第215話 ソリー公爵というシステム




 王都から飛び出した騎馬の一団が、草原を駈けていた。

 この騎馬隊の進む先には、大きく、美しい屋敷がある。

 ソリー公爵の屋敷だ。


 高い塀に囲まれたソリー公爵の屋敷に、騎馬の一団が到着する。

 この騎馬の一団は、国王ミケルカッツの密命を受けた、二個小隊の近衛騎士だった。


 門番をしていた王国軍の騎士が、突然の近衛騎士の来訪に驚く。


「一体、どうされたのですか? なぜ近衛が……?」

「……隊長はどこだ? すぐに呼んでくれ。ただし、公爵には気取られぬようにな。」


 門番の質問には答えず、近衛騎士の隊長が要求だけを伝える。

 その、一切の質問を許さぬ雰囲気に、門番たちは息を飲んだ。


「しょ、少々お待ちください。」


 門番のうちの一人が、慌てたように駆け出した。


「貴様っ、話を聞いていなかったのかっ?」


 しかし、その駆け出した門番を近衛隊長が鋭く叱責する。


。…………この言葉の意味が理解できないのか?」

「し、失礼しました……。」


 叱責を受けた門番は、顔を強張らせた。


「お前が行け。こいつの顔では、一目で『何かあった』とバレバレだ。」

「……はっ。」


 近衛隊長は、無表情を張りつけたような一人を選び、その門番に隊長を呼びに行かせた。


「まったく……この程度の者をソリー公爵の屋敷の警護に置くとは。余程人手不足のようだな……。」


 嫌味ではなく、心底に憂慮する近衛隊長の態度は、嫌味を言うよりも深く門番を傷つけた。

 しかし、この屋敷の警護の重要性を考えれば、相応のレベルの騎士を配置してほしいというのは、間違った意見ではない。


 そうして門の前でしばらく待っていると、門が僅かに開き、警備責任者の騎士が外に出てくる。


「王国軍騎士団所属、ウオレヴィ中隊長です。」

「近衛騎士団のニッカロームだ。」


 互いに敬礼をし、簡単に名乗り合う。


 そうして名乗り合いながら、ウオレヴィ中隊長は表情を引き締めた。

 近衛騎士が、このソリー公爵の屋敷にやって来た意味を正しく予想していたからだ。


「ウオレヴィ中隊長、。」

「……了解しました。」


 予想通りの命令に、ウオレヴィ中隊長がより一層、表情を引き締めた。


 質問はしない。

 この命令は、ウオレヴィ中隊長の予想からまったく外れていなかったからだ。


 クニーチェ家の旗を燃やせ。

 これは、ソリー公爵の処刑を伝える隠語だった。


 なぜ、とも問わない。

 この命令の出所は、一つしかあり得ないからだ。

 国王陛下が下した決断に、疑問を差し挟む余地などなかった。


 ウオレヴィ中隊長が門に入ると、近衛騎士の一団も続いた。

 そうして、門の横の詰所に行くと、一人の騎士に声をかける。


「状況、“撤収”だ。すべてを片付ける。」


 ウオレヴィ中隊長から“撤収”を伝えられた騎士が、後ろにいる近衛騎士をチラリと見る。


 撤収。

 つまり、このソリー公爵の屋敷をための作戦。

 これはソリー公爵を殺害することを想定した、警護にあたる騎士に予め伝えられていた作戦の一つだ。







 ソリー公爵。

 国王陛下から公爵として遇される、サザーヘイズ大公爵の嫡男。

 通常、貴族の嫡男は貴族に準じた扱いだが、その立場は男爵よりも下だ。

 そんな嫡男の中で、サザーヘイズ家の嫡男だけは公爵と同格に扱われる。


 これを聞けば、誰でもこう思うだろう。


『陛下はサザーヘイズ大公爵との関係を重んじておられる。』


 この考えは決して間違いではない。

 確かに国王ミケルカッツは、サザーヘイズ大公爵を重視し、将来サザーヘイズ大公爵家を継ぐ嫡男を遇している。

 しかし、このソリー公爵の意味はそれだけではない。


 なぜ、サザーヘイズ大公爵の嫡男は王都の傍に置かれるのか。

 なぜ、屋敷に閉じ込め、面会さえも国王の許可を必要とするのか。

 それは、国王がサザーヘイズ大公爵を恐れているからだ。


 これは何も、今の国王に限った話ではない。

 何百年にも渡り、サザーヘイズ大公爵の嫡男は、ソリー公爵という仕組みシステムにより人質に取られてきた。


 他の貴族とは一線を画す、多くの権限を認められたサザーヘイズ大公爵は、独力で三万とも四万ともいわれる兵を抱える。

 こんな貴族は、サザーヘイズ大公爵以外にはあり得ない。

 それだけの兵を、一領地だけで維持し続けることができるほど、サザーヘイズ大公爵領は豊かだった。


 広大な領地は莫大な富を生み出し、その総収入は王家直轄領すべてを合わせた額にも迫らんというほど。

 王家との違いは、他の貴族から税を取れるかどうか、といったくらいしかない。


 建国王の弟を祖に持つサザーヘイズ大公爵家は、一貴族にしては強く大きすぎたのだ。

 そのため、国内外の戦いに積極的に使われた。

 その力を、少しでも削ぐために。


 代を重ねるごとに、同じ王家の血を分けた家という意識は薄れていった。

 リフエンタール王家にとって、サザーヘイズ大公爵家は脅威と看做された。

 そこで考え出されたのが、ソリー公爵というシステムだ。


 サザーヘイズ大公爵の嫡男を手元に置き、反乱を起こさせないための首輪にした。

 ただし、そんなことを直接言うわけがない。

 ソリー公爵というシステムが作られてからも、サザーヘイズ大公爵との関係は良好ではあったのだ。


 国王が、ソリー公爵を丁重に扱っていたのは事実だ。

 将来サザーヘイズ大公爵を継ぐ者と、王家の関係を良好なものにするために。


 様々な教育を施し、その中で「王家のために戦う」ということを植え付ける。

 それが、大英雄ノウマンの血を引くサザーヘイズ大公爵家の務めであり、誉れであると。

 生まれてからずっと、刷り込んでいくのだ。


 この方法は上手くいっていた。

 だが、そんな両家の間に亀裂の入る出来事が起きる。


 前ソリー公爵、コルワーティの死だ。

 病死であることは間違いないが、この一事は王家にとって痛恨事であった。


 次男であるフィリクスを新たなソリー公爵としたが、この際に大きく揉めることとなった。

 コルワーティの死から二年以上も話し合い、ようやく現サザーヘイズ大公爵マクシミリアンも折れた。

 フィリクスをソリー公爵とすることを認め、王都に送ってきたのだ。


 しかし、これ以後ミケルカッツとマクシミリアンとの間には、微妙なすきま風が吹くことになった。

 フィリクスがソリー公爵となった数年後、軍務大臣を務めていたマクシミリアンが辞めた。

 理由は、高齢による体調不良だ。

 以後、マクシミリアンはサザーヘイズ大公爵領に引っ込むことになった。


 年に二回、社交のシーズンには王都にやって来て、貴族としての務めは果たしてきた。

 大規模なパーティーも催し、貴族社会に存在感を示していた。


 だが、ミケルカッツとマクシミリアンの関係は、そのまま放置された。







 現場の騎士たちに理由は知らされないが、これは想定されていた状況であり、もっとも重要な作戦だと叩き込まれてもいた。

 この撤収作戦が発令されるということは、サザーヘイズ大公爵に不穏な動きがあったか、すでに兵を挙げたか。

 そんなところだろう、と全員が理解した。


 ソリー公爵の屋敷を警護していた騎士たちは、予め決められていた通りに動いた。

 静かに情報を伝達し、ソリー公爵の現在地に騎士を集める。

 この大きな屋敷の警護には、二百人の騎士が詰めているのだ。


 そのすべてがソリー公爵殺害のために、着々と準備を進めていった。







■■■■■■







 昼食を終え、ソリー公爵フィリクスは広間リビングで休んでいた。

 足を組んで椅子に座り、愛読書を読み返す。

 過去の戦いの戦術についての、多角的な研究が記された書物だった。


 そうしてページをめくると、ふと気配に気づく。

 いつもの警護では考えられない人数が、リビングの方に歩いてくる。


 フィリクスは顔を上げ、リビングの入り口を見る。

 しばらく待っていると、緊張した面持ちの騎士がやって来た。

 その手には、すでに抜かれたソードが握られている。


「どうした、ウオレヴィ。そんなに怖い顔をして。」


 そう尋ねながら、フィリクスは微笑む。


 緊張した様子の騎士が十人。

 廊下にも数十人が待機し、窓の外にもどうやら騎士が配置されているようだ。

 そんな状況であるのに、フィリクスの声は呑気なくらい明るい。


 ウオレヴィは答えず、真っ直ぐフィリクスの方に歩いてくる。

 そうして、五メートルほどの距離を空けて立ち止まった。


「……ソリー公爵。お命を頂戴いたします。」

「いきなり何だ、一体? 君らしくないな。」

「公爵……。」


 ウオレヴィの深刻さとは裏腹に、フィリクスは明るかった。

 この状況で明るさを保てるのは、豪胆故か。

 それとも、ただの馬鹿か。

 フィリクスは決して愚鈍な人物ではないはずだが、なぜかこの状況でもいつもと変わらなかった。


「下らんことを言っていないで、さっさとやれ。」


 そこに、別の騎士の一団が入ってきた。

 屋敷の護衛騎士とは違う、立派な鎧を身につけている。

 フィリクスは、それが近衛騎士であることを即座に見抜いた。


 フィリクスとウオレヴィを見て、隊長らしき近衛騎士が「フン」と鼻を鳴らす。


「本人に理解させる必要はない。理解してもらう必要もない。」

「…………はい。」


 近衛騎士の隊長にそう言われ、ウオレヴィが苦し気に頷いた。

 フィリクスは、開いていた書物を閉じる。

 近衛騎士の隊長に視線を向けた。


「人質は、生かしておいてこそ価値がある。殺してしまってはもう役に立たんが?」

「もはや、貴方に人質としての価値はありません。サザーヘイズ大公……いや、マクシミリアンが反乱を起こしました。」

「大公爵が、反乱……?」

「ええ。貴方は見捨てられたのです。――――実の父に。」


 そう言われ、フィリクスが目を閉じる。


「…………そうか……。」


 フィリクスは、サザーヘイズ大公爵に見捨てられたと言われても、一切の動揺を見せなかった。

 それは、

 今更、昂る必要も、動揺する必要もない。


 ウオレヴィが、部下に目配せする。

 二人の護衛騎士が、フィリクスに斬りかかった。


「公爵、お覚悟を!」

「御免! ハアッ!」


 フィリクスは手にしていた書物を一人の騎士の顔面に投げ、素早く立ち上がる。


「クッ……!」


 書物を投げられた騎士が、咄嗟に躱す。


 もう一人の騎士の剣は、フィリクスに振り下ろされた。

 しかし、フィリクスはその剣を躱すと、騎士の横に素早い動きで並んだ。

 するり、と腕を絡ませる。


「ぐっ……!」

 シュッ!


 組みついた護衛騎士が呻くのと同時に、フィリクスがひらりと身を翻しながら離れる。

 騎士の身体がその場で倒れると、落ちた頭がごろごろ……と転がった。


「ッ……!」

「何だとっ!?」


 フィリクスは奪った剣を握る拳をしばし見つめ、慣れた仕草で払う。

 床に飛んだ血を、静かな表情で見つめるのだった。




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