第183話 宰相、動く
まだ夜も明けきらぬような早朝。
ヨウシアは、リフエンタール王国宰相イグナッシオ・フォン・ケルンフェルの執務室にやって来た。
貴重な睡眠を邪魔され、イグナッシオの機嫌は控えめに言っても最悪だった。
「お休みのところ申し訳ありません、宰相。緊急でお耳に入れたいことがございまして。」
「当然だ。これで下らんことだったら、明日からキミの仕事場は
イグナッシオは雑に髪を整えながら、ソファーに腰を下ろした。
ヨウシアはソファーに近づきながら「その時は是非軍務省で」と心の中で呟いた。
「それで? 何があった。」
ソファーの横に立つヨウシアに、イグナッシオが尋ねた。
「ラグリフォート領で変事のようです。」
「……変事?」
その不穏な単語に、イグナッシオの目が細くなる。
しかし、元々不機嫌で顔をしかめていたため、その表情にあまり変化は無い。
実際は不機嫌というより、単に寝不足でつらいだけではあるのだが。
そうして、ヨウシアはエウリアスからの手紙の内容を説明した。
また、これまでに分かっていることなども付け加えながら。
ラグリフォート領で領境を封鎖している兵士は、ラグリフォート領の警備隊や領主軍ではない。
またラグリフォート領は、王城の派遣した疫病の調査を命じられた官吏の受け入れを拒否した。
この二点だけでも、ラグリフォート領内で「知られたくない何か」が進行しているのではないかと、勘繰ることができる。
そして、領地を封鎖しているのはラグリフォート領だけではない。
実に五つもの領地で、同時期に領境を封鎖しているのだ。
この五つの領地は隣接し合い、国が状況を把握できない巨大な空白地ができていた。
ヨウシアは、これらを系統立てて説明した。
憶測は交えず。
結論を急がず。
時折、自分の考えも伝えるが、それは事実とは切り分けた。
ヨウシアの話を、イグナッシオは黙って聞いていた。
そうしてヨウシアの話が終わると、テ-ブルベルに手を伸ばす。
リリーン……と澄んだ音が響くと、隣のイグナッシオの私室から
「お茶をくれ。スコーンもだ。」
「かしこまりました。」
イグナッシオが命じると、メイドがテキパキとお茶の準備を始める。
ヨウシアは、その様子を黙って見ていた。
イグナッシオはソファーに寄りかかると、天井に見上げる。
だが、目は閉じられており、じっと考え込んでいるようだ。
執務室に、お茶の香りが漂い始めた。
「エウリアスというのは……。」
「え?」
不意にイグナッシオが呟く。
「先日、廃嫡されていたな?」
「は、はい。ですが……!」
ヨウシアが言葉を続けようとするのを、イグナッシオが手で制す。
そうして、再び考えに没頭し始める。
「お待たせいたしました。」
メイドが声をかけると、イグナッシオがパチッと目を開いた。
寄りかかっていた身体を起こすと、スコーンに手を伸ばす。
ジャムをたっぷり塗ったスコーンを齧り、お茶を飲む。
味わっているというよりは、それはただの補給作業のようだった。
淡々と腹を収めていき、ふぅ……と息をつく。
「キミはどう思う?」
イグナッシオから尋ねられ、ヨウシアは一度唇を引き締めた。
姿勢を正し、ヨウシアは自分の考えを口にする。
「方法については分かりませんが、すでにラグリフォート領は陥落していると考えられます。」
「他の領地は? ムルタカ子爵領やヤノルス男爵領なども同様か?」
「はい。」
ヨウシアは、何者かの勢力によって、すでに五つの領地が支配された可能性が高いと考えた。
イグナッシオはその意見を聞き、頷く。
「
ヨウシアは、イグナッシオの言い回しが気になり、訝し気な表情になってしまった。
「可能性、ですか?」
「そうだ。あまりに情報が少なすぎて、何一つ断定などできない。今なら、どんな荒唐無稽な意見でも否定する材料はない。」
イグナッシオのその言葉に、ヨウシアは内心少しムッとした。
まるで、自分の意見を荒唐無稽なものと言われている気がしたからだ。
イグナッシオはお茶を飲み干すと、カップをテーブルに置いた。
そうして、表情を崩した。
「もっと腹のうちを隠しなさい。面白くない時こそ、それを見せてはならない。」
そう注意され、ヨウシアは表情を引き締めた。
「こうとも考えられる。ラグリフォート伯爵は王国からの独立を画策し、領境を封鎖した。」
「……………………え?」
ヨウシアには、一瞬イグナッシオが何を言っているのか理解できなかった。
「疫病を隠れ蓑にするのは、悪くない方法だな。おかげで、
「ちょ、ちょっと待ってください!? 独立!? ラグリフォート領がっ!?」
「可能性はあるだろう? 東部の領主たちと手を組み、秘密裏に準備を進めた。今頃は、武力蜂起の準備でも進めているのではないか?」
「あり得ません!」
「根拠は?」
イグナッシオに根拠を求められ、ヨウシアは詰まってしまう。
ヨウシアから見たラグリフォート伯爵は、反乱を企てるような人物ではない。
しかし、それはあくまでヨウシアの受けた印象というだけの話だ。
何か、根拠となるもの――――特に物証などがあるわけではない。
ヨウシアが苦し気にしていると、イグナッシオがにやりとした。
「これも、可能性だ。」
ヨウシアは、イグナッシオのその顔を見て、自分でもそんなことを信じているわけではないと悟った。
「……宰相は、どのようにお考えなのですか?」
ヨウシアが尋ねると、イグナッシオは足を組みかえた。
背もたれに寄りかかり、膝の上で手を組む。
「言っただろう? 情報が少なすぎる。今の時点では、ただの憶測しか出せん。」
「ですが、たとえ憶測であろと、動かざるを得ないと考えます。」
ヨウシアのその言葉に、イグナッシオが少しだけ真面目な顔になり、頷いた。
「その通りだ。物事がはっきりする時、得てしてすでに決着がついていることも多い。我々王城にいる者は、常に情報を求め、その情報の中から取捨選択を行い、決めねばならない。たとえ憶測であろうとだ。」
事実は事実。
憶測は憶測。
それでも、確証を得てから動くのでは遅すぎる。
被害を最小にし、効果を最大限に引き出し、相手に先んじるためには、憶測の段階で動かざるを得ない。
すべてにおいてそんな軽挙妄動を繰り返せば、それこそ国が揺らぐ。
しかし、それでも覚悟を以て動かねばならない時がある。
「五つの領地、すべてが一枚岩とは限らん。三つ四つの領地が結託し、ラグリフォート領を支配したとも考えられる。」
「ですが、そんなことをしても無駄ではないでしょうか? そのような手段で奪った領地を、陛下が認めるわけがありません。」
「当たり前だ。だから、独立の可能性があるのだ。それならば、陛下の信認を必要としないだろう?」
リフエンタール王国からの、独立。
建国から二百年ほどの間は、内乱も起きていた。
しかし、独立を目指した戦いというのは、あまり記憶になかった。
内乱の理由は、領地同士のいざこざが主因だと伝わっているからだ。
ヨウシアは、イグナッシオの意見に疑問をぶつけてみる。
「いくら独立したところで、まともに国体を維持できるとは思えません。王国軍が派兵されれば、
「それは独立を断念する理由にはならんな。後のことなどどうにでもなると、楽観して蜂起することもある。建国直後は、そうした内乱が頻発していたぞ?」
「そう……なのですか?」
「ああ、キミは知らないのか。かつての帝国が分裂し、リフエンタール王国が興った。大英雄ノウマンによって各地域を併合していったが、一度組み込まれた地域が、以後は大人しく従ったとでも?」
事も無げに言うイグナッシオを、ヨウシアは目を丸くして見る。
「独立を目指した内乱というのが、起きていたのですか?」
「当然だ。……もっとも、そうした動きも百年もしないで減っていったようだがな。これまでも、怪しい動きのある場所には先んじて王国軍を派遣して押さえつけてきた。」
建国から二百年ほどは、戦争や内乱が頻発していたというのは聞いていたが、その理由に『王国からの独立』があるとは知らなかった。
もしかしたら、これは意図的に隠された王国史なのかもしれない。
「もし、これが領主による反乱なのだとしたら……。ラグリフォート伯爵は……果たして被害者か? 爵位や資金力を鑑みれば、独立の旗印に就いている可能性もあるな。」
イグナッシオは、ラグリフォート伯爵の立ち位置さえも、断定しなかった。
この考えは、エウリアスだけでなく、ヨウシアにもなかった。
まさか、ラグリフォート伯爵が敵側などと。
「その、手紙を出してきたというエウリアスか? 憶えがある。昨年来、話題に事欠かない少年だったな。」
イグナッシオの視線が、再び鋭くなった。
エウリアスは様々な事件に巻き込まれ、時に自分でも騒ぎを起こしていた。
そして、極めつけが先日の廃嫡だ。
「…………宰相は、エウリアス君まで疑っているのですか?」
いくら可能性を洗い出すといっても、これにはヨウシアは我慢ができそうになかった。
領地の変事を知らせ、助けを求めてきたエウリアスまで疑うなど、この老人はボケ始めているのではないだろうか?
ヨウシアが睨むように宰相を見ると、宰相の口の端が上がった。
「そう怒るな。これは我々の落ち度だ。きちんと手は打つ。」
イグナッシオがそう言うと、ヨウシアは頷いた。
五つの領地を巻き込んでの変事だ。
何者による仕業かは置いておいても、領主がまったく関わっていないということはないだろう。
全員が結託しているのか、一部の領主かは分からないが、絶対に加担している領主はいる。
確証などないが、これはほぼ間違いない。
そうなると、それを見逃したのは王城側の怠慢であり、宰相の怠慢とも言える。
そうした予兆を掴み、王国軍を用い、先手を打って押さえつけるのが宰相としての務めだからだ。
リフエンタール王国、三百年の安寧。
それは、漫然として訪れたのではない。
王に集権し、その権力を振るい、作り上げたものなのだ。
表面化する前に芽を摘み取るという方法で、王国は平和を維持していた。
そんな三百年の安寧に終止符を打ってしまったイグナッシオは、反乱の予兆を見逃した「無能な宰相」として後世に名を残すことになるだろう。
それでも、今は後世の評判を気にしている場合ではない。
「これまでの、数々の襲撃事件。その中心には、常にあの少年がいたな……。」
嫡男にすぎない者を襲撃し、そこにどんな意図があったのかは分からないが。
東部で変事が起きたことで、今さらながらに浮上する、可能性。
あの襲撃こそが、予兆であったと。
とはいえ、事が起こる前であろうと、起こった後であろうと、やることに大して変わりはない。
「ラグリフォート領に、王国軍を派遣する。」
イグナッシオが断言すると、ヨウシアは大きく息を吐き出した。
王国軍は総勢で十万にもなるが、王国中に置かれている。
ごく大雑把に言えば、東西南北に二万ずつ。
そして、中央に二万だ。
東部での変事なので、おそらく東部に駐留している王国軍から出すことになるだろう。
ヨウシアは元々軍務省に勤めていたので、その辺りのことは詳しい。
「どの程度を出されますか?」
ヨウシアの確認に、イグナッシオは腕を組んで考える。
「そうだな……東部の駐留部隊から一万も出せばいいだろう。」
イグナッシオの案に、正直ヨウシアは落胆してしまった。
明らかに足りないからだ。
仮に、ラグリフォート領以外の四つの領主が結託していた場合、四つの領主軍と警備隊を相手にすることになる。
子爵領が二つに、男爵領が二つ。
概算ではあるが、これらの総数は一万弱くらいだろう。
これでは、数の上ではほぼ拮抗していることになる。
そして、地の利は相手にあるのだ。
「宰相、お言葉ですがその数では――――。」
「分かっている。あくまで
「王国軍は……?」
イグナッシオのその言い方で、ヨウシアはすぐに見当がついた。
「サザーヘイズ家にも出させるのですね?」
「当然だ。東部のことは、東部の領袖に任せる。それにマクシミリアン殿なら、自分で解決したいだろうからな。」
東部での揉め事は、サザーヘイズ家が間に入り、仲裁することが多い。
サザーヘイズ家からすれば、自らのお膝元でこんな問題が起きれば、面子のこともある。
最低でも、一万は出してくるだろう。
「北からサザーヘイズ領主軍が南下し、ムルタカ、カッキーノスを押さえる。王国軍は西からラグリフォート領に入る。これで残りはヤノルス、チェレンシーノの二つだ。」
元々、男爵や子爵の領主軍など数は少ない。
集まればそこそこの数になるが、北と西から攻めれば、集まることもできないだろう。
「陛下からサザーヘイズ家に要請してもらう。主役はサザーヘイズの軍に譲り、我々は脇役を務めるとしよう。」
それは即ち、大きな犠牲をサザーヘイズ領主軍に押し付け、王国軍の犠牲を減らす方策でもある。
王国軍はラグリフォート領に置くだけで、残りの四つはサザーヘイズ領主軍に任せればいい。
イグナッシオは立ち上がると、ガウンを脱いだ。
着替えるために、私室のドアに向かう。
「費用の捻出と、食料の確保と輸送。やることはいっぱいあるぞ。ヨウシア、まずはホーズワース公爵に言って、国庫から当面の戦費の――――。」
「そちらは、すでに父が動いております。ミーラワード公爵にも声をかけ、食料関連もすぐに動いてもらうそうです。」
「そうか。キミの家に手紙が届いていたのだったな。では、軍務省にも緊急召集をかけ、対応に当たらせなさい。」
「はい、ただちにっ。」
ヨウシアは返事をしながら、すぐに動き始めた。
執務室を出ると、急いで軍務省に向かう。
(……応援は、必ず行く。それまで無茶はしないでくれよ、エウリアス君。)
王城の廊下を走りながら、エウリアスの無事を祈るヨウシアだった。
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