第175話 ラグリフォート領からの遣い
ゲーアノルトが、臨時基地に移送されてきた翌日。
牢の中のゲーアノルトを、メディーが冷めた目で眺める。
「フン、呆気ない。……まあ、木こりに貴族としての矜持を求めるのは酷というものか。」
ゲーアノルトの顔は、血で真っ赤だった。
左頬を斬られ、その血が顔全体に付着しているのだ。
おそらく、血を流す顔をさらに殴り続けたのだろう。
伸び放題の髭が、血で固まっている。
流れた血が、衣服も赤く汚していた。
メディーは牢の中に散乱する桶の破片を一瞥し、横に立つユスティナに視線を向ける。
「しかし、
「いやぁ、久しぶりのお仕事で、ちょっと張り切っちゃいましたね。はっはっはっ!」
やった張本人が、朗らかに笑う。
だが、すぐに冷えた目でゲーアノルトを射貫いた。
「見た目ほど痛めつけちゃいませんよ。ご安心を。」
「……………………。」
「とりあえず、言われていた書類にはサインさせました。」
ユスティナの言葉に、メディーは頷く。
それは、国への正式な申請に使用される羊皮紙だった。
ラグリフォート家に保管されていた、白紙の羊皮紙と領主印を奪い、届けさせた物。
これに領主がサインし、領主印を押印すれば、それは正式な国への申請書となる。
昨日の今日で、もう用が済んでしまった。
これでゲーアノルトは用済みだ。
ただし、この書類を
もはや生かしておく意味などないのだが、
契約は、必ず履行される。
その実績が必要だった。
牢を出て、廊下を歩く。
「書類が受理されるまでは、少々時間がかかる。それまで殺すな。」
「治療は?」
「必要ない。」
「今回の怪我が元で、死にそうになったら?」
「…………やはり、やり過ぎではないか?」
メディーの細められた目を受け、ユスティナが肩を竦めた。
「大丈夫大丈夫、死にはしません。たぶん。」
メディーは溜息をついた。
「なかなかの手腕だが、もう少し加減をしろ。」
「心掛けはしたんだけどなあ。」
ユスティナのあまりに気軽な声は、とても反省をしているようには思えない。
「とにかく、すぐには死なんようにしろ。」
「了解しました。……やはり、今すぐ殺す必要がないなら、適度に治療はしておくべきでは?」
「なぜだ?」
「ラグリフォート領主軍の連中を、伯爵の命で抑えているのですよね? 死んだと分かれば抑えが利きません。」
「あんな奴でも、一応は人質の役目を果たしている、と?」
「暴発が起きていないなら、可能性は高いかと。」
だが、メディーは鼻で笑い、首を振った。
「あんな木こりに、命懸けで救う価値などないから大人しくしているだけだろう。 むしろ、今頃はこちらに与する算段でも立てているのではないか?」
「その可能性もありますかね。」
「そうに決まっている。」
メディーは愉快そうに肩を震わせ、立ち止まる。
「だが、
「すぐに死なれては困るが、いつまでも生きててもらっても困る?」
「そういうことだ。まあ、他に使い道があるかもしれないのは確かだがな。」
「では、こちらで利用する方法でも考えましょうか? あ、何か面白い話が引き出せないか、もう少し
「先程…………治療するとか言っていなかったか?」
「ええ、治療も行いますよ。」
ユスティナは、にこっと微笑む。
自分で拷問し、自分で治療を施す。
平然とそんなことを言ってのけるユスティナの精神構造を理解できず、メディーは頭が痛くなるのを感じた。
「…………大した情報があるとは思えんが、好きにやってみろ。ただし――――。」
「殺すな、ですよね?」
「まだ、な。分かっていればいい。」
メディーは再び歩き出した。
「何か引き出したら、報告に来い。」
「はっ。」
そうしてユスティナは、護衛騎士を引き連れ、建物を出て行くメディーを見送った。
「……治療の許可が出たか。」
ユスティナは誰にも聞こえないように呟き、そっと息をつくのだった。
■■■■■■
王都、エウリアスの屋敷。
ラグリフォート領で発生した疫病の話を聞いてから、一週間が過ぎた。
この間に、救援物資の輸送部隊を二回送っている。
第一陣は四日前だ。
第二陣は二日前。
熱冷ましと腹下しに効く薬。その材料となる薬草。砂糖と塩。小麦、豆、干し肉。
包帯も購入できた分と、屋敷で布を切った物を送った。
第一陣も第二陣も、それぞれ荷馬車で八台にもなる。
そうして、現在も第三陣の準備が進められていた。
エウリアスも輸送部隊に同行したいと希望したが、屋敷の全員に引き留められた。
それを抜きにしても、調達した物資の支払いの関係で、エウリアスは残っている必要があった。
そのため、ラグリフォート領に駆けつけたいと思いつつも、王都に留まっているエウリアスだった。
「薬草類はこっちの荷馬車だ! そっちは食料だけを乗せてくれ!」
エウリアスは、離れた馬車に積み込もうとしている兵士に大声で指示する。
ちなみに、兵士も騎士も、使用人まで『団結!』のハチマキをしていた。
勿論、エウリアスも。
「分かりましたーっ!」
「おいっ、向こうだってよ!」
もやもやを抱えたまま、それでもエウリアスは救援物資の輸送部隊の準備を、先頭に立って指揮していた。
「塩がまだ届いてないぞ! 追加分はいつ来るんだ!」
「か、確認します!」
「予定よりも遅れてるぞ! 倉庫の中身を根こそぎ持っていかれたくなければ、予定通りに届けろと言え! いつでも引き取りに行ってやるぞ、ってな!」
「はいっ!」
使用人は走り出し、調達班の兵士に伝えに行く。
そんな使用人と入れ違いに、トレーメルとルクセンティアがこちらに歩いてくる。
「ユーリ。少し休んだらどうだ?」
「あまり、お顔の色が優れませんよ。ユーリ様。」
「うむ。少し肩の力を抜いた方が良いな。みな、良くやっているじゃないか。」
トレーメルとルクセンティアに言われ、エウリアスは肩が無意識に上がっていることに気づく。
肩の力を抜き、そっと息をついた。
「グランザ、しばらく頼む。」
馬車の荷台に乗り込み、積み込み作業中の兵士と話をしていたグランザが、軽く手を挙げた。
エウリアスはハチマキを外すと、トレーメルとルクセンティアに並んで歩く。
「応接室の方にお茶を用意してくれるって言ってたから、一緒に行きましょう?」
ルクセンティアにそう言われ、エウリアスは苦笑した。
「ステインに頼まれたのかな?」
エウリアスがそう言うと、トレーメルが視線を泳がせ、微妙な表情になった。
きっと、エウリアスを少し休ませるように頼まれたのだろう。
「領地が大変なことになっているのだから、じっとしていられないのは分かるのだけど……。」
ルクセンティアが、そう心配そうにエウリアスを見る。
トレーメルとルクセンティアは、この一週間ちょくちょくエウリアスの屋敷に顔を出してくれた。
邪魔をしてはいけないと思いつつ、それでもエウリアスを心配して様子を見に来たのだ。
ちなみにイレーネは現在、メンデルトとホセに同行して近隣の街に出掛けている。
エウリアスが「学院を休む」を伝えてもらった日、トレーメルとルクセンティアがエウリアスを心配して屋敷にやって来た。
その時、イレーネもルクセンティアに言って、馬車に同乗させてもらったのだ。
そうして屋敷に来たイレーネが、夕方に報告に戻ったメンデルトと鉢合わせた。
『今こそエウリアス様にご恩をお返しする時だ。お前も手伝いなさい。』
そう言われ、あちこちを回って薬や薬草を手配する手伝いをしているわけだ。
イレーネまで学院を休ませることになり、エウリアスはちょっと心苦しかった。
『イレーネには学院もあるから……。』
と説得もしたのだが、
『その学院に通えるのが誰のおかげか、お前も分かっているだろう。』
そうメンデルトに迫られると、イレーネは頷かざるを得なかった。
ごめんよ、イレーネ……。
応接室に行くと、お茶がすでに用意されていた。
エウリアスたちがソファーに着くと、すぐにお茶が出される。
「ちゃんと休んでいるか、ユーリ? 少し疲れているようだが。」
トレーメルがエウリアスを心配し、尋ねる。
「大丈夫。休んでるよ。…………後期の社交の時よりは、よっぽどマシかな。」
「社交は、ねえ……。」
「……大変だったな、お互い。」
エウリアスが、社交シーズンでパーティーに引っ張り回されていた時と比べれば、まだマシだと言うと二人が納得した。
本当、あの時は連日のパーティーで大変だったしね。
今は心労の方が原因なので、単純に比べられるものではないのだけど。
トレーメルがお菓子を一つ口に放り込むと、お茶を一口飲む。
「調査に向かわせた官吏も、そろそろラグリフォート領に着く頃だろう。官吏たちが戻れば、少しは状況もはっきりする。」
「…………うん。」
エウリアスが、疫病のことをメンデルトから聞いたのと同じ頃、国も疫病の情報をキャッチした。
だが、「領主の方から何か言ってくるだろう」と数日は静観していたらしい。
ところが一向に何も言ってこない。
これは「言ってこない」のではなく、「言いにこれない」のではないかと考え、調査のために数人の官吏を派遣した。
普通に行けば一週間、早馬でも片道で三日くらいかかるので、戻るのはどんなに早くてもあと数日はかかるだろうけど。
「薬に関しては、抱え込んでいたいくつかの商会に命令を出し、強制的に吐き出させることになった。ただ、これは王都で極端に品薄になったのを解消するためなので、少しずつ放出する方針らしい。……すまないが、そちらに回すことはできない。」
「うん。それは分かってる。むしろ、俺たちが確保した分まで取り上げられなくて良かったよ。」
「目的が違うからな。さすがにそこまではしないようだから、それについては安心してくれ。」
エウリアスが薬の確保に動く前から買い占めに走っていた商会は、予想通り、買い占めた分をすべて召し上げられたらしい。
一応、正規の価格に少し上乗せして、国が引き取るという形のようだが。
今や十倍の値段にまで跳ね上がった薬を、そんな値段で引き取られても、その商会は大損だろう。
いくつかの商会は派手に動きすぎたため、お上の怒りを買ってしまったわけだ。
だが、原材料まで買い占めるという、もっとも派手に動いたエウリアスには特にお咎めはない。
官吏が派遣され、ちょっとお叱りを受けはしたが。
そもそも、単純に儲けようとしていた商会とは、エウリアスは事情が違う。
疫病で苦しむ領地のために、薬を確保していただけなのだ。
派手に動かざるを得なかった事情を説明し、それは国も納得してくれた。
丁度第二陣の輸送部隊が出発した直後だったが、それを阻止するようなこともしなかった。
ただ、これから流通の正常化を図るので、その分には手を出さないように釘を刺されたが。
ルクセンティアが、心配そうにエウリアスを窺う。
「とりあえずの薬は、これで確保できましたか?」
「十分かは分からないけど、それなりにはね。調合済みの薬ではなく、薬草を入手したおかげでいろいろ面白いことも分かったし。何とかなりそうだって目途はついたかな?」
エウリアスもお茶を一口飲み、そっと息をつく。
エウリアスが確保した薬草は、主に二種類。
熱冷ましの効能を持つ薬草と、腹下しに効く薬草だ。
これらは薬草のままだと少し効きが落ちるが、実は思わぬ効能があることが分かった。
熱冷ましの薬草は、潰して塗ると打撲や捻挫の痛み止めにもなるらしい。
腹下しの薬草は軽い解毒作用を持ち、また潰して塗ると傷にも効くそうだ。
調合することでこれらの効果は抑えられ、それぞれ熱冷ましと腹下しの効能を高めていた。
だが、本来これらの薬草は飲んで良し、塗って良しと言われていたらしい。
しかも、この二つの薬草は、ラグリフォート領の山にも自生しているのだ。
つまり、人手さえあれば現地調達できる。
「昔はこうした薬草を、ラグリフォート領も採って売ってたんだって。薬作りの工場の人が教えてくれたんだけど、俺も初めて知ったよ。木を伐採して売っていたのは知ってたけど、薬草も産地の一つだったとはなあ。」
雄大なラグリフォート領の山々だ。
薬草くらい、あってもおかしくはない。
グランザが「山で怪我した時は、生えてる薬草で処置する」と言っていたが、おそらく昔はそれが当たり前だったのだ。
エウリアスは意識して、二人に微笑みかける。
「二人にはいろいろ心配かけちゃったね。……そうだ、ティア。ホーズワース公爵にお礼を伝えてもらえる? 物資を分けてもらって助かったよ。」
「分かりました。伝えておきますね。」
ホーズワース家が備蓄している薬や豆が、「少ないが役立ててほしい」と午前中に届いたのだ。
これらは、第三陣に加えることになった。
トレーメルとルクセンティアが帰った後、エウリアスは積み込み作業の指揮に戻った。
そうして日が暮れ始めた頃、思わぬ来客があった。
「ヨウシア様? 今来てるの?」
報告に驚いて聞き返すと、ステインが深刻な表情で頷いた。
「何やら、ただならぬ雰囲気でして……。応接室にお通ししております。」
「分かった。すぐに会おう。」
ヨウシアは現在、宰相の下で働いている。
もしかしたら、ラグリフォート領のことが何か分かったのかもしれない。
そんなことを考えながら応接室に向かうと、確かにヨウシアはひどく深刻そうな顔をしていた。
「お待たせしました、ヨウシア様。」
「エウリアス君、急にすまない。」
「いえ、大丈夫です。それより、どうされましたか?」
エウリアスがそう聞くと、ヨウシアは一度目を閉じる。
そうして、まるで睨むような真剣な目でエウリアスを射貫いた。
「人払いを。」
ヨウシアが自分の護衛騎士にも、目で外に出るように促す。
エウリアスは少し驚いたが、素直に人払いに応じた。
エウリアスと二人きりになると、ヨウシアがそっと息をつく。
「驚くかもしれないが…………できれば落ち着いて、驚かないで聞いて欲しい。」
「……? 分かりました。」
よく分かっていない様子で、エウリアスが答える。
ヨウシアは一度唇を引き結ぶと、重く口を開く。
「先程、ラグリフォート領から遣いが来た。」
「遣い?」
エウリアスの心臓がドクンと跳ねる。
ヨウシアの「驚くな」という前置きもあり、エウリアスは嫌な予感に胸が締め付けられるのを感じた。
(まさか……父上に……。)
自らの想像に、エウリアスも唇を引き結ぶ。
だが、ヨウシアの続けた言葉は、エウリアスのまったく想像しないものだった。
「エウリアス君は………………廃嫡された。」
その言葉の意味が分からず、エウリアスはきょとんとしてしまうのだった。
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