第202話 戦い散った者たちの碑




 パタン……。


 微かな音に気がつき、エウリアスはゆっくりと目を開いた。

 ぼんやりと目に映る風景を、ぽぉー……と眺める。


「起きたかえ?」

「……んぁ……。」


 クロエに声をかけられ、エウリアスは気の抜けた声を漏らした。

 重い身体をゆっくりと動かし、寝返りを打つ。


「ふあぁぁーー……っ。」


 大きく欠伸をする。

 そうして、見慣れない部屋の調度品に気づいた。


「…………どこ、ここ?」

「其方の家の客間ゲストルームじゃ。」


 ゲストルーム?

 何でゲストルームで寝ているんだ?


「……どうしてここにいるのか、記憶にないな。」

「それはそうであろうな。馬に乗ったまま眠るとは、器用な真似をするものよ。この家の使用人たちが、其方を慌てて馬から下ろし、ここに連れてきたのじゃ。」

「馬に乗ったまま? 寝たの?」

「うむ。わらわもさすがに呆れたのぉ。」

「全然、記憶にないんだけど……。」


 それ、寝たんじゃなくて、気を失っただけじゃね?

 そう思いつつ、重い身体を何とか起こす。


「ぁたたた……。」


 全身がバッキバキに筋肉痛だった。

 ベッドから足を下ろし、一息つく。


「……昨日、無茶したからか。」


 悪路を行く、地獄の行軍。

 その後に突入した、死の強行突破。

 我ながら、無茶し過ぎだ。

 何より、そんな無茶をみんなに強いてしまった。

 勿論、そうせざるを得ないと思ったからではあるのだが……。


「昨日ではないぞ? 其方が屋敷ここに戻ってきたのは、今朝のことじゃ。」

「んー……? えーと……。」


 寝て起きたから、つい「昨日」と言ってしまったが、日付は変わっていないらしい。


「……今、何時だ?」

「夕方頃ではないかえ?」


 痛む身体を捻り、窓に目をやる。

 カーテンの隙間から、夕焼けの色が見えた。


「あーー……、だるぅ……。」


 ベッドから立ち上がるが、歩くのも億劫なほど、疲労と筋肉痛を感じた。

 エウリアスは再び欠伸をしながら、部屋を出る。

 エウリアスが食堂ダイニングに向かうと、女中メイドを見つけた。


「あ、ユーリ様。お目覚めになられましたか。」

「うん……。あー……どういう状況?」


 屋敷の中に護衛騎士の姿が見えず、使用人たちも何をしているのか分からない。


「ただいま、庭の方で炊き出しの準備をしている最中です。レングラーの駐屯地でも炊き出しを行い、騎士や兵士の皆様の食事を用意しています。」

「なるほど……確かに、腹は減ってるな。」


 エウリアスは、何気なく腹を摩った。

 駐屯地の方が用意する量が多いため、使用人の一部が手伝いに狩り出されているという。


「皆様、まだほとんどの方が眠っておられます。お食事の準備が整ったら、起こして回ることになっています。」


 どうやら、まだほとんどの騎士や兵士が寝ているらしい。

 寝ているというか、ぶっ倒れている、か?

 まあ、それも無理ないと思うが。

 エウリアスだって、まだ身体が怠くてしょうがないのだから。


「浴室は使える?」

「はい。お使いいただけます。替えのお召し物はお持ちしますので、そのままどうぞ。」


 メイドが、にっこりと微笑む。


「じゃあ、そうさせてもらうかな。」


 二階の自分の部屋に行くのが、ひどく面倒くさい。

 エウリアスは浴室に向かおうとして、すぐに立ち止まる。

 メイドの方に振り返った。


「父上は?」


 エウリアスがそう言うと、メイドが少し憂いのある表情になった。


「お身体に大事はないようでございます。ただ、やはり過酷な環境だったようで……。」


 そう言ってメイドは、ハンカチで軽く目元を拭う。


 ゲーアノルトは、歩行も苦労する状態だったのだ。

 まずは食事をしっかり摂り、傷を癒し、リハビリが必要だろう。

 それでも、命に別状はないという診立てだという。


「分かった。ありがとう。浴室に行ってくる。着替えはよろしく。」

「はい。」


 どうやらエウリアスが意識を失っている間に、軽く清拭はしてくれていたようだ。

 それでも、何となくベタつくというか、すっきりしない。

 お湯に浸かり、汚れを綺麗にしたいと思った。







 汗と汚れを落とし、全身を洗うとさっぱりした。

 清潔な衣服に着替える。


「そういや、俺の長剣ロングソードはどこいった?」

「相当にボロボロだったようじゃぞ。若い執事が持っていったの。」

「まあ、大分斬ったからなあ……。」


 汚れていたので、綺麗にしてくれているのかもしれない。

 後で返してもらわないと。

 丸腰で腰の辺りが少々寂しいが、仕方ない。

 エウリアスは、そのままエントランスから外に出た。


 先程メイドに聞いたように、使用人たちが炊き出しに忙しそうだった。

 そして、あちこちで騎士たちが倒れている。

 倒れているというか、あれはみんな寝ているのか?


「…………今攻められたら、簡単に落ちるな。」

「ほっほっほっ……まあ、そうじゃな。」


 エウリアスが半目で呟くと、クロエが楽しそうに肯定した。

 炊き出しの準備が終わったら起こして回るらしいので、そのまま寝かせておく。


「とにかく、詳しい状況を確認しないとだな。」


 被害状況の確認、部隊の再編制。

 個人的なことを言えば、他にも確認しないといけないこと、話をしないといけないことがある。


 なぜ、ユスティナがあの基地にいたのか。

 ノーラとアロイスのこと。


 だが、今は何よりも領主軍を立て直し、防衛体制を構築しなくてはならない。

 往路で動けなくなった兵の、回収部隊も出さなくてはならない。

 やるべきことが山積みだった。


 エウリアスは見かけた使用人に声をかけ、レングラーの駐屯地に向かうことを伝えた。

 そうして屋敷の門を出ると、絶句してしまう。


 門から真っ直ぐに延びる道。

 その道の至る所に、騎士たちが倒れているのだ。

 死屍累々、という言葉が頭に浮かぶ。

 しかし、彼らはみんな眠っているだけだろう。


「どうすんだよ、これ……。」


 エウリアスは項垂れ、額を押さえる。

 仕方なく、一人ひとり声をかけていくことにした。


「おーい、起きろー。」

「こんな所で寝てんな。」

「もうすぐ炊き出しができるぞー。」

「屋敷に行けばメシが食えるぞ。」

「食べた方が、きっと回復も早いよー。」


 道端で寝ている騎士たちに、声をかけて回る。

 彼らは身体の中の、力という力を絞り尽くした状態なのだ。

 動く気になれないのは分かるが、食べて補給しないといつまで経っても力が出ないだろう。


 レングラーの町に着くと、町の人たちも炊き出しをしていた。

 まだラグリフォート領は領境を封鎖し、領地の経済や流通を停滞させている状態なのだ。

 こちらも、なるべく早くに正常化させなければならない。


「ぅへえ……やることが多すぎる……。」


 ラグリフォート領を無茶苦茶にした連中に、腹の底から怒りが湧いてくる。

 だが、まだ正常化させることはできない。

 なぜなら、連中の残党が残っているから。

 現在、支配権を取り戻したのは、このレングラーの地域だけなのだ。

 東西に延びる街道は制圧したが、まだ往来には制限をかけている。

 一日でも早く残党を追い出し、領地を正常化させなければならない。


「あ、坊ちゃん。領主様が無事だったって本当ですか?」

「うん。今朝、屋敷に帰ってきたよ。」


 町の人に声をかけられ、ゲーアノルトの無事を伝える。

 それを聞いた人たちから、歓声が上がった。


「さすがはユーリ様だ!」

「領主様が無事で、本当に良かったわ。」

「一時はどうなるかと思ったからねぇ……。」


 町の人たちも、本当にゲーアノルトのことを心配してくれていたようだ。


「領境のことも、近いうちに何とかするから。もう少しだけ我慢してもらえる? 残党狩りをしないと、まだ危ないからさ。」

「分かりました。」

「こっちはこっちで何とかしますから、坊ちゃんもあまり無理しないでくださいね。」

「手伝えることがあれば言ってください。何だってやりますから。」

「うん、ありがとう。」


 エウリアスは町の人たちと別れ、駐屯地へ向かう。

 こちらもまた、死屍累々の惨状だ。

 敷地のあちこちに、まるで死体のように兵士たちが転がっている。


「あれ……坊ちゃん……?」


 地面に寝っ転がっていた兵士が、つらそうに身体を起こす。


「大丈夫か? 駐屯地ここの炊き出しとかどうなってる?」

「あー……、すんません。ちょっと詳しいことは……。」

「そうか。」


 その辺りは、ルボフを見つけて確認するしかないか。

 周囲を見回し、人の動きを探す。


「あっちで、少し動いてる人がいるな。もしかしたら炊き出しの準備でもしてるのか?」


 そうして、寝っ転がった兵士に視線を向ける。


「大変だろうけど、向こうに行ったらどうだ? 食べないといつまで経っても回復しないぞ?」

「そうっすね……。ぃよっと。」


 その兵士は、つらそうに立ち上がった。

 大きな怪我はなさそうだが、やはり精も根も尽きてぶっ倒れたクチのようだ。

 エウリアスは適当に声をかけながら、人の集まっている場所に向かった。

 屋敷の使用人も見つけ、やはりここでは炊き出しの準備をしていた。


「ルボフはどこにいる?」

「あ、エウリアス様。司令でしたら、本部にいると思いますが。」


 炊き出しの準備をしている兵士に声をかけると、ルボフのいる場所を教えてもらう。

 エウリアスは、そのまま本部に向かった。







「おや、坊ちゃん。もう来てたんですか。」


 本部の前には、ルボフとグランザがいた。


「…………あの……護衛は?」


 護衛騎士を連れていないエウリアスに、グランザが恐るおそる尋ねる。


「みんなぶっ倒れてたから。置いてきた。」

「置いてきたって……。」

「前も護衛なんか連れないで、外で遊び回ってたろ?」

「いや、以前とは状況が違います。どうか護衛はしっかりと付けてください。」


 一人でふらふらと歩いているエウリアスに、グランザが苦言を呈す。


「そんなことより現在の状況を知りたい。兵の死傷者の詳しい数と、現在の対応を教えてくれ。」


 グランザの苦言を聞き流し、本題をルボフに尋ねる。

 ルボフが、難しい顔になった。


「ここでは何ですので会議室に行きましょう。今のところ把握していることなども、ある程度まとめてあります。」


 そうして、三人で会議室へ。

 エウリアスが席に着くと、ルボフが紙を数枚机に並べる。


「こちらが、死亡者数と負傷者数になります。負傷者数は、大雑把に軽傷者と重傷者に分けてあります。こちらが欠員を加味しての、新たな再編案です。」


 どうやら、エウリアスがぐーすか寝ている間に、ルボフは可能な限り状況の把握に努めてくれていたようだ。


「死者三十一名……。」


 エウリアスはリストに挙げられている名前を、一つひとつ指でなぞる。

 知っている者もいれば、知らない者もいた。

 それでも彼らは、等しくエウリアスの作戦で命を落とした者だ。

 ラグリフォート領の危機に、ゲーアノルトの危機に、命懸けで戦ってくれた。

 エウリアスは目を閉じ、その名前の一つひとつを心に刻む。


 彼らの挺身を忘れてはいけない。

 彼らの犠牲の上に今のエウリアスが、そしてラグリフォート領があるのだという事実を、絶対に忘れてはならない。

 エウリアスが黙祷を捧げるようにじっとしていると、ルボフとグランザも静かに待った。


 エウリアスはゆっくりと顔を上げると、ルボフを見る。


「一つ……頼みたいことがある。」

「何でしょう?」


 エウリアスは、思いついたことを言ってみる。


「彼らの、碑を建てたいんだ。」

「碑、ですか?」


 ルボフの確認に、エウリアスは頷く。


「戦いは、これで終わりじゃない。これからだって残党狩りをしたり、もしかしたらもっと戦いが続くかもしれない。そうした戦いで命を落とした者たちの碑を…………魂の戻ってくる場所を建てたいんだ。」


 今回の戦いでも、きっとムルタカ領で命を落とした者もいるだろう。

 きっと、亡骸を弔ってやれない者もいると思う。

 そうした者たちのための碑を建て、せめてもの慰めにしたい。


 ラグリフォート領のために戦い、散っていった者を、永劫に忘れないために。

 彼らのために何十年でも何百年でも、子々孫々感謝し、慰撫する。

 そんな、象徴シンボルとなるような碑を。


 エウリアスの思いを聞き、グランザが腕を組む。


「一応、教会でそういうのは執り行ってもらってますが?」

「うん。それを否定するつもりはないんだけど、そっちは犠牲者全員だろ? そうじゃなくて、ラグリフォート領のために戦った者たちのためのものをって思ったんだけど……だめかな?」


 エウリアスがそう言うと、ルボフが頷いた。


「分かりました。ただ、できればゲーアノルト様の許可をいただいてからにしたいのですが。」

「勿論。父上には俺から話すよ。」


 ルボフが反対しないと分かり、エウリアスが表情を和らげた。


 そうして次に負傷者のリストを確認する。

 現在、負傷者を除いた形で小隊を統廃合し、中隊を編成し直しているらしい。


 通常レングラーの駐屯地には一個大隊、千人以上が常駐するのだが、負傷者を除くとそこまでは確保できないようだ。

 なかなかに厳しい状況を知り、エウリアスは左手でこめかみを揉む。


(南部と北部の残党狩り……北部の山岳地帯に置いてきた兵を救助する部隊を出して、ムルタカの反撃にも備えないといけない……。)


 ぶっちゃけ、いくら手があっても足りない。


 それでも、南部の解放を進めれば、今は動けないでいる兵士たちも動員できるようになる。

 元々ラグリフォート領主軍の兵士は三千五百人。

 負傷者を除外しても、三千人以上いるのだ。


 エウリアスは頭の中で今後の方針を考える。

 現在の状況が分かっただけでも、足を運んだ甲斐があった。


 そうしてエウリアスは立ち上がる。


「状況は分かった。負傷者の治療、炊き出し、隊の再編成をこのまま続けてくれ。」


 ゲーアノルトが戻った以上、こうした命令はゲーアノルトから出すべきだ。

 だが、今はまだ非常事態として、エウリアスから先に指示を出すことにした。


 エウリアスが疫病対策として手配した救援物資があるため、治療のための薬はいくらでもある。

 薬草のまま仕入れたことも、功を奏したと言える。

 切り傷、打撲にも使えるし、消毒効果もある。

 解熱効果もあるので、熱が出ても対処可能だ。


 エウリアスは領主軍の現状を把握でき、一先ず屋敷に戻ることにした。

 グランザが護衛代わりについて来ようとしたが、用事を言いつけて追い払った。



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