第176話 エウリアスの廃嫡
眉間に皺を寄せ、苦し気にヨウシアが告げる。
「エウリアス君は………………廃嫡された。」
重く、抑えられた声でヨウシアが告げた。
その言葉の意味が一瞬分からず、エウリアスはきょとんとしてしまう。
「王城に、ラグリフォート領からの遣いが来たんだ。宰相も、てっきり疫病についてのことだと思った。これで、よく分からない状況が少しははっきりするだろう、と。」
しかし、その遣いは王城にまったく別の用件でやって来た。
「先日、『家督は長男が継ぐものとする』という法律が撤廃された。これにより、領主が自由に跡継ぎを選べるようになった。」
この、嫡男を選択する権利を使い、ゲーアノルトが嫡男の変更を申請してきたと言う。
エウリアスを廃嫡し、新たにアロイスを嫡男とする、と。
この廃嫡や嫡男の申請は、大昔に凍結された法律だ。
最近まで嫡男とは、自動で決まる仕組みだった。
長男が死亡した場合にのみ、王城が次の嫡男を選ぶという仕組み。
しかし、その法律が最近撤廃された。
そのため、凍結された法律が復活し、このような申請式に変更になった。
貴族とは、国王の臣下だ。
そのため爵位を継ぐ者は誰かを、予め国に知らせておくことになっている。
基本的に国は、この申請に口を出せないらしい。
さすがに「王家打倒!」を標榜しているような
エウリアスは、ヨウシアの話を黙って聞いていた。
あまりにエウリアスが反応しないため、ヨウシアが怪訝そうな顔になる。
「エウリアス君、大丈夫かい? 驚くのは無理もないが、どうか気をしっかり持ってくれ。」
「……え? あ、ああ……すみません。」
エウリアスは目を瞬かせた。
「あの……その遣いは疫病のことは何か言っていませんでしたか?」
「少しだが言っていたよ。ひどい状況ではあるが、何とか封じ込めるために手を尽くしている、と。」
「具体的な被害は?」
「いや、その遣いの騎士も、すべてを把握しているわけではないらしくてね。」
比較的被害の少ない村もあり、その騎士はそこにいたようだ。
ゲーアノルトはその村にいた騎士なら疫病を外に運んでしまうこともないだろうと、申請書を託したらしい。
「良かったぁ…………父上はご無事かぁ。」
エウリアスは安堵したように大きく息をつくと、ソファーに寄りかかった。
「何がいいんだい! エウリアス君がっ――――!」
そこまで言って、ヨウシアは声が大きくなりすぎてしまったことに気づいた。
声を落とし、心配そうに続ける。
「分かっているだろう? 廃嫡されてしまったんだよ!? これで、エウリアス君はラグリフォート領を継ぐことが……。」
「あー……、そうですね。まあ、仕方ないんじゃないでしょうか。」
「仕方ないって……っ!?」
「それよりも、他に何か分かったことはありませんか? アロイスを指名したってことは、アロイスも無事なのかな? 町の人たちとかはどうなんだろう……。ひどい状況って言うのが、具体的にどの程度のものか分からないと、やっぱり心配ですね。」
「エウリアス君っ!」
そこで、ヨウシアが声を荒らげた。
苦し気に顔を歪め、頭を下げる。
「すまない……! 父が、法を撤廃してしまったために、こんなっ……!」
ヨウシアは膝の上の拳を震わせ、声も震えていた。
だが、エウリアスは微笑んだ。
「顔を上げてください、ヨウシア様。それは別にいいんですよ。」
「何がいいんだっ! こんなっ、エウリアス君が……!」
ヨウシアは、そこで言葉を詰まらせる。
エウリアスは首を振った。
「父上が無事なことが分かりました。そして、おそらくアロイスも。母上のことが分からないのは心配ですが、それでも二人の無事が分かっただけでも良かったです。」
エウリアスは廃嫡のことなどまったく気にせず、疫病のことばかり。
家族や領民の心配ばかりするため、ヨウシアは却ってエウリアスの様子が心配になった。
「エウリアス君、分かっているのかい? 嫡男でなくなってしまっては……。」
「別に、嫡男であろうとなかろうと、やることは変わりませんよ。」
そう、エウリアスは微笑む。
「このまま王都で学院に通うのかどうか、今はそこまではいいでしょう。大変な時ですからね。父上も細かいことまでは考えていないと思います。私はただ、王都からラグリフォート領のためにできることをするだけです。何かあれば、父上から指示があるはずですから。」
「エウリアス君……。」
そうして、エウリアスは頭を下げた。
「ご心配をおかけしました。きっと、急いで知らせないとって、来てくださったんですよね。ありがとうございます。」
あまりにもエウリアスが動揺を見せないため、ヨウシアの方が動揺してしまう。
廃嫡とは、嫡男であった者のこれまでの生き方をすべて否定し、これからの未来のすべてを否定する決定だ。
同じ嫡男であるヨウシアだからこそ、廃嫡を告げられても平然としているエウリアスを、信じられないものを見るような思いで見てしまうのだった。
■■■■■■
「――――馬鹿なっ!? あり得ないっ!」
エウリアスから、廃嫡の事実を告げられたタイストが叫んだ。
エウリアスは廃嫡されたことを、屋敷の使用人すべてに伝えようと思っていた。
だが、そのことをヨウシアに言うと、必死になって止められた。
まずはエウリアスにとって腹心とも呼べる者にだけ告げ、今後の対応はその者たちとよく話し合うようにとアドバイスされた。
そのため、エウリアスは自室にステイン、タイスト、グランザの三人だけを呼び、この事実を伝えた。
そうして廃嫡のことを伝えられると、タイストが叫んだのだ。
「タイスト、父上の決定だ。」
「し、しかしっ……!」
エウリウスは、ゲーアノルトの決定を否定するようなタイストの態度を
だが、叫びこそしないが、ステインとグランザも明らかに不服そうな顔だった。
「いくら、旦那様の決定と言われましても……。」
「……さすがにこいつは、儂らも信じられませんぜ?」
エウリアスはソファーの背もたれ寄りかかりながら、軽く首を振った。
「王城に申請する場合、領主印と領主のサインが必要だ。問題なく受理されたということは、そういうことだ。」
「「「………………。」」」
エウリアスの簡潔な説明を聞いても、三人の顔には不審がありありと浮かんでいた。
タイストが悔しそうに、エウリアスを見る。
「……どうして坊ちゃんは、そんな……冷静でいられるのですか?」
「どうしてって。そりゃ父上を信じているからさ。」
そうして、足を組む。
「ラグリフォート領のことを一番に考えているのは、間違いなく父上だ。その父上が、そうする必要があると判断されたのだ。ならば、それに従うのは当たり前だろう?」
エウリアスもまた、ラグリフォート領のことを考えている。
エウリアスが身を引くことがラグリフォート領のためになるならば、喜んで嫡男から退こう。
だが、タイストは納得いかないのか、拳を握り締めた。
やり場のない怒りに身体を震わせながら、俯き、その拳を自らの額に押し付ける。
噛みしめた奥歯が、ギリッ……と鳴るのが聞こえた。
そんなタイストをちらりと見て、ステインが一歩前に出る。
「ご無礼をお許しください、エウリアス坊ちゃま。」
そう前置きするスタインに、エウリアスは眉を寄せる。
ステインは真っ直ぐにエウリアスを見ると、きっぱりと断言した。
「このような決定。私は承服いたしかねます。」
「いや、承服しかねるって。もう受理されてるし。」
使用人が納得しようがしまいが、すでにゲーアノルトが決定を下し、国も受理したのだ。
これはすでに決定したことであり、今話しているのはただの連絡である。
「儂も、このような決定は受け入れられませんな。」
「いや、だからな? お前たちが何と言おうと、もう――――。」
バンッ!
そこで、タイストがテーブルに両手を叩きつけ、身を乗り出す。
「坊ちゃんっ! おかしいでしょう!? こんなこと、絶対におかしいっ! 廃嫡なんて……そんなっ……! 坊ちゃんだって、本当は分かっているんでしょうっ!?」
タイストは声を震わせ、涙を浮かべていた。
タイストの目から零れた涙が、テーブルにぽとりと落ちた。
グランザがタイストの肩をグッと掴むと、乗り出していた身体を引かせる。
「……くそっ……なんで、こんなことが……っ!」
タイストは搾り出すようにそう言うと、乱暴に涙を拭う。
赤くなった目でエウリアスを真っ直ぐに見た。
「私は、こんなこと……絶対に信じませんっ……!」
エウリアスは、タイストのその真っ直ぐな目に耐えられず、逸らしてしまう。
ステインが、そんなエウリアスに声をかける。
「坊ちゃま。この決定は不自然で、とても不合理です。…………坊ちゃまが、それに気づかないはずがありません。」
「……………………。」
優しく、諭すようなその言葉に、エウリアスは俯いた。
ステインの言う通り、この廃嫡は不自然なものをいくつも含んでいる。
「エウリアス坊ちゃま。なぜ旦那様は、このようなタイミングで廃嫡などという重大な決定をされたのでしょう。普通に考えれば、疫病が鎮静化してからでいいはずです。」
そう。
今まさに、領地を封鎖するほどに疫病が蔓延しているというのに、嫡男の変更などしている場合ではない。
他にやるべきことが、いくらでもあるからだ。
それを、国への救援要請ではなく、廃嫡の申請?
こんなのは、エウリアスが余程のヘマをやらかし、一刻も早く廃嫡する事情があった、というようなことでもない限り不自然だろう。
「また、疫病の発生している領地にいるアロイス様を嫡男に変更し、王都にいるエウリアス坊ちゃまを廃する意味が分かりません。これも、せめて疫病が沈静化した後でないと、不合理な判断でしょう。」
少々不謹慎な仮定になってしまうが、今は大丈夫でも、この後アロイスが疫病に罹る可能性だってあるのだ。
それも、決して低い可能性ではない。
むしろ、いつそうなってもおかしくないと言っていい。
無事である可能性の高いエウリアスを廃し、アロイスを嫡男にするにしても、やはり疫病が沈静化してから行うべきなのだ。
「ここまででも、この決定がおかしなものであることは明らかでしょう。ですが、もっと明らかなことがございます。」
「もっと、明らかなこと?」
「ええ。」
そうして、ステインが姿勢を正す。
「旦那様が、エウリアス坊ちゃまを廃すわけがないのです。あの旦那様が、エウリアス坊ちゃまをですよ? あり得ませんね。」
エウリアスは、あまりなその理由にソファーの上でずっこけた。
ステインの考える理由、三つ目は完全に感情論だった。
しかし、グランザは腕を組んで「うんうん」と頷いていた。
少々貴族の嫡男としては風変わりな点もあるが、エウリアスは優秀だ。
勇気があり、行動力があり、それらに見合うだけの剣の腕もある。
領地を愛し、領民を愛し、領地を支える職人たちを敬愛する心を持つ。
勿論、まだまだ至らないところもあるだろう。
だが、そんなのは「今の時点では」というだけなのだ。
まだ十五歳。騎士学院もあと四年もある。
長所の伸ばし、短所を少しずつ潰していけば、立派な領主になれるだろう。
何より、ゲーアノルトもまだ四十歳にもなっていない。
エウリアスの成長を、焦る必要はないのだ。
タイストが、真剣な表情で訴える。
「もし、ゲーアノルト様が重大な決断をされるとして…………坊ちゃんに何も言わずに、一方的に命じるだけなど……! 手続きして終わり? そのようなことをゲーアノルト様がされると、本当にお思いですか!?」
「……………………。」
タイストの訴えに、エウリアスは何も言えない。
「ゲーアノルト様を信じるというなら、もっとゲーアノルト様のことを信じてください! ゲーアノルト様の信じる坊ちゃんのことを、もっと信じてください!」
タイストの必死の訴え。
ステインとグランザも、重く頷いた。
「坊ちゃんっ!」
タイストが、全身全霊をかけてエウリアスを呼ぶ。
エウリアスは目を閉じ、微かに唇を震わせた。
「……………………分かった。」
エウリアスは目を開くと、三人をしっかりと見た。
「お前たちの言いたいことは分かった。俺も、お前たちの言うことはもっともだと思う。」
「で、では……っ!」
タイストの顔に、希望が灯る。
「す、すぐに早馬の用意をします! 坊ちゃんは、ゲーアノルト様の真意を確認する手紙を――――!」
ゲーアノルトに問い合わせる準備にかかろうとするタイストを、エウリアスは手で制した。
「いや、もはや手紙で問い合わせるような段階ではない。」
もしも、この廃嫡がゲーアノルトの意に沿わないものだとしたら、重大な何かが起きている可能性がある。
伯爵家当主であるゲーアノルトが、すでにそんな事態に陥っているということなのだから。
「――――俺が、直接父上に真意を問う。」
「なっ……!」
「エ、エウリアス坊ちゃま!?」
「直接!?」
エウリアスが決意を宿した目でそう言うと、タイストたちは絶句し、驚愕するのだった。
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