第160話 調子に乗ったゴミ




 エウリアスが、ゲーアノルトとヨウシアと話し合ってから、三日ほど過ぎた。

 ゲーアノルトは今朝方、王都を発った。


 波乱の議会が終わり、当初の予定通りに領地に戻ることにしたのだ。

 ヨウシアがいろいろと調査に動いてくれるが、分かったことは基本的にエウリアスに手紙で知らせてくれることになっている。

 その手紙をエウリアスが読み、ゲーアノルトにも転送することで、情報共有することになっていた。


 そうして、騎士学院の方だが……。

 大分落ち着いたとはいえ、まだまだ平常とはいかなかった。


 というのも、『家督は長男が継ぐものとする』という法律が撤廃されたことで、貴族家の縁者が今も落ち着かないからだ。

 ほとんどの貴族家の縁者は、様子を見ることにしたようだ。

 しかし、ごく一部のせっかちな者は、学院を辞めた。

 辞めまではしなくても、あの騒ぎ以来、学院を休んでいる学院生もいる。


 領地に戻り、父である当主を説得するためだ。

 エウリアスとしては「さすがに学院を辞めるのはやり過ぎでは?」と思うが、一部の貴族家の縁者は本気で自分を嫡男として選んでもらうために動いているらしい。

 そうした者がちらほらいるため、未だに学院は落ち着きを取り戻したとは言い難い状況だ。


 そして、エウリアスの身近な所では、トレーメルとルクセンティアの関係にも微妙なすきま風が吹いている。

 トレーメルも、ルクセンティアを責めるつもりはない。

 あくまでホーズワース公爵の行動だし、陛下との関係が悪化しようと、自分たちは自分たちだと。


 それでも、やはり陛下の意向に逆らい、不意打ちのように法律の撤廃に動いた公爵に、トレーメルも思うところがあるのだろう。

 ルクセンティアのせいではないと分かっていても、やはり以前のようには接することができないようだった。







 体力作りの時間。

 壁や急勾配の坂などが設置された、障害物のコース。


 エウリアスはいつも通り、トレーメルと一緒に先頭集団を走っていた。

 かなり暖かくなってきて、少し身体を動かすだけで、大分汗を掻くようになってきた。


「フッ……ホッ……ヨッ……と!」


 エウリアスはロープを掴むと、ほぼ壁のような坂道をぐんぐんと登る。

 腕の力で身体を引き上げ、まるで走るように登っていく。


 エウリアスが登りきると、先に登っていたトレーメルが丸太の上に上がる。

 緩やかな下り坂に置かれた丸太の上を渡り、早足で下まで一気に下りる。


「ふぅーっ……! 大分慣れてきたな、このコースも。」


 トレーメルが額の汗を拭きながら、笑顔を見せる。

 まだまだ余裕そうだ。


「二年になると、これを逆順で進んだりするそうだよ?」

「………………は? 逆順?」


 エウリアスがタイストから聞いたことを教えてあげると、トレーメルが来たコースを振り返る。

 今の逆ということは、緩やかな上り坂の丸太を渡り、ほぼ壁のような坂を、ロープを使って下りるという流れになる。

 他にも様々な障害物があるが、それらを逆に進むことを考え、トレーメルがうんざりした顔になった。


「よくもまあ……そんな意地の悪いことを思いつくものだ。」

「難度が跳ね上がる障害もありそうだよね。やってみないと、ちょっと分からないけど。」


 今は全員が一つの方向に向かって走っているが、そのうち往復することになるらしい。


「はぁ……はぁ……はぁ……。」


 そうして一通り障害物を越え、軽く息を整える。

 少し休んだら、もう一周だ。


 この障害物コースは自分なりのペースで進んでいいことになっているが、規定時間内に最低三周しないといけないことになっている。

 すでにエウリアスとトレーメルは四周目を終えたが、まだ二周目の途中の学院生もいる。

 苦手な障害物に時間を取られるため、克服するまでは一周することさえままならない、地獄の訓練だ。

 慣れれば、全身をしっかり鍛えられる理想的な運動なのだけど。


 トレーメルが、障害物を越える学院生たちに視線を向ける。

 その視線を追うと、ルクセンティアがいた。

 ルクセンティアを見るトレーメルの表情が、少しだけ曇る。


「……ユーリ。」

「何?」


 不意にトレーメルに呼ばれ、エウリアスはぴくりと眉を上げる。


「ティアを、頼む。」


 トレーメルは、遠くを走るルクセンティアを見ながら言った。

 エウリアスは何と答えればいいのか分からず、上手く返事ができなかった。


「ティアが悪いわけではない。それは分かっている。それでも……父を裏切った公爵に、僕は複雑な思いを抱かずにはいられないんだ。」

「メル……。」


 ホーズワース公爵には、ホーズワース公爵なりの事情がある。

 しかし、それをトレーメルに伝えることがエウリアスにはできない。

 推測の域を出ない話を、軽々しく口にすることはできない。


 現在、ルクセンティアは学院内で微妙な立場だ。

 噂として、議会での公爵の行動が伝わり、批判的な見方をする人がそれなりにいるからだ。


 単純に、陛下と意見を異とする貴族は、他にもいる。

 革新派などは、その最たる者だろう。

 しかし、異なる意見があるなら、初めからそう言えばいい。

 騙し討ちのようなことをした公爵に、そうした非難が集まっていた。


 そして、それは学院ではルクセンティアに向かってしまった。

 エウリアスはイレーネと協力し、なるべくルクセンティアが孤立しないようにしていた。


 ルクセンティアからトレーメルに視線を移し、エウリアスは微笑んだ。


「二人は、俺の友達だよ。ティアが大変なら、勿論ティアを支えるよ。」

「ああ……。」

「だから、メルが大変な時はメルも支えるよ。」


 エウリアスがそう言うと、トレーメルが振り向く。

 少し驚いたような表情のトレーメルに、ニッと笑ってみせる。


「当たり前だろ? 友達なんだから。」

「ユーリ……。」


 トレーメルは目を閉じ、そっと息をつく。


「……そうだな。」


 そう、小さく呟いた。


「僕にとっても、ティアは友人だ。」

「うん。」

「だけど、少しだけ待ってくれ。……あと、少しだけ。」

「分かってる。」


 トレーメルも苦しんでいるのだ。

 自らの苛立ちを、なぜルクセンティアに向けてしまうのか。

 そんな自分に、きっとトレーメルも傷ついている。


「もう少し落ち着いたら、またうちに遊びに来なよ。ティアと、今度はイレーネも呼ぼうか。」

「ははっ……そうだな。それもいいな。」


 トレーメルが、少しだけ無理をして笑顔を作った。

 そんな悲しい笑顔に、エウリアスも笑顔を作る。


(また、みんなで笑い合えるようになるといいな。)


 そんなことを思うエウリアスだった。







■■■■■■







 王都を離れる豪華な馬車が、街道を進んでいた。

 客車に乗るのは、一人の男と、二人の女。

 向かい合って座った三人だが、車内の雰囲気は最悪だった。


 そんなギスギスした客車にいながら、男はまったく空気を読まず、上機嫌に鼻歌を鳴らす。

 二人の女は、苛立たし気に顔をしかめた。


「ふんふんふ~ん、ふんふ~~~ん、ふふ~ん。」

「今すぐ、その不快な鼻歌をやめなさい、“スワンプ”。…………首をへし折られたいの?」


 殺気の籠った目でナシュハムに睨みつけられ、スワンプが肩を竦める。


「何でだよ? いいだろ、鼻歌くらい。」


 ダンッ!


 返事の替わりに、エラフスがスワンプの座った椅子を蹴りとばす。

 エラフスが本気で蹴った場合、この客車の椅子くらい粉々にできることを、スワンプは知っていた。

 引き攣った顔で自分のすぐ横に伸ばされた足を眺め、スワンプが口を引き結ぶ。


 ナシュハムが、大きく溜息をついた。


「大体ねえ、何でアンタが乗ってるのよ? 金をもらったんだから、さっさと消えなさいよ。」

「そんなこと言うなよぉ~。あんなクソつまらん仕事で、大金をポンと出す依頼主クライアントだぜ? もっと、美味しい仕事がありそうじゃん。なあ?」

「アンタの出自に価値があったから、報酬を弾んだだけよ。用が済んだのだから、さっさと失せなさい。」


 ナシュハムが本気の殺気を漏らし始め、スワンプはバツの悪そうな顔になる。


 このナシュハムとかいう女。

 金髪に、真っ赤な口紅を好む、派手な女だ。

 グラマラスで、実にそそる身体をしているが、実はこいつも怪物。

 隣に座るエラフスと互角タメを張れる、正真正銘の怪物だとスワンプは見抜いた。


 はっきり言ってしまえば、スワンプの勘がビンビンに反応している。

 こいつらはまじでやばい。

 逃げろ、と。


 しかし、なぜかスワンプは逃げる気にならなかった。

 最初は、逆らえば殺されるだろうと思った。

 目の前で殺された、手下のように。

 だが、公爵家を嵌める計画を聞き、報酬を聞き、実際に報酬をいただくと、少しばかり気が変わった。


 ……なんか、面白いこと企んでね、こいつら?


 生命の危険スリルと娯楽。

 この二つを天秤にかける奴は、馬鹿だ。

 楽して儲ける。これに勝ることは無い。


 そうやって生きてきたスワンプだが、知らず知らずのうちにんでいた。

 コソコソと日陰で生きることに、嫌気が差したわけじゃない。

 殺伐とした生活に嫌気が差していたわけじゃない。

 それでも、スワンプは倦んでいた。

 殺し、奪い、喰らい、女を抱く。

 ただそれだけの生き方に、自分でも気づかないうちに退屈していた。


 それで、こんなやばい奴について行こうと言うのだから、自分でも呆れる。

 ちょっとしたスリルくらいなら、もっとお手軽に楽しめるのに。

 こうして同じ客車にいるだけで、チビりそうなほど恐ろしい怪物が目の前にいるというのに。

 そんな身の竦む恐怖を、スワンプは楽しんでいた。


(……いよいよ、俺もイカれたか?)


 初めてエラフスを目の当たりにした時、死を覚悟した。

 それまで自分の死などどうでもいいと思っていたスワンプであったが、この経験で何かが狂い始めた。

 スワンプの中の、何かが。


 スワンプが、ニッと口の端を上げる。


「姐さぁん、次は何企んでんだぁ? 俺も一枚噛ませてくれよぉ。」


 スワンプがそう言うと、エラフスとナシュハムが心底嫌そうに顔しかめた。

 ガッとナシュハムがスワンプの首を掴むと同時に、エラフスが客車のドアを勢いよく開けた。


 バンッ! ぽいっ。

「うおぉぉおおおぉおおおおっ!?」


 客車から放り投げられたスワンプが、宙を舞う。


 ドシャァアアッ……!

「ぐおおおぉぉおおおお……っ!」


 街道脇の野原に落ち、悶えた。


 バタンッ、ガラガラガラ……ッ!


 スワンプを放り捨てた馬車は、無情にもそのまま進んでしまう。

 その様子を見ていた、後ろを進んでいた荷馬車が驚き、声をかけてくる。


「お……おおーーいっ! あんたぁ、大丈夫かぁーーーっ?」

「あぃてててっ……。」


 起き上がったスワンプを見て、とりあえず無事であることが分かり、荷馬車の男が胸を撫で下ろす。

 スワンプはしこたま打ちつけた背中を摩り、ゆっくりと立ち上がる。


「へへっ……。簡単にぶっ殺せるはずなのに、随分と優しいじゃねえか。」


 これは、実は俺に惚れたか?

 そんな妄想に、スワンプはやる気を漲らせた。


「やっべ、まじ楽しくなってきた。」


 濁った目をだらしなく下げ、スワンプはにやける。

 逸る気持ちを我慢できず、野原を駆け出す。


「おーいっ! 待てってぇ! 素直じゃねーんだからよぉ!」


 そんなことを大声で喚きながら、スワンプは馬車を追いかけ始めた。







 外から聞こえるスワンプの声に、エラフスが盛大に溜息をついた。


。始末しちゃだめなの?」

「………………。」


 エラフスの問いに、ナシュハムは嫌そうに顔をしかめる。


「一応、“払暁ふつぎょうの方”は生かしておけって言っていたの。無理に仲間に引き込む必要はないけど、また使い道があるかもしれない、と。」

「無理に引き込むどころか、無理矢理入って来そうだけど?」

「………………。」


 裏の世界で生き抜いてきただけあり、捨て駒としてでも使い道はありそうだった。

 が役に立たなければ、捨て駒にするのもありと言えばありだが……。


 エラフスは、額に手を当てて溜息をついた。


「最近、何だか調子に乗ってるみたいだし。…………何て言うか、あのムカつく顔を見ていると、八つ裂きにしてやりたい衝動に駆られるのだけど?」

「奇遇ね。私もよ……。」


 客車内でそんな話がされているとは知らず、の声が近づいてくる。

 ナシュハムは豪奢な金髪を掻き上げ、肩を落とす。


「……とりあえず、“払暁の方”に再度確認しましょう。」

「お願いだから、始末することを激推ししてちょうだい。」

「言われなくてもそのつもりよ。」


 ナシュハムがそう言うと同時に、客車のドアが開いた。


「ハア……ハア……やっと、追いついたぜ。へへ……待たせたなぁ――――ぶへらっ!?」


 客車に乗り込もうとしたスワンプを、エラフスが蹴り飛ばした。


 再び野原を転がるスワンプを置き去りに、ドアを閉めた馬車はそのまま進んで行くのだった。




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