第200話 ゲーアノルトの帰還




「このまま突っ込めっ! 蹴散らせえっ!」

「「「はっ!」」」


 エウリアスは長剣ロングソードを空に突き上げると、馬を走らせながら騎士に突撃を命じる。


 エウリアスたちは現在、街道を西に向かって進んでいた。

 三十騎の騎馬隊で、ゲーアノルトを乗せた荷馬車から先行し、邪魔な敵兵を排除する。


 所々に五十~百人ほどの敵部隊がいたが、これらを予め排除してゲーアノルトの安全を確保する。

 ユスティナにはゲーアノルトとともに荷馬車に乗ってもらい、最後の砦として護ってもらう。

 荷馬車の周囲に騎士を配置し、さらに囲むように兵士を配置する。


 荷馬車はいくつかあり、深手を負った兵士らも、そちらの荷馬車に乗せていた。

 荷馬車は二頭立てで引かせているが、ぶっちゃけ速度はあまり出せない。

 そのため、押し寄せる敵をまともに受け止めながらの脱出となっていた。







 強行軍の殿しんがりについたグランザは、敵兵を粗方片付けると、傍で座り込んだ兵士に声をかける。

 兵士は腕を押さえ、立てずにいた。


「大丈夫か?」

「ええ……こんなの、かすり傷でさぁ。」


 そう言いながら、その兵士は脂汗を浮かべていた。

 おそらく、腕の骨にヒビが入ったか、骨折したのだろう。


「ちっと我慢しろよ? 荷馬車に連れてってやるからよ。」

「へへ……俺のことはいいんで、隊長は戻ってくださ――――いぃいいいっ!?」


 グランザに無理矢理立たせられ、兵士は痛みに大声を上げる。


「つまんねえこと言ってねえで、気合い入れろ。荷馬車にさえ乗れば、寝てたって帰らせてやるからよ。」


 実際は、荷馬車の振動で相当に痛い思いをすることになるのだが、そんなことを言っても仕方がない。

 大事なのは、一人も取り残さないという姿勢だ。


「駄々こねるなら、気ぃ失わせてから荷馬車に放り込むぞ。分かったな?」


 グランザがそう言うと、その兵士が悔しそうな顔になった。


「すみません……足手まといになっちまって……。」

「馬鹿言うな。お前たちがいたから、ゲーアノルト様を奪い返せたんじゃねえか。」


 グランザはそう言うと、少し離れた所にいる兵士に声をかける。


「おーい、ちょっと手伝ってくれ!」


 グランザに呼ばれた兵士が、小走りでやってくる。


「どうしたんです?」

「こいつを背負うからよ。ちょっと手伝ってくれ。」


 痛みを堪えながら、何とか歩いているようでは荷馬車に追いつけない。

 痛かろうが何だろうが、背負って行った方が確実だ。

 まあ、相当痛い思いをするだろうが。


 手伝ってもらいながら、腕を怪我した兵士を背負う。


「じゃあ、ちょっと行ってくる。」

「あいよ。了解。」


 手伝ってくれた兵士が、気軽な感じで答えた。

 そうしてグランザが大股で歩き出すと、背負った兵士は振動による痛みを、必死に我慢するのだった。







■■■■■■







 深夜。

 すでにエウリアスたちは領境を越え、ラグリフォート領に入った。

 だが、こちらはこちらで、ラグリフォート領を占領していた先遣隊の兵がいる。

 街道沿いの町や村に、それぞれ数十人の敵兵を置いているのだ。


 エウリアスは三十の騎馬隊を率い、街道沿いの町や村に先行して向かい、適当に敵兵を排除する。

 本来その町にいた警備隊を解放し、ゲーアノルトの無事も喧伝した。

 寝静まった深夜ではあったが、ゲーアノルトが解放されたことを知れば、もはや黙って敵兵に従う理由はない。


 敵兵からしても、ゲーアノルトという弱点を握っていたからこそ、少数で簡単に地域を支配できたのだ。

 そのゲーアノルトが奪い返されたと知れば、領民からの仕返しがどういうものになるか、言わなくても分かるだろう。


 ということで、今は町や村の解放を優先し、逃げ出す敵兵は放っておくことにした。

 後々面倒になることは分かっているが、今もっとも重要なことは何か。

 それを忘れてはいけない。


「坊ちゃん。これでレングラーの駐屯地までの、すべての村が解放されました。」


 疲労の色の濃いタイストが、エウリアスの横に馬をつけると報告する。

 すでにレングラーの町や駐屯地の周辺は、こちらの手にある。

 あとは、荷馬車隊が無事に辿り着けばいいだけ。


「タイスト。十騎で荷馬車の周辺の警護を頼む。俺は二十騎で殿軍でんぐんに回る。」

「坊ちゃん!? 坊ちゃんが殿など……!」


 現在、敵兵の追撃が多少あり、後方の部隊が苦しい戦いを強いられていた。

 元々この救出作戦は、エウリアスの立てた無茶な強行軍で行われた。

 もうとっくに、兵士たちは限界なのだ。


「ここまで来たら、絶対にみんなで戻るんだ。」


 正直に言えば、すでにエウリアスも限界。

 だからと言って、エウリアスにはついて来てくれた兵を見捨てることなどできなかった。


「二個小隊は俺に続け! 残りはタイストに従え!」


 エウリアスは騎馬隊にそう命じると、馬の腹を蹴り、後方に向かって走り出した。

 その後ろに、二十騎の騎馬が続く。


「坊ちゃん……。」


 走り去るエウリアスの後ろ姿を見送り、タイストは苦し気に呟くのだった。







「どぉぉおおるぅやあああぁぁあああああっ!」

「ぐわあぁぁあっ!?」

「ごほぉ!?」


 グランザの一太刀に、二人の敵兵が斬られる。

 散発的な追撃が続き、兵士たちの負傷が増えて行く。


「くそが……キリがねえな。」


 そんな愚痴が出てしまうくらいには、うんざりする戦い。

 今日一日だけで、これまでの兵士人生で斬ってきた、数倍の敵兵を斬っている。

 だというのに、記録はまだまだ更新中だった。


「隊長! また増援だ!」


 街道の先に目をやると、松明の灯りがこちらに向かって来るのが見えた。

 その灯りを忌々し気に睨むと、グランザは剣を地面に突き立て、杖の代わりにする。

 軽く身体を支え、溜息をつく。


 ふっと、意識が遠のきそうになる。

 グランザは目に入りそうな汗を拭うと、満天の夜空を見上げた。

 夜明けまではまだ数時間あり、安全圏まで逃げきるのにも、まだ時間がかかる。

 それでも、きっとゲーアノルトは無事に逃げきれるだろう。


 ――――もう、十分役目は果たした。


 そんな考えが、頭に浮かぶ、

 ゲーアノルトが敵の手に落ちたままでは、死んでも死にきれない。

 しかし、奪い返す戦いに身を投じ、実際にゲーアノルトがラグリフォート領に戻る目途がついた。


(死に場所としちゃ、悪くねえか。)


 これほど血の滾る戦いは、初めてだった。

 そしてこの戦いは、実際に意味のある戦いでもあった。

 奪われた領主を奪い返したのだ。


「…………いいぜ。血の一滴まで燃やし尽くしてやる。」


 グランザは敵兵が迫ってくると、剣を構えた。

 命尽きるその瞬間まで、剣を振るい続ける。

 兵士として生きてきたグランザにとって、これこそ本望というものだ。


(あの青二才に、本当の兵士の死に様を見せてやろう。)


 騎士などという、気取った軟弱者になってしまった我が子に、本当の忠誠の何たるかを教えてやる。

 そう、グランザが力を振り絞ると、背後から騎馬が駆け抜けて行った。


 その騎馬隊はグランザを追い越すと、迫ってきた敵兵に突撃していく。


「一兵たりとも先に進ませるな! ラグリフォートの地を踏み荒らす賊に、自分たちの罪を思い知らせてやれ!」

「「「はっ!」」」


 騎馬隊はあっという間に敵兵を蹴散らすと、確実にトドメを刺していく。

 グランザは、その光景を茫然と見ていた。


「…………坊ちゃん?」


 騎馬隊を率いているのは、エウリアスだった。

 なぜ、エウリアスが殿に来ているのか。

 先頭で前を切り拓くのも危険な役目だが、殿はそれ以上だ。

 エウリアスが務めるべき役目ではない。


 エウリアスは敵兵が退いていくと、深追いはせずに戻ってくる。

 そうして、グランザの前にやってきた。


「大丈夫か、グランザ?」

「え、ええ……ありがとうございます、坊ちゃん。ですが、何で坊ちゃんがこんな所に?」


 グランザがそう言うと、エウリアスは疲れた笑いを浮かべる。


「前はもう、敵兵がいそうにないから。」


 敵がいないから、いそうな所に来ただけ。

 そのシンプルな答えに、グランザはおかしくなった。


「くっくっくっ…………そいつは、大将の振る舞いではありませんなあ。」

「そうか? 大変そうな場所を手伝ってるだけなんだけど。」

「大将は、命じればいいんです。あっち行け、こっち行けって。」


 そう言われ、エウリアスは眉を寄せる。


「グランザから、そんなセリフが出てくるとは思わなかった。」


 グランザ自身、ただ指示するだけのポジションが嫌だと、中隊長という今の地位に留まっているのだ。

 痛い所を突かれ、グランザが肩を竦めた。


「まあ、儂のことはいいんです。……来てくださったおかげで、正直助かりました。」

「こっちこそ。負担の重い役目を押し付けてすまなかった。おかげで目途が立った。必ず、全員で戻るぞ。」


 そう、エウリアスに笑いながら言われ、グランザは苦笑する。


(これは、まだまだ死ねんなぁ……。)


 再び夜空を見上げ、そんなことを思うグランザだった。







■■■■■■







 微かに東の空が白み始めた頃。

 ゲーアノルトを乗せた荷馬車が、ラグリフォート家の屋敷に到着した。


 兵士たちの大半とは、手前の駐屯地で別れた。

 丸一日以上を動き続けた兵士たちも、さすがにそこで力尽きた。


 一部の兵士と、騎士の大半は屋敷まで同行する。

 ただし、屋敷のある丘を登る途中で力尽きた騎士たちは、道端で倒れ込むとそのまま寝始めた。

 三百人ほどの騎士がこの作戦に参加したが、屋敷まで辿り着けたのは五十人ほどだった。


「「「旦那様ぁ!」」」


 ゲーアノルトを乗せた馬車が屋敷の前に到着すると、使用人たちが集まる。

 そして、ボロボロの姿のゲーアノルトを見て、強いショックを受けていた。


「……ぁ……ぁあ……旦那、様っ……!」

「ポーツス……心配をかけたな……。」


 ポーツスは涙を流し、ゲーアノルトに縋りつかんばかりだった。

 そんなポーツスに、ゲーアノルトが優しく声をかける。

 ユスティナは困ったような顔をして、ポーツスを励ました。


「気持ちは分かるが、お前がしっかりしないでどうするの、ポーツス。まずは浴室だ。身体を綺麗にし、その後に治療も行う。手配しなさい。」

「はいっ……はいっ……! た、ただいま……!」


 ポーツスは涙を拭い、使用人たちに指示を出していく。


 馬上でその様子を見ていたエウリアスも、思わず涙ぐみそうになる。

 ようやく、ゲーアノルトを取り返した。

 無事に、屋敷にまで連れ帰ることができた。


 重く重く、身体の奥底から安堵の息が漏れる。

 そうしてエウリアスの身体から、すぅー……と力が抜けていった。

 こてん……と馬の首に、身体を預ける。

 いつの間にかエウリアスも意識を失い、そのまま眠りについていた。







 この戦いは、完全な勝利だった。

 精も根も尽き果て、勝ち鬨を上げる余裕さえない、苦しい戦い。

 それでも、完璧な勝利と言えた。


 悪路を征く、半日の行軍。

 そのまま半日もの戦闘を戦い抜き、ラグリフォート領主軍は帰ってきた。

 領主であるゲーアノルトを、無事に奪還して。


 ラグリフォート領主軍の被害は、決して小さいものではない。

 死者は三十人を超え、負傷者は二百人を超える。


 しかし、敵の死者はその二十倍にも上るという激戦だったのだ。

 それを考えれば、むしろラグリフォート領主軍の損害は驚異的に少なかったといえるだろう。


 この戦いは、後のラグリフォート領主軍の語り草となった。

 どれほど苦しい戦いでも「あの戦いに比べれば」と。


 負傷した者も可能な限り救うという姿勢を打ち出し、自ら剣を振るい、戦い抜く。

 苦しい戦いを、ともに生き抜いた。

 元々領主の跡取りとして人気のあったエウリアスだが、一連の戦いで見せた活躍は、ともに戦った者たちに強烈な印象を植え付けた。


 果敢に敵に突撃する姿を。

 長剣を掲げ、懸命に兵を鼓舞する姿を。


 策を練り、自らも危険な役目を負いながら、勝利に導く。

 奪われた領地を取り戻し、兵士や領民を解放した。

 まだ領地の奪還は道半ばではあるが、エウリアスならば必ず成し遂げる。


 そんな絶対的な信頼を、エウリアスは兵たちから得たのだった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る