第207話 領主軍の指揮権
エウリアスは顔をしかめながら、こめかみを指先で軽く揉む。
これまで起きていた数々の事件の、裏の繋がり。
まだはっきりしない部分もあるが、朧気ながら全体像が見えてきた。
「それでは、急いで王城に知らせないとですね。今回、ここまで大きく動いた以上、サザーヘイズ家が挙兵するのも時間の問題です。」
エウリアスがそう言うと、ゲーアノルトが真剣な表情で頷く。
「これだけ重大な話だ。直接知らせに行きたいところだが……。」
「さすがに、それは無茶が過ぎるかと。」
エウリアスが止めると、ゲーアノルトも分かっていたのか、溜息をついた。
「陛下に手紙を書く。同じ物を何通か書き、宰相やホーズワース公爵にも知らせよう。」
通常はラグリフォート領から、西隣のモンカーレ子爵領を通る街道使う。
しかし、念のために南へ向かう街道からも行かせる。
遠回りになるが、万が一に備えて複数のルートを使うのだ。
その案を聞き、エウリアスがすまなそうにする。
「すみません、父上。まだ南部の解放が済んでいないため、南のルートは……。」
「む……? ああ……そうか。」
エウリアスはいい機会なので、領主軍を使う許可をゲーアノルトから得ることにした。
「それも話がしたかったのです。現在、解放できているのはレングラー周辺と、西に向かう街道くらいです。東に向かう街道は強行突破するだけで、その後の維持までは手が回らなかったので。北部や南部も手つかずですし――――。」
「分かった。エウリアスに指揮権を預ける。領主軍を使うがいい。」
詳細な説明をしようとすると、ゲーアノルトはあっさりと領主軍の指揮権をエウリアスに与えた。
「いいのですか?」
「今更
「あ……ありがとうございます。」
エウリアスは立ち上がると、しっかりと姿勢を正して敬礼した。
ゲーアノルトが、そんなエウリアスに微笑みながら返礼する。
山狩りなどの小さな戦闘は、これまでも指揮した経験はあった。
だが、今回は大隊規模を動員し、ゲーアノルトの救出という重大な作戦を成功させた。
その実績から、ラグリフォート領の支配権の奪還を、ゲーアノルトはエウリアスに一任した。
(よっし。一日でも早く取り返すぞ。)
そう、エウリアスは気を引き締める。
そんなエウリアスを、ユスティナがにやにやした表情で見ていた。
「何です……?」
「いーえ、何でもぉ。」
ユスティナがすっとぼけた。
そんなユスティナを見て、ゲーアノルトが肩を震わせる。
「ユスティナも嬉しいのだろう。愛弟子が立派に成長して。勿論、私も嬉しいぞ、エウリアス。」
「ちょっと、ゲーアノルト様!?」
意外にも、ユスティナは照れているようだった。
エウリアスは、そんなユスティナに笑いかけた。
「師匠の指導がなければ、確かに今回のことは上手くいかなかったですね。いろいろ教えてもらいました。実際に、指揮を執る経験も積ませてもらいました。師匠のおかげです。」
エウリアスが真っ直ぐにお礼を伝えると、ユスティナも観念したのか、照れくさそうに頷いた。
「よく、頑張ったわね。」
「……はいっ。」
ユスティナに褒められ、エウリアスもちょっと照れた。
そんなエウリアスに、ゲーアノルトが教えてくれる。
「私が捕らわれている間、『必ずエウリアスは助けに来る』と励ましてくれていたのだ。隠して食料も持ち込んで、少しでも体力を維持できるようにもしてくれた。いざ助けに来た時、まったく動けないのでは助かるものも助からなくなる、と。」
「そうなのですか?」
「そ、そんな、あれはその……っ。」
ユスティナがわたわたと手を振る。
この人の、こんなに慌てる姿も珍しいな。
そこで、エウリアスは気がかりなことを尋ねてみることにした。
「その……師匠は大丈夫なのですか? サザーヘイズ領主軍にいたのですよね? てことは、今こうしてるのも裏切りってことになると思うのですが……。」
だが、エウリアスの心配に、ユスティナは「フン」と鼻を鳴らした。
「裏切ったなんて心外ね。私からしたら、勝手に巻き込みやがってって感じなのだけど?」
任務のことをロクに教えず、反乱に巻き込まれた。
それも、選りにも選ってラグリフォート領に目を付けたのだ。
もしもこれが他の領地だったなら、思うところもあるにはあるが、まだ従ったかもしれない。
だが、ゲーアノルトがすでに捕らわれていることを知り、ユスティナははっきりと「何とかしてやりたい」と思ってしまった。
「領主軍に入る時、領主への忠誠を確かに誓わされるわ。でもね、それは王家に弓引かないことが大前提なのよ。ゲーアノルト様も騙し討ちを喰らったけど、私だって騙し討ちされたようなものよ?」
ユスティナは、父と兄がサザーヘイズ領主軍にいる。
しかし、もしもこんなことに与していたのなら、こっちから縁を切ってやると啖呵を切った。
「まあ、相当派手にやられたみたいだから、作戦行動中の死亡か行方不明として扱われるでしょうね。連座で首を刎ねられないだけ、有難いと思ってもらいたいわ。」
「はぁ…………いいんですか、それで?」
「いいのよ。大体、メディーをぶっ殺したのは私よ? これだけでも、バレたらえらいことになるわ。」
ユスティナがそう言うと、エウリアスは目を瞬かせる。
「……メディー? さっきの、サザーヘイズ本家を支える二家でしたっけ?」
「そう。そして、私の護衛対象。」
それを聞き、エウリアスはさらに目を瞬かせる。
「殺したの? 師匠が?」
「牢で後ろからぶっ刺したのがいたでしょうが。あれがメディーよ。」
「あぁ……あの、偉そうなの。」
「そうそう、そいつ。」
「………………。」
何でもないことのように、ユスティナが答える。
「ええっ!? 師匠の護衛って、司令官だって言ってませんでしたっけ!?」
「そうよ。今更サザーヘイズ領に戻ったら、私の首が刎ねられるわよ。バレなければ問題ないでしょうけどね。」
ユスティナが、きらきらとした笑顔で言う。
「でもまあ、どっちにしろ任務は失敗だし。だからラグリフォート領で雇ってね。」
「いや、それは勿論構いませんけど……。」
エウリアスが戸惑いながらゲーアノルトに視線を向けると、ゲーアノルトが頷く。
ほんと、バレたらただじゃ済まないことになってんのな、師匠。
(この、豪胆というか大雑把な感じ。懐かしいなあ。)
からからと笑うユスティナに、エウリアスはそんなことを思ってしまうのだった。
そうして、他にも方針を決めておかなくてはならないことがあり、一旦休憩を挟むことにした。
エウリアスが窓から外を見ていると、ユスティナが横に並んだ。
「ユーリに、一つ謝らないといけないことがあるわ。」
「謝らないといけないこと?」
「廃嫡のことよ。ごめんなさい。ゲーアノルト様を説得して、廃嫡をさせたのは私なの。」
「父上に聞きました。あれは、俺にラグリフォート領の異変を知らせるためだったのですよね?」
エウリアスがそう言うと、ユスティナが頷いた。
周囲は敵だらけ。
一人ではゲーアノルトを脱出させることができず、外に知らせることもできない。
そんな中で考えついた、たった一つの方法だったのだろう。
「メディーたちの作戦では、ユーリの廃嫡は絶対だったの。抵抗したところで、拷問して従わせるだけ。なら、さっさと受け入れさせた方が、ゲーアノルト様が不必要に怪我を負わないで済むと思ったの。」
見かけ上は拷問したように装い、実際はユスティナの説得で廃嫡させるための書類を書かせた。
これはゲーアノルトを守るためであり、またエウリアスに異変を知らせる意図があった。
「気にしないでください。僕は納得してますから。」
だが、ユスティナの表情は晴れない。
「もう一つ、懸念があるの。」
「もう一つ?」
「領主印よ。」
領主印とは、領主が正式な手続きを行うために使う印璽だ。
「領主印も奪われている状態では、ユーリを嫡男に戻す手続きができないの。」
「あー……、なるほどぉ。」
エウリアスは、眉を寄せて頷いた。
補給基地にあることは間違いないが、一体誰が管理していたのかユスティナには分からないそうだ。
「それは、ちょっとまずいですね……。
だが、エウリアスは意識して微笑む。
「まあ、何とかなりますよ。単純に失くしたのであれば叱責では済まないでしょうけど、今回は事情が違います。」
とはいえ、この事実を隠しておくことはできない。
ゲーアノルトの王城への手紙には、領主印を奪われたことも報告してもらった方がいいかもしれない。
厄介な問題が、一つ増えてしまった……。
休憩を終え、話し合いを再開する。
エウリアスは、秘密の資金を使ったことを報告する。
「父上が、ステインやタイストに権限を任せていた資金。そのほとんどを使わせてもらいました。」
「ああ、あれか……。何に使った?」
「救援物資の調達です。俺は始め、ラグリフォート領で疫病が発生したと聞きました。そのため、薬や食料を送ろうと思ったのです。」
「薬か…………具体的には?」
「熱冷ましや腹下しに効く薬を。ただ、疫病の噂が広がり始め、買い占められつつありました。それで余計に費用がかさんでしまい……。」
「それは仕方ないだろうな。だが、量にもよるが、無駄になることはないだろう。本格的に戦闘が始まれば、傷などが元で熱を出す者もいる。食糧事情が悪化すれば、腹下しに効く薬も必要になる。生水に当たる者も、平時より増えるだろう。」
「はい。他にも、薬に調合される前の薬草も大量に仕入れてきました。こちらは傷や打撲の手当てにも使えます。」
「そんなのまで仕入れてきたの?」
ユスティナが、少し驚いたように言う。
「領地全体に疫病が蔓延していると思ったので、どれだけあっても足りないだろう、と。最後は他の商会との奪い合いになりました。」
その後は国による強制買取が行われたけど。
あの商会、損害で潰れてなければいいなあ。
エウリアスの報告を聞き、ゲーアノルトが苦笑する。
「まあ、それは仕方ないな。実際、こうして必要になる事態になったのだ。」
「そうだ。その薬の仕入れに、コルティス商会が協力してくれました。疫病の話を聞いて、急いで俺に知らせないといけないと、王都まで来てくれて。」
「コルティス商会が?」
「メンデルトとホセです。
「ふふ……なるほど。あの者らしい。」
エウリアスの話を聞き、ゲーアノルトが表情を和らげる。
「あとで、メンデルトにもよく礼を言っておかねばな。」
騎士学院の正門で騒ぎを起こし、たまたまエウリアスがその仲裁に入った。
イレーネやメンデルトの事情を聞き、ゲーアノルトに紹介した。
ほんの偶然から始まったことではあったが、今回メンデルトたちから得られた助力は本当に大きかった。
ほんの少し、何かのかけ違いが起きれば、ゲーアノルトの救出が間に合わなかった可能性だってあるのだ。
ユスティナもそうだが、人の縁が複雑に絡み合い、今がある。
今回は本当に、多くの人に助けられたと感じた。
そこまで考え、エウリアスは一つの懸念を思い出す。
エウリアスの雰囲気の変化を感じ取り、ユスティナが声をかける。
「どうしたの?」
「いえ、その……。」
エウリアスが言い淀むと、ゲーアノルトが続きを促す。
「何でも言いなさい。今は、エウリアスの指示で多くの物事を進める必要がある。すまないが、私の代わりにお前に動いてもらう必要があるのだ。予め分かっている懸念があるなら、対処しておくべきだろう。」
ゲーアノルトにそう言われ、エウリアスは一度目を閉じた。
そうして、意を決したように尋ねる。
「ノーラと、アロイスのことなのですが……。」
エウリアスがそう言うと、ゲーアノルトが表情を曇らせる。
しかし、しっかりとエウリアスを見て、頷いた。
「ウェイド侯爵家が、この件にどこまで関与しているのか、と……。」
ノーラの実家、ウェイド侯爵。
もしもサザーヘイズ家の企みに加担していたとしたら、このまま放置しておくことはできない。
そう思って聞いてみるが、ゲーアノルトは首を振った。
「お前が疑いたくなる気持ちは分かるが、おそらくそれはないな。」
「どうしてですか?」
「簡単な話だ。こんなことをして、ウェイド侯爵に得られるメリットなどほとんどない。」
最大限上手くいったとして、アロイスが伯爵家を継ぐ。
サザーヘイズ家との約束通り、侯爵になるかもしれない。
そうして侯爵となったアロイスが、果たしてウェイド侯爵に援助を続けるだろうか?
ぶっちゃけ、五分五分。
それだけのメリットを見出せば、援助を続けるだろう。
しかし、アロイスが侯爵となり、またサザーヘイズ家と強い繋がりを持てば、もはやウェイド家を頼る必要がない。
ゲーアノルトだから、商売に必要だから、伯爵家だから、商務省に影響力を持つウェイド侯爵を頼ったのだ。
「確かに、言われてみればそうですね……。」
ノーラも、ウェイド家への恨み言を口にしていたことを思い出す。
利用し、陥れようとするかもしれないが、協力関係を結ぶとは考えにくかった。
「そういうことだ。とはいえ、このままというわけにもいかんだろうな。」
たとえウェイド家が関与していなかったとしても、ウェイド侯爵の娘がこんなことをしでかしたのだ。
「
「分かりました。……ノーラの使用人たちはどうします? とりあえず捕えていますが。」
エウリアスがそう言うと、ゲーアノルトが考える。
おそらく、ノーラの手足となっていろいろ動いたのは、この使用人たちだ。
ラグリフォート家に籍を置いてはいるが、実質ウェイド家の者。
素直に帰らせては、向こうで何を言い触らすか分かったものではない。
「そいつらのことは、私が見てやろうか?」
対応に悩むゲーアノルトに、ユスティナが提案する。
「ユーリは領地を奪い返すのに忙しいだろう? 屋敷にいれば安全だとは思うが、一応ゲーアノルト様の護衛をしておいてやるよ。」
「ありがとうございます、師匠。」
「いいってことよ。ついでに、そいつらが何を見聞きしたか、ちょっと聞き出してやる。」
軽い感じで言っているが、おそらく情報を引き出すのに拷問くらいはやってのけるだろう。
「引き出すだけ引き出したら、斬っちまった方が面倒はない。それでどう?」
ユスティナがゲーアノルトに確認すると、ゲーアノルトが頷いた。
自分たちのやってきたことだ。
そのツケを、たっぷり支払ってもらうことになるだろう。
「それでは、よろしくお願いします。」
エウリアスもその方針に異議を唱えず、了承した。
ラグリフォート家に仇なし、ラグリフォート領を滅茶苦茶にしたことを、心底後悔させてほしいと思うエウリアスだった。
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