第163話 ムルタカの戦いと、そのポイント




 ソリー公爵の屋敷。

 屋敷のすぐ前の芝生で、ソリー公爵がソードの練習をしていた。


 ソリー公爵は屋敷の敷地から出ることはできないが、何不自由のない生活が国王により保証されている。

 この剣の練習もその一つだ。


 近年撤廃されはしたが、『騎士学院の修了』が貴族の家督承継の条件にされていた。

 しかし、実はこの条件には例外があった。

 それがソリー公爵だ。

 ソリー公爵の爵位は、学院の修了に関係なく受け継がれる。


 繰り返しになるが、ソリー公爵は屋敷から出ることができない。

 学院に通えないため、当然ながら学院を修了することができないのだ。

 つまり、サザーヘイズ大公爵家を継ぐ条件も満たすことができない。


 では、どうしているのか。

 答えは簡単で、屋敷内で必要な教育が施されているのだ。

 多くの貴族家の嫡男たちが、学院入学前にほとんどの座学を学んでいる。

 それと同じだ。

 ソリー公爵も屋敷で教育を受け、学院で学ぶすべてのことを身につける。


 運動や剣術も同じだ。

 この屋敷で体力作りの指導を受けることができるし、剣術を習うこともできる。

 そうしてある程度を身につけたところで、学院を修了したのと同じとして扱われるのだ。

 これは、ソリー公爵にある者だけが適用を受けることのできる、例外である。


 だが、現在のソリー公爵であるフィリクスは、一度も剣の手合わせをしたことがない。

 そもそも、フィリクスがソリー公爵としてこの屋敷に来たのは、三十歳を越えてからだ。

 すでに剣術なども身につけているので、今さら改めて学院の教育計画カリキュラムを気にする必要がなかった。


 そのためフィリクスは、剣術の型のおさらいはするが、特に手合わせなどは行っていない。

 いつも、ただひたすら、体力作りと型のおさらいだけを行う。

 十四年もの間、ずっと……。







 ゆっくりとした動きで、フィリクスが剣を振るう。

 体力面だけを捉えれば、こうしたゆっくりとした動きは、実はかなり負担がかかる。

 それを行えるだけでも、フィリクスの体力は相当なものであることが分かる。


 毎日、ひたすら走り込む。

 体力作りを重点的に行うが、剣術はおざなり。

 まともに剣を振っているところを見たことのある者さえ、一人もいなかった。


「ふぅーっ……。」


 一通りの動きを確認し、フィリクスが大きく息を吐き出す。

 女中メイドから差し出されたタオルで汗を拭うと、革袋から水を飲む。


「公爵。たまには手合わせなどはいかがですか?」


 王国軍から派遣されている護衛騎士が、フィリクスに提案する。

 だが、フィリクスはその提案を笑い飛ばす。


「手合わせなど不要だ。私が自分の剣で身を守るような事態になったら、もはやお終いだろう。」

「確かに、おっしゃる通りではあるのですが……。」


 公爵自身が剣を手に、身を守るなくてはならない。

 それは、この屋敷がすでに陥落していることを意味する。


「そうならないように君たちがいる。まさか、自信がないのかね?」


 フィリクスが挑発するように言うと、護衛騎士が表情を引き締める。


「勿論、そのようなことはございません。公爵には、指一本触れさせません。ご安心ください。」

「それならよい。頼りにしている。しっかり頼むぞ。」

「はっ。」


 護衛騎士の腕をポンと叩き、模造剣を預ける。


「少し休んだら、また走る。馬を用意しておいてくれ。」

「はっ。」


 フィリクスがあまりに走り込むので、護衛騎士たちは馬でついて来ることになっていた。

 とにかく、体力だけはあるのだ。







 ソリー公爵は、意外にストイックな生活を送っている。

 自身で決めた、生活のルールにこだわる傾向があるらしい。


 酒も飲まないわけではないが、酔っぱらうような醜態は一度も見せたことがない。

 食事の時に軽く飲むだけで、それ以外では口にしようとしない。

 その気になれば、一日中での飲んでいられる身分ではあるのだが。


 いずれはサザーヘイズ大公爵家を継ぐ身のため、あまりに自堕落な生活を送るようであれば、騎士たちも一言言わないわけにはいかない。

 だが、フィリクスに関してはそんな心配は不要だった。


 毎日、朝早くに起き、ひたすら体力作りと剣術の型を行う。

 読書もするが、もっぱら好んで読むのは兵法書や戦術の研究資料だ。

 政治に関するような書物は、あまり好まないらしい。


「政治など、そういうのが好きな者に任せればよい。」


 そううそぶき、自分は好きな兵法書などを何度となく読み返していた。


 貴族の中の貴族、諸侯の頂点たるサザーヘイズ大公爵家だからこそ、優秀な家臣も多い。

 苦手にするフィリクスがわざわざやらなくても、得意とする者がやれば良いという考えのようだ。


 そんなフィリクスの意見に、騎士たちは呆れるような気持ちを抱く。


「豪胆というか、何と言うか……。」

「裏切る者が出たらどうする気なのか。」


 凡人は、どうしてもそうしたことが気になってしまう。

 前に、そう聞いてみた騎士もいたが、


「優れた者を多く集めれば、そうした不届きな者は自然と淘汰される。もしも不届き者の専横が起きれば、家が傾くだけだ。私がまつりごとに口を出しても、結果は変わらん。」


 自分が口を出せば家が傾く、と言ってのけるフィリクスに、騎士たちはますます呆れた。


 とはいえ、政治にも才というものがあり、優れた者がいるなら任せるというのも手ではあるのだ。

 実際、リフエンタール王国でも宰相や大臣たちが、国王を支えている。

 王の威を笠に専横しようとすれば、他の大臣たちに潰される。

 完全に任せてしまうのはどうかと思うが、一応は理には適っていた。


 フィリクスが当主となったサザーヘイズ大公爵家は、果たしてどうなるのか――――?


 少々不安な気持ちを抱きつつ、喜々として兵法書を読むフィリクスを見守る護衛騎士たちなのだった。







■■■■■■







 春休みが明け、騎士学院が始まった。

 エウリアスたちは二年生に進級し、クラスに若干の変更があった。


 エウリアス、トレーメル、ルクセンティアの三人は、また同じクラスだ。

 成績上位者が一つのクラスに集ったままなのは、果たして意図してだろうか。

 おそらくだが、テオドル以外の教師たちではエウリアスたち三人の扱いに苦慮するため、貴族家の縁者であるテオドルに続投させることにしたのだと思われる。


 そして、クラスメイトの若干の変更の一つに、イレーネがいる。

 この度、イレーネも目出度くエウリアスたちのクラスに仲間入りしたのだ。


 平民なのに、なぜかエウリアスやトレーメルらに気に入られているイレーネは、全校から注目を浴びる存在である。

 ただ、やはり平民は平民。

 何かトラブルがあった時には、学院としては保護しないわけにはいかない。


 その場合、選択肢は二つだ。

 引き離すか、手元に置くか。

 物理的に距離を空けるというのは有効は手段ではあるが、これでは何かあっても把握が困難だ。

 それならば、テオドルは目の届く場所にイレーネを置いておきたかったのだろう。

 異変を一早く察知するため、自分のクラスに入れ、目を配る方を選んだのだと思われる。

 …………俺たちって、そんなに要注意人物ですか?


 そんなことがありつつ、平和な学院生活が始まる。

 春休み前までは貴族家の縁者たちが落ち着かず、それに引きずられて平民たちも浮足立った雰囲気があった。

 しかし、さすがにそれも落ち着いてきた。


 というのも、行動を起こすと決めた者は、学院を去って行ったからだ。

 学院を辞め、領地に戻った。

 今も学院に残っている者は、静観と決めた者ばかりなのだ。

 何かあれば行動を起こすかもしれないが、今のところは大人しく成り行きを見守ろうと決めた。

 家督承継の芽が出てきたとはいえ、普通に考えればそうそうにいじらないだろう。

 実際、『家督は長男が継ぐものとする』という法律の撤廃を求めた貴族たちも、即手続きに入ったような例は皆無らしい。

 選択肢が生まれたからこそ、慎重に見極めようとする。

 この対応は当然だろう。







 そうして現在、エウリウスは座学を受けていた。

 教室での席の位置は、二年生になっても変わらない。

 エウリウスの後ろにはトレーメルが座り、トレーメルの左隣にルクセンティア。

 そして、そのルクセンティアの前にイレーネが座っている。

 つまり、エウリウスの左の席がイレーネの席だ。


 以前よりも慣れてきたとはいえ、この配置でイレーネは授業の内容が頭に入るのだろうか?

 まあ、イレーネもほとんどの授業はすでに憶えている内容らしいので、大丈夫か。


 とはいえ、さすがにお嬢様だったイレーネの教育に、戦略・戦術論などがあるわけない。

 分からないことなどがあれば、教えてあげた方がいいかもしれない。


(……今日の授業は『ムルタカの戦い』か。)


 テオドルが黒板に地形の略図を描き、かつてあった戦いの概要を説明する。


 ムルタカの戦いは、五百年前の旧帝国崩壊まで遡る。

 七つに分裂した旧帝国の地域の一つで、現在のラグリフォート伯爵領も含まれる地域だ。

 リフエンタール王国軍が、この地域を併呑するために侵攻し、平定した戦いである。


 山ばかりのラグリフォート領の辺りでは、大軍を展開することができない。

 そのため、ムルタカの戦いが起きた場所は、ラグリフォート領よりももっと東。

 ラグリフォート領の東隣にある、現在のムルタカ子爵領だ。


 ムルタカというのは、旧帝国時代の地域の名称で、この戦いの名称は地名からつけられた。

 戦いが起きたわけだから、王国に反抗する勢力が当然いるわけだが、これがなかなかに手強かったらしい。

 そこで離間策を用いて、内部崩壊させる方針が採られた。

 少々長引いたが、抵抗勢力が無事に分裂してくれたおかげで、あとは各個撃破して戦いは終結した。

 この時に離間策を授け、その実行を担った人物が叙爵され、現在のムルタカ子爵家の祖となった。

 勿論、叙爵された時は男爵位からだが。


 冬休みのうちに山に行ったりして、かつてあった砦跡を見かけたが、これらの砦を壊したのがこの時代の出来事だ。

 無事に併呑した後、まだ残った抵抗勢力の残党を警戒し、砦を壊したというわけだ。


 …………と、エウリウスにとっては地元の近くで起きた大きな戦いなので、家庭教師から当然のように教わっているが、さすがにイレーネが知っているわけがない。

 黒板に描かれた地形などを一生懸命に描き写していた。……泣きそうな顔で。


(さすがに、描き写しながら説明も憶えてってのは大変だろう。)


 こうした過去の戦闘の事例を集めた書物なんかもあるにはあるが、バカ高い。

 平民の学院生が買えるような物ではない。


(うーん……、どうしよう。今度貸してあげようかな。)


 エウリウスが教わった時は、その書物を見ながら憶えた。

 成功事例、失敗事例なども書かれた、非常に素晴らしい内容だった。

 とはいえ、当然そうした書物が高価なことは、イレーネならすぐ気づくはず。

 貸す、と言われてもすんなり借りるとは思えない。

 というか、万が一汚したり、破損させたら……と余計な負担をかけてしまうだろう。


(まあ、半分も憶えればいいらしいし。試験の前に詰め込めば何とかなるか?)


 すでに歴史の授業の内容などは教わっているため、イレーネは試験で憶えなければならない量自体は、他の平民の子よりは少ない。

 きっと何とかなるだろう。


(あまりに困っているようなら、声をかけようかな。)


 自分で頑張ってみて、行き詰っているようなら手を貸してあげる。

 それくらいにしておく方がいいだろう。







 エウリウスは授業の内容をぼんやりと眺めながら、考え事をする。

 今考えているのは、ホーズワース公爵の前に現れたというヘロルト・ナバールについてだ。


 公爵家の乗っ取りを匂わせ、公爵に法の撤廃を迫った。

 エウリウスは、このヘロルトの後ろには、数々の襲撃事件を画策した者がいると予想している。


 これまで消息不明だったヘロルトが、なぜいきなり現れたのか。

 以前にエウリアスがヘロルトを見た時は、完全に野盗だった。

 それが、なぜ急に公爵の前に姿を現したのだろうか。


(…………入れ知恵した者がいる。)


 そう考えるのが自然だろう。

 貴族の紹介状を用意し、ヘロルトが公爵と直接顔を合わせる機会を作った。

 この一事だけでも、裏にいるのがただ者ではないことが確定だ。


 ちなみに、この紹介状を用意した三人の貴族は、全員が公爵と同年代の人物だった。

 おそらく、元々ナバール男爵の娘のミレイと、公爵の交際を知っていたのだろう。

 ヨウシアの調査により、この貴族たちは特に裏があるわけではなさそうだ、ということが判明している。


 元々革新派の貴族たちで、ホーズワース公爵の足を掬うことを考えていた。

 ズバリ言ってしまえば、政敵の弱点を常に探していたのだ。

 たまたまヘロルトの存在を知り、手駒にしようとコンタクトを取った。


 この流れから、むしろこの貴族たちにヘロルトの情報を流した者こそが、裏に繋がる人物だろう。

 しかし、残念ながらその情報源については、分かっていない。

 というのも、この情報の大元は、怪文書から始まっているからだ。

 誰が出したかも分からない、怪しい手紙が三人の貴族の下に届いた。

 三人の貴族は、この情報の真偽をダメ元で探った。

 そこで、偶々を引いたというだけだった。


(ヘロルト……今どこにいる?)


 ヘロルトは、完全に雲隠れしてしまった。

 足取りが掴めず、その後ろに繋がる者も闇の中だった。


(あの怪物とも、繋がっているのか……?)


 エウリウスがラグリフォート領で出会った、腕が変化する怪物。

 あの怪物と会ったのが、エウリアスがヘロルトと戦っていた最中だ。

 見ようによっては、ヘロルトを助けるために介入してきたようにも見える。

 もしかしたら、初めから仲間だった?


「…………ェゥリアス様? エウリアス様。」


 考え事をしていると、呼ばれていることに気づく。

 エウリアスが視線だけで周囲を見ると、どうやらテオドルに指名されたようだ。


(えーと……。)


 エウリアスは必死に状況を把握しながら、ゆっくりと立つ。

 テオドルが、少し眉間に皺を寄せていた。


「エウリアス様、聞いていましたか?」


 エウリアスは意識して、にっこりと微笑む。


「勿論です。」

「それでは、回答をお願いします。」


 明らかに「聞いてなかったろ、お前」と疑っている顔だ。

 ええ、その通りですよ。


「はい。あまりに激しい抵抗を受け、正面からぶつかることを避けるために、離間を仕掛けることにしました。抵抗勢力を分裂させ、各個撃破できる状況を作りだしたのです。この離間策を立案、実行した人物が、ムルタカ子爵家の祖です。」

「…………………………………………正解です。」


 テオドルが、非常に複雑な顔をして授業を再開する。

 その顔には「何で答えられるんだよ……」と書いてあった。

 まあ、この戦いのポイントは離間策これしかないからね。


 悠々と席に座ると、イレーネがびっくりしたような顔でこちらを見ていた。

 隣に座ったイレーネからは、エウリアスが考え事をして、授業を聞いていなかったことが丸分かりだったのだろう。


 エウリアスはイレーネにもにっこりと微笑み、授業を聞くようにちょいちょいと黒板を指さすのだった。




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