第181話 潜入、ラグリフォート領2




 ラグリフォート家の屋敷。

 アロイスがポーツスを従え、屋敷を見て回っていた。


 この広い屋敷の中で、アロイスは行ったことのある場所は少ない。

 特に二階には、ほとんど上がったことがなかった。


 二階にはゲーアノルトの私室や、エウリアスの私室がある。

 アロイスにとって、二階は近づきたくもない場所だったのだ。


 しかし、今は違う。

 この屋敷のすべてがアロイスの物だった。


 邪魔なエウリアスを廃嫡し、正式にアロイスが嫡男となった。

 おかげだ。


 騎士学院を修了する、という条件も撤廃されているため、ゲーアノルトが死ねばアロイスが伯爵となる。

 そして、それはもう、目の前にまで来ているのだ。

 もう、手の届く所まで。


 アロイスは、ある部屋の前で立ち止まった。

 ポーツスは黙って、その部屋のドアを開けた。


 そこは、エウリアスの私室だった。

 ベッドや机、テーブルはあるが、部屋そのものは然して広くはない。

 嫡男とは言っても、こんなものである。

 アロイスは「フン」と鼻を鳴らし、顔を背けた。


「この部屋にある物は、すべて捨てろ。」

「よろしいのですか?」

「ここにエウリアスあいつの居場所はない。本当なら……今すぐ火を放ってやりたいくらいなんだっ……!」


 憎々し気に顔を歪めるアロイスを、ポーツスは感情の籠らない目で見る。

 そうして、恭しく頭を下げた。


「かしこまりました。ただ、私一人ではさすがに……。」

「馬鹿かお前は。そんなことは分かってる。部屋でサボってるだけの使用人たちが、いくらでもいるだろう。」


 自分たちで閉じ込めているのだが、アロイスはそれをサボっていると評した。

 しかし、それを聞いてポーツスは笑顔になる。


「それでしたら、早急に手配いたします。」


 その返事を聞き、アロイスはもはやエウリアスの部屋に興味を失った。

 次に、ゲーアノルトの部屋に向かう。


 ゲーアノルトの私室も、エウリアスの部屋と然程変わりがない。

 多少広くなってはいるが、それだけだった。


「フン……貧乏臭い部屋だ。これが、伯爵家当主の部屋か?」


 呆れたように、アロイスは肩を竦める。


「この部屋の物も、全部捨てろ。」

「かしこまりました。」


 ポーツスは、すぐに一礼した。


「もっとマシな家具を職人どもに造らせろ。そうだな……金の細工とかもふんだんに使った、豪華なやつがいいぞ。」

「アロイス様に相応しい物を、と。よく申し伝えておきます。」


 ポーツスの返答に満足し、アロイスが大仰に頷いた。


「すぐに、すべてが僕の物になるんだ。あの男が溜め込んだ金も僕が使ってやる。貧乏ったらしいは、金を稼ぐことはできても、使うことは知らなかったようだからな!」

「お金の価値とは、使ってこそですからな。」

「そう! さすが分かってるじゃないか!」

「はい。」


 そう、ポーツスはにこやかに微笑む。


「旦那様…………失礼、旦那様は今はどうされているのですか? ムルタカ子爵領に向かわれていたようですが。」

「さあな。まあ、片付いたら連絡が来ることになってる。そうしたら、僕が正式に伯爵になるんだ。」

「おめでとうございます、アロイス様。いえ……。」


 ポーツスが「伯爵」と呼ぶと、アロイスが嫌らしい笑みを浮かべた。


「ぷくくっ…………それはまだ、ちょっと気が早いかもな!」


 そう言いつつ、アロイスは満更でもなさそうだった。

 ポーツスは、そこで一つ思い出したように手を打つ。


「そうでございました、アロイス様。用意していた焼き菓子が少なくなっておりまして。作ってもよろしいでしょうか?」

「勿論だ。どんどん作らせろ。絶対に切らせるなよ?」

「かしこまりました。」

「この間のアップルパイは、なかなかだったな。また作らせろ。」

「はい。それでは、今日もこれから作らせましょう。」


 何でも受け入れるポーツスの返答に、アロイスは心から満足した。

 しかし、そこでポーツスが表情を曇らせる。


「ただ……少々材料が心許なくなってまいりました。不足した食料は、どのように手配すればよろしいでしょうか?」

「そんなの、連中に言えばいいじゃないか。」

「よろしいのですか?」

「当たり前だ! こっちは協力してやってるんだぞ? 必要なだけ言え。」

「さすがアロイス様。頼りになります。」

「ぷくくっ……そうだろう、そうだろう!」


 アロイスは上機嫌で、廊下に出た。

 そんなアロイスに、ポーツスは黙って付き従った。







 アロイスがノーラの部屋に戻ると、ポーツスは厨房に向かった。


 厨房では、料理人や厨房女中キッチンメイドが食器を洗っているところだった。

 彼らも満足な食事が与えられていないため、目に力がない。

 ただただ、決められた動作をしているだけだ。


「お前たち、急いで片付けを終わらせなさい。アロイス様がお菓子をご所望です。」


 ポーツスのその言葉に、料理人がムッとした顔になった。

 使用人たちには、非常に質素な食事だけが与えられていた。

 しかも、量も十分ではない。


 現在、ノーラやアロイスたちウェイド侯爵家の者は、自分たちで料理を作っている。

 ラグリフォート家の使用人は、そのウェイド家の使用人たちが料理を作り終わった後に、急いで作らなくてはならなかった。

 材料もあまり許されず、味の薄いスープに、芋を焼いて添えるだけの料理を、何とか間に合わせているという状態だった。


 料理人がポーツスを睨みつけると、ポーツスが料理人の前に来る。


「アロイス様のご命令です。お菓子を沢山作れ、と。」

「けっ…… 何が菓子だっ……!」

「命令ですよ。菓子なら、いくら作ってもいいのです。」

「だからなぁ……! こっちは菓子どころかまともな食い物さえ――――!」

「材料が足りなくなれば、連中に言って手配させることができます。。」


 ポーツスがそう言うと、料理人がそっぽを向いて顔をしかめる。

 だが、徐々に目を見開いていった。

 食器を洗う手が止まり、メイドと顔を見合わせる。


「絶対にお菓子を切らせるな、と命じられました。どんどん作ってください。あ、そうそう、先日のアップルパイは大変好評でした。まずはそれから作ってください。」

「あ、ああ……。」


 ポーツスの指示に、料理人が小刻みに何度も頷く。


 大量に作るお菓子。

 お菓子ならば、材料が足りなければ補充できる。


 そうして大量に作ったお菓子なら、多少在庫が減っても誰も気にしないだろう。

 そもそも、その在庫を管理するのはポーツスなのだから。


「それでは、頼みましたよ。」

「わ、わかった。」


 ポーツスの意図を正しく汲み取り、料理人とキッチンメイドの顔に、やや赤みが差す。

 ポーツスは厨房を出ると、そっと息をつく。


「家具の処分ですか……。さて、どうしますかね。」


 使用人たちの手を借りる許可も下りた。

 廊下を戻りながら、この権限をどう使うべきか、頭を悩ませるポーツスだった。







■■■■■■







 エウリアスがラグリフォート領に潜入して、三日が経過した。

 現在エウリアスたちは、レングラーの町から山を一つ挟んだ、沢に身を潜めていた。


「ここと……ここの物見櫓にも連中がいました。確認できたのは、それぞれ十人くらいです。」

「こっちの村にも十人くらいいましたね。この町には二十ってとこです。」

「レングラーの駐屯地には、五百はいますな。駐屯地横の演習場に、何か建物を建てています。この作業に従事しているのは、おそらく領主軍うちの兵士でしょう。」

「街道のこの辺りを、三十人くらいの集団が移動していました。」


 各ルートで潜入した小隊と合流し、それぞれが見てきた内容を報告する。


 エウリアスたちは、今のところは遠目での偵察に留めていた。

 潜入が発覚しないように、山に身を潜ませたままで現状を確認した。

 地面にざっと地図を描き、石を置いて敵の配置と人数を書き出す。


 エウリアスは地面の地図を眺め、考える。

 残念ながら、報告を聞けば聞くほど最悪の予想が固まっていく。


 グランザも腕を組み、唸る。


「……こいつは、完全に掌握されてますな。駐屯地に数百を置き、町にも配置。おそらく他の駐屯地や町も同様でしょう。……敵の総数は、少なくても千五百~二千。どこかに大部隊でも置いていれば、四~五千しごせんがいてもおかしくない。」


 グランザの予想に、エウリアスは目を閉じる。

 概ね、エウリアスも同じ予想だったからだ。


 敵は、胸当てとソードという統一された軽装備の兵士。

 一部、革鎧を装備している者もいるが、これは就いている階級や立場の違いだろう。

 こうした装備の分け方は、リフエンタール王国の様々な軍が採用している一般的な方法だ。

 しかし、どこの勢力かは今も判明していなかった。


「この村には、人っ子一人見えませんでした。おそらく、外出を禁じられているのだと思います。」


 各家の煙突から煙が上がったりしているので、おそらく人は住んでいる。

 しかし、外を出歩いているのは、巡回をしている敵の兵士だけだったらしい。


「ここの町で、配給が行われているのを見ました。住人は配給を受け取ると、各家に戻っていましたね。」


 エウリアスとは別のルートで調査していた小隊が、配給が行われているのを確認したという。

 他にも住人たちを集めて、点呼のようなことが行われているのも確認されていた。


 エウリアスは黙って立ち上がると、その場を離れる。

 歩きながら、頭上を覆う枝葉の隙間から、空を覗く。

 木漏れ日がきらきらと輝き、天頂に近い太陽の眩しさに目を細めた。


「坊ちゃん……。」


 エウリアスの後ろをついてきたグランザが声をかける。

 エウリアスは黙って、空を見上げ続けた。


 状況は厳しい。

 エウリアスも自分の目で、ラグリフォート家の屋敷を見てきた。

 百ほどの兵士が、屋敷を固めていた。

 そして、本来屋敷を警護しているはずの騎士たちの姿はなかった。


(一体、どんなことがあれば、こんなことになるんだっ……!)


 エウリアスは、悔しさに唇を噛んだ。

 目をぎゅっと閉じ、拳を震わせる。


 ラグリフォート領は、完全に陥落していた。

 予想はしていたが、目の当たりにしたショックは大きい。

 ほんの数カ月前まで、エウリアス自身もここにいたというのに!


 グランザが、打ちひしがれるエウリアスに、追い打ちをかける。


「…………ゲーアノルト様の安否は……残念ながら……。」

「ッ……!」


 現状、ゲーアノルトがどこにいるのか、無事でいるのかも不明だった。


 エウリアスが振り返ると、全員の視線がエウリアスに集まっていた。

 その目は悲痛であり、表情は苦し気であった。

 だが、絶望はしていない。

 全員がこの苦難にあって、まだ心が折れていなかった。


 ここにいる兵士たちが諦める時。

 それは、エウリアスが諦めた時に他ならない。


 エウリアスは唇を引き結び、心を奮い立たせる。

 手勢は、三十人の兵士。

 敵は、少なくとも千五百。多ければ四千~五千かもしれない。

 この絶望的な状況にあって、それでも立ち向かわなくてはならない。


 エウリアスは、再び元の場所に戻った。

 右手でこめかみを押さえるようにし、地面に描いた地図を眺める。


 レングラーの町、町の近くの駐屯地、丘の上の屋敷。

 これらを繋ぐ、街道や道。

 敵の配置を示す石。

 物見櫓、山小屋、町、村。

 彼我の戦力、迫るタイムリミット。


「フ……フフッ……。」


 作戦を考えながら、エウリアスは思わず笑ってしまった。

 自分のやっていることが、ただの悪足掻き。

 無駄な足掻きのような気がしてしまったからだ。


「坊ちゃん、大丈夫ですか……?」


 グランザが、エウリアスの様子が心配になり、声をかける。

 エウリアスは、微笑んだまま軽く頷いた。


(…………これが、笑わずにいられるか。)


 エウリアスが思い描く作戦。

 それは、あらゆることが最大限に上手くいって、初めて成功するものだった。

 というか、もはやそうでもないと、どうにもならない。


 理想的な状況に近づける。

 そのための手を打つ。

 それらを積み上げ、状況を打破する。


 勿論、思ったようにいかない部分もあるだろう。

 そういった部分に関しては、都度修正をしていくしかない。

 つまり、行き当たりばったりだ。


 そうして、か細い糸を手繰り寄せ、僅かに残された可能性を掴み取る。

 これだけ傾いてしまった形勢を引っ繰り返すには、それくらいしか手がない。


「……屋敷を強襲……レングラーの駐屯地を奪還……合流……。いや、街道を押さえて伝令を止めて……。……騎士たちはどこだ……? 離れか……駐屯地か?」


 エウリアスは地面の地図を見つめ、ぶつぶつと呟く。

 ゲーアノルトが屋敷に軟禁されていると仮定し、奪還までの道筋を立てる。


(ラグリフォート領を奪い返すのは、後からどうとでもなる。まず、父上の安全を確保しないと。)


 ゲーアノルトさえ無事ならば、やりようはある。

 とにかく、ゲーアノルトの救い出さないと話にならない。


 エウリアスは顔を上げると、兵士たちを見る。

 全員が固唾を飲み、エウリアスからの命令を待っていた。


「…………大筋の作戦は決ったが、もう少し情報が欲しい。今夜、また偵察に行ってくれ。」


 そうしてエウリアスは棒を手にすると、地面の地図を使って作戦の概要を説明するのだった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る