第172話 お金で解決できることは、お金で




 銀行から救援物資の調達資金を借りようと思ったら、そんな契約はないと言われてしまった。


「そんな契約は、ない……?」

「はい。」


 初老の男性ににこやかに言われ、エウリアスは目の前が真っ暗になった。


(もう、五千万リケルにゴーサインを出しちゃったんだけど……。)


 エウリアスの指示で、すでにメンデルトとホセが調達に動いているはずである。

 どうしよう……。


 だが、エウリアスが茫然としていると、後ろに控えていたステインが初老の男性に確認を行う。


「契約内容が変更になっている、ということでございますか?」

「左様です。」


 ……なぬ?

 初老の男性の返事に、エウリアスは目を瞬かせる。


「どういうことでしょう?」

「確かに一年ほど前、エウリアス様が希望すれば、一億リケルのご融資をラグリフォート家の信用で行うという契約が結ばれました。ですが、この契約は二カ月ほど前に変更されています。春になる、少し前です。」

「二カ月前……?」


 ということは、ホーズワース公爵家の乗っ取り騒動の頃か?

 あの騒動の後、ゲーアノルトは領地に戻る前に、契約の内容を変更していったらしい。


 エウリアスは、内心の動揺を隠しながら、努めて冷静に尋ねる。


「どのように変更されたのですか?」

「ご融資の上限が引き上げられました。現在エウリアス様が当行より受けられるご融資は、三億リケルが上限になっております。」

「三億っ!?」


 エウリアスは振り返り、ステインを見る。

 ステインも聞いていなかったようで、驚いたような顔で首を振った。


(どうして父上は、上限の引き上げを行ったんだ……?)


 一億リケルだって、大変な大金だ。

 だが、それを三倍まで増やすなんて。


(……あの時の対応を見て、それくらいは任せてもいいと評価してくれたのかな?)


 ホーズワース公爵家の騒動では、ゲーアノルトも冷静ではいられなかった。

 しかし、エウリアスの説得でホーズワース公爵家との協定が維持された。


 お金がすべてではないが、お金で解決できることも多いのは事実。

 何らかの問題が発生し、手段としてお金が必要になった時のことを考え、任せる金額の上限を上げてくれたのだ。

 きっと、いろいろな騒動が起きるエウリアスの身の回りを、エウリアスが思っている以上に案じてくれている。

 エウリアスは、信じて託してくれたゲーアノルトに心から感謝した。


(これで、資金が足りないと悔しい思いをしないで済むかもしれない……。)


 むしろ問題は、そこまでの量が確保できるかの方が大きい。

 エウリアスが考え込んでいると、初老の男性が確認する。


「それで、如何ほどご入用でしょうか?」

「あ、三億で。」

「え?」

「え?」


 初老の男性が驚いたことに、エウリアスが驚く。


「い、いきなり三億ですか?」

「ええ、いけませんか?」

「い、いえ、そのようなことはないのですが……。」


 初老の男性が、ステインに視線を向ける。

 だが、ステインは涼しい顔をして、ただ後ろに控えるだけ。


「……それでは、ただいま書類をご用意いたします。少々お待ちください。」


 そう言って、初老の男性が部屋を出て行った。







「いきなり全額借りられるとは思いませんでした。」


 帰りの馬車の中で、ステインが苦笑気味にそんなことを言う。


「いちいち借りに行く手間も惜しいし。出せるだけ出して、手元で有効活用する方がいいだろ?」


 エウリアスは、一億六千万リケルを財布カードウォレットに入れ、残り一億四千万リケルを現金で引き出した。

 一億四千リケル、大銀貨で一万四千枚。

 現在二千枚ずつ木箱に入れ、その木箱七個を馬車に積んでいる。

 これを、屋敷に着いたら百枚ずつ布袋に小分けするつもりだ。


 一億六千万リケルをウォレットに入れたのは、それくらいは王都での物資調達で使うと考えたからだ。

 王都での支払いなら、ウォレットが手間がかからずに便利だ。

 それに、ウォレットのお金は王都の外でもまったく使えないわけではない。

 あくまで王都外のでは対応していない、というだけ。


 銀行に行けば、ウォレットに入れてあるお金は引き出せる。

 まあ、ウォレット専用の銀行に預けているお金を、別の銀行から引き出すと手数料がかかるけど。


 エウリアスは、積み込んだ木箱にポンと手を置いた。


「しっかし、これだけのお金をあっさり借りられるとはね。しかも、うちがそんなに借金を背負ってるってのは意外だったよ。」


 エウリアスの感覚で言うと、「借りる」というのはあまりいいことには思えない。

 借りているお金があるなら、なるべく早くに返した方がいいと思ってしまうのだ。


 エウリアスも、多額の費用が必要な設備投資なら、お金を借りることが悪いことだとは思わない。

 だが、それはあくまで「不足分を補う」という考えであり、いつでも返せるだけのお金がありながら、あえて借金をするというのは想像すらしなかった。

 ゲーアノルトは、それだけ「お金がない」ということに忌避感を持っているのだろう。

 先代が苦労している姿を直接見ているからこそ、もっとも効率的な方法を考え、また手元にお金を残しておく大切さが染みついているだと思う。


 ステインも、木箱をしみじみとした表情で見つめる。


「自分のお金には手をつけず、他人のお金で領地を発展させてもらえると思えば、そう悪い方法ではありません。……ですが、旦那様も最初から上手くいっていたわけではございませんでした。様々な苦労の中で、今のやり方に至ったわけです。」


 その言葉に、エウリアスも頷く。


「父上のおかげで、資金の問題はほぼ片付いたな。残りの問題を片付けるとしよう。」

「救援物資の調達でございますね。」

「ああ。熱冷ましと腹下しに効く薬は、メンデルトとホセに任せた。他の物資の調達を考えないと。」


 エウリアスは腕を組んで考える。


「…………症状で、全身から出血するなんて話があったな。」

「はい。そのため、包帯も品薄になっていると。」

「とにかく、安価な布を大量に仕入れよう。包帯サイズに切るのは、使用人たちに手伝ってもらって。」

「すぐにほつれ出すかもしれませんが…………無いよりはマシでしょうな。」

「ああ。ある物で何とかする。まあ、包帯が買えるなら包帯を仕入れてくれ。あくまで『包帯が無いから』と諦めずに、代用できる物はなんでも代用する気持ちであたってくれ。」

「かしこまりました。」


 ステインが、しっかりと頷く。


「それと、小麦や豆、干し肉なんかもだ。街道が封鎖されているなら、食料の問題も出てくるはずだ。」

「そうですね。ですが、干し肉ですか?」

「炊き出しなんかで、細かく切ってスープに入れる。身体が弱ってるときついかな?」

「病人が口にするには、少々重いかもしれませんな。まあ、少量は仕入れておくようにしましょう。」

「頼む。あと、砂糖と塩もだ。これは大量に仕入れてくれ。」

「砂糖と、塩でございますか? 確かに必要な物ではありますが、そこまで大量に……?」


 そう疑問を口にするステインに、エウリアスは苦笑した。


「あまりに腹を下すと、身体から水分が抜け過ぎるらしいんだ。その時、砂糖と塩を混ぜた水を飲むといいらしい。」

「そのようなことは初耳ですね。」

「俺も師匠から教わったんだけどさ。」


 そうして、エウリアスは複雑な表情になった。


「山であんまりにも飢えた時に、その辺に生えてるキノコを食べたんだって。で――――。」

「腹を下した、と。」


 ステインが、げんなりした顔になった。


「あまりにも腹を下して、ひどい痛みもあって動けなくなったらしい。散々吐いて、それでも腹は下しっぱなしで……。」

「…………想像したくありませんな。」


 エウリアスの話を聞きながら、ステインが無表情になる。


「五日も身動きできないでいたけど、手持ちの砂糖と塩を舐めて何とかしたらしい。水は、川の水をそのまま飲んで。」

「…………よく、死にませんでしたな。」


 その呟きは、心底呆れているようだった。


「師匠に『どんなに飢えても知らないキノコは食うな』って散々言われたよ。」

「普通、誰も食べませんが……。」


 うん、俺もそう思う。


「まあ、そんなことがあってさ。師匠もよく死ななかったなと、後で調べてみたらしい。ところが、調べてみるとどこかの口伝でそういう話があったそうだ。」

「そうした知恵が伝わっている地方が、あったと?」

「そうみたいだ。おそらく大昔にあった流行り病で、死者が少なくて済んだとか、そういう経験からくる口伝じゃないかと予想していたよ。」


 その地方では、ひどい腹下しには「砂糖と塩を水に混ぜて飲ませろ」と伝わっていたらしい。

 そうすることで、ただ水を飲むよりも身体が水分を保てる、と。


「薬も大事だけど、腹を下す原因で『身体の中に悪い物がある』って考えがあるらしいんだ。どんどん水分を摂って、どんどん悪い物を身体から出す。そうすることで回復が早まるとか。」

「…………本当でございますか? 些か、胡散臭い話に聞こえるのですが……。」

「言うな。俺もそう思ってる部分はあるんだ。でも、砂糖と塩なら、別に大量に仕入れても無駄にはならないだろう?」

「そうですね。分かりました、手配しておきます。」


 一応は納得し、ステインが頷く。


 こうして、エウリアスはゲーアノルトから託された大切なお金を惜しみなく使い、救援物資をかき集めていくのだった。




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