第180話 潜入、ラグリフォート領1




 ラグリフォート領、ラグリフォート家の屋敷。


 屋敷の中は静まり返っていた。

 ほとんどの使用人をのいくつかの部屋に押し込め、毎日数名の使用人だけで、最低限の仕事をこなしていた。


 ある日突然現れた、どこかの兵士たち。

 その兵士たちは「ラグリフォート伯爵はすでに我々の手の中にある」と宣言してきた。


 当然ながら、そんな言葉を鵜呑みにする者はいない。

 しかし、ゲーアノルトとともにムルタカ子爵領に向かった騎士の一人が、その兵士たちに捕らえられていた。

 打ちひしがれたその騎士の姿に、兵士たちの言葉が真実であることが分かった。


 その兵士たちは同時に、領内にあるいくつかの駐屯地にも向かっていた。

 ゲーアノルトとともに捕えられた騎士を同行させ、現在のゲーアノルトがどういった状況にあるかを、ラグリフォート家の騎士から説明させたのだ。


『抵抗したければ好きにすればいい。ラグリフォート伯爵がどうなろうと構わんのならな。』


 そう、薄ら笑いを浮かべる兵士たち。


『こいつらの証言だけでは信じられんか? なら、腕の一本も持って来させるか? はっ、首から上を持ってくれば、いくら愚図な貴様らでもさすがに信じるか!』


 そうして、ラグリフォート領主軍の騎士や兵士は、突然現れた兵士たちに従わざるを得なくなった。

 ゲーアノルトを人質に取られてしまっては、無抵抗になるしかない。


 兵士たちは、ラグリフォート家の騎士を連れて、すべての町や村、警備隊の詰所、領主軍の駐屯地を回った。

 騎士たちの口から、要求を伝えさせたのだ。


 領民たちの外出の禁止。

 領主軍及び警備隊の武装解除。

 毎日決まった時間に点呼を行い、一人でも行方を晦ませた者がいれば、ラグリフォート伯爵を処刑する。


 他にも様々な要求があったが、すべての者が、すべての要求を飲んだ。

 みなが、ただゲーアノルトの無事を願い、この屈辱にひたすらに耐えていた。







 静まり返った廊下を、老執事のポーツスが歩いていた。

 屋敷の東の一画には、ウェイド家の護衛騎士が警備に立つ部屋がある。

 突然現れた兵士たちに、ラグリフォート領は完全に支配下に置かれたが、この一画だけは例外的に帯剣を許された騎士がいる。


「奥様がお呼びとのことで参りました。」


 ポーツスが用件を伝えると、護衛騎士が部屋のドアを開いた。

 部屋に入ると、ここだけは以前と変わらない空気。

 元々、この一画だけはラグリフォート領ではなかった。

 それは、ラグリフォート領が何者かに支配されても変わらないらしい。


 正面のテーブルの向こうに、ゲーアノルトの妻ノーラ。

 その横にラグリフォート家の次男で、現在は嫡男となったアロイスが座っていた。


 ポーツスは立ち止まると、恭しく頭を下げる。


「お呼びでしょうか、奥様。」


 だが、ノーラはポーツスを一瞥すると、一人の男に視線を向けた。

 突然現れた兵士たちの、隊長を務める男だ。

 男がポーツスに尋ねる。


「伯爵の使用していた馬車は何台ある?」


 ポーツスは質問の意味がよく分からず、僅かに眉を寄せる。


「普段お使いの馬車は、一台ですが……。」

「普段使わない馬車というのもあるのか?」

「はい。国外に行かれる時などで、あえて身分を分からなくさせた馬車もございます。」

「その馬車は、どこに?」

「普段は使いませんので、屋敷の裏の車庫に仕舞っております。」


 ポーツスがそう言うと、隊長にも見当がついたのか、「あれか……」と呟いた。


「他は?」

「他、でございますか? 他は特には……。」

「本当か?」


 隊長の目が、スッと細められる。

 なぜ、そこまで馬車にこだわるのか、ポーツスには分からなかった。


「私が聞いております、旦那様の馬車はそれくらいでございます。ラグリフォート家で所有する荷馬車などは他にもございますが、私や従僕なども使う物です。旦那様の使用していた馬車、というのとは少々意味が違ってくるかと……。」


 ポーツスがそう言うと、隊長が少し考える。


「分かった、下がれ。」


 隊長に下がるように命じられ、ポーツスはノーラに視線を向けた。

 しかし、ノーラはこの話に興味がないのか、涼しい顔でお茶を飲んでいた。


 ポーツスが頭を下げて一歩引くと、声をかけられる。


「おい、ポーツス。お前は僕に臣従を誓うか?」

「アロイス様、その件はまだ。」


 アロイスの急な発言に、隊長がやや慌てたように諫めた。

 だが、当のアロイスはそんなことを構わずに、重ねて尋ねる。


「どうだ、誓うか?」


 ポーツスがノーラに視線を向けると、ノーラは特に何も言わずに指輪を眺めていた。

 ポーツスは恭しく頭を下げる。


「私はラグリフォート家の執事でございます。ラグリフォート家の皆様には、忠誠を誓って――――。」

「そう言うことじゃない! 鈍い奴だな!」


 そう言って、アロイスは席を立った。

 ポーツスの前にまで行くと、胸を張る。


と聞いているんだ。」


 ポーツスは、真っ直ぐにアロイスを見た。

 そうして、にこりと表情を和らげる。

 洗練された所作で、跪く。


「勿論でございます。アロイス様。」


 ポーツスの返答に満足し、アロイスが頷いた。


「お前は、この家の使用人の中では、多少は使えるからな。心掛け次第では悪いようにはしない。」

「過分な評価、まことに痛み入ります。このポーツス、アロイス様のために精一杯務めさせていただきます。」

「ああ、しっかり励めよ。じゃあ早速だが、すぐにお菓子を持ってきてくれ。」

「かしこまりました、アロイス様。」


 ポーツスは立ち上がると、アロイスに向けて一礼をする。

 そうして、部屋を辞した。


「……………………。」


 何も言わず、ポーツスは廊下を戻っていく。

 通りかかったエントランスを見て、床に落ちた土や埃が目についた。

 屋敷の管理も、今は最低限のことしか許可が下りなかった。


 この屋敷に常駐する、どこからかやってきた兵士たちの洗濯は、毎日やらされている。

 だが、使用人たちの衣類については、最低限しか許可されなかった。

 食事もごく簡単に作れる、質素な物だけが許される。


 ノーラやアロイスは、自分たちの使用人を使い、これまでと同様の生活を送っているようだが。


「……………………。」


 ポーツスは何も言わない。


 先程の、アロイスの言葉。

 突然現れた兵士たち。

 その隊長が、ノーラとアロイスには、従う姿勢を示している。

 あの兵士たちは、ゲーアノルトを捕えた敵なのに、だ。


 ポーツスは、黙って備蓄庫に入る。

 棚を確認し、上の方に仕舞われた箱を手に取った。


「確か、クッキーが残っていたはずですが……夜にも何か言われそうですね。今のうちにアップルパイでも焼かせましょうか。」


 アロイスからの評価を高めるため、ポーツスは先回りして料理人に作らせることにした。

 







■■■■■■







 ラグリフォート領、山中。

 エウリアスは三十人の兵士を連れ、ラグリフォート領に潜入していた。


 街道脇のキャンプから、二時間ほど北上。

 街道も何もない、野原や林をひたすら進み、東に進路を変える。

 ここから数キロメートル東に行けば、ラグリフォート領に入ることが可能だ。

 ただし、険しい山を進むことになる、道なきルートである。







 ラグリフォート領で何が起きているのか分からないが、何者かによって占領されているとエウリアスは仮定した。

 この場合、流布されている疫病の噂は、事実から目を逸らすための、偽の情報である可能性が出てくる。


 言うまでないが、この事態は非常にまずかった。

 ゲーアノルトの安否もそうだが、という事実は、ラグリフォート家始まって以来の最大の汚点と言える。

 仮に取り戻したとしても「これで良し」「万事解決」とはならない。

 領地を守ることができなかった、という事実があるからだ。


 普通、そんな汚点は隠したいだろう。

 エウリアスだって隠したい。

 しかし、エウリアスはこの事実を、速やかに王城に知らせることにした。


 エウリアスはキャンプを出る前に、王城に『非常事態』を知らせる手紙を書き、兵士を送り出していた。

 なぜ、エウリアスはこの都合の悪い事実を王城に知らせるのか。

 それは、領境を封鎖している領地が他に四つもあるからだ。


 これがラグリフォート領のことだけならば、エウリアスの悪い心が「バレないように処理しちゃえよ」と囁き、それに乗ってしまったかもしれない。

 だが、すでにそんな誤魔化しで済む事態ではなくなっているのだ。


『王国東部の五つの領地が、何者かに占領されている可能性がある。』


 侵攻も侵略も、そんな陰など少しも見せず、リフエンタール王国に激烈な一撃が打ち込まれていた。

 現在は、そういう事態なのだ。

 しかも、そんな一撃を受けていながら、その事実にさえ気づいていなかったのだ。


 もはや面子も意地もかなぐり捨て、一刻も早く国に知らせ、対処してもらう必要がある。

 そういう段階まで進んでしまっていた。

 王国軍を動員し、五つの領地を取り返してもらうのだ。


 だが、現在の状況からエウリアスは「ゲーアノルトは生きている」「ただし敵の手に落ちている」と予想した。

 そんな状態で王国軍が乗り出したらどうなるか?


 十中八九、ゲーアノルトは殺されるだろう。

 一刻も早く王国軍に動いてもらいたい。

 しかし、王国軍が動けばゲーアノルトは殺されてしまう。


 この板挟みの中で、エウリアスは必死にもがいていた。


(王国軍の動きが敵に露見する前に、父上を取り戻す!)


 これが、現在のエウリアスの考えだった。







 比較的斜面の緩やかなルートを選び、兵士たちと山を登っていく。

 木々の間を縫い、茂みを進む。


 エウリアスは、ラグリフォート領の状況を正確に把握するため、兵士たちで領内の調査をすることにした。

 三個小隊、三十人の兵士。

 小隊ごとで三つに分かれ、別々のルートでレングラーの町を目指し、領内の状況を把握する。


 調査内容は、主に三つ。

   ・ゲーアノルトの居場所と、生存の確認

   ・領主軍及び警備隊の状態の確認

   ・敵に関しての情報


 特に、ゲーアノルトの情報を何よりも優先して掴む必要がある。

 他にも町の状態や領民のことも気がかりではあるが、今はとにかく優先順位をつけて、絶対に必要な情報に的を絞らないといけない。

 時間との戦いであることを忘れてはいけないからだ。


 この調査隊では、騎士は除外した。

 山中での動きに慣れていないからだ。


 ぶっちゃけ、足手まといはエウリアス一人でいい。

 本当はエウリアスもみんなに反対されたが、強権を発動して同行することにした。

 タイストあたりは、エウリアスが行くなら自分も、と主張したが却下。

 キャンプで、物資の警備をさせている。


「坊ちゃん、止まってください。」


 エウリアスが額の汗を拭っていると、グランザが止まるように指示した。

 そうして、今進んでいる前方を指さす。


「もう少し行くと、以前に崩れて急斜面になっている所があります。そこは足場が悪すぎるんで、避けて行きます。ここからはちょっときついですが、こちらに進みます。」

「ああ、分かった。」


 グランザが、斜面を真っ直ぐに登る方向を指さした

 グランザたち領主軍の兵士は、領内の山について熟知している。

 物見櫓や見晴らしのいい場所。

 そこから見える範囲。

 どこが死角になっているか。

 危険な場所、比較的安全な場所。


 敵に見つかりにくいルートを選んで、エウリアスたちはラグリフォート領に少しずつ侵入していく。

 ラグリフォート家の屋敷は、街道を行けば領境から半日ほどの距離だが、山中を進むために丸二日はかかる。

 多少手間取ったりすることを見積もれば、三日くらいは考えるべきだろう。


 それでもエウリアスは道なき山を進み、ラグリフォート領の中央にあるレングラーの町を目指した。

 ゲーアノルトと、家族の身を案じながら。




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