第170話 秘密の予算
メンデルトとホセから話を聞き、エウリアスは自室に戻った。
人払いをし、エウリアスがソファーに座ると、ステインが苦し気に呟く。
「……大変なことが起きましたな。」
突然の話に、正直まだ頭が追いつかない。
それでも、対応を考え、すぐにでも動かなくてはならない。
タイストは顔をしかめ、がりがりと頭を掻く。
「街道を封鎖し、人と物の動きを止めれば、確かに疫病自体は終息には向かいます。ただ、それは……。」
「必要な人や場所に、必要な物資を運ぶことすらできない。」
エウリアスが言うと、タイストが重く頷いた。
病に苦しみ、倒れていく人を見殺しにするという方法。
ひどい話ではあるが、周囲に感染可能な人がいなくなれば、そこで疫病は止まる。
言ってみれば、街道の封鎖とは最終手段なのだ。
そこまでしなければ、もはや感染の拡大を止めることができない、と。
「父上がそこまでする必要がある、と判断したんだ。きっと、相当にひどい状態だったのだろう。」
エウリアスも、ショックが大きい。
無力感に、打ちひしがれるような感覚。
しかし、そんな思いとは裏腹に、心の奥底から湧き上がってくるものがある。
エウリアスの目に、力を籠もる。
「とにかく、このままにはできない。できることをやっていこう。救援物資を送り、少しでも犠牲者を減らす。」
「そうですね。」
エウリアスが方針を打ち出すと、タイストが頷く。
しかし、そこでステインがエウリアスをじっと見つめる。
「…………だめですよ、エウリアス坊ちゃま。」
その言葉に、タイストが怪訝そうにステインを見る。
そうして、ステインの見つめるエウリアスに視線を向けた。
「坊ちゃん? ………………まさか!?」
ステインの視線を正面から受け止め、エウリアスも真っ直ぐに見つめていた。
その目に、ステインは強い覚悟を感じ取っていた。
「
「そうだな。」
ステインの確認に、エウリアスは視線を逸らさずに答える。
「物資は、領境で渡すだけで十分でございます。あとは、中で何とかしてもらいましょう。」
「……………………。」
だが、ステインの案に、今度はエウリアスは反応を示さない。
ただ、真っ直ぐにステインを見る。
エウリアスの部屋に、重苦しい沈黙が落ちる。
タイストが、大きく溜息をついた。
「坊ちゃん…………さすがにそれは受け入れられませんよ。」
タイストも、エウリアスが何を考えているのか、理解した。
そのため、あえてはっきりと言葉にする。
「物資は、我々で運びます。ですから坊ちゃんは、王都で待っていてください。」
「…………っ。」
そう。
エウリアスは、自分で救援物資を届けることを考えていた。
タイストの言葉に、苦し気に首を振る。
「父上がご無事か分からない……。母上やアロイスが、どんな状態かも分からないんだぞ……?」
「ですが……! いえ、だからこそ、坊ちゃんはここに残ってください! 坊ちゃんがラグリフォート領に行くなんて、絶対にだめです。」
「もし父上が罹っていたらどうするんだ! いきなり街道の封鎖なんて、父上らしくない! もしかしたら、まともに指示も出せない状況かもしれな――――!」
「だからこそ、坊ちゃんが戻ってはだめなんですっ!」
最悪の事態。
もし、すでにゲーアノルトがこの疫病に罹っていたら?
エウリアスは、ゲーアノルトを助けることに全力を尽くすため、自らラグリフォート領に行くことを主張する。
この場合の助けるとは、ゲーアノルトが疫病に罹っていたらというのもあるが、疫病の鎮圧のために尽力することも含んでいる。
タイストは、
ゲーアノルトが病に倒れても、エウリアスがいればラグリフォート家は存続できる。
エウリアスさえ無事であれば、ラグリフォート領を再興できるからだ。
それぞれの思いを胸に、エウリアスとタイストが黙って睨み合う。
そこで、廊下が騒がしくなった。
「お、お待ちください! 現在、お人払いを――――!」
「ええい、煩いっ! それどころではないわ! どけっ!」
エウリアスの部屋の前で、引き留める護衛騎士を振り払うグランザの声。
バンッとドアが開き、すぐにグランザが部屋に飛び込んできた。
「ユーリ坊ちゃん、大変です! ラグリフォート領が街道の封鎖をしているとの噂が――――! ………………あ?」
勢いよく部屋に飛び込んだグランザだが、険悪な空気の室内に、首を傾げる。
「あのぉ……坊ちゃん?」
珍しく空気を読み、グランザは恐るおそるエウリアスに声をかけるのだった。
■■■■■■
翌日。
朝からメンデルトとホセがエウリアスの屋敷にやって来た。
応接室で、二人から報告を受ける。
話を聞くのは、エウリアス、ステイン、タイスト、グランザだ。
「結論から申し上げますと、すでに薬などは押さえられつつあります。」
メンデルトが、そう心苦しそうに言った。
「私たちが疫病の話を耳にする前に、すでに耳聡い者がこの話を掴んでいたようです。」
「話が広まる前に、現物を押さえに来たか……。」
エウリアスがそう言うと、ホセが頷いた。
一部の商会が、疫病で需要が高まると思われる物資の、買い占めに動いているらしい。
利に聡いのは悪いことではないが、人の命のかかったことまで利用するのは、少し思うところがなくはない。
「熱冷ましや、腹下しの薬。また、この疫病が全身からの出血を起こすものだと言う噂があり、包帯なども品薄になっているそうです。」
すでに価格が上がり始め、店先から消えつつあるらしい。
倉庫にある在庫を押さえられ、在庫はあるが店頭には並ばないという状況になってきているそうだ。
メンデルトが真剣な口調で続ける。
「私が個人的に繋がりを持っている商会や問屋にかけ合い、多少は入手できるようにしました。しかし、領地全体と考えた場合、とても足りるとは……。」
どれほどの数が必要になるかも分からない。
また、一般的な流行り病の症状を考え、熱冷ましや腹下しの薬を手配しているが、本当にこれが有効かも分かっていないのだ。
極端な話、手配した物資が丸ごと無駄になる可能性もゼロではない。
タイストが、苦し気に顔をしかめる。
「情報が少なすぎますね。」
「しかし、確実な情報となると、ラグリフォート領に人をやって確認させるしかありません。ですが……。」
そこまで言い、ステインが言い淀む。
エウリアスが、腕を組んで頷く。
「…………持ち帰るのが、情報だけならいいがな。」
エウリウスの言葉に、グランザが悔し気に天井を仰いだ。
そう。
ラグリフォート領に実情を確認しに行ったとして、その者が感染しないとは限らないのだ。
もしもその者が感染して戻って来れば、途中の街、そして王都に流行り病を持ち込むことになる。
また、行って戻ってくるだけで、どんなに急いでも一週間くらいはかかる。
その間にも薬の買い占めは進み、入手がどんどん困難になるのだ。
エウリアスは組んだ腕の上で、指をトントンと動かす。
「現状問題になっているのは、情報の曖昧さ。……物資の入手……価格の上昇か。」
そう呟き、ステインに視線を向ける。
「ステイン。どのくらい予算を捻り出せる?」
昨日の話し合いの段階で、エウリアスはステインに屋敷の運営資金の節約を指示していた。
少しでも、救援物資の確保のための資金に回すために。
ステインは一度タイストに視線を向けると、タイストが黙って頷く。
「昨日、あの後タイストと話をしまして……。」
「うん? それで?」
エウリアスは何のことか分からず、続きを促す。
だが、タイストがエウリアスに小声で耳打ちする。
「すみません、坊ちゃん。こちらへ。」
そう言って、ドアの方へ向かった。
グランザは何のことか分からず、ステインやタイストを見て首を捻る。
「悪い。ちょっと待っててくれ。」
「はい……。」
エウリアスはメンデルトとホセに声をかけてから、タイストの後を追う。
ステインが、そんなエウリアスの後に従った。
隣の応接室に移り、タイストとステインが真剣な顔でエウリアスを見る。
「どうしたんだ? わざわざ場所を変えるなんて。」
「少々、他の者には聞かせられない話ですので。」
タイストがそう言うと、ステインが頷いた。
ステインが説明する。
「実は、私とタイストには、ある権限が旦那様より与えられておりました。」
「父上から、権限? 二人に?」
「はい。それは、私たちの両名の同意により、エウリアス様にお話しする、という権限です。」
ステインの言うことが分からず、エウリアスは目で続きを促す。
「必要に応じ、エウリアス坊ちゃまは一億リケルの予算を自由に使うことができます。」
「…………………………は?」
いちおく、りける?
…………いちおくって、いくらだ?
その途方もない金額に、エウリアスは目を瞬かせた。
タイストが続きを引き取る。
「この予算のことをお伝えする権限が、私たちには与えられていました。昨日話をした後ステインとも話し合い、この予算について坊ちゃんにお伝えするべきだ、という意見で一致しました。」
「一億、リケル……。」
エウリアスは、あまりの金額の大きさに他の話が入って来なかった。
「厳密には、この予算は銀行から借り入れるという形になります。一億リケルまではラグリフォート家の信用で、坊ちゃんが自由に借りることができるというものです。」
「一億、リケル……。」
エウリアスは、うわ言のようにその金額を繰り返した。
「坊ちゃんっ、呆けてる場合ではありません! 確かに大きな金額ではありますが、それでも限られた予算です。どのように使うか、配分をしっかり考えてください!」
「――――はっ!?」
タイストに強く言われ、エウリアスが気を引き締める。
ステインが、苦笑した。
「聞いてらっしゃいましたか? ラグリフォート家の信用で、エウリアス坊ちゃまは一億リケルを上限に、自由に借りることができるのです。」
「一億、リケル……。」
エウリアスはまた意識がどこかに行きそうになり、軽く頭を振る。
意識をしっかりとさせて、ステインを見た。
「それは、どうすればいい? どうすれば使えるようになるんだ?」
「王都に銀行の本店がございます。そこにエウリアス坊ちゃまが直接出向く必要がございます。」
「分かった。すぐに行く手配をしてくれ。」
「かしこましました。」
そうして、エウリアスはタイストに視線を向ける。
「今日は、学院に行ってる時間はなさそうだ。休みの連絡をしておいてくれ。」
「分かりました。」
「それと、伝言を頼む。」
「トレーメル殿下と、ルクセンティア様ですね? どこまでお伝えしましょうか?」
「疫病と街道封鎖の話は、すでに広がり始めている。二人が耳にするのも時間の問題だろう。伝えて構わない。」
「分かりました。」
「俺は、この対応のためにしばらく休むかもしれないと伝えておいてくれ。」
「はっ。」
ステインとタイストが、エウリアスの指示を受けてすぐに動き出す。
(万全とはいかないかもしれなけど、それでも思った以上の予算が手に入った。絶対に有効活用しないとな。)
限られた予算の使途を考えながら、エウリアスは部屋を出るのだった。
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