第174話 ラグリフォート領、制圧
ユスティナ・スバイムがムルタカ子爵領の臨時基地に着いて、一週間ほどが過ぎた。
その間にやったことと言えば、サザーヘイズ領から運び込んだ物資を喰らい、糞して寝るだけ。
「ま、軍隊なんてそんなもんか。」
一個大隊、千人もの兵士を置いておけば、それだけ物資を消費する。
やることがあろうとなかろうと、食う物は食うし、出す物は出す。
「いらんだろ、私。」
外に積まれた木箱の上で、ユスティナは空を見上げる。
作戦司令官のメディーの護衛と言いながら、その任務は本人も含めて内緒。
おかげでメディーの傍に行くには
こんなので、どうやって護衛をしろというのだろうか。
「せめて、本人を納得させてから命じてもらえませんかねえ。」
これでは万が一が起きても、ユスティナにはどうにもならない。
ただ、この無茶な護衛を命じた者の性格を考えると、「万が一が起きれば、ゴタゴタに乗じて何とかするだろ」くらいに考えていそうだ。
「あのじじいども……。」
ユスティナの脳裏に、兄弟子のじじいと、父の顔が浮かんだ。
そうしてユスティナが木箱の上でサボっていると、一人の兵士が走って来るのが見えた。
こちらに真っ直ぐ向かって来るところを見ると、どうやらユスティナに用事があるらしい。
「スバイム様! こちらにおいででしたか……!」
その兵士は木箱の前まで来ると、息を切らせてユスティナに声をかける。
ユスティナは、ぴょんと木箱から下りた。
三メートルほどの高さからでも、難なく着地する。
「どうした、そんなに慌てて? 実家が火事にでもなったか?」
「縁起でもないこと言わないでください。司令がお呼びです。」
「……? どんな風の吹き回しだ? 私を呼ぶなんて。」
「そ、それは、私にも何とも……。」
ユスティナは頭の後ろで手を組み、兵士と並んで歩く。
「管理棟の玄関の方に、とのことです。」
「玄関~? 誰か出迎えるのか?」
「さ、さあ……。」
どうやら、何も聞かされていないらしい。
まあ、伝令なんてのはそんなものである。
伝令とともに管理棟の玄関に向かうと、メディーがすでに外に出ていた。
だが、出迎えという感じではない。
基地の敷地内を移動するムルタカ子爵領軍の一団が見え、メディーはそちらを見ていた。
同じような軽鎧や胸当てを着けているが、ユスティナたちの装備とは、一応は見た目の違いがある。
ちなみに騎士と兵士の違いは、見た目で判断できる。
もっとも簡単な違いは、軽鎧か胸当てか、だ。
軽鎧を装備していれば騎士、胸当てだったら兵士。
兵士の場合、革の鎧を着けていることもあるか。
だが、金属板を張り、補強されている軽鎧は騎士だけである。
ムルタカの一団は、臨時基地の敷地の端に向かっているようだ。
一台のボロい馬車と、中隊規模の兵士。
「来たか、ユスティナ。」
「お呼びとのことですが?」
ユスティナは腰に佩いた
メディーと並び、ムルタカ子爵領軍の兵士の方に歩いていく。
「あれは、何でしょう? なぜムルタカの兵が?」
「作戦の第一段階が完了した。その確認だ。」
メディーのその言葉に、ユスティナは眉間に皺を寄せる。
ユスティナは、未だにこの特殊任務とやらについて、何も聞かされていなかった。
「…………そろそろ、何をしているのか教えてもらえませんか?」
「お前に、それを知る資格はない。」
だが、メディーは素っ気なく却下する。
ユスティナは肩を竦めた。
「面白い物を見せてやる。これから、どんどん面白くなるぞ。」
メディーは、そう冷たい笑みを浮かべる。
ムルタカの兵士たちは、敷地の端に建てられた建物に向かっていた。
あの建物は、確か……。
「どこぞの間者でもいましたか?」
「なぜ、そう思う?」
「牢に向かっているようですので。」
今向かっている建物。
あれは、捕虜や罪人を隔離するための牢だった。
「いや、間者ではない。むしろあれは、あの者を捕えておくために建てたと言っても過言ではないな。」
馬車が建物の前に着くと、一人の男が引きずり降ろされた。
男は両脇を支えられている。
逃げないように拘束しているというよりは、支えないと立つこともままならないという感じだった。
汚れた衣服。
髭は伸び放題で、手枷で拘束されていた。
「……何者ですか?」
「ラグリフォート伯爵だ。」
「………………?」
ユスティナは、メディーが何を言っているのか分からなかった。
建物に連れて行かれる姿を遠くから見つめ、徐々にその目が開かれていく。
「まさか………………伯爵本人!?」
ユスティナが驚いてメディーを見ると、メディーは口の端を上げた。
「驚いたか?」
「……驚かないとお思いで?」
「はっはっ、そうだな。」
メディーが、心底愉快そうに声を上げて笑った。
だが、すぐにその目が冷える。
「フン……伯爵などと言ったところで、所詮は木こりよ。あやつにはお似合いだろう。」
そう、軽蔑したように吐き捨てた。
ユスティナは驚きを鎮め、メディーに確認する。
「殺すので?」
「勿論だ。だが、その前にやることがある。」
「やること……?」
「ああ、そのために随分と苦労したようだが、こうなれば簡単な話だ。」
そうして、メディーはユスティナに
「…………なるほど。」
メディーの話を聞き、ユスティナは目を伏せる。
悠長に考えている時間はない。
ユスティナは、にやりと笑った。
「その役目、私に任せていただけませんか?」
「何?」
メディーは、ユスティナが自分から志願したのが意外なのか、片眉を上げた。
「さすがに無駄飯食いにも飽きましたので。暇潰しに。」
「フ…………無駄飯食いの自覚はあったか。」
「そりゃ、ありますよ。行けと言われて来てみたはいいですが、任務は秘密。上の命令には逆らえませんので、勝手に帰ることもできませんし。」
ユスティナがそう言うと、メディーが腕を組んで考える。
おそらく、メディーも
だが、そもそもメディーはそこまでユスティナを信用していない。
メディーは基本、自家の者しか信用しないからだ。
父は「腕の立つ者を」と言われ、ユスティナを推薦した。
しかし、その
メディーの逆らえない者からのオーダー。
命令の出所がサザーヘイズ本家からだと考えれば、辻褄は合う。
なぜ父が、サザーヘイズ本家からのオーダーを受けることになったのかまでは分からないが、おそらくメディーもユスティナを持て余している。
ならば、この提案に乗ってくる可能性はある。
「…………いいだろう。やってみろ。」
「ありがとうございます。」
ユスティナの狙い通り、メディーは許可を出した。
そうしてユスティナは仕事に必要だと言って、メディーから情報を引き出すのだった。
ようやく、ユスティナは現在進行している作戦の一部を知ることができた。
(随分と大胆なことをするものだ。)
ゲーアノルトが連行された建物の廊下を歩きながら、ユスティナは考える。
両手に持った桶から、ぽちゃぽちゃと水音をさせながら。
すでにゲーアノルトが捕らわれてから、十日以上も経っていた。
その間に、ラグリフォート領は制圧されている。
ゲーアノルトとともに捕えた騎士たちを連れ、先遣部隊の二千の兵士がラグリフォート領に侵攻したのだ。
抵抗すれば、そして一人でも行方を晦ませた者がいれば、伯爵を処刑すると脅して。
ゲーアノルトに同行していた騎士たちが証人となり、ラグリフォート伯爵領軍には、この話が事実であると理解させた。
武装解除させた上で、各駐屯地に騎士や兵士を押し込め、領地を無血で制圧したらしい。
多少の抵抗は覚悟していたが、まったく抵抗はなかったそうだ。
『伯爵のために立ち上がろうとする者は、一人もいなかったらしいぞ? 連中が薄情なのか、あの男が余程嫌われていたのか。』
メディーは、そう笑った。
ラグリフォート領を制圧すると、即座に街道を封鎖。
理由は、疫病。
これなら、多少強引に進めても何とかなる。
このラグリフォート領の制圧によって、作戦の第一段階が完了。
現在、すでに第二段階が進行しているという話だった。
だが、ユスティナは第二段階の内容までは教えてもらえなかった。
ただし、この第二段階のためにゲーアノルトが必要だった。
そのため、まだ生かしているのだ。
ユスティナが建物の奥に着くと、牢番が敬礼した。
ユスティナは両手の桶を置くと、微笑み返礼する。
「司令より伯爵のことを任された。開けてもらえる?」
牢番に命令書を渡す。
牢番は命令書を確認すると、ドアを開けた。
この牢は、二重になっている。
まず、この牢番の立っているドア。
頑丈な木で作られ、ここに鍵がかけられている。
そうして、ドアを通った先に鉄格子がある。
当然、こちらにも鍵がかけられていた。
牢番の一人が、ユスティナと一緒に中に入ると、牢の鍵を開けた。
「出る時はどうすればいい?」
「牢の中に入ったら、鍵をかけさせていただきます。出る時は、声をかけていただければ。」
牢からドアまでは、大した距離ではない。
声を張り上げなくても、十分に聞こえる距離ではある。
「私が入ったら鍵をかけるの?」
「…………規則ですので。」
メディーの部隊は、規則規則とかなり煩いらしい。
もっとも、最近まで新兵訓練教官をやっていたユスティナも、口煩く言っていた側ではあるが。
ユスティナが牢に入ると、本当に鍵をかけられた。
これで、ユスティナとゲーアノルトは、牢の中で二人きり。
ユスティナは気配で牢番がドアから外に出たの確認し、そっと息をつく。
ゲーアノルトは、椅子に縛られていた。
手枷を付けられ、胴を椅子と縛っている。
ゲーアノルトは衰弱しているのか、ユスティナが入って来ても気づいていないようだ。
俯き、ぴくりとも動かない。
ユスティナは桶を一つ床に置くと、もう一つの桶で水をぶっかけた。
ばっしゃあーーっ……!
突然水をかけられたゲーアノルトが、ゆっくりと顔を上げる。
焦点の合わない目。
緩慢な動きで、辺りを見回す。
「お目覚めかしら。」
そう言って、ユスティナは空になった桶を投げつけた。
桶はゲーアノルトの座る椅子の横に叩きつけられ、ガシャアーーンとけたたましい音を立て、砕ける。
何事かと、牢番がこちらを窺う気配がした。
「何でもない! 気にするな!」
ユスティナがそう言うと、牢番たちは戸惑う。
しかし、
「…………ぁ……。」
ばっしゃあーーーっ……!
ゲーアノルトが何か言うとしたところで、残ったもう一つの桶で水をぶっかける。
ゲーアノルトはロクに身動きのとれず、ただ顔を背けた。
ユスティナは、そうして剣を抜いた。
「動かないでね。
そう言うとユスティナは冷えた目を細め、ゲーアノルトを見下ろすのだった。
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