第161話 若き日の過ち
騎士学院には、春になる直前に一週間ほどの休みがある。
エウリアスたちは、この春休みまでが一年生で、休みが明けたら二年生だ。
すでに一年の成績は出ており、現在の授業は体力作りと剣術がメイン。
一年で行うべき座学は消化したので、あとは騎士としての技量を少しでも上積みするための授業内容だ。
ちなみに、一年生の成績のトップはエウリアスだ。
年間を通して、非常に高い水準で課題をクリアしてきたので、これは周囲も納得の結果だ。
エウリアスは「トップはトレーメルでは?」と予想したが、そこまで忖度されなかったらしい。
というか、ほぼ同水準でクリアしていたら、学院もおそらくトレーメルを主席にしただろう。
しかし、今年はそうならなかった。
なぜか。
それは、トレーメルには
夏休み後の二カ月ほど、主に運動や剣術でトレーメルの成績は大変なことになった。
後に挽回していったのだが、完全には挽回しきれなかった。
ということで、成績トップはエウリアス。
次席にトレーメルという結果になった。
ルクセンティアは三番目だったようだ。
単純な体力では、ルクセンティアよりも上の男の子がそれなりにいる。
しかし、剣術ではこれまで積み上げてきた差があり、エウリウスやトレーメルに比肩する成績。
何より座学の成績が良い。
ここで大きく差をつけたため、総合ではトレーメルに次ぐ成績となった。
王国の貴族たちを震撼させたホーズワース公爵の騒動より、二週間が経過した。
春休みが間近に迫ったある日、エウリウスはヨウシアに呼ばれ、王都内のカフェに来ていた。
ここは警備隊総局の本部にも近く、ヨウシアが時々使う店らしい。
奥まった、VIP専用の個室。
人払いをし、テーブルに着いたエウリウスに、ヨウシアが紙の束を差し出した。
「待たせてしまったね。一連の騒動の
エウリウスは紙の束を受け取り、パラパラとめくる。
どうやら報告書のようだ。
「正直、かなり根の深い問題だ。手紙で概要を伝えるというだけでは済みそうにないので、報告書という形を採らせてもらった。」
そうしてヨウシアが話し始めた内容は、かなり驚愕の事実だ。
「結論から言えば、
「ナバール……やはり、ナバール男爵の?」
エウリウスがそう尋ねると、ヨウシアが頷いた。
「これはもう、三十年以上も前の話になる。…………すべての始まりは、父が騎士学院に通っていた頃に、とある女性と交際していたことにある。」
今から三十数年前、レナンツォ・ホーズワースは騎士学院に通っていた。
当時、貴族家の嫡男には『騎士学院の修了』が求められていたので、これは当然のことだ。
そこでレナンツォは、一人の女性と出会った。
ミレイ・ナバール。
男爵家の令嬢ながら、ミレイは騎士を目指していた。
「このミレイという女性は、父よりも二つ下の学年だったようだ。」
二人は出会い、いつしか交際するようになった。
この事実は、同じ年代の貴族たちにとっては周知のことだったらしい。
二人の交際は、それなりに上手くいっていたようだ。
だが、一つだけ懸念があった。
エウリウスはその話を聞き、眉を寄せる。
「公爵家と男爵家……。家格が違いすぎますね。」
「その通りだ。そして、それが後の悲劇の始まりとなる。」
レナンツォも、当然家格の差は分かっていた。
しかし、若きレナンツォは愛に燃えていた。
『――――必ず、父を説得してみせる。』
そんな約束が、二人の間では交わされていたようだ。
だが、そんな二人を現実が飲み込んだ。
「説得、できなかったのですね?」
「どうも、そうらしい。……というより、できていれば今のようなことにはなっていないか。」
当時のホーズワース公爵は、ヨウシアの祖父であり、レナンツォの父だ。
非常に厳しい人だったというのは、以前に聞いている。
「祖父は『男爵家の娘など論外だ』『ホーズワースの名に泥を塗る気か』と突っぱねたらしい。」
当時を知る使用人たちが、二人の口論を何度も目撃していたそうだ。
この使用人は生涯口を閉ざすつもりだったらしいが、現在の状況に心を痛め、ヨウシアが頼み込むと打ち明けてくれたという。
ホーズワース公爵はレナンツォの学院修了と同時に、上級貴族との結婚を強行した。
ナバール男爵にも圧力をかけ、ミレイを二度とレナンツォに近づけるな、と恫喝もしたようだ。
公爵家と男爵家。
この天と地ほどの家格差では、どれほど理不尽な要求さえ受け入れざるを得ない。
そもそも、ナバール男爵は
男爵からすれば、それはもはや天変地異。突然降りかかった災厄のようなものだ。
ナバール男爵はミレイを叱責し、学院を辞めさせた。
元々、娘が騎士学院に進むなど、いい顔はしていなかったのだ。
家格の釣り合う相手を見つけ、結婚させようと考えた。
「…………しかし、ここで一つの事実が発覚した。」
ヨウシアが、重く重く溜息をつく。
「ミレイさんは、身籠っていたのですね?」
エウリウスがそう言うと、ヨウシアは黙って頷いた。
ミレイは妊娠していた。
レナンツォの子だった。
「ナバール男爵はこの事実を隠したそうだ。それはそうだろう。祖父に恫喝されたのに、さらにこんな事実まで知られれば、
勿論、ホーズワース公爵家に貴族家を潰す権限などない。
しかし、他の貴族家に働きかけ、商業ギルドなどの様々な組織に圧力をかけることで、弱小領地などいくらでも締め上げることができる。
ホーズワース公爵の報復を恐れ、ナバール男爵はミレイの存在そのものを隠すようになった。
そこまで説明し、ヨウシアは項垂れる。
しばし両手で顔を覆い、再び重い溜息をついた。
「…………みな、祖父を怖れた。二人の交際はなかったことにされ、口の端に上ることさえ無くなった。」
当時のことを知る貴族も、ホーズワース公爵家の使用人も、当時のことはタブーとして一切触れようとしなかったようだ。
それほどまでに怖れられ、この件については、逆鱗に触れないように隠蔽された。
その後のレナンツォは、官職などに真摯に取り組み、実績を積み上げていくことになる。
家督も継ぎ、名実ともに貴族の中の貴族として、王国を支える人物となった。
では、ミレイは――――?
エウリウスは躊躇いながら、ヨウシアに尋ねる。
「ミレイさんのその後は…………どうだったのですか?」
エウリウスがそう聞くと、ヨウシアが首を振った。
「亡くなったそうだ。もう、二十年くらい前に。」
「二十年……。」
ということは、身籠っていたという子は十歳を少し超えるくらいか。
エウリウスがそんなことを思っていると、ヨウシアが顔を上げる。
「今回、私はナバール男爵にコンタクトを取った。祖父のしたこと、父のしたことを思えば、謝罪しないわけにはいかないし…………どう償えばいいのかも分からないほどだ。」
娘の人生を奪った。
ナバール男爵がそう思っていたとしても、不思議はない。
愛し合っていたというなら、その責を一方のレナンツォにだけ負わせるのは、公平ではないだろう。
しかし、二人の人生の差は、あまりに大きい。
レナンツォは貴族の中の貴族として名声を博し、一方のミレイは貴族社会から抹消された。
「ミレイさんは、男爵領の人里離れた場所に小さな屋敷を建て、そこで過ごしていたらしい。……過ごしていたというか、男爵がそこに閉じ込めたんだ。」
そのような扱いを受けても、ミレイは気丈だったという。
幼子を立派に育てようと、教養を身につけさせ、自らの手で剣術も手ほどきした。
しかし病で倒れ、三十にもならないうちに亡くなった。
「そんなことが……。」
話を聞いているだけのエウリウスでさえ、ミレイの心情を思うと涙を堪えることができなかった。
一体ミレイは、どのような思いでヘロルトを育てていたのだろうか。
幽閉されるように過ごしながら、それでも我が子に教育を施した。
その思いは、如何ばかりだろう。
エウリウスはハンカチで目元を拭うと、ヨウシアに尋ねる。
むしろ、今日の話でももっとも重要な部分。
核心と言ってもいい、もっとも重大なこと。
「……それで、そのヘロルトは?」
現在は、ある程度分かっている。
野盗に身をやつし、レナンツォを脅迫にやってきた。
しかし、ミレイの下で育てられたという話と、現在の姿がどうしても繋がらない。
ミレイの死後の二十年間で、ヘロルトに何があったのだろうか。
だが、ヨウシアは首を振る。
「ミレイさんの死後、しばらくして姿を晦ましたらしい。……男爵は、正直ヘロルトのことを持て余していたので、いっそ安堵したくらいだったと言っていたよ。」
人里離れた屋敷に閉じ込めていたが、使用人くらいは置いていた。
そんなヘロルトが一人で生きていけるとは思えないので、どこかで野垂れ死ぬだろう、くらいに思っていたらしい。
しかし、ヘロルトは生きていた。
男爵の想像を遥かに超えて、ヘロルトは逞しかったようだ。
ヨウシアが、真剣な顔でエウリアスを見る。
「これが、今回の騒動の顛末…………というか、背景だな。」
「ヘロルトという存在……。ミレイさんに子供がいたと知り、おそらく公爵は悔いたのでしょうね。」
ヘロルトは、とうの昔に忘れ去ったはずの、レナンツォの後悔の具現。
後悔そのものなのだ。
子供が生まれていたという、驚愕。
ミレイへの思いは、今でも愛情であろうか。
しかし、ヘロルトによる脅迫により、その愛情は憎悪に変わってもおかしくない。
様々な激情に揺さ振られ、とても冷静な判断など下せなかっただろう。
エウリアスは
はぁー……と息をつく。
「
「ああ。若気の至り、若き日の過ちなんて言ったりするが、そんなのは後からだから分かることだし、言えることだ。」
ヨウシアは目を閉じ、堪えるように顔を歪める。
だが、すぐに姿勢を正すと、真っ直ぐにエウリアスを見た。
そこには、もはや沈痛な空気は一切ない。
「この話は、父にも話を聞き、最終的に確認を行ったものだ。各当事者の主観で語られる部分ばかりではあったが、事実関係には間違いはないと思う。」
「はい。大変な調査、ありがとうございました。」
「いや、いいんだ。これは……私が行うべきものだった。」
先代と、当代のホーズワース公爵による醜聞。
醜聞と言ってしまうのも気が引けるが、事実としてこれは醜聞の類だ。
せめて、先代がもう少し穏便な方法を選択していてくれれば、ここまでこじれることもなかっただろう。
とはいえ、もはやこれは起きてしまったことなのだ。
それも、三十年以上も前に。
ならば、次代を継ぐヨウシアが、その後始末に動くのもある意味宿命ではある。
「父に、エウリアス君や伯爵と話し合ったことも伝えた。……とてもショックを受けていたよ。」
「ショック? ……知られてしまったことですか?」
「それもだと思うけど、一番ショックを受けていたのは、これが敵からの攻撃である可能性についてだ。」
冷静でいられなかった公爵は、これが敵からの攻撃である可能性については、まったく気づかなかったらしい。
「何より、その可能性をエウリアス君が最初に気づき、指摘してきたことがショックだったようだよ。」
「え? あ……その、すみません。」
エウリアスが恐縮して謝ると、ヨウシアが笑った。
公爵はその事実を伝えられると、絶望したような顔になったそうだ。
「何と言うか、本当に魂が抜けてしまったような顔だった。父のあんな顔、私でもこれまで見たことがなかったよ。」
そうして
「エウリアス君の言う通り、父はこの騒動が片付いたら、家督を譲るつもりだったようだ。『それこそ敵の思うつぼだ』と、伝えておいた。」
あの時三人で話し合ったように、公爵には針の
「辞めることはいつでもできる。そう言ったのですか?」
「勿論、言ったさ。こんなつまらないことで、その首を使うな。もっと意味のあることで使ってくれ、ってね。これだけのことをしでかして、そんな簡単に楽になろうとするなって、生まれて初めて父を怒鳴りつけたよ。」
ヨウシアが肩を竦めて、苦笑する。
その時のことを想像し、エウリアスも苦笑してしまった。
「まだまだ、状況は苦しい。それでも、父も腹を決めたよ。」
そう、鋭い眼光でヨウシアが言う。
「ホーズワース家は、戦う覚悟を決めたよ。陛下からの信頼は損なってしまったが…………代償は途轍もなく大きかったが、ホーズワース家は全力で挑む覚悟が決まった。……今更ではあるがね。」
本当の覚悟など、口で言うほど簡単にはいかない。
痛みを知り、苦しみの只中になければ、なかなか定まらないものだ。
今回の件で、ホーズワース家は徹底抗戦する覚悟が決まったらしい。
「父は、ラグリフォート家に心から感謝すると言っていた。」
他家からの信頼も失い、苦しい立場になってしまったが、公爵は全力でラグリフォート家と協力することを約束したという。
「影響力は低下したが、それでもホーズワース家は上級貴族の筆頭格。サザーヘイズ家ほどではないが、それでも相当な影響力を持っている。なりふり構わずならば、動かせない
「ありがとうございます。」
こうして、ヨウシアからの報告は終わった。
あとは報告書を読んだら、ステインに言ってゲーアノルトに送ってもらうだけだ。
エウリアスはカフェの外で、ヨウシアの馬車を見送った。
そうして、ふと考える。
冷静な判断を下せなくなるほど、誰かを愛す。
エウリアスにはそんな経験がないため、「馬鹿なことするなあ」と言えるし、言うのは簡単だ。
だが、もしそんな相手に巡り合った時、結局は自分も同じことをしてしまうのかもしれない。
分かっていても、突き進んでしまう。
だからこそ『若気の至り』なんて言ったりするのだろう。
「若き日の過ち、か……。」
遠ざかる馬車を眺め、
「どうかされましたか?」
エウリアスの後ろに控えたタイストが、声をかける。
エウリアスは首を振った。
「いや、何でもない。」
愛だ恋だを抜きにすれば、過ちとかちょこちょこやらかしている?
そんなこともないか?
自分にはそんな過ちなんてないぞ、と心の中で思うエウリアスだった。
…………今のところは。
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