第169話 急速な感染拡大
先触れも、事前の面会申し込みもなく、突然やって来たメンデルト。
少々驚きはしたが、エウリアスはすぐにメンデルトと会うことにした。
「そのお茶持ってきて。」
「かしこまりました。」
エウリアスは、淹れさせていたお茶を応接室まで運ばせた。
そうして応接室のソファーに座り、テーブルにセットされたお茶に、砂糖を入れていく。
一杯……二杯……三杯……四杯……五杯……。
もはや溶けきれないほどの砂糖を入れ、スプーンでかき混ぜる。
砂糖の粒がぐるぐる回るお茶を、ぐいーっと飲み干した。
「くあっ! あっまぁーーっ!」
自分で入れておきながら、それでも言わずにはいられない。
強烈な甘さだった。
しかし、疲れた頭にはこの甘さこそがいいのだ。
「もう一杯。すぐにメンデルトも来るから、彼の分も。」
「はい。」
「どうぞ。」
メイドにお茶を淹れるのを続けさせ、声だけで入室を許可する。
護衛騎士に連行されるように、コルティス商会のメンデルトがやって来た。
「ああ、一人じゃないのか。ホセも久しぶりだね。」
「お久しぶりです、エウリアス様。」
メンデルトとホセが、揃って頭を下げる。
ホセとは冬休みの最初の頃に会っただけなので、何だかんだ四~五カ月振りだった。
「どうぞ、座って。」
「はい、失礼いたします。」
エウリアスは席を勧めると、テーブルの上の焼き菓子に手を伸ばし、口に放り込んだ。
先程のお茶の甘さが口に残っており、焼き菓子の甘さを微塵も感じなかった。
「それで、どうしたんだ突然? あ、イレーネには会ってる?」
「いえ、イレーネとは昨年の末頃に会ったくらいで……。」
「そういえば、冬休みに帰省するように説得に来たんだっけ。」
しかし、メンデルトの説得空しく、イレーネは寮で冬休みも訓練に明け暮れていたと聞いている。
「あ、あのっ、エウリアス様!」
そこで、メンデルトが焦ったように声を上げた。
「今日は、私のことはいいのです! 急ぎ、エウリアス様にお伝えしたいことが……!」
「ああ、そうだな。早速教えてもらえるか?」
「は、はい……!」
しかし、早速言いだそうとしたメンデルトを、エウリアスは手で止めた。
「待った。その前に、その話はみんなに聞かせていい話か?」
エウリアスがそう言うと、メンデルトとホセは部屋の中のメイドや護衛騎士を見た。
眉間に皺を寄せ、微かに首を傾げる。
「わ、私では、その……判断いたしかねます。ですが、最初は知る者を絞った方がいいかと……。」
「そうか。」
エウリウスは少し考え、人払いをすることにした。
ただし、タイストとステインを急遽呼び、一緒に聞くことにする。
「一体、何事でございますか、エウリアス様。」
外出しようとしていたところを、いきなり捕獲されて連れて来られたステインが訝し気に言う。
「俺もまだ分からん。まあ、ちょっと聞いててくれ。」
エウリアスは、最初に確認にきた騎士から『疫病』というワードを聞いている。
少々不穏な話になるかもしれないので、ステインとタイストには聞いていてもらう必要があると判断した。
本当はグランザも呼ぼうかと思ったが、グランザは外出中だった。
午前中から出ているようで、これはどうしようもない。
「それじゃ、話してくれ。」
「は、はい……。」
そうしてメンデルトが話したのは、疫病の発生についてだった。
「……ラグリフォート領で、疫病?」
エウリアスは、ステインとタイストを見るが、二人は首を振る。
そんな話は初耳だった。
ホセが順序立てて、自分が見聞きしてきたことを説明した。
「私はいつものように、ラグリフォート領に納品に向かったのです。しかし、領境が封鎖されていまして。」
領主軍らしき男たちが、街道を封鎖していたと言う。
「こちらもゲーアノルト様に命じられて、お届けに向かっていましたので。一応は説明したのです。『これは、ゲーアノルト様に届ける品だ』と。」
だが、その領主軍の男たちは、まったく取り合わなかったらしい。
疫病が発生しているため、一切の通行を許可できない、と。
「領主軍の方と押し問答をしても仕方ありませんので、私は一旦戻ることにしました。そうしてロランディ領の商会まで戻ると、こうしたことが他の領地でも起きている、と。」
「私が聞いたところでは、ラグリフォート領だけでなく、他にも四つの領地で領境の封鎖がされているようです。」
ホセの説明に、メンデルトが補足を加える。
丁度その頃、他の領地でも領境が封鎖され、困っているという商会の話を聞いたらしい。
エウリアスは足を組み、顎に手を添えた。
「四つの領地? どこだ?」
「ヤノルス男爵領、カッキーノス男爵領、チェレンシーノ子爵領。それと、ムルタカ子爵領です。」
「すべて、隣接した領地だな。」
「はい……。」
ラグリフォート領を含む、王国東部の五つの領地で疫病が発生した?
そのため街道を封鎖し、往来を禁じるというのは、対応としてはおかしなことではない。
しかし……?
「急すぎるな……。流行り病が発生したなんて、俺は初耳だぞ?」
エウリアスがそう言うと、ステインが頷く。
タイストが首を捻った。
「どこどこで流行ってるらしい。そんな話が少しは聞こえてくるもんですがね。それなのに、いきなり街道封鎖するほど蔓延するなんて……。今まで聞いたことがありません。」
タイストの意見に、エウリアスは頷く。
メンデルトも、真剣な顔で頷いた。
「私ら商人にとって、こういう情報はとても重要です。もしもそんな話があれば、これまでにも耳にしているはずなんです。」
商会を営むメンデルトの繋がりを以てしても、この話は寝耳に水だったらしい。
エウリアスはこめかみに指を当て、トントンと叩く。
「これが本当に疫病なら、とんでもない早さで感染が拡大してるってことじゃないか。」
エウリアスは目を閉じ、考える。
王国東部の、広範囲に一気に広がった疫病。
街道を封鎖し、大人しく終息するのを待つのか?
いずれは終息するだろうが、それまでにどれほどの被害が出るか……。
メンデルトはお茶を一口、二口と飲んだ。
そうして、大きく溜息をつく。
「ラグリフォート領でそんなことを起きているなら、エウリアス様にも早くお伝えしないと、と思いまして。すでにご存じかもしれないですが、念のために……。」
「そうだったのか。ありがとう、メンデルト、ホセ。」
「いえ、お世話になっているのはこちらですから。」
「エウリアス様は、私の命の恩人ですので。」
そう、ホセが頭を下げた。
とにかく、ラグリフォート領で大変なことが起きた。
急いで伝えないと、と駆けつけてくれたらしい。
エウリアスは、メンデルトとホセをじっと見る。
「二人は、いつまで王都にいるんだ?」
「いつまで……。急いでエウリアス様に伝えようとやってきただけなので、特には決めてはいませんが……。」
「じゃあ、済まないが少し手を借りてもいいか?」
「……と、言いますと?」
エウリアスが何を言うのか分からず、メンデルトとホセが顔を見合わせる。
「疫病なら、きっと薬なんかが必要になると思うんだ。この話が広がると入手が困難になるかもしれない。商人同士の繋がりを使って、集められないかと思ってね。」
「なるほど、分かりました。おっしゃる通りです。そういうことでしたら、可能な限りお手伝いさせていただきます。」
「済まないな。ただ、こっちもまだ方針が定まらないんだ。できれば、明日また来てくれるか? それとも、今日はうちに泊まる?」
そう言うエウリアスに、メンデルトは首を振ると表情を和らげた。
「いえ。それでしたら、これから早速動こうと思います。情報の収集と、物資の確保を進めておきます。」
「ありがとう。ただ、どんな物が必要になるか、まだ分からないから……。」
「そうですねえ……。熱冷ましや、腹下しに効く薬なんかなら、まったく必要ないということはないんじゃないですかね? その辺りだけ、目途をつけておくとか。」
「そうしてもらえるか?」
「分かりました。」
メンデルトとホセが立ち上がる。
エウリアスも立ち上がると、手を差しだした。
「遠い所をわざわざ、本当にありがとう。心から感謝するよ。物資の方、くれぐれも頼む。」
「かしこまりました。」
「お任せください、エウリアス様。」
二人としっかり握手を交わすと、エウリアスはエントランスまで見送った。
そうしてステインとタイストを連れ、自室に戻るのだった。
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