第194話 ユスティナの覚悟




 ラグリフォート領、レングラーの駐屯地。

 エウリアスたちが駐屯地を奪還した日の夜。


 本部の会議室で、エウリアスはテーブルに広げた大きな地図を眺めてた。


 この駐屯地を占拠していた敵兵たちは、先遣隊のようなものだったらしい。

 駐屯地の横に建てていた倉庫は、本隊が来た時のための準備だ。

 補給物資を保管しておくための。


 そして、肝心のゲーアノルトの所在も判明した。

 ムルタカ領の、ラグリフォート領との領境に近い辺り。

 ただし、街道からは少し北に行った、離れた場所だ。


 エウリアスの視線の先を追い、ルボフが呟く。


「臨時の補給基地……。そんなものを作っておったとは。」

「周到さを考えるに、これは何年も前から計画されていましたな。くそったれめ……。」


 グランザが地図の上の印を睨み、忌々しそうに吐き捨てた。


 この臨時の補給基地を造ったのも、エウリアスたちが捕えた先遣隊の隊長だ。

 ムルタカ領の補給基地の完成後、二千人の兵士でラグリフォート領に乗り込み、全域を支配した上で補給基地も建設しようとしていた。


「……ラグリフォート領は天然の要害。山に囲まれ、守りに適した地形をしておりますからな。ここを押さえようというのは、悪くない判断です。」


 ルボフがそう言うと、グランザがあからさまに顔をしかめた。







 正直に言えば、状況はあまり良くない。

 ゲーアノルトの処刑がいつ行われてもおかしくないし、何より捕らわれているのが他領だ。


 補給基地を潰せというだけなら、然程悩む必要はない。

 捕えた先遣隊の隊長から、必要な情報も引き出した。


 だが、こちらの勝利条件は一つ。

 ゲーアノルトを無事に奪還することだ。

 いくら補給基地を潰そうが、ゲーアノルトが殺されてしまえば負けなのだ。


 そのため、現在エウリアスは救出作戦の準備を進めていた。

 エウリアスはレングラーの駐屯地を奪還したことで、千二百人の兵士と、二百人の騎士を解放した。

 これで、エウリアスの総戦力は、おおよそ千二百人の兵士と、三百人以上の騎士だ。

 ただし、駐屯地を奪還する戦いで、二百人を超える負傷者が出た。

 大半が軽傷ではあるが、重傷者も三十人ほどいる。


 このため、概算ではあるが次の作戦に動かせる兵士は千人強。

 騎士は、三百人を少し下回るくらい。

 単純な数だけの話をすれば、ムルタカ領の補給基地にいる敵兵よりは多い。


 しかし、拠点の攻略とは数だけでは計れない。

 一般的に、城や砦を攻略するには、三倍の数が必要と言われたりするくらいだ。

 とはいえ、こんなのはあくまで目安。

 どの程度の数で落とせるかは、どれだけ守りを固めているかで変わる。


 そして、エウリアスたちの目的は基地攻略ではない。

 あくまでゲーアノルトの救出だ。

 ゲーアノルトさえ無事に救出できるなら基地などどうでもいいし、救出のために必要なら基地を更地にする。

 それだけだ。







 ルボフが、手元の資料に視線を落とす。


「現在、負傷者のうち、比較的軽傷の者で防衛部隊を編成しております。こちらはおそらく、百人は何とかなりそうです。」

「無傷の者も、五十は残すつもりだ。それで何とかしてくれ。」

「勿論です。また、先行の部隊から報告がありました。こちらは順調に進んでいるようです。」


 それを聞き、グランザが明るい声で言う。


「敵の配置が丸分かりなのは助かりましたな。こちらの設置した物見櫓や山小屋を利用しているだけなので、案外楽にいけそうです。」

「何を呑気なこと言ってんだ。自分たちの物見櫓や山小屋を、自分たちで攻略してるんだぞ? これまでの防衛体制が穴だらけだったってことじゃないか。」


 エウリアスが突っ込むと、グランザとルボフが微妙な表情で視線を泳がせる。

 これらの施設が、外からの侵入を警戒しているという前提ではあるが、内部からの攻略があまりにも易々と進んでしまうのも問題があるだろう。


 ルボフが、こほん……と咳払いをした。


「ま、まあまあ、坊ちゃん。兵の練度という問題もあります。連中が、それだけ腑抜けていたとも言えます。それに、限られた兵数では何事も万全とはいきますまい。今後の課題ということで、今日のところは……。」


 はぁ……とエウリアスは溜息をつく。

 確かに、今一番に考えることは、それではない。


「……作戦はすべて順調に進んでいるのだな?」

「はい。それは間違いありません。」


 ルボフの返答に、エウリアスは頷いた。


 現在、エウリアスが進めている計画は三つだ。


 レングラー駐屯地の防衛。

 戦力の増強。

 そして、ゲーアノルトの救出作戦。


 まず、レングラー駐屯地の防衛には、負傷兵を充てる。

 比較的軽傷な者に、敵の装備を身につけさせ、警備させる。

 これで、もしも敵兵の伝令などがやって来ても、ぱっと見には誤魔化せるだろう。

 そうして、基地内に誘導したら始末する。


 どうやら、敵兵はあまり念密な連携は取っていないらしい。

 何かあった時だけ、伝令を走らせる。

 その程度の緩い連携のため、早々には駐屯地が奪い返されたことは発覚しないと考えていた。


 また、あちこちに敵兵の死体が転がっているため、こちらも今日一日かけて片付けさせていた。

 屋敷、レングラーの町、そして駐屯地。

 死体をそのままにしておくと不衛生だし、気分も良くない。

 そのため、とりあえず何カ所かに集め、あとで燃やすなり埋めるなりする計画だ。


 この作業の一環で、敵兵の装備を奪っておいた。

 程度の良い物を、カモフラージュのために使わせてもらうためだ。


 次に、戦力の増強。

 これは、西隣のモンカーレ子爵領にいるはずの、エウリアスが手配した救援物資と護衛部隊だ。

 負傷者がそこそこいたので、駐屯地に備蓄している薬などで治療を行った。

 すぐに薬が尽きるというわけではないが、近くに救援物資があるのだから、早めに確保することにした。

 救援物資の警備のために残しておいた兵士たちと、早く合流したいという考えもある。


 最後に、ゲーアノルトの救出作戦だ。

 先遣隊の隊長から引き出した情報がどこまで本当かは分からないが、今のところは不合理な情報はない。

 発見した資料などと照らし合わせても、矛盾はなかった。


 これにより判明したこと。

 敵基地の見取り図。

 基地や周辺を含む、大まかな敵兵の配置。

 そして、ゲーアノルトが捕らわれていると思われる、牢屋の存在だ。


 先遣隊の隊長は、直接はゲーアノルトを見ていないらしい。

 だが、牢屋のある建物を建てさせたのは、この隊長だ。

 おそらく、そこにいるだろうという情報を得ることができた。


 コンコンコン。


 その時、会議室のドアがノックされた。


「入れ。」


 ルボフが入室を許可すると、護衛騎士がドアを開けた。

 ドアの向こうにいた顔を見て、エウリアスが笑顔になる。


「タイスト。」

「坊ちゃんっ! ご無事で!」


 タイストの後ろに、隊長格の騎士も数人続いた。


「よく来てくれたな。」

「こちらは何の問題もありませんでした。むしろ、坊ちゃんの方こそ……。」


 タイストが、心底ほっとしたような、それでも苦しさが残るような、複雑な表情になる。

 ほんの数日離れていただけだが、タイストたちの顔を見て、エウリアスもほっとするのを感じた。


「来て早々だが、早速命令することがある。」

「はっ! 何なりと!」


 タイストら数人の騎士が、びしっと姿勢を正す。

 領境から到着したばかりのタイストたちに、エウリアスは命じる。


「今すぐ寝ろ。」

「…………は?」


 わけが分からないといった感じで、タイストがぽかんとした顔になる。

 それを見て、グランザやルボフが苦笑した。


 だが、エウリアスは大真面目な顔になる。


「明朝、夜明け前に父上の救出作戦を開始する。お前たちも参加しろ。」


 それを聞き、タイストの表情が徐々に固いものに変わる。


「…………もう、そんなところまで進んでいるのですか……?」

「そうだ。いろいろ話したいところだが、今は時間が惜しい。身体を休め、明日に備えてくれ。俺も、もう休むところだ。」


 タイストが、グランザとルボフを見ると、二人も頷く。


「儂も、坊ちゃんとともに救出作戦に参加する。ルボフは留守番部隊の指揮で居残りだ。あとの準備は、ルボフが進めてくれる手筈になっている。儂らは、明日に備えて万全の状態を作ることが仕事だ。」

「明日は、かなりの強行軍になる。へばって動けなくなるような奴は、置いていくことも想定しているくらいだ。準備はこちらで進めるから、坊ちゃんの言う通りに今は休め。」


 グランザとルボフに説得され、タイストが戸惑いながらも頷く。


 現在の状況、これまで何があったのか。

 ここに来るまでの道中である程度は聞いたが、聞きたいことは山ほどあった。

 それら聞きたいことのすべて飲み込ませ、とにかく今は安めとエウリアスは命じた。


「それじゃ、ルボフ。後はよろしく。」

「はっ! お任せください。」


 エウリアスが立ち上がると、ルボフが敬礼する。

 そうして、エウリアスも疲れた身体を休めるため、本部内の仮眠室に向かうのだった。







■■■■■■







 ムルタカ領、臨時の補給基地。

 司令官室に呼び出されたユスティナが、ぽりぽりと頬を掻く。


 ユスティナの前には、やや苛立った作戦司令官のメディー。

 机を指先でコツコツと叩き、冷えた目を向けていた。


「まだ吐かんのか。」

「さすがにこれは、ラグリフォート家が終わりますので。口が裂けても……てやつですかね。」


 現在、ユスティナはラグリフォート家の資産を丸ごと奪う計画を実行中だった。


 により、ゲーアノルトが隠していた資産を手に入れた。

 その額、五億リケル。

 よくもこれだけの金を『木こり』ごときが貯め込んだと思うが、ラグリフォート家の持つ資産はこんなものではない。

 、これらはラグリフォート家を継ぐ、アロイスとかいうガキが受け継ぐことになっていた。

 だが、ユスティナの撒いた餌に喰いつき、メディーはこれを横取りすることを考えた。


『そのままくれてやるのは、惜しくないですか? これだけの資金力があれば、御大からの評価も……ねえ?』


 先に手に入れた二億と三億という隠し資産に、メディーの欲望は大いにくすぐられていた。

 とは言っても、メディーもこの金で遊び惚けようというわけではない。

 遊んで暮らす程度の金は、メディーの家にもあるのだ。

 これらは、あくまで戦費として使う考えだった。


 言うまでもなく、戦争には金がかかる。

 いざという時に、自由に動かせる金があるというのは、非常に大きな強みだ。

 そしてこれは、メディーのを高めてくれるだろう。

 そう考え、ラグリフォート家の資産を横取りすることにしたのだ。


 ユスティナが、やや冷えた目になる。


「これ以上は、さすがに命の保証はできませんよ? どうします?」

「ちっ……。」


 メディーが忌々し気に舌打ちをした。


 ユスティナが本気で拷問をすれば、口を割る前に死ぬ可能性が高くなる。

 そうなれば、ラグリフォート家の資産はアロイスが受け継ぐことになる。

 もっとも、それこそが当初の計画なのではあるが。


 メディーは、ユスティナという女のことを信用はしていないが、尋問の腕は信頼していた。

 時間さえかければ、いずれは口を割らせることもできるだろう。

 だが、あまり時間をかけられない事情もあった。

 何より、今メディーがやらせていることは、作戦から逸脱しているのだ。

 独断が過ぎれば、処分を受けるのはメディーの方だった。


 メディーは逡巡すると、ユスティナに命じる。


「これ以上は待てん。明日中に吐かせろ。」

「よろしいので?」

「よろしいも何もない。いつまでも引っ張るわけにはいかんのだ。死んでも構わん。徹底的に責め、資産を動かすための条件を吐かせろ。」


 契約にもよるが、多くの銀行では巨額の預金を動かす時、条件を定めている。

 代理人であることを証明する物だったり、パスコードだったり。

 パスコードの場合、コードにより動かせる金額に上限が定められているのだ。

 他にも様々な方法で、契約者の意図しない資金の移動を防ぐ手段が採られている。


 ユスティナは、メディーの目をじっと見つめた。

 それは、本気の目だった。

 すでに、決めた者の目。


(…………これは、何を言っても無駄か。)


 そう悟り、ユスティナは敬礼した。


「了解しました。……死んだら、報告は?」

「死んだか、吐いたか。そのどちらかだけ報告しろ。」


 ユスティナは敬礼を解くと、ドアに向かった。

 司令官室を出て、護衛騎士から預けていたソードを受け取る。


(引っ張れても、明日一日いっぱい……。)


 ユスティナ一人であれば、百や二百の兵士を倒すことは可能だ。

 しかし、誰かを護りながらの戦いというのは、そう簡単ではない。


(私も覚悟を決める時が来たかな……。親父殿も、とんだ任務もんを寄越したものだ。)


 こんな任務を命じられなければ、知らないで済んだ。

 知らないうちに済んでしまったことなら、後から悔やむことはあっても、こんなに苦労することはなかっただろう。

 しかし、知ってしまったからには、やらなくてはならない。


(思ったよりも、時間を稼げなかったか。)


 二つの見せ金で、時間稼ぎに引きずり込むことには成功したが、この辺りが限界だった。


(……………………明日、か。)


 建物を出て、ユスティナは夜空を見上げる。

 満天の夜空に、明るく輝く月を見つけた。


「くそ……ついてねえ。」


 夜空に輝く月を、まるで仇のように睨む。


「恨むぜ、親父殿……。」


 そう独りごちて、牢屋に向かって歩き出すユスティナだった。




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