第164話 ユスティナ・スバイム
サザーヘイズ大公爵領、新兵訓練キャンプ。
五百人を超える、今年入隊したばかりの新兵たちが、
サザーヘイズ大公爵領では、領民に兵役を課している。
期間は二年。
十六歳から二十二歳の間に、男性は必ず領主軍で訓練を受けなくてはならない。
女性にも兵役はあり、領主軍での炊き出しや清掃、洗濯、また傷病者の看護などの奉仕が義務づけられる。
戦う必要はないが、戦う者たちを支援することを求めた。
リフエンタール王国の中でも、領民に兵役を課しているのはサザーヘイズ大公爵領だけ。
他の領地では、志願制が採られている。
サザーヘイズ領が、こうした義務を領民に課す理由を理解するには、少々歴史を紐解く必要がある。
サザーヘイズ家は、建国王の弟を祖に持つ。
大英雄ノウマンだ。
ノウマンは七つに分裂した旧帝国の地域のうち、四つを併合する戦いを率いた。
建国した地を含めれば、旧帝国の地域のうち五つがリフエンタール王国の支配地域となり、生まれ変わった。
しかし、一度併合すればそれで終わりかと言えば、答えはノーだ。
建国より二百年もの間、隣国との戦争、国内での反乱が相次いだ。
これらの数々の戦いで、常に中心を成していたのが、サザーヘイズ領主軍である。
王国軍と連携し、時に単独でそうした戦乱を鎮めてきた。
しかし、輝かしい功績は、当然ながら多大な犠牲の上に成り立っている。
建国より五二九年が経ったリフエンタール王国だが、現在の王は二十八代目だ。
そして、サザーヘイズ家は現在の当主マクシミリアンで四十三代目。
実に、十代以上も差がある。
この差が何によって生まれたかと言えば、一番はサザーヘイズ家が常に戦場に立ち続けたから、と言えるだろう。
ここ三百年ほどは平和であったが、建国より二百年は戦乱によって荒れに荒れた。
それでもリフエンタール王国が崩壊せず、現在の領土を保ち続けたのは、サザーヘイズ大公爵が戦場に立ち続けたからである。
戦場で血を流し、時に
そうして大公爵が戦場で剣を振るい続けた結果、リフエンタール王国は戦乱を乗り越え、太平の世を手に入れたのだ。
現在の王国があるのは、サザーヘイズ大公爵家のおかげ。
多くの国民にそう言われ、尊敬を集めるのには、こうした理由があった。
そして、そんな過酷な戦いを支えたものの一つが、この領民の兵役義務だ。
広大な領地を持ち、半自立が認められたサザーヘイズ領は、他の領地とは比較にならない兵数を誇る。
正規兵だけなく、一般の領民でさえ、いざとなれば戦う覚悟を持つ。
こうした領民たちの血と汗に支えられ、現在のサザーヘイズ大公爵領、そしてリフエンタール王国があるのだ。
「「「イチッ! ニッ! サンッ! シッ!」」」
「「「ゴッ! ロクッ! シチッ! ハチッ!」」」
剣を振る新兵たちの間を、一人の女性がプラチナブロンドの長い髪を揺らして歩く。
この女性の
が、それを聞けば、みなが驚かずにはいられない。
どう見ても、見た目には三十に届くかどうかくらいにしか見えないからだ。
この女性の名は、ユスティナ・スバイム。
サザーヘイズ領の新兵訓練キャンプで、二年前から指導教官を務めている。
こうした指導教官は、訓練兵たちから隠れて異名を付けられるのが通例だ。
赤鼻の〇〇、鬼の〇〇といった具合だ。
身体的な特徴や性格などから、揶揄するようなあだ名にされることが多いだろう。
勿論、このユスティナにも異名がつけられた。
三度目の受け持ちの今年の新兵たちも、早くもユスティナにあだ名をつけている。
どうやらそのあだ名は、前年に受け持った訓令兵たちから受け継がれたらしい。
その前年の訓練兵たちも、最初に受け持った訓令兵から受け継いだ。
そのため、三年目の今年も、無事に同じあだ名がつけられることになった。
「「「イチッ! ニッ! サンッ! シッ!」」」
訓練兵たちが、声を上げながら剣を振る。
基本的な型を、繰り返し行う。
パシッ!
ユスティナはふと立ち止まると、ある訓練兵の振っていた剣を素手で受け止めた。
新兵と言えど、剣は金属製である。
それを軽々と受け止めるユスティナに、周囲の訓練兵たちが一瞬どよめく。
ガゴッ! ズザザァー……!
問答無用で一人の訓練生を殴り飛ばし、ユスティナが冷えた目で見下ろす。
「十周。連れていけ。」
それだけ言うと、他の指導教官に顎で示す。
ユスティナの指示を受け、一人の指導教官が、殴り飛ばされた訓練生を立たせる。
十周とは、この訓練キャンプの敷地内にある、ランニングコースの周回数を指す。
ちなみに、このコースの一周は二キロメートルほどだ。
殴られた訓練兵が、ユスティナを睨みつける。
しかし、そんな
「イ……イチッ! ニッ! サンッ! シッ!」
「「「ゴッ! ロクッ! シチッ! ハチッ!」」」
呆気に取られていた訓練兵たちは、慌てて声を出し、型の訓練を再開する。
――――修羅。
それが、ユスティナに付けられたあだ名である。
人とは思えぬ剣の腕を持ち、また容赦がない。
訓練で気の抜けたところを見せれば、指導と称して平然と殴り飛ばし、懲罰的な訓練を課す。
あまりに苛烈な指導に、反発した訓練生もいた。
というか、最初に受け持った訓練生のうち数十人が、指導教官の交代を訴え、ボイコットを敢行した。
その全員が、ユスティナ一人に叩きのめされ、宿舎の窓から放り投げられた。
「その腐った性根を叩き直せ。」
そう言って、全員がぶっ倒れるまで走らせ続けた。
一人、また一人と倒れていく中、ユスティナは最後まで最後尾で追い立て続けた。
訓練兵の全員がダウンしたのを見て、「話しにならないわね」と吐き捨て、指導を終えた。
いくら訓練兵とは言え、数十人もの男を叩きのめした後、全員がぶっ倒れるまでランニングさせる。
それを、ユスティナ自身も平然とこなしているのだ。
この事件以降、誰もがユスティナに逆らうことをやめた。
「
誰かがそう言い、軽々と訓練兵たちを殴り飛ばし、放り投げる姿より『修羅』との陰口を叩かれるようになる。
だが、訓練生たちは知らなかった。
ユスティナ自身が、そんなあだ名を意外と気に入っていることを……。
午前の訓練を終え、ユスティナは大隊長室に向かった。
出頭命令を伝えに来た係官より、何やら辞令が下るらしいとの噂を仕入れた。
(ったく、面倒くさい……。)
そう思いつつ、ユスティナは言われた通り大隊長室にやって来た。
コンコン。
「入れ。」
入室の許可が聞こえ、ユスティナはドアを開く。
大隊長室には、大隊長のじじい一人だった。
ユスティナは大隊長の机の前に立ち、敬礼する。
「ユスティナ・スバイム、出頭しました。」
「ああ、ご苦労。」
大隊長は額の皺をいつも以上に深くし、口を曲げた。
両肘を机につくと片眉を上げて、ユスティナを見上げる。
「ユスティナ君、今年の新兵はどうかな。」
「……どう、とは?」
「使えそうかね?」
「愚問ですね。使える使えないは関係ありません。使えるようにするだけです。どれほど役に立たない、グズでノロマのゴミクズであろうと。」
平然と言ってのけるユスティナに、大隊長が顔をしかめる。
「それがキミの職務であることは理解している。ふむ……確かに愚問だったな。キミの立場では、そう答えるしかないか。」
そう。
どんな役に立たない者でも、それなりに使えるようにする。
それが新兵指導教官の職務なのだ。
「仮に今、彼らを戦地に送ったら、役に立つかね?」
何を馬鹿なことを。
ユスティナは思わず、そう吐き捨てそうになった。
今年の新兵訓練は始まったばかりだ。
今のままでは足を引っ張ることはあっても、万が一にも「役に立った」などと思えることなどないだろう。
とはいえ、指導する者とは僅かな長所を見出し、伸ばしてやることが大事だ。
ユスティナは頭をフル回転させ、今年の新兵の役立つ方法を考える。
「手足をふん縛って積んでおけば、土嚢の代わりくらいにはなるんじゃないですか?」
結論。
どうやっても無理だった。
せいぜい矢を防ぐくらいにしか役に立たない。
自由に動けると絶対に逃げ出すから、動けないようにした上で。
大隊長もこのくらいの返答は予想していたのか、苦笑していた。
「まあ、それは仕方がないな。そう簡単に役に立つようなら、わざわざ新兵用の訓練キャンプなど設ける必要がない。」
「その通りです。」
そんな雑談をして、本題に入る。
大隊長が一枚の紙を差し出す。
「ユスティナ君。キミに異動命令だ。」
「それは有り難いですね。」
少々タイミングのズレた異動ではあるが、
差し出された紙を受け取り、ざっと目を通す。
大隊長が、簡単に説明する。
「現在特殊な任務についている先遣隊の、増援部隊に同行してくれ。身分は作戦司令官の副官
「…………相当?」
ということは、正式な副官は別にいるのだろう。
「作戦司令官というのは?」
「メディー様だ。」
その名を聞き、ユスティナはピクリと眉を動かす。
メディー・サザーヘイズ。
庶流ではあるが、サザーヘイズを名乗ることを許された家。
「面識はあるな?」
「ええ、まあ……。」
スバイム家も、一応はサザーヘイズ家の流れを汲む。
庶流のそのまた庶流という、少々離れた関係のため、サザーヘイズを名乗ることは許されていないが。
「ユスティナ君の剣の腕を見込んでの辞令だ。キミの任務は、メディー様の護衛ということになる。」
「護衛くらい、騎士がついているでしょうに。」
「その護衛よりも、キミの方が頼りになるだろう?」
まあ、負けるつもりはないが、それはあくまでユスティナ側の意見である。
「…………メディー様は、このことはご承知なのですよね?」
ユスティナが念のために確認すると、大隊長が気まずそうに目を逸らした。
ユスティナは、バンッと机に身を乗り出す。
「おいっ、じじいっ! まさか話を通してないのか!?」
「い、一応、伝えはしたようだ。しかし、『不要だ』って。」
「だったらいらないでしょう!」
「ま、万が一があったら大変じゃないか。」
ユスティナが胸倉を掴んで揺すると、大隊長が困ったように言い訳する。
余談ではあるが、ユスティナの家は剣術家の家系だ。
ユスティナと大隊長は、実は家の道場で剣術をともに修めた間柄である。
大隊長の方が兄弟子ではあるのだが、剣の腕はユスティナの方が遥かに上。
宗家であるユスティナの父よりも、剣の腕ならユスティナの方が上なのだ。
ただ女であるという理由だけで、ユスティナは家を継げない。
ユスティナの兄が家を継ぐ予定ではあるが、その兄も領主軍の任務とやらで、もう十数年帰ってきていない。
このままいけば、スバイム家は断絶だ。
まあ、もはや家を継ぐことを諦めたユスティナからすれば、断絶しようがどうでもいいことだが。
ユスティナが手を放すと、大隊長が首を摩りながら「はぁー……」と息を吐き出す。
「昔のユスティナちゃんはあんなに可愛かったのに……。すっかり乱暴者になっちゃって……。」
「何十年前の話してやがんだ、じじい……。あと、ユスティナちゃんと呼ぶな。寒気がする。」
疲れた顔をして、ユスティナが辞令を握り潰す。
くしゃくしゃになった紙を、ぽいっと大隊長に投げた。
「とにかく、勘弁して。ひよこの尻を叩く仕事から、今度が青二才のケツ持ち?」
「そう言わないで。頼むよ、ユスティナちゃん。」
「だから、ユスティナちゃんって呼ぶなって――――。」
「お父さんの推薦なんだよ。上から『腕の立つ者を』と言われて、こんな新兵訓練で腐らせておくくらいならって。」
そう大隊長に言われ、ユスティナが顔をしかめる。
その腐らせる新兵訓練の仕事を命じてきたのも、記憶が確かなら父だったはずだが?
まあ、その父も
「当初は予定になかったのだが、念のために護衛をつけることになった。正直、春の人事異動が済んだばかりで、他に動かせる者がいないんだ。」
大隊長が、くしゃくしゃになった辞令書を広げると、再び差し出した。
苦りきった顔で辞令書を見つめ、ユスティナは引っ手繰る。
「…………来週までに領都で合流。任務がスムーズに遂行されるように補佐し、また
「ただし、護衛は司令官にバレないように、そっと……ね?」
辞令を読み上げるユスティナに、大隊長が補足する。
じとっとした目でユスティナが見ると、大隊長は明らかな作り笑いを浮かべた。
「頼りにしているぞ、ユスティナちゃ――――こ、こほん、ユスティナ君。」
ユスティナにギロリと睨まれ、大隊長が言い直す。
ユスティナは溜息をついた。
「大体…………この先遣隊とか、特殊な任務って何なんです? そんな特殊なこと何かやってるの?」
「それは、合流してから聞いてくれたまえ。私の口から言えることは何もない。」
一応は大隊長として、漏らせないことがあるらしい。
ユスティナは、これ見よがしに盛大に溜息をついた。
それからピシッと姿勢を作り、敬礼する。
「ユスティナ・スバイム、拝命しました。」
「うむ。しっかり頼むぞ。」
こうしてユスティナは急いで支度をし、新しい任務に向かうのだった。
翌日、修羅ことユスティナ教官が異動になったと聞き、訓令兵たちは涙を流して喜んだ。
ある者は飛び跳ねガッツポーズをし、ある者は感極まり雄叫びを上げた。
「あ、忘れ物したわ。」
「「「ぎゃあああああーーーーーっ!?」」」
「「「出たぁぁああああっ!?」」」
さらに翌日、忘れ物を取りに戻ったユスティナの姿を目撃した訓練生たちは悲鳴を上げ、失神者が続出したと日報には記録されている……。
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