第206話 見え始めた陰謀の全容




 ユスティナは、エウリアスが六歳の時に剣術の指南役として、ラグリフォート家にやってきた。

 だが、ユスティナに教わったのは剣術だけではない。

 王国のこと、領地のこと、領民のこと、町のこと、山や川などの自然のこと。

 ユスティナに教わったことは、数えきれないほどにあった。


 またエウリアスにとっての護衛とは、ユスティナだった。

 一日中、ずっと一緒にいたのだ。

 家庭教師に勉強を教わったが、ユスティナにもいくつかの教科を教わった。

 戦略・戦術論などは、ユスティナに習ったのだ。


 そんなユスティナが、エウリアスが十三歳になろうかという頃に屋敷を出て行った。


『どうしても行かなくてはならない。』


 そう言った時のユスティナのすまなそうな顔を、エウリアスは今でも思い出せる。

 ユスティナがいなくなった時は、エウリアスも本当に落ち込んだものだ。


 エウリアスは、ユスティナを真っ直ぐに見た。


「師匠は、どこに行っていたのですか? サザーヘイズ領に戻ってた? でも、どうしてこんな……父上をこんな目に遭わせた、あんな奴らに手を貸したりしたのですか。」


 エウリアスの口調が、やや非難するものになる。

 だが、ユスティナは黙って頷いた。


「ユーリが、許せないと思うのは当然だ。だが、今回ことは私も知らなかったんだ。」

「知らなかった?」

「信じられないかもしれないけどな。本当に私は知らなかった。……そもそも、私はそこまで信用されていなかったのでね。」


 ユスティナが自嘲気味に笑う。

 そうして、ユスティナはエウリアスに事情を説明した。







 そもそも、なぜユスティナはエウリアスのもとを去ったのか。

 そのきっかけは、ユスティナの知り合いに会ってしまったことにある。


 ユスティナにとっては、弟弟子のような男。

 スバイム家の道場に通っていた一人の男に、ラグリフォート領の町で会ってしまった。


 この男自身は、商人をしている。

 子供の頃に心身の鍛錬にと、父の道場に入れられただけの男だ。

 男は久しぶりの再会を単純に喜んだが、その時にちょっとした世間話をした。

 そうして、ある兄弟子が亡くなったことを知った。


 さすがのユスティナも、生まれた瞬間から剣が達者だったわけではない。

 兄弟子に稽古をつけてもらいながら、腕を上げていったのだ。


 その兄弟子には随分と世話になり、ユスティナも「せめて墓参りくらいは」と考えた。

 ユスティナはゲーアノルトに事情を話し、少しだけ休みをもらった。


 武者修行の旅から、そのまま七年間もラグリフォート家にいたのだ。

 サザーヘイズ領に戻るのは十数年振りだった。

 以前に戻った時、実家には顔を出さず、用事だけをさっさと済ませていた。

 今回も兄弟子の墓参りを無事に済ませたユスティナは、さっさとラグリフォート領に戻ろうとした。

 しかし、ここでまた知り合いに会ってしまう。


 生まれ故郷だ。

 知り合いに会うのもおかしなことではない。

 ただ、この時は少々運がなかった。

 ユスティナの父、エリディオと非常に親しい人物と出会ってしまったのだ。


 ユスティナには、エリディオに見つかると非常にまずいことがあった。

 …………兵役逃れだ。


 兵士として兵役に就くのは、まだ我慢できる。

 だが、飯炊き女のようにコキ使われるのは我慢ならなかった。


 見つかれば少々まずいことになるのは分かっていたのだが、兄弟子にあまり不義理はしたくないと、サザーヘイズ領に戻ってしまった。

 しかし、知り合いに見つかってしまったことで、まずい事態になるのは容易に想像がつく。


 エリディオは、メディーの家臣だ。

 サザーヘイズの家名を名乗ることを許された家。

 そんなメディーに仕えている父の立場で、娘が兵役逃れなどしたらどうなるか。


 長年行方不明になっていたことで、どこかで野垂れ死んでいるものとして扱っていた。

 実際、メディーなどの軍の高官にも、そのように言い訳していたのだ。

 ところが、そんなユスティナが生きていた。

 こうなると、兵役逃れという現実がエリディオとユスティナに圧し掛かることになる。


 ユスティナは仕方なく実家に顔を出すことにした。

 勿論、エリディオは激怒した。

 兄も領主軍にいるため、ユスティナの兵役逃れで、二人がまずい立場に立たされることになるからだ。

 そうして、兵役について本気で何とかする必要ができてしまった。


 通常、サザーヘイズ領主軍では女性を兵士として採用しない。

 だが、ユスティナが炊事や洗濯に使われることを良しとしないことも、よく分かっていた。

 そこでエリディオは、ユスティナの剣の腕が振るえる仕事を用意した。


 実際に相当の腕があることを示す必要があるが、そこさえクリアすれば領主軍に採用されるようにしたのだ。

 メディーの前で実際に試合を行い、数人の兵士を叩きのめした。

 ラグリフォート領にいたことは伏せたが、指導の経験があることをエリディオには話していたため、新兵の指導教官として採用された。

 これで、兵役逃れについては不問とされることになった。


 サザーヘイズ領主軍に入ることになり、ユスティナは支度のためにと一週間だけ猶予をもらった。

 急いでラグリフォート領に戻り、ゲーアノルトに事情を説明した。

 このままエウリアスの剣術指南役を続ければ、ゲーアノルトにも迷惑をかけてしまう。

 ゲーアノルトはユスティナの事情を汲んで、辞めることを了承。

 これが、ユスティナがラグリフォート家を去っていた事情だ。


 こうして二年ほど新兵を鍛える仕事に従事していたが、ある日異動の辞令を受けた。

 特殊な任務に就いている先遣隊の、増援部隊に同行せよというもの。

 司令官の護衛も兼ねた、副官相当という地位で急遽参加することになった。


 この異動は、おそらく相当に上の方からの命令だったらしい。

 何せ、「不要だ」と言ったメディーでさえ、覆すことのできない辞令なのだ。

 サザーヘイズ本家を支える二家。

 その一家の当主であるメディーでさえ、無視することのできない辞令。

 出所は知れようと言うもの。







「……誰なんですか? その、師匠に異動を命じた人って。」


 エウリアスが尋ねると、ユスティナが鋭い目を向ける。


「他領での活動。それも、ラグリフォート伯爵を捕え、領地を占領するなんてとんでもない作戦だ。先遣隊を含め、三個大隊もの部隊がこの作戦には動員されてるんだぞ? こんな重大なことを、領主以外の誰が決断し、命じるって言うんだ?」

「…………領主、って……。」

「現サザーヘイズ大公爵家当主、マクシミリアン。あのじじいが知らないわけないだろ?」


 ユスティナの言葉に、エウリアスは目を見開く。

 ゲーアノルトを見ると、重く頷いた。


「……私も、ムルタカ子爵が今回のことを企んだのではないかと、最初は考えた。しかし、ユスティナに会い、理解した。これを画策し、実行したのはサザーヘイズ大公爵だ。」

「ですが……父上は大公爵にも呼ばれ、直接会談をされるくらいの……。」

「今思えば、あれも何か探りを入れていたのかもしれないな。」


 ゲーアノルトが顔をしかめると、ユスティナが腕を組んでエウリアスを見る。


「私は事情が事情なんでね。あまり信用されてはいなかった。おかげで、作戦の概要も何も知らず、ただ付いてきただけみたいな感じだった。」


 ユスティナは肩を竦めると、首を振った。

 それからゲーアノルトを見る。


「ここんとこ、ユーリに立て続けで起きていたことは聞かせてもらったよ。牢で、ゲーアノルト様から情報を引き出す役を買って出たんでな。時間だけはそこそこあった。」


 ユスティナはゲーアノルトが捕らわれていることを知り、このままではまずいと考えた。

 そのため、咄嗟に尋問する係を自分から申し出たらしい。

 迷惑をかけたくないと、ラグリフォート家にいたことを隠していたが、ここでそれが活きた。

 さすがにゲーアノルトとの繋がりがバレていては、任されることはなかっただろう。


「それなりにしっかり拷問もしていると示すために、傷をつけさせてもらった。すまないな、ゲーアノルト様。おそらくその頬の傷は残ってしまうだろう。」


 それを聞き、ゲーアノルトは左頬に触れる。


「構わんさ。この傷は、自分への戒めだ。思えば、私も領主が動くということを軽く考えすぎてしまっていた。こうしたリスクがあることは、いくら平和な世であっても忘れてはいかんのだが……。」


 自分が動いた方が早い、と。

 そう考え、ゲーアノルトは国内外を飛び回った。

 勿論、護衛騎士を同行はさせていたが、本気で他領の領主が動くつもりならば領主軍が使えるのだ。

 普通はそんなことをしても国王陛下から罰を受けるだけなので、誰もやらない。

 しかし、やらないことと、できないことを混同してしまった。


 できないから、やらないのではない。

 できるけど、やらなかった。

 この差を軽んじてしまったことが、今回の一因と言えた。


 ユスティナが、エウリアスに視線を向ける。


「これは、私の勝手な予想だけどな。」


 そう前置きして、ユスティナが一連のサザーヘイズ領の計画をエウリアスに話す。


「おそらく、マクシミリアンはラグリフォート領を手に入れたかった。理由は一旦置いておくが、目的にこのラグリフォート領があったのだろう。」

「ラグリフォート領を……?」

「直接統治する必要はなかった。ゲーアノルト様が手駒になってくれれば、それでいい。だから何年も前からゲーアノルト様と接触した。弱点となる『何か』を掴むため、そのヒントを得るために。」


 ゲーアノルトが単純にお金を欲する男なら、買収すればいい。

 弱点を巧みに使い、きっととても友好的で、良好な協力関係をしてくれただろう。


「しかし、残念ながら分かりやすい弱点が見当たらなかった。だから、次は直接的に弱点を作り出すことにした。」


 そう言ってユスティナが、エウリアスを指さす。


「ユーリを殺害すれば、次の跡取りは王城が決めることになる。もし、マクシミリアンに王城に伝手つてがあれば? いや、それは伝手なんてものではないだろう。次期跡取りを選定する官吏を取り込んでいたのではないか?」


 そう度々、怪しい選定結果を出すわけにはいかないが、ゲーアノルトにはこの伝手を使う。


「エウリアス亡き後、もう一人の実子アロイスを跡取りに選ばせることもできるぞ、と。これを餌に、ゲーアノルト様を取り込むことを考えた。」

「……それが、トレーメル殿下襲撃事件?」


 エウリアスがそう言うと、ユスティナが頷く。

 きっとこの計画には、他にも王家とホーズワース公爵家の分断も見込んでいただろう。


「しかし、残 念 な が ら この企みは失敗した。」

「あの……何でそこだけ強調するんです?」


 エウリアスの抗議を聞き流し、ユスティナが話を続ける。


「ゲーアノルト様の取り込み、エウリアスの殺害に失敗し、アプローチを変えた。それがノーラとアロイスだ。」


 エウリアスが少し表情を曇らせる。

 ゲーアノルトは、そんなエウリアスを気遣うように視線を向けた。


「どうをつけたのかは知らん。だが、エウリアスを廃嫡させ、アロイスを嫡男とさせることでラグリフォート領を手に入れる目途が立った。」


 アロイスがラグリフォート領を継ぐことができるなら、協力する。

 そうノーラと約束を交わし、ゲーアノルトの実力行使による排除に動いた。

 これが、今回のゲーアノルト殺害未遂、領地占領事件の背景だろうとユスティナが説明した。


「疫病が蔓延しているとの嘘の理由で、他からの介入を排除。父上の死も、疫病によるものとすればいい。」


 アロイスにラグリフォート領を継がせるために、『家督は長男が継ぐものとする』という法律が邪魔になった。

 そして……。


「どうせ法律が撤廃されるなら、同じ餌で釣れる者もいる……。」


 そう呟き、エウリアスは目を閉じる。


(まさに、この餌に釣られたのがバルトロメイか……。)


 トレーメル殿下襲撃事件の実行犯。

 その裏に繋がる者がまったく辿れなかったが、おそらくこれもサザーヘイズ大公爵だろう。


 そこで一つ、エウリアスは思い出した。


「ノーラが言っていました。アロイスのことを『侯爵になる身だ』と……。」


 エウリアスがそう言うと、ユスティナが笑い飛ばした。


「はっはっ……! 侯爵ときたか! そいつはまた大きく出たな。」

「いや、笑い事じゃないですって……。これって、もしかして――――。」

「こんな山だらけの領地を奪ったところで、それ自体には大した意味はない。おそらくだが、意味は別にあるのだろう。ラグリフォート領を奪うことで、生まれる意味が。」


 ゲーアノルトが、鋭い目でユスティナを見た。

 ユスティナが頷く。


「領境を封鎖しているという、他の四つの領地の領主軍がラグリフォート領ここに集まったらどうだ? 天然の要害を利用し、徹底して守りを固めれば、なかなかしぶとい戦いをしそうじゃないか。」

「そうしてラグリフォート領に目を向けさせ、本命が別方面から動く?」


 エウリアスにも、ユスティナとゲーアノルトの言っている意味が分かり、項垂れるように首を振った。


「王家への反乱。もしも取って代われば……。」

「伯爵を侯爵にしてやることもできるってわけだ。」


 ユスティナの明るい声に、エウリアスは顔をしかめた。

 だが、もしも成功すれば協力した者たちを意のままに叙爵や陞爵しょうしゃくさせ、抵抗した貴族家は潰すことができる。


「…………本気で、そんな馬鹿なことを……?」

「やってる本人たちは、馬鹿な事だとは思っていないんだろうよ。」


 エウリアスは、うんざりしたような顔で背もたれに寄りかかった。

 天井を見上げる。


「でも……。」


 そう呟き、身体を起こす。


「何か、おかしくない? この反乱が成功すれば、好きに貴族家を作れるし、潰すことができる。だったら、わざわざ法律を撤廃させることもないですよね?」


 エウリアスがそう指摘すると、ゲーアノルトも考え込む。


「……トレーメル殿下襲撃事件。もしもエウリアスの殺害を目的にしているとしたら、それもリスクが大き過ぎるな。」


 何せ、殿下を巻き込んでいるのだ。

 バレた時のリスクが計り知れない。

 しかし、ユスティナは然程不思議ではないようだ。


「動かざるを得なかったんじゃないのか? 国家転覆なんてとんでもない計画で、誰が口先だけの奴を信用する? それだけのリスクを負い、それでもこうして実行していると見せる必要があった。」

「失敗しても、バレないだけのリスク管理もしている。いざ行動を起こすまでバレることはない。そう示しながら、協力者と交渉していたのか……?」


 ゲーアノルトがそう言うと、ユスティナが頷いた。


「法律の撤廃も、王家とホーズワース公爵家の分断という意味があった。どちらにしても、やって損はないだろう?」


 トレーメル殿下襲撃事件では、現王派に傷をつけた。

 それはとても小さな傷かもしれないが、現王派を揺さぶるには十分な効果があった。


 ただ、これらはあくまで推測でしかないので、時系列に若干の矛盾が生じている。

 エウリアスの殺害に失敗したから、ノーラを取り込んだと考えると、『長男が家督を承継する』という法の撤廃を決めたのは、襲撃事件の後ということになる。

 これでは、その前から動いていたバルトロメイの動機と矛盾が起きてしまう。

 おそらくは、別の要因があるのか、時系列に間違いがあるかのどっちかだろう。

 だが、おおよそ何が起きていたのか、に間違いはないと思う。


 エウリアスはこめかみを指先で軽く揉み、考え込む。


「個々の事件は、成功すればそれで良し。もし失敗しても、協力者たちとの交渉の材料に使っていたのか……。」


 もしかしたら、学院での襲撃でツバーク子爵家の嫡男、モルデンが死亡したことも好材料になったのかもしれない。

 嫡男を殺害したという実績で。


 エウリアスは、自分が巻き込まれていた陰謀の全容が見え始め、頭痛にも似た感覚を覚えるのだった。




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