第168話 疫病
騎士学院のグラウンド。
春も半ばを過ぎたある日。
エウリアスは、クラスメイトの数人に囲まれながら、運動場をうろうろ歩いていた。
これも、騎士としての訓練の一環。
ただしエウリアスの訓練ではなく、エウリアスの周りにいるクラスメイトたちの訓練だ。
現在のエウリアスは、護衛対象役。
エウリアスが適当に歩き、そのエウリアスに合わせて護衛のフォーメーションを維持する訓練だ。
エウリアス以外にも、トレーメルやルクセンティアも護衛対象役として、あちこちを歩き回る。
時々、トレーメルやルクセンティアと合流し、また別れてと、とにかく適当に動き回る。
急に立ち止まったり、方向転換などもしながら、それでもフォーメーションを維持する訓練だ。
「前二人、ちょっと離れすぎかな。護衛対象の動きには常に気を配って。」
「は、はい。」
エウリアスのペースダウンに気づかず、前に行き過ぎた護衛役に注意をする。
普段のエウリアスもそうだが、いちいち護衛に「右に行くよ」「ちょっと止まるよ」などと声をかけない。
それらは、護衛が自分で把握し、対応すべきことだからだ。
周囲に不審な動きをする者がいないか。
そうしたことを確認しながら、護衛対象の動きにも注意を払う。
護衛とは、ただ傍にくっついていれば済むような、そんな簡単なものではない。
学年が進むと、実際に群衆役の生徒を置き、さらに襲撃者役も配置されるようになる。
屋内での護衛の練習も、そのうち行うようになるそうだ。
ただ、今はまだそこまでではない。
護衛対象に合わせてフォーメーションを維持することさえできないようでは、その先の訓練に進むことはできないからだ。
授業が終わり、教室に戻る。
ルクセンティアが、明らかにしょんぼりしていた。
「……また、護衛役ができなかったね。」
エウリアスがそう声をかけると、さらに肩を落とした。
「私も護衛がやりたいのに……。」
「まあ、そこは仕方ないだろう。護衛の練習は、家でやるしかないのではないか?」
落ち込むルクセンティアに、トレーメルが苦笑する。
ルクセンティアはこの護衛の訓練で、まだ一度も護衛役をやらせてもらっていない。
すべて、エウリアスと同じように護衛対象役なのだ。
エウリアスやトレーメルは騎士学院に通ってはいるが、実際に自分が護衛する側になることは少ないだろう。
非常時に、自分よりも上位の者を護衛する可能性はゼロではないが、ほぼあり得ない。
まあ、そのあり得ない事態がオリエンテーリングでは起きたわけだが。
とはいえ、さすがにそんなことは異例中の異例だ。
普通に考えれば、エウリアスとトレーメルは常に護られる対象だ。
しかし、ルクセンティアは騎士志望。
護衛する側の訓練をしたいのだ。
だが、公爵家の息女が護衛をする側というのは、学院からすれば現実的ではないのだろう。
そのため、他の平民の学院生に護衛役をやらせ、ルクセンティアは護衛対象役ばかりだった。
エウリアスは自分の席に着き、ルクセンティアの方に振り返る。
「一応は
「それはそうなのですが……不公平です。」
ルクセンティアが唇を突き出し、珍しく不満を漏らす。
そんなルクセンティアに、トレーメルが呆れる。
「当たり前だろう? 公平なものなど、この世のどこにあると言うのだ?」
王族や貴族という、生まれた時から不公平の上に君臨する立場で、公平を求める方がおかしい。
どうしても『立場』というものが付いて回るため、これは仕方のないことだ。
むしろ、公平を求めるなら、すべてにおいて公平であるべきだ。
貴族家の縁者としてのメリットを享受し、部分的に公平を求めるなど、傲慢の極み。
やるなら王族や貴族など廃し、人類みな平等で、すべてにおいて公平を目指すべきである。
(うん、あり得ないね。絶対無理。)
そんな世界が実現したら、それ即ち王国の崩壊である。
まあ、そんなことはルクセンティアも分かっているだろうけど。
二年生になり、これまで数回この護衛の訓練の授業があったが、一度も順番が回ってこないため、ちょっと愚痴が言いたいだけだろう。
「トレーメル殿下のおっしゃる通り、練習なら家の護衛騎士を使ったりして、家で練習するしかないのではないでしょうか。」
それまで黙っていたイレーネが、現実的な案を挙げる。
もっとも確実な案だ。
これなら本職のアドバイスを聞きながら、みっちり練習することができる。
(そういう機会がないから、平民の学院生を優先するのだろうね。その気になれば、俺たちは自分でやれちゃうわけだし。)
一声で、何人でも騎士を集めることができる。
本職から指導を受けながら、納得できるまで何度でも練習することが可能だ。
エウリアスは、にっこりとルクセンティアに微笑みかける。
「学院では、みんなに譲ってあげよう? 彼らにとっては、それでも少ない機会だと思うよ?」
おそらく学院の授業だけでは、本当に基本的なことを身につけるので精一杯だろう。
その機会を奪ってしまうのは、良いことではない。
「今度、うちで練習する? 俺も授業では護衛役はやれそうにないからさ。」
「ユーリの屋敷でか? どうせなら、僕が場所を提供してもいいぞ?」
「で、殿下が場所を提供って……?」
トレーメルの提案に、イレーネが声を震わせた。
エウリアスも、げんなりしてトレーメルを見る。
「さすがに、王城でなんかできないって。」
「僕は構わんぞ? 使用人を集めて、巻き込まれる人の役もやらせようか。襲撃者役も――――。」
「そこまでやったら、まじで捕まるわ!」
下手をしたら、王城を警護している近衛騎士団に本気で制圧されかねない。
それを避けるためには、予め陛下から許可をいただき、王城に勤める人たちに周知徹底してもらう必要がある。
ちょっと「護衛の練習に」という話が、なぜか国家行事並みの大事になってしまう。
「うちでちょっと練習するくらいで十分だよ。なんでこんなことのために、陛下や宰相、大臣にまで話を通さなくちゃなのさ。」
「練習には最高の
そう言って、トレーメルがサムズアップする。
いや、全然いいこと言ってないよ?
「それもう、臨場感じゃないからね。まんま、王城そのものなんだから。」
「本番の環境で練習する以上の、練習があるか?」
それは確かにそうかもしれないけど。
普段から「生活するスペース」という認識のトレーメルと、エウリアスたちでは、根本的に王城という存在に対する認識が違った。
「とにかく王城は無理。いくらメルがいいって言っても、本当にそんなことやったら、絶対父上に怒られる。」
「ユーリは大袈裟だなあ。王城など、そんな畏まるような所ではないぞ?」
「…………いや、畏まる所だからね?」
むしろ、
やはり、エウリアスとトレーメルでは認識が違いすぎる。
エウリアスは、相変わらずしょんぼり顔のルクセンティアに視線を向けた。
「ね? 今度うちで一緒に練習しようか。メルも来る?」
「ああ、いいぞ。護衛役をやってみれば、護衛騎士たちがどんなことで苦労するか分かるかもしれないからな。」
そう言うトレーメルの後ろで、トレーメルの護衛騎士がこっそり頷いていたのを、エウリアスは見逃さなかった。
言わないだけで、苦労してるんだね……。
エウリアスはにっこりと微笑み、イレーネを見る。
「イレーネもね。」
「私も!?」
授業で普通に訓練させてもらえる自分まで誘われ、イレーネが素っ頓狂な声を上げる。
「うちなら、乗馬の練習もできるよ。」
「……ぅう……分かりました。」
エウリアスが言った以上、イレーネに拒否権はなかった。
うん、知ってた。
「じゃあ、そういうことでいいかな。ティア。」
「……はい。お願いします。」
ルクセンティアも何とか笑顔を作り、頷く。
ということで、近々エウリアスの屋敷で、みんなで護衛の練習をすることに決まったのだった。
■■■■■■
学院から戻り、エウリアスは自室で資料を読んでいた。
「うへぇー……、もう限界ぃ。」
先程まで読んでいた資料をバサリと置くと、エウリアスは執務机に突っ伏した。
机の上には、いくつかの紙の束が積まれている。
これは、昨年の秋と今年の冬に行われた、議会の議事録だ。
ゲーアノルトに命じられた、議事録に目を通すという課題。
エウリアスは、きちんとこなしていた。
その進みは、少々ゆっくりなものではあるが。
「さすがに、こんなの丸暗記は無理だなぁ……。」
議題の概要と、意見の大雑把な傾向を掴むくらいでいいか?
ゲーアノルトの指示は「目を通せ」だったはずだ。
憶えろ、ではない。
「坊ちゃま。お茶をご用意しましょうか?」
机に突っ伏し、ぐちぐち愚痴を零すエウリアスに、見かねた
「あぁー……、うんと甘くしてー。」
「かしこまりました。」
「あとー、何か焼き菓子貰ってきてー。」
「はい。」
くすくす……と笑いながら、メイドがお茶を用意しに行く。
エウリアスは身体を起こすと、両手で顔を覆うようにして、おでこをぼりぼり掻く。
上の向き、目を揉む。
「ふぅーっ……。」
首を捻り、コキンと鳴らす。
「大分、疲れておるようじゃの。」
「まーねぇ……。」
小声で、クロエが話しかけてくる。
エウリアスも小声で、肩を回しながら答えた。
「其方、意外と真面目よのぉ。」
「意外とってなんだ、意外とって。」
失敬な。
俺はいつでも真面目じゃないか。
……………………。
うん、いつでもは言い過ぎだな。
エウリアスは頬杖をつき、お茶が来るのを待った。
「…………何だよ。何か用事でもあったんじゃないのか?」
「いや、エウの気晴らしにと、声をかけただけじゃ。」
「ははっ。」
エウリアスは少しおかしくなり、笑ってしまう。
そこに、部屋のドアがノックされる。
エウリアスが頷くと、メイドがドアを開けた。
騎士が一人、入室してくる。
その騎士は真っ直ぐにエウリアスの方にやって来て、執務机の前で敬礼した。
「どうした?」
「はっ。メンデルト・コルティスという者が、エウリアス様に面会を求めております。」
「メンデルト? 今王都にいるの?」
「はい。先触れも出さず、いきなり門の所にやって来まして。慌てていたため、うっかりしていたなどと言い訳をしているのですが……。」
うっかり?
まあ、確かにメンデルトは気が急いていると、ちょっとやらかしちゃう傾向があるかもしれない。
前にそれで、学院の正門で騒ぎを起こしていたし。
エウリアスは、そんなところで「メンデルト本人で間違いないかな?」などと思う。
「今どうしてる?」
「少々怪しいため、門で止めておりますが……。」
「すぐ会おう。応接室に通して。」
「はっ。」
騎士が踵を返してドアに向かうと、エウリアスが呼び止める。
「そうだ。何か用件について言っていなかったか?」
エウリアスがそう言うと、騎士が少し困ったような顔になった。
一瞬だけ視線を下げ、すぐにエウリアスを見た。
「疫病がどうとか、そのようなことを言っておりました。」
「…………疫病?」
エウリアスは胸の中に、ざわりとしたものが
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