害の大きさもそうだが、何よりこれをたった一人で起こしたという事実に驚愕したためである。




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