第201話 サザーヘイズ家への要請




 ゲーアノルトがラグリフォート領に帰還した日。

 サザーヘイズ大公爵領に、王城からの使者が到着した。

 通常、馬車で十日かかるところを、四日ほどで走破したのだから、この早馬は相当に早かったと言えるだろう。


 マクシミリアンは宮殿のような屋敷の大広間で、その使者を迎えた。


「遠くからよく来た。ご苦労であったな。」


 跪く使者に、マクシミリアンはにこやかに声をかけた。

 この使者はサザーヘイズ領主軍に出兵を命じる、国王陛下からの使者だ。


 エウリアスは、ラグリフォート領が何者かに占領されていることに気づいた時、ホーズワース公爵に知らせる手紙を出した。

 その内容はホーズワース公爵からヨウシアに伝わり、ヨウシアは宰相であるイグナッシオに伝えた。

 イグナッシオは即座に王国軍を動かすことを決めたが、同時にサザーヘイズ家にも兵を出させることにした。


 とはいえ、さすがに宰相にも領主に命じる権限はない。

 少々ややこしい仕組みではあるが、宰相とは国王を補佐する立場だ。

 同じく国王を補佐する、大臣らの長という位置付け。

 つまり、宰相の権限として大臣らに命じることはできても、領主に命じる権限はない。

 領主らは、すべて国王の臣下だからだ。

 領主に命じることができるのは国王のみであり、他の何者にも従うことはない。

 大臣らが発行する命令などは、すべて「国王による命令」若しくは「国王から命じられた大臣が、代わりに命じる」という形を採っている。


 宰相が、大臣という要職にある上級貴族に命じることはできても、官職に就いていない下級貴族に命じる権限がないというのは少々変な感じはする。

 だが、厳密な制度上の権限でいえば、こういうことになっている。


 ただし、こと軍事に限っていえば、国王以外にも領主に命じる権限を持つ者がいる。

 元帥である。

 元帥とは王国軍の最高指揮官であり、本来国王だけが持つ統帥権を授けられる。


 この統帥権は王国軍のみならず、領主軍にも権限が及ぶという、非常に強大なものだ。

 元帥がこのような強大な権限を持つに至ったのには、当然ながら歴史的背景がある。


 建国王の弟、大英雄ノウマンこそが初代元帥だった。

 国王に代わり、王国のすべての軍事力を用い、領土を拡大した。

 反乱を鎮め、他国の侵略を跳ね返したノウマンには、それだけの権限が与えられていたのだ。


 しかし、ノウマン亡き後、この強大過ぎる権限が問題になった。

 ノウマンの後にも何人かの元帥が置かれたが、国王は元帥を怖れるようになった。

 そのため、現在から四百年以上も前に置かれた元帥を最後に、元帥位は空位となる。

 以後、軍務に関してはすべて軍務大臣が担うことになったが、統帥権は与えられていない。

 すべての命令は国王によるものとされ、大臣はあくまで代理にすぎない。

 宰相も、また然りだ。


 国王に集権し、国王のみが権限を有する。

 徹底した権限の集約こそが、リフエンタール王国を現在まで続かせたと言っても過言ではないだろう。







 跪いた使者が封書を捧げ持つと、係官が受け取った。

 係官は封書をマクシミリアンに渡し、下がる。

 渡された封書を、マクシミリアンは素早く確認した。


「何と……ラグリフォート領が……?」


 驚いたように呟き、さらに読み進める。

 そうして、微かに唸る。

 使者は跪いたまま、当該地域の補足説明を行う。


「現在、ラグリフォート伯爵領を含む五つの領地で、領境が封鎖されております。」

「うむ……。疫病が蔓延していると聞き、私も心配しておったのだ。しかし……このようなことが本当に? ……にわかには信じ難い。」


 封書を読み終わり、マクシミリアンが使者に顔を向ける。

 使者は神妙な顔で、頷いた。


「イグナッシオ様も驚いておりました。ですが、王城からの使者がラグリフォート領へ入ることを拒否されていましたので、この報告にも一定の信憑性はあるだろう、と。」

「陛下が、疫病の状況を確認させるために出した使者を?」

「はい。その使者の受け入れると『疫病が外に漏れる危険がある』と拒否しました。確かに、理由としては筋は通っておりますが……。」

「ふむ…………陛下の使者を追い返すなど、確かに腑に落ちんな。……それほどに早く広がる疫病なのかもしれないが、普通は救援物資の要請くらいは行うだろう。」

「マクシミリアン様のおっしゃられる通りです。そうした話もなく、ただ追い返したということで…………軍を使っての強制調査を考えていた矢先でした。」


 使者の返答に、マクシミリアンは頷く。


「分かった。陛下には『直ちに動く』と伝えてくれ。丁度こちらでも、救援物資の準備などを行っていたところなのだ。物資の輸送だけのつもりだったが、怪しい連中が跋扈しているなら、兵も動員させよう。」

「おお、さすがはマクシミリアン様でございます。それでは、サザーヘイズ軍はどの程度の規模になりますか?」

「そうだな、一万……いや二万出そう。王国軍はどう動く?」

「東部に駐屯する軍より、一万を。西からラグリフォート領へ入る予定です。」

「では、こちらはムルタカとカッキーノスだな。それぞれに一万。」


 ムルタカ子爵領とカッキーノス男爵領が、サザーヘイズ大公爵領に隣接した領地だった。

 マクシミリアンの返答に満足し、使者は大仰に頷いた。


「ありがとうございます、マクシミリアン様。私も使命を果たせ安堵しました。」

「なに、東部のことならば、サザーヘイズ家が動くのは当然のこと。むしろ、王国軍を出していただけるだけで有り難い。陛下には、マクシミリアンが感謝申し上げていた、と。」

「承りました。」


 スムーズに話がまとまり、使者は表情を和らげる。

 マクシミリアンは使者に立ち上がるように促すと、執事の一人に合図を送った。


「今すぐに発つこともあるまい? 王都より、このような辺境までわざわざ来てくれたのだ。使者殿にもてなしの準備を。」

「かしこましました。」

「あ、いや、マクシミリアン様。そのようなお気遣いは、どうか無用に――――。」

「遠慮するな。陛下からの使者をもてなさずに帰らせたとなれば、私が恥をかく。どうか、ゆっくりしていってくれ。」


 マクシミリアンにそう言われた使者は、だらしなく顔を緩ませた。


「そ、それでは一晩だけ…………お言葉に甘えて。」

「うむ。私は今後の対応について、少し詰めてくる。使者殿は、どうかくつろいでいってくれたまえ。」

「感謝いたします、マクシミリアン様。」


 そう言って使者は、執事に案内されて大広間を出て行く。


 そんな使者を、マクシミリアンは冷えた目で見ていた。


「……ようやく来たか。」


 とはいえ、これは最速での出兵の命令だ。


 マクシミリアンは大広間を出ると、杖を使いながら足早で会議室に向かった。

 年甲斐もなく、高揚感に自然と足が速くなってしまう。

 すでに会議室には、この作戦の主だった者が集められていた。

 使から、召集がかけられていたのだ。


 マクシミリアンが会議室に入ると、十数人の領主軍の幹部たちが並んでいた。

 全員が敬礼でマクシミリアンを迎える。

 仮面の執事ラルヴァが、そんな幹部たちの前で待っていた。

 そして、場違いなラフな格好のエラフスと、真っ赤なスーツ姿のナシュハムも部屋の端の方にいる。


「諸君、待たせた。」


 マクシミリアンは幹部たちの前に行くと、ラルヴァの横に並んだ。


「いよいよ、出兵の命令が下ったぞ。」

「おお……。」

「ついに……。」


 マクシミリアンの言葉に、会議室が僅かにざわめく。

 マクシミリアンが目を閉じる。


「…………長かった。」


 重く、搾り出すように呟くと、幹部たちも頷く。

 この時を、どれほど待ちわびたことか。

 その思いは、この部屋に集まった者たち、みなの思いだった。

 …………ごく一部を除いて。


 マクシミリアンは、部屋の端にいるエラフスとナシュハムに目を向ける。


「二人の……いや、の協力で、計画が大きく進むことになった。心から感謝する。」


 そう言われたエラフスは軽く肩を竦め、ナシュハムは微笑む。


 マクシミリアンは、幹部たち一人ひとりの顔をしっかりと見た。

 それから、興奮を抑えきれないように、カツンッと杖を床に打つ。


「時は来た!」


 マクシミリアンが、高らかに宣言した。


「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、ようやく訪れた復讐の時である! 思い上がった、の怨敵に鉄槌を下さん!」

「「「マクシミリアン様っ!」」」

「「「思い知らせてやりましょう!」」」


 マクシミリアンの宣言に、みなが打ち震える。

 ある者は拳を握り、ある者は叫んだ。

 興奮に包まれた会議室で、マクシミリアンは何度も力強く頷いた。


「昏き夜闇を、今こそ払う! 日、出づるは東より!」

「「「払暁ふつぎょうの時は、今!」」」

「「「リフエンタールに夜明けを!」」」


 マクシミリアンが、その年齢からは想像できないほどに力強く声を上げる。

 集まった幹部たちも、興奮を抑えきれないとばかりに叫ぶ。

 ラルヴァが一歩前に進み出て、そんな幹部たちに命じる。


「明朝より作戦を開始する。各自、準備を怠るな!」

「言われるまでもありませんぜっ!」

「今すぐにだって、飛び出していきたいくらいでさぁ!」


 逸る声にマクシミリアンが片手を挙げ、制する。


「待ちきれんのは私もだが、ここで躓いて水を差すことのないようにな。」


 マクシミリアンがそう言うと、笑いが巻き起こった。


「確かにっ!」

「末代まで笑われますなっ!」


 集まった者たちは、ある種のハイな状態になっていた。

 彼らは笑い飛ばしているが、実際には分かっている。

 もう二度と、顔を合わすことのない者がいることを。


 簡単な戦いではない。

 それでも、長きに渡る雌伏の時を思えば、何と心の軽やかなことか。


 ラルヴァは一人ひとりに伝達事項を伝え、作戦の最終的な確認を行う。

 今日、この時が、一堂に会す最後の機会だからだ。


「それでは、諸君らの奮闘に期待する。」

「「「はっ!」」」


 ラルヴァからの確認が終わり、一斉に敬礼した。

 マクシミリアンも返礼すると、ラルヴァが解散を宣言する。


「解散っ!」


 興奮冷めやらぬ様子の幹部たちが、会議室を出て行く。

 そうして幹部たちを見送ると、最後にマクシミリアン、ラルヴァ、そしてエラフスとナシュハムが残った。


 ラルヴァは椅子を用意すると、マクシミリアンを座らせた。

 幹部たちの前ではあまり情けない姿を見せるわけにはいかないが、マクシミリアンは少しの時間を立っているだけでも苦痛なのだ。


「ふぅ……我が身ながら情けないことだ。」


 膝を摩りながら、マクシミリアンが零した。

 ナシュハムが、微笑んだままマクシミリアンを見下ろす。


「年齢を考えれば、無理からぬこと。それでもこうして、この時を迎えられたのですから。」

「そうだな……。この老いぼれがくたばる前に、ここまで漕ぎつけた。本当に、感謝してもしきれない。」

「いいのよ。ギブアンドテイクですから。」


 何を目的としているか分からないが、エラフスとナシュハムは、数年前に突然やって来た。

 秘密裏に動いていたマクシミリアンの企みを見抜き、協力を申し出たのだ。


 当然ながら、マクシミリアンは二人を怪しんだ。

 秘密を知られたからには、生かしておくことはできないとも考えた。

 だが、エラフスとナシュハムは凄まじい強さだった。

 強さを見せつけた上で、「手を貸そう」と再び協力を申し出た。


 それも、個人としてだけではなく、だ。

 エラフスとナシュハムには、他にも仲間がいたのだ。

 強力なコネクションによりマクシミリアンの計画は大幅に進み、また盤石なものとなった。


 エラフスが、頬にかかる髪を背中に流す。


「それじゃ、こっちはこっちでやらせてもらうわ。」


 そう言うと、さっさとドアの方に向かっていった。

 そんなエラフスに、ナシュハムが苦笑する。


「ご安心を。そちらの邪魔をするつもりはないから。」

「そう願いたいものだ。」


 ラルヴァは仮面に軽く触れると、ナシュハムの方を向く。

 二人の目的が分からないため、ラルヴァとしては警戒を解くわけにはいかない。

 だが、実際はそんな警戒さえ無駄だった。

 この二人が本気を出したら、瞬きの間でマクシミリアンとラルヴァを殺すことが可能だろう。

 それほどに強いのだ。

 その見た目からは、とても信じられないが。


 会議室を出て行くエラフスとナシュハムを見送り、マクシミリアンがそっと息をつく。


「あんな、得体の知れぬ者たちの手まで借りなくては叶わんとはな……。」


 決意をした時には、思いもしなかった。

 だが、どんな手を使っても、必ず成し遂げる。


 ――――必ず、リフエンタール王家を倒す。


 このためだけにマクシミリアンは、今を生きている。

 七十を越えてなお、サザーヘイズ大公爵家の当主で居続けるのは、このため。


「ラルヴァ。にも次に進めるように伝えろ。」

「はい。」


 マクシミリアンの計画のために、多くの協力者が動いている。

 理由は様々だ。

 もっとも、そのほとんどが己の欲望のためではあるが。


 それで構わない。

 マクシミリアンも、別に義憤に駆られたわけでも、世直しのために挙兵するわけでもない。

 すべては、己のため。

 すべてを賭し、己の命さえ賭けて、マクシミリアンは反逆の道を選んだ。


 ラルヴァは、杖を握り締めるマクシミリアンを、じっと見つめた。

 だが、その表情は仮面によって窺い知ることはできない。


 ラルヴァの視線に気づき、マクシミリアンは一つ思い出したように指示を出す。


「いつものように、中央からの使者に商売女おんなを用意してやってくれ。連中に言えば、何人でも集められるだろう?」

「……よろしいのですか?」

「ああ、とびっきりのをな。よくもてなすように言っておいてくれ。」

「かしこまりました。」


 マクシミリアンの口の端が歪む。


「一晩くらい、いい思いをさせてやれ。…………せいぜい、思い残すことがないようにな。」


 マクシミリアンの冷えた目に、ラルヴァは黙って一礼するのだった。




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