第162話 かけがいのない、春休みの一日




 騎士学院が春休みになった。

 国の上の方では、春に向けて異動やら何やらで、なかなか大変らしい。


 結論から言えば、ホーズワース公爵は財務大臣を留任されている。

 相変わらず国王陛下とホーズワース公爵の間にすきま風が吹いてはいるが、宰相が粘り強く陛下を説得したのだとか。

 やはり冷静に考えればホーズワース公爵ほどの人物を、罷免できない。

 有能な人物を要職から外すことは、国力の低下に直結する。


 陛下が公爵を遠ざけたいという意向ならば、それ自体は構わない。

 だが、今すぐではなく、後任をしっかり見定めてからにするべきだということらしい。


 宰相からすれば、時間を置けば関係が修復される可能性もあると考えているのだろう。

 一時の感情で人事に手を加えれば、まつりごとに混乱をもたらす。

 そう説得し、公爵の財務大臣の椅子は首の皮一枚繋がった。


 その代わりではないが、ヨウシアが人事異動となった。

 軍務省の上層部に名を連ね、警備隊総局の局長を兼務していたヨウシアは、王城勤務となったらしい。


 本人の希望としてはまだ軍務省にいるつもりだったが、飛ばされたわけだ。

 ただ、王城勤務もエリートコースではあるので、左遷というわけではない。

 実はこの人事、宰相の希望らしい。


 陛下とホーズワース公爵の関係がギスギスしたものとなり、間を取り持つ宰相は苦慮していた。

 そこで宰相は、ホーズワース公爵に探りを入れたり、場合によっては働きかけたりする手駒に、ヨウシアを使うことにした。

 あくまで王城の内勤として使うだけで、ヨウシアと陛下の接触の機会自体は、むしろ減ることになる。

 これまでは定期的に警備隊関連で報告に上がっていたが、その機会が失われた。

 もしかしたら、ヨウシアと顔を合わせるのも嫌だ、と陛下が言ったのかもしれない。


 宰相としてホーズワース公爵のみならず、ヨウシアも失うわけにはいかないので、手元に置き便利に使うつもりなのだろうとの予想だ。

 ちなみに、この予想はヨウシア本人によるものである。


 そして我がラグリフォート伯爵家のゲーアノルトだが、当然ながら無役である。

 これは、後期の社交シーズンで官職の打診を受けたが、安定の辞退で話を蹴ったからである。


 林業も農務省の管轄なので「とりあえず室長あたりでどっすか?」と話があったり、商売が得意なようなので商務省から「まずは部長とか如何でしょう?」とオファーがあったが蹴ったそうだ。


「そんな暇はない。」


 と、けんもほろろに、取り付く島もなく、即答で断ったらしい。


「あの男は、官職を暇潰しか何かと勘違いしているのか……?」


 渋い顔で、そう宰相が愚痴っていたのを、ヨウシアが目撃したという。

 春の人事異動が決定した時に、異動になることを教えに来てくれたのだが、その時にそんな話も教えてくれた。







 国の上の方ではそんなことがありつつも、春休みは春休みである。

 学院生のエウリアスたちには、政治のあれこれはあまり関係のない話だ。


 そうして現在、エウリアスは郊外の屋敷で、イレーネに乗馬を教えていた。

 馬の横に立って誘導しながら、とりあえずとことこ歩く。


 イレーネは馬に乗ったこと自体は数回あるようだが、あまり得意ではないらしい。


「もうちょっと力抜いて。あんまりびくびくしなくていいからね。緊張は馬にも伝わっちゃうから、イレーネがあんまり固くなると、馬も居心地悪くなっちゃう。」

「は、ははは、はは……はははいっ!」


 イレーネは馬に跨り、石の彫刻のように固まってぎこちなく返事をする。

 エウリアスは苦笑しながら、馬の首を撫でてやった。

 イレーネを乗せた馬も居心地が悪いようだが、この馬は気性がとても穏やかなので、振り払ったりしない。

 エウリアスは「ありがとうね」と声をかけながら、馬を撫でる。


「手綱をしっかり持って、姿勢だけは崩さないように気をつけてね。少し走るよ。」

「ひゃ、ひゃい……!」


 裏返った声で、イレーネが必死に返事をする。


 エウリアスは馬の手綱を持ち、並んで一緒に走った。

 走ると言っても、エウリアスでもジョギング程度の速さだ。

 乗っている人も多少は揺れるようになるので、慣れるまではこのくらい感じでいいだろう。


 エウリアスの誘導する通りに、馬がついて来る。

 この馬は本当に素直で、いいだ。


「ほら、怖くないだろ?」

「ひゃ、ひゃいぃ! ぜんっぜぜ全然こわっ、怖くなっないです!」


 めっちゃ怖がってた。

 エウリアスはその返事を聞き、何とも微妙な顔になってしまう。







 言うまでもなく、騎士に乗馬は必須だ。

 馬も乗れないようでは、騎士失格。


 とはいえ、馬に乗ったことのある平民などほとんどいない。

 そのため、騎士学院では乗馬も教育計画カリキュラムに組み込まれている。

 具体的には、二年生から始まるのだ。


 一年生で剣の最低限の扱いを身につけ、二年生で乗馬を身につける。

 二年生で身につける乗馬のスキルは、馬を全力で走らせられること。

 そして、馬上で剣を扱えることだ。


 馬そのものについて学ばないといけないため、結構大変だ。

 どのくらいの速さで走れるのか?

 走行距離は?

 連続走行時間は?

 一日で移動可能な距離などを知識として身につけ、それを実践できるようにならないといけない。


 馬は生き物だ。

 食べないと死ぬし、水を飲まないと死ぬ。

 休まないと死ぬし、動きすぎても死ぬ。


 人の言葉を話せないので、「腹減った」「休ませてくれ」なんて分かりやすく教えてはくれない。

 馬鹿な騎士が酷使し、大切な馬が生命いのちを落とすことがないように、みっちり憶えさせられるそうだ。







 ということで、二年の授業が始まる前に、イレーネに予習をしてあげることにした。

 二年生では、自分が馬に乗った状態で、ある程度思い通りに動けることを目指す。

 そして三年に上がると、馬上での戦闘なども授業内容に組み込まれるようになる。


 騎士なのだから、自分が馬上で思い通りに動けることは、大前提でしかない。

 その上で、戦えなくてはならないのだ。


 言われてみれば当たり前の話ではあるが、これを実際にできるようになるのは、本当に大変だ。

 エウリアスでも、急に馬が暴れて落馬した経験は一度や二度ではない。

 下手な落ち方をすれば、それだけで生命いのちを落とす。

 上手く着地できても、暴れる馬に巻き込まれて生命いのちを落としたり、大怪我をすることもある。

 騎士とは戦いだけでなく、こうしたことも命懸けなのだ。


 馬と併走しながら、馬上を見上げる。


「どう? 大丈夫でしょ?」

「………………っ……っ!」


 イレーネは顔を引き攣らせながら、ガチガチに固まっていた。

 返事をする余裕がないのか、そもそも聞こえていないのか。

 ただ手綱を掴み、目を見開いて固まっていた。


(うーん……この子は、馬に乗る以前の問題かなあ。)


 馬そのものに怯えているのかもしれない。

 少し休んだら、馬と触れ合うことから始めた方がいいかもしれない。


「イレーネ。少し休もうか。」


 そう言って馬を停め、下りるように指示をする。

 手順を一つひとつ声に出して教え、イレーネを馬から下ろす。

 馬から下りたイレーネが、ぺたんとその場にしゃがみ込んだ。


「…………腰が抜けちゃった?」

「だ、大丈夫、です……。」


 そう言いつつも、イレーネは立てないようだ。

 そんなイレーネに苦笑しつつ、エウリアスは少し離れた場所で走る、二頭の馬に視線を向けた。


 二頭の馬には、トレーメルとルクセンティアが乗っている。

 エウリアスがイレーネに馬のことを教えている間、二人は馬で競争したりしていた。


 一時期、若干の気まずさのあった二人の関係だが、最近は大分落ち着いていた。

 一番の理由は、おそらくホーズワース公爵の財務大臣留任だろう。


 トレーメルもいろいろ思うところがあるようだが、それでも陛下は公爵を留任した。

 元々、親同士のことと、トレーメルとルクセンティアの関係は別。

 そう考えていたので、公爵の留任をきっかけに、急速に関係は修復されていった。

 完全には、元通りではないかもしれないが……。


 エウリアスは手を挙げて馬の世話係を呼ぶと、イレーネの乗っていた馬の世話を命じる。

 その時、イレーネにも実際に世話を手伝わせることにした。


「馬のことを怖がることはないんだよ。嬉しいことをされれば喜ぶし、嫌なことをすれば怒る。それは人だって同じだろ? イレーネは馬のことをあまり知らないから、『何かしちゃうんじゃないか』って怖いんじゃないかな?」


 喜ぶこと、怒ることを把握すれば、過度に恐れることはない。

 これは、人間関係も同じだ。


 馬の身体が大きいから、余計におっかなびっくりになってしまうだけ。

 きちんと理解すれば、きっと怖さよりも可愛さの方が勝るようになるだろう。


「このは穏やかな性格をしてるから、最初に慣れるにはいいと思うよ。少しやってみて。」

「は、はい……。」


 よろよろと立ち上がり、イレーネが馬を見上げる。

 馬は困ったように、エウリアスの方を見た。


「頼むよ。仲良くしてあげて。」


 エウリアスが顔を撫でてやると、馬がブルル……と身体を震わせた。


『しょうがねえなあ……。』


 そんな風に言っているような顔だった。







 馬を世話係に任せ、イレーネのことも頼む。

 そうしてエウリアスは、トレーメルとルクセンティアの方に向かった。

 二人は完全に馬を乗りこなしており、初めて乗るエウリアスの家の馬でも、自在に操っていた。


「どっちが勝った?」


 馬を休ませている二人の所に行くと、エウリアスは声をかけた。


「僕だ。」


 そう言ってトレーメルが胸を張る。

 エウリアスは、ルクセンティアを見た。


「……馬の差かな。」

「勿論です。」

「腕の差だ!」


 あくまで馬の能力差だというエウリアスとルクセンティアに、トレーメルが抗議した。


「まあ、多少は気性が荒くても乗りこなすのは、腕もあるかもしれないね。」

「そもそも、速さを考えて今日は馬を選んでいませんし。」


 トレーメルは馬体のがっしりした、とにかくタフそうな馬を選んだ。

 気性がちょっと荒いよ、と伝えていたのだが、それでも構わない、と。


 ルクセンティアは、素直に世話係の意見を聞いていた。

 比較的大人しい馬の中から、毛並みの艶やかな馬を選んだ。

 毛並みの良さは、健康の証との考えらしかった。

 ちょっと借りて遊ぶなら、今日調子のいい馬を、というわけだ。


「ルクセンティアが馬を乗りこなしてるのは知ってたけど、トレーメルも乗れるんだね。」

「当然だ。騎士を目指しているのだぞ? 練習できるなら、練習しておくに決まってるじゃないか。」


 ルクセンティアは犯罪組織“蛇蠍だかつ”との戦闘の時、騎馬隊を率いて駆けつけてくれた。

 トレーメルも練習しようと思えば、いくらでも練習できる身分ではあるので、乗れても不思議はない。


 トレーメルが、エウリアスを見下ろす。


「ユーリも乗れるのだろう?」

「うん、まあ。乗ったことはあるかな。」


 エウリアスがとぼけた言い方をすると、ルクセンティアがじとっとした目で見下ろす。


「絶対に乗りこなしてますね。というより、前にうちから普通に馬に乗って帰ってましたし。……これは、心の中では『二人にも負ける気はしないなあ』とか思っている顔です。」

「うわっ。それは腹立つな。」

「そんなこと言ってないよねっ!?」


 ちょっととぼけただけで、冤罪を吹っかけられた!


「いーや、言ってた。僕にも聞こえたぞ。『一緒にしないでくれる?』とか聞こえた。さすがは、学年主席様は違うなあ。」


 何だよ、学年主席様って!?


「思ってない! そんなこと思ってないって!」

「ムキになるところが、ますます怪しい。」

「フフ……そうですね。」


 慌てるエウリアスを見て、ルクセンティアが我慢できずに笑いだす。


「……ひどいよ、ティア。」


 エウリアスがそう言うと、ルクセンティアがペロリと舌を出してはにかむ。


「ごめんなさい、ユーリ様。ちょっと揶揄っただけです。」

「僕は本気だけどな!」


 エウリアスが、半目になってトレーメルを見る。


「メルとの友情は、少し考え直した方がいいかもしれないな……。」

「おお……人の世のなんと儚いことか。我が心の友は、今死んだ。今生に残ったものは、ただ――――。」

「……それ、なんてお芝居?」


 大袈裟な手振りで、謳い上げるように言うトレーメルに突っ込む。

 ルクセンティアが苦笑した。


「『ジャクリース騎士長物語』ですね。最近とても流行はやっています。主人公のジャクリースよりも、ライバル役の方が大変に人気なようで、貴族家のご婦人方もこぞって観に行かれていますよ。」

「え、ライバル役そっち?」


 やっぱり、最近王都で始まった演劇らしい。

 しかし、人気なのは主人公の騎士長ではなく、ライバルの方なのか。

 主人公役の人、ちょっと可哀想だな。


「うむ。ライバルのボーエムという騎士が実に素晴らしくてな。もう三回も観に行ってしまった。ちなみに、今のセリフもボーエムのものだ。」

「三回も行ったの……?」


 トレーメルは、この演劇がよっぽど気に入ったようだ。

 ボーエムとやらはご婦人方のハートだけでなく、トレーメルの心も掴んだらしい。


 エウリアスたちは、そんな冗談を交えながらしばらく談笑する。

 再びこうして笑い合えることが、エウリアスは何よりも嬉しかった。


 あと数日で学院が始まる。

 二年生となり、学院の授業内容もより実践的になってくるだろう。


(来年もこうして、みんなで集まれたらいいな。)


 そんな風に思うエウリアスだった。




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