第167話 違法な増税
春も半ばとなり、外を歩いていると汗ばむような陽気の日が増えてきた。
そんな暖かな日に、ゲーアノルトはレングラーの町の工場の一つに足を運んでいた。
「うーむ……。」
四角に加工した棒を手に持ち、様々な角度に傾けて眺める。
「どうだ、実際にやってみて。問題は?」
棒の一点を睨むようにし、傍らでゲーアノルトを見ていた職人に声をかける。
職人も、難しい顔をして口を曲げた。
腕を組み、首を振る。
「なかなかに、いい
ゲーアノルトが手に持った棒には、一カ所だけ金属が付いている。
木の棒に埋め込まれているかのような、プレート状の金属だ。
この金属プレートには、表面に文字や記号が刻まれている。
しかし、表面はツルツルで、特に何かを刻んだようには思えない。
しかも、その金属はキラキラと輝き、また刻まれた文字や記号が、見る角度で変わるのだ。
多面加工技術。
このプレートは一見すると綺麗に磨かれた平面に見える。
しかし、実際はごく小さい点の集合なのだとか。
仮にその点がサイコロ状だった場合、正面から見える面と、上下左右から見える面が変わることになる。
この、それぞれの方向から見える面に、違う文字や記号を構成する要素を加工する。
そうすることで、プレートの傾きを変えると違う文字や記号が見えるらしい。
あまり細かい文字や記号は描けないが、上下では見える物がはっきりと変わる。
左右でも、やはり違う物が描かれている。
何とも不思議なプレートだ。
ゲーアノルトは、この多面加工技術のごく初期段階のアイディアを、メンデルトから聞いた。
魔法具を用いることで、人の手では不可能な金属加工もできる、と。
これらのアイディアを、エウリアスに紹介された時に、ゲーアノルトは買ったのだ。
是非とも実現してほしい。
そのための研究費は、ラグリフォート家で持つ、と。
資金繰りに苦労しているようなので、他の加工品なども取引するようにして、コルティス商会を支援した。
非常に優れた職人を多く抱えた商会のようなので、このまま潰すのは惜しい。
そう考え、家具に使用する装飾金具なども、いくつか任せてみた。
また、この他の様々な金属加工の研究も、同時に動いてもらっている。
冬の始まりに、コルティス商会のホセが届けたのが、この試作品のプレートだ。
ゲーアノルトは、このプレートを『ラグリフォート産家具』の最上位グレードの品質であることを保証する、認証印にしようと考えた。
このプレートは、偽造など不可能。
コルティス商会だけが独自に持つ技術だ、
偽物問題を解決するための、一つの方法として実用化を考えていた。
すべての家具に付けられれば一番だが、量産化などの問題もあり、まだそこまでの数は用意できない。
そのため、ラグリフォート産家具の中でも『特別な逸品』であることを証明する、印として使うことを現在は考えている。
だが、このプレートが簡単に取り外されては、悪用される恐れも出てくる。
そのため、試作品で取り付け方の研究をさせているのだ。
しかし、困った問題があった。
それは、このプレートの脆弱性だ。
何せ、ほんの少しの歪みで、表面の文字や記号が潰れてしまう。
極小の、サイコロ状の物が並んでいるのだ。
僅かにでも
そうすると、くっついた面に描かれていたものが見えなくなってしまう。
そのため、取り付ける際に、また取り付けた後もまったく曲がることがないようにしないといけない。
職人は別の木の板を手に取ると、やはり取り付けられたプレートを見る。
「不思議なもんです。何と言うか、右目と左目で違う物が見えたりするってのが、こんなに不思議な感覚になるとは……。面白いことを考える者がいるものです。」
「アイディアもそうだが、加工に魔法具を利用するとはな。……私も驚いた。」
「職人からすれば、自分らの仕事が奪われかねないことです。よく、コルティス商会の職人は、こんなことに協力しましたね。」
「それだけ自信があるのだろうな。確かにやりようによっては、職人の仕事に取って代わるような使い方をすることもできるだろう。しかし、ただ同じ物を造るだけの魔法具に、負けるつもりはないのだろう。」
あとは、メンデルトへの信頼もあると言える。
金属製加工品に誇りを持っているメンデルトは、同じことの繰り返しに価値を見出さない。
常に昨日よりも今日、今日よりも明日の方が優れている。
そうした向上していく技術や品質にこそ、高い価値を見出している。
そこに、ゲーアノルトとメンデルトの共通点がある。
ただ「安く造って、高く売れればそれで良い」という考えをしていない。
ゲーアノルトは、木の棒を職人に渡した。
「このプレート自体は、非常に面白い。ここまでの物が出てくるとは、私も思っていなかった。絶対に実用化するのだ。」
「はい。引き続き研究を続けます。」
職人に指示すると、次にゲーアノルトは工場に隣接する倉庫に向かった。
春になり、冬の間に造っていた家具が、どんどん出荷されていく。
それでも、運搬中に破損するような事故があっては大変なので、出荷作業も慎重に行っている。
家具に傷をつけず、しかししっかりと固定する。
そうして王国中、物によっては国外まで運ぶ。
一部は特別に許可した商会を介すが、大半はゲーアノルトの管理する輸送部門が担当する。
「出荷作業に問題は起きていないか?」
「あ、ゲーアノルト様。はい、問題ありません。」
出荷作業の監督を行っている官吏に、声をかける。
官吏が手を止め、恭しく頭を下げた。
「今年は他の領地でも雪があまり降らなかったようで。スムーズに届けられているようです。遅延なく荷馬車が戻って来てくれるので、予定よりも捗っています。」
「そうか。では、そのまま続けてくれ。何かあればすぐ報告するように。」
「はい。」
視察を終え、ゲーアノルトは馬車に向かった。
この後は屋敷に戻り、全体の生産計画の進捗の確認をして、必要があれば計画に調整を行う。
仕事の片付いてきた工場に、新たな仕事を振り、遅れている工場には遅れの原因の確認をしないといけない。
書類仕事の苦手な職人たちでは、報告を紙で求めてもなかなか出して来ない。
それなら人を送り、聞き取りをさせた方が早い。
それでも要領を得ないようなら、ゲーアノルトが直接乗り込んで命令しないといけない。
問題の解決や対処のために、ゲーアノルトは自分で足を運ぶことを厭わない。
貴族であれば、普通は職人や官吏を呼びつけるだろう。
だが、それでは結局時間がかかるのだ。
ゲーアノルトが自分で行って、その場で指示したり命じた方が早い。
そうしてゲーアノルトが馬車に乗り込むと、一台の荷馬車が戻ってきた。
しかし、ゲーアノルトはその馬車を見て、違和感を覚えた。
見ると、どうもその荷馬車は家具を積んだままなのだ。
何かのトラブルがあり、引き返して来たのか?
ゲーアノルトは嫌な予感がし、馬車を下りた。
「あの荷馬車はなぜ戻ってきた? 確認しろ。」
護衛についている騎士の一人に命じ、戻ってきた荷馬車に向かわせる。
(…………頼むから、家具の破損だけは勘弁してくれよ。)
そんな、祈るような思いで向かわせた騎士と荷馬車を見る。
破損でも、簡単な部品の交換で済むこともあるが、非常に繊細な
向かわせた騎士が戻ってくる。
その表情が深刻なものだったため、ゲーアノルトは思わず空を仰いだ。
(遅れる詫び状を書いて……何とか再作成のためのスケジュールを組み込まんといかんな……。全体の生産計画に影響することだけは、何とか避けねば……。)
ゲーアノルトの脳裏に、最悪の事態に向けた対処が思い浮かぶ。
「ゲーアノルト様。少々困ったことが起きたようです。」
「……そんなことは初めから分かっている。いいから要点を報告しろ。」
そうして騎士から報告されたトラブルは、ゲーアノルトの予想の斜め上をいっていた。
「通行税の増税だと?」
「はい。突然五十倍もの通行税を言い渡され、通行の許可が下りなかったそうです。」
「五十倍!? どこの馬鹿だ、そんなことを言い出したのは!」
「ムルタカ子爵領です。」
騎士の報告に、ゲーアノルトは顔をしかめた。
戻ってきたのは、サザーヘイズ領へ家具を運搬するために、昨日出発した荷馬車だった。
ラグリフォート領からサザーヘイズ領へ行くには、もっとも近いのはムルタカ領を経由するルートだ。
いつも通り、決まった額の通行税を払おうとしたが、いきなり五十倍の増税を通告されたらしい。
「通行税は国法で定められています。そのことを言っても、頑として受け付けなかったそうです。」
「…………っ!」
ゲーアノルトの目に、怒りが宿る。
こうした嫌がらせ自体は、実は初めてではない。
手を変え品を変え、様々な方法で嫌がらせを受けた。
こんなことは、先代の頃からあったことだ。
簡単に言ってしまえば「卑しい木こりが荒稼ぎしているのが許せない」といったところか。
そのため、上前をはねてやろうとか、嫌がらせをしてやろう、という貴族はたびたびいた。
おそらく、今回の通行税の増税も、ラグリフォート家の荷馬車にだけ言っているのだろう。
そうでなければ、すべての商会がムルタカ領を避けて通るようになる。
減収で大打撃を受けるのは、ムルタカ領の方になるからだ。
ゲーアノルトは大きく溜息をつき、対応を考える。
国法を無視した勝手な増税なのだから、払う必要はない。
しかし、それをムルタカ子爵に認めさせるのには、少々手間がかかるのだ。
この場合、取り得る手段はいくつかある。
・ゲーアノルトが説得する。
・財務省に訴える。
・ウェイド侯爵に訴える。
・サザーヘイズ家のマクシミリアンに訴える。
・国王陛下や宰相に訴える。
ムルタカ子爵が勝手に言っていることなので、確実にこちらの主張が通る。
それは間違いないのだ。
しかし、その主張を通すのに、ある程度手間がかかった。
ゲーアノルトの説得を聞かない場合、財務省や大公爵、国王陛下などの上位者から命じてもらう必要があるからだ。
(……こうしたことがないように、ウェイド侯爵と繋がりを持ったのだがな。)
商務省で要職に就いていたウェイド侯爵の娘、ノーラと結婚することで、下手なことをしてもすぐに対処されると周囲に理解させた。
おかげで、こうした嫌がらせはほとんど起きなくなったのだ。
今回は通行税の勝手な増税なので、管轄としては財務省となる。
以前は財務省に直接的なコネクションを持っていなかったため、こうした時にもウェイド侯爵に動いてもらっていた。
しかし、今はホーズワース公爵と直接的な繋がりを持っている。
財務大臣を務めるホーズワース公爵が動けば、即座に対処されるだろう。
(こんな勝手な増税を言い出せば、相当なお叱りを受けることになるのだが……。一体、何を考えているのか。)
ムルタカ子爵が何を思ってこんなことを言い出したのか分からないが、馬鹿な真似をしたものだ。
とはいえ、速やかな解決には、どうするべきだろうか。
ムルタカ子爵が後でお叱りや罰を受けようと、それはゲーアノルトには関係ない。
今ゲーアノルトが考えるべきは、なるべく早くに解決する方法だ。
(一番近いのは、マクシミリアン様か。)
財務省、ホーズワース公爵、ウェイド侯爵、国王陛下や宰相。
これらの対処の方法には、王都にまで行く必要がある。
馬車なら七日、飛ばしても五日くらいだ。
それなら、サザーヘイズ領に行く方が遥かに早い。
ムルタカ領を突っ切る形になるが、四日くらいでサザーヘイズ領の領都に着く。
(……まずは直接ムルタカ子爵を説得するか? どうせサザーヘイズ領を目指すなら、通り道だ。これで撤回するなら良し。もしも説得に応じなければ、そのままサザーヘイズ領に向かえば良い。)
ラグリフォート伯爵領も、ムルタカ子爵領も、サザーヘイズ大公爵領も、同じ東部にある領地だ。
東部の問題をサザーヘイズ大公爵が仲裁することも、よくあることだった。
ゲーアノルトは、そう方針を定めた。
「急ぎ屋敷に戻り、支度をする! ムルタカ子爵領に向かうぞ!」
「「「はっ!」」」
騎士たちに命じると、ゲーアノルトは馬車に乗り込んだ。
(他人の足を引っ張ることしか考えぬとは……。貴族うんぬん以前に、人としてロクなものではない。)
ガタガタと揺れる馬車の中で、ゲーアノルトは腕を組み、腹の奥から湧き上がってくる怒りをじっと堪えるのだった。
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