第171話 錬金術師、ゲーアノルト




 ステインとタイストから一億リケルもの予算の話を聞き、エウリアスはメンデルトたちを待たせている応接室に戻った。

 エウリアスがソファーに着くと、グランザが尋ねる。


「坊ちゃん、あの二人は? 一体、何のお話だったのですか?」

「ああ、予算についてちょっとな。二人には、ちょっと用事を頼んだ。」


 エウリアスは具体的なことは言わず、メンデルトに視線を向けた。


「昨日押さえた分というのは、どのくらいだ? 具体的に金額で教えてくれ。」

「概算ではありますが、熱冷ましの薬が七百万リケル。腹下しの方が四百万リケル分です。ただ、こちらは私たちの方で支払いますので、お気になさらず。」

「気にしないなんてわけにはいかないよ。悪かったな、立て替えてもらって。ちゃんとその分は払うから。」


 だが、メンデルトが首を振った。


「私は、エウリアス様に助けていただいた御恩を、片時も忘れたことはありません。あの時、エウリアス様に助けていただかなければ、今のコルティス商会はありませんでした。」


 そう言って、ホセに視線を向ける。


「ホセも危ないところを救ってもいただきました。エウリアス様にも、ラグリフォート伯爵にも、私たちは助けられてばかりなのです。そろそろ少しは返しておかないと、ばちがあたるというものです。」


 メンデルトがそう言うと、ホセが頷いた。


「おぬしら……。」


 そんな二人を、グランザが感心したように見る。


「私たちもできる限りお手伝いいたします。どうぞ、何なりとお申し付けください。」


 そう言って、二人は頭を下げる。

 エウリアスは頷いた。


「ありがとう。二人の気持ちは、しっかりと父上にもお伝えする。今は少しでも手がいる。特に商人同士の繋がりは貴重だ。力を貸してもらえると有り難い。」

「「はい。」」


 エウリアスは、メンデルトとホセを素直に頼ることにした。

 今は、遠慮などしている場合ではない。


(ラグリフォート領のみんなの命がかかっているんだ。使えるものは何でも使う。一人でも多く助ける。)


 少しでも多く、少しでも早く、救援物資を届けなくてはならない。

 エウリアスは銀行に向かう準備が整うまで、メンデルトたちにどう動いてもらうべきかを考えるのだった。







「とはいえ、薬などがすでに押さえられているとなると、困りましたな。」


 グランザの呟きに、早速部屋の空気が重くなる。

 これがもし、ラグリフォート領内のことであれば、領主の権限で徴発することも可能だ。

 しかし、ここは王都。

 勝手にエウリアスがそんなことをすれば、それはただの強盗である。


「国は、動いてくれませんか?」


 グランザに聞かれ、エウリアスは首を振った。


「正直言えば分からない……。もしかしたらすでに動いてる可能性もある。ただ、どこまで国が把握しているか、俺では探りようがないんだ。」


 トレーメルには、伝言を頼んだ。

 トレーメル経由で国の動きを知ることはできるが、今すぐは難しいだろう。

 エウリアスの伝言を聞き、きっとトレーメルなら動いてくれるはずだ。

 明日あたり学院に顔を出せば、その辺りの情報を教えてくれるかもしれない。


 エウリアスはソファーに寄りかかり、天井を見上げた。


「…………薬……薬……。」


 一般的に流通している薬は、調合された物だ。

 様々な薬草などの素材を、煮たり蒸したり潰したり乾燥させたりし、混ぜ合わせることで効能を高めている。


「……薬……薬……薬。」


 ぶつぶつと呟くエウリアスを、グランザが窺うように覗き込む。

 エウリアスの視界を遮るように、ヌッと顔を出した。


「何か、思いつきましたか?」

「今考えてる……。」


 そうして「顔をどかせ」と手で払おうとして、一つ思いつく。


「素材……。」


 がばっと身体を起こす。

 そうして、びっくりしたような顔のメンデルトとホセに指示を出す。


「素材を押さえてくれ!」

「素材、ですか……?」

「薬の原材料だよ!」


 流通している薬とは、調合済みの物をいう。

 なぜ調合するかと言えば、効能を高めるため。

 、だ。

 当然ながら、調合などしなくても効能自体はあるのだ。


 だが、エウリアスのアイディアに、メンデルトが首を振る。


「いい案だとは思うのですが、さすがに薬草のままでは流通そのものが、あまり……。」


 効能を高めた薬が流通しているのだ。

 わざわざその材料を買う者は少ない。

 だが、エウリアスはニッと口を端を上げる。


「いや、きっといっぱいある。」

「い、いえ、薬草を買うような人はあまりいませんので、大した量は出回っては……。」

「だから、ある所にはあるだろう?」

「ある所?」


 ホセが、エウリアスの言っていることが分からず、怪訝そうな顔になる。


「薬を生産している工場だよ。材料がなければ薬を作れない。なら、生産する薬の分だけ、材料を持っているはずだ。」

「工場から、材料を買うのですか!? 薬ではなくて!?」


 エウリアスのアイディアに、メンデルトが目を丸くした。


「生産された薬も、可能な限り買いたい。だが、まだ調合していない材料も、買えるだけ買う。効果は落ちるかもしれないけど、無いよりは遥かにマシだよ。」


 エウリアスがそう言うと、グランザが頷いた。


「兵士の間でも、そういった方法は普通に伝わっておりますな。山で怪我をした時など、薬草をその場で潰して塗ったりします。」


 腹を下したら、この薬草。

 傷には、この葉っぱ。

 熱が出たらこの草を齧ってろ。

 そういった方法が、伝統的に伝わっているらしい。


 エウリアスは、真剣な目でメンデルトを見る。


「生産している工場と話をつけてくれ。買値は、その材料で生産できる薬と同額で買い取る。」

「調合前の材料を、薬の値段で買い取るのですか!?」

「まあ、交渉は任せるよ。だが、薬として売った方が得だと思えば、売ってはくれないだろう? 時間や手間が省け、燃料費などもかからない。それで薬の値段と同額で買い取るとなれば、優先して回してくれるかもしれないだろ?」

「そ、それはそうですが……。」


 薬の高騰が始まっているなら、こちらも手段を選んでなどいられない。

 時間の経過とともに、どんどん値段が上がってしまうかもしれないのだ。


「生産されるのを、悠長に待っていることもできない。できるだけ早く救援物資を送りたいんだ。」


 薬を作るのにどのくらい時間がかかるか分からないが、現在生産している分さえ、すでに押さえられているかもしれない。

 もしかしたら、これから生産する分さえも押さえられているかもしれないが、それを材料の段階で横取りさせてもらう覚悟で交渉させる。


 ホセが、呆れたようにエウリアスを見る。


「市場が滅茶苦茶になりますね……。王都の人たちが困りますよ?」

「王都で在庫を抱えてる商会など、利益のために抱え込んでるだけだろう? そんな商会に遠慮なんかしてられるか。あまりに状況が悪化すれば、国が抱え込んだ商会に吐き出すよう命じるだろ。」


 今苦しんでいるラグリフォート領で暮らす人々のために、エウリアスは全力を尽くす。

 材料ごと買い占めたと悪評が立とうが、そんなことはどうでもいい。

 エウリアスの評判とラグリフォート領の民の命なら、天秤にかけるまでもない。


 そこで、ドアがノックされてステインが入ってくる。


「エウリアス坊ちゃま、大変お待たせいたしました。準備が整いました。」


 エウリアスが立ち上がると、メンデルトとホセも立ち上がった。


「とにかく、交渉なんかの細かいことは二人に任せる。今すぐ引き取れる分に関しては、ここに運んでくれ。もし運搬に手が必要なら言ってくれ。グランザ、兵士で動かせる人員は物資の運搬を手伝わせろ。」

「了解です。雨ざらしにならんように、兵士の宿舎を一つ倉庫代わりにしましょう。」

「すまない、そうしてくれ。あ、そうそう――――。」


 そこでエウリアスはメンデルトを見た。


「買い付けの上限は、とりあえず五千万リケルで頼む。」

「「ごっ……!?」」


 軽い感じで大金を動かすエウリアスに、メンデルトとホセが絶句する。


 何でそんなに驚くんだ?

 別に俺のお金じゃないし、稼いだのも俺じゃないのに。

 ただ借りて使うだけなら、誰にでもできることだ。

 まあ、二人にはそんなことは分からないか。


 驚く二人を置いて、エウリアスは応接室を出る。

 すでにエウリアスは、あるものとして一億リケルの予算の使い方を考えていた。


(さて、これで借りられなかったらどうしようね?)


 馬車に乗り込みながら、そんなことが少しだけ脳裏を横切った。







■■■■■■







 エウリアスはステインを伴い、銀行に向かった。

 疫病の話が多少は伝わっているはずだが、街はいつも通りだ。

 きっと、遠く離れた領地の話だと思っているのだろう。


「…………何気に、銀行って初めてかも。」


 馬車の窓から外を眺め、エウリアスが呟く。

 向かいに座ったステインが頷いた。


「多額の送金や、借りたり預けたりする必要がなければ、普通は行きませんので。」


 エウリアスが、自分でお金を支払ったりするするようになったのは、王都に来てからだ。

 それも財布カードウォレットに入っているお金で支払っているだけなので、実際はお金を直接触ったことがほとんどない。

 このウォレットにお金を入れておくのも銀行だ。

 ただし、ウォレットはウォレット専用の銀行があり、そこにお金を預けることで支払われる。

 エウリアスの毎月の小遣いは、ステインがそのウォレット専用の銀行に入金することで使えているわけだ。


 そんな話をしていると、銀行に着いた。

 王都の中心に近い、大通りに面した建物が銀行だった。

 エウリアスは、その立派な建物を見上げる。


「看板も何もないんだな。」

「紹介がなければ、普通は口座を作ることもできません。こうした銀行は、貴族や富裕層だけを相手にしていますので。」


 銀行とは、お金を預けるだけで増やしてくれるらしい。

 ただし、最低でも「〇〇リケル以上」という金額設定があり、普通の平民では一生かかってもそんな金額を用意できないそうだ。


 エウリアスが建物に入ると、広々とした清潔感のあるロビーに数人の男女がいた。

 受付のカウンターが正面にあるが、ぶっちゃけガラガラだった。

 入ってきたエウリアスたちに気づき、品の良い男性が声をかけてくる。


「ようこそいらっしゃいました、ステイン様。」


 ステインは頷くと、エウリアスを紹介する。


「こちらはラグリフォート伯爵家の嫡男。エウリアス様です。」


 ステインが紹介すると、その男性が恭しく頭を下げた。


「初めましてエウリアス様。当行は初めてでございますか?」

「ええ、普段はステインに任せているので。」


 エウリアスがそう言うと、その男性が頷いた。

 そうして、用件を聞く前から奥へ案内した。

 どうやら、見知った相手は奥の部屋で対応するようだ。

 ロビーがガラガラだったのは、そういう理由らしい。


「すぐに担当が参ります。少々お待ちください。」


 案内されたのは、これまた広々とした応接室だ。

 テーブルやソファーセットはラグリフォート産、壁には大きな絵画が飾られ、上得意用の部屋だと一目で分かった。

 というか、上得意しか顧客にいないか?


「うちって、お得意様なのか?」

「勿論です。」


 ふかふかのソファーに座り、後ろに控えるステインに声をかける。

 エウリアスは担当が来るまで、少し疑問に思っていたことを聞いてみることにした。


「さっき、俺は一億リケルまで借りられるって言ったよな?」

「はい。」

「何で借りるんだ? うちなら、一億くらいはありそうだけど。」


 エウリアスには、ラグリフォート家の財政の詳しいことは分からない。

 それでも、普段のエウリアスの生活などを考えると、それくらいはありそうなのだけど。


「勿論ございます。ただ、旦那様は借り入れを有効に活用されているだけでございます。」


 それは、ゲーアノルトのお金に対する考え方のようだ。

 とにかく、手元の資金を厚く残しておく。

 ぶっちゃけ、まったく借金などせずとも領地を経営できるが、あえて借りているのだと言う。


「何で? 借金って、利子もつけて返すんだよね?」

「はい。ですが、資金があるからといって使ってしまうと、その分だけ手元の資金が減少します。」

「それはそうだろう。」

「ですが、借り入れで賄えば、一切手元の資金に手をつけず設備投資などが行えます。」


 利子で実際に借りた金額よりも多く返すことになろうと、とにかく現在の手元資金を減らさないことを一番に考えているのだとか。


 仮に、一億リケルの現金があったとしよう。

 一億の設備投資を思い立ち、その現金を使ってしまえば手持ちはゼロだ。

 これでは、次に何かあっても身動きが取れない。


 だが、手元の一億リケルには手をつけず、借り入れで一億の設備投資を行った場合はどうだろう。

 一億を丸まる残したまま、一億の価値のある設備が整うわけだ。

 確かに少しずつ返していかなくてはならないお金だし、借りた金額よりも多く返すことになる。

 だが、一億の設備投資で出た利益で返せばいいだけなので、まったく懐は痛まない。


 単純化した話なので、かなり極端な例かもしれないが、基本的な考えはこういうことらしい。

 銀行は利子で儲け、ゲーアノルトは設備投資で儲ける。

 お互いに利のある話というわけだ。


 そんな話を聞き、エウリアスはぽかーんとなった。


「そんな方法が…………父上は天才か!? ていうか、錬金術師か!」

「先代が資金繰りで大変苦労されていましたので……。そうした姿を見て、必死に考えたのでしょう。現在、借金だけを見れば、ラグリフォート家は非常に多額の借り入れをしています。しかし、その数十倍の資産を旦那様が継がれてから築き上げました。」

「数十倍……。」


 エウリアスがゲーアノルトの経営手腕に愕然としていると、先程とは別の男性がやって来た。

 初老といえるその男性は、とてもにこやかな笑顔でエウリアスの向かいに座った。

 手に持っていた紙の束を、膝の上に置く。


「お待たせいたしました、エウリアス様。本日は、どのようなご用件でしょうか?」

「こちらの銀行から、一億リケルほど借りることができると聞いているのですが。」


 エウリアスがそう言って、貴族家の紋章ファミリークレストの刻まれたネックレスを見せると、「少々お待ちを」と紙の束をめくる。

 そうしてパラパラ……とめくっていき、初老の男性の手が止まる。

 しばらく書類に目を通し、男性が顔を上げると、より一層にっこりと微笑んだ。


「そのような契約にはなっていないようですね。」

「は?」


 しかし、そんな契約はないと言われ、エウリアスは間の抜けた声を漏らしてしまうのだった。




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