第159話 先のことより、今のこと




 ラグリフォート伯爵家の別邸で、エウリアス、ゲーアノルト、ヨウシアの三人で、敵の狙いを話し合う。


「わざわざ乗り込んできた理由は、父に本気で乗っ取りの可能性があることを知らしめるためにある。そう見て、間違いないだろう。」


 乗っ取りを阻止するために、ホーズワース公爵は捨て身になって動くしかなかった。

 エウリアスは、首を傾げる。


「でも、何でそんなチャンスをただの餌に使ってしまったのでしょうか。こう言っては何ですが、本気でチャンスですよね?」


 半々という可能性を大きいと見るか、小さいと見るか。

 それは人によって違うだろう。

 しかし、公爵家の莫大な資産を乗っ取れるというだけでも、本気で試すには十分な見返りだと思うが……。


 エウリアスが疑問を聞いてみると、ヨウシアが笑った。


「エウリアス君。自分に置き換えてみてはどうだろう? もし仮に長男が別にいて、如何にも胡散臭い男がラグリフォート家の嫡男に収まったとしよう。」

「えーと……、はい。」

「その後、どうなると思う?」

「どうって……。」


 伯爵家と言っても、平民からすれば莫大な資産だ。

 ラグリフォート家は、その伯爵家の中でも飛び抜けた資産を持つ。


「ウハウハの余生?」


 エウリアスが首を傾げて言うと、ヨウシアが吹き出した。


「くっくっくっ……いいね、それ。」


 エウリアスの呑気な回答に、ゲーアノルトが呆れたような顔になった。


「そんなわけないだろう、馬鹿者。使用人たちのうち、何人がそんな男に従うというのだ。」

「あ……。」


 自分で言うのも何だが、エウリアスと使用人たちの間には、それなりに長い時間をかけて結んだ絆がある。

 ゲーアノルトが認める跡継ぎならばともかく、横から掻っ攫うような真似をして嫡男の椅子に収まっても、使用人たちがどういう態度になるか。


「表向きは従うだろうけど……。」

「寝首を掻くに決まってる。」


 ゲーアノルトがそう言うと、ヨウシアが頷く。


 特にラグリフォート家の使用人たちは、時々過激になることがある。

 どんな行動に出るか、予想がつかない。

 ……いや、予想がつかないというか、間違いなくるな!


こわっ!」

「そういうこと。」


 もし濁った目の男スワンプがホーズワース家の嫡男の椅子を奪っても、安泰とはいかない。

 暗殺に怯えることになるだろう。


「嫡男が暗殺されれば、次に嫡男になる者は王城が選ぶことになる。また私の元に戻ってくる可能性は低いが、少なくとも親戚のうちの誰かには行くだろう。」


 得体の知れない者に奪われるくらいなら、親戚でも家督を継いでもらった方がマシ。

 そう考え、暴走する者がいても、然程不思議ではない。


「だから、乗っ取りは本当の狙いではないと断言できる。敵が法の撤廃に次いで狙ったのは、おそらく父と陛下の繋がりを断つことだ。」


 円満に家督を譲られては、陛下と公爵の繋がりは残されてしまう。

 公爵に「陛下に背いた」という事実を作らせたかったのだろうと、ヨウシアは予想した。


「困ったことに、ここまでは相手の狙いが見事に嵌まってしまった。今更事情があったと説明しても、陛下からの信頼を取り戻すことは不可能だろう。」


 もう、以前のような関係ではいられないだろうと、ヨウシアは肩を落とす。

 長年築かれた両家の関係が、今回の一事だけで、砕け散ってしまった。


 ゲーアノルトが、難しい顔をしてヨウシアを見る。


「表向きは、おそらく重用を続けるだろう。だが……。」

「……徐々に遠ざけられるでしょうね。」


 そう考えると、ここはホーズワース公爵に責任を取ってもらい、退いてもらうのが一番穏便な対応か?

 そこまで考え、エウリアスは引っかかるものがあった。


 エウリアスが、真剣な表情でヨウシアを見る。


「ヨウシア様。もしヨウシア様が家督を継がれたとしても、影響力の低下は避けられませんよね?」

「それは勿論だ。父は財務大臣から退くが、そのまま私が大臣の椅子に収まるわけではない。他にも父の持つ様々なパイプに、私では到底……。」

「……ですよね。」


 そう。

 どれだけ不名誉を被ろうと、陛下の不興を買おうと、ホーズワース公爵の影響力は絶大なのだ。

 それは、ヨウシアが一朝一夕で代われるものではない。


「……では、何とかホーズワース公爵には、踏ん張ってもらうしかないですね。」


 エウリアスがそう言うと、ゲーアノルトが驚いたようにエウリアスを見る。


「ヨウシア殿に、家督を譲らせるのではないのか?」


 エウリアスは首を振った。


「一番穏便な終息方法は、おそらくそうでしょう。でも、今考えるべきはそこではありません。」

「そこではない? では、何を一番に考えるべきだと言うのだ?」


 ゲーアノルトが、エウリアスの考えを尋ねる。


「今もっとも考えるべきは、こちらの力を最大化するにはどうするか、です。騒ぎをさっさと収めたいという考えは分かりますが、それは二の次です。騒ぎが収まろうと、ホーズワース家の影響力が著しく低下しては、それは敵の思うつぼです。」

「エウリアス君は、今回の騒ぎの終息に『ホーズワース公爵の退任』が選択される。そう、敵が予想していると言うのかい?」


 エウリアスの考えに、ヨウシアが驚いたように目を見開く。

 それから、腕を組んで自分でも考え始めた。


「陛下の信頼を失ったホーズワース家が、どう対処するか。きっと敵は考えています。おそらく、ヨウシア様が公爵を継がれることを望んでいるはずです。」

「私では、父ほどには影響力がないから……。」


 ヨウシアが搾り出すように言った言葉に、エウリアスは頷く。


「長い目で見れば、それは悪い手ではないんです。一時的に影響力が低下しても、いずれはヨウシア様も立派に公爵として権勢を振るい、大臣なども歴任されるでしょう。もしかしたら、本当に宰相に就かれるかもしれませんね。」


 そうして、エウリアスは表情を和らげる。

 だが、すぐに表情を引き締めた。


「ですが、今考えるべきは、先々のことではないんです。今、敵の攻撃を受けているのです。今、この攻撃を防ぎきらなくてはならないんです。そのためには、ホーズワース家の影響力を低下させる手を選ぶべきではないと思います。」


 エウリアスがそう言うと、ゲーアノルトとヨウシアが顔を見合わせる。


「…………公爵には、茨の道だな。」

「ですね……。」


 ヨウシアは苦し気に目を閉じる。

 しばし考え、ゆっくりと目を開く。


「確かに、エウリアス君の言う通りだ。楽な道へと逃げている場合ではないな。」


 きっと、諸侯からいろいろと言われるだろう。

 陛下からも、白眼視されるかもしれない。

 だが、どれだけ針のむしろであろうと、ここで踏ん張ることこそが最善。


「父に退いてもらうことは、いつでもできる。ならば、今はそのカードは切らず、耐える。」


 ヨウシアが、ゲーアノルトを見る。


「それで、如何でしょうか? 伯爵。」


 ゲーアノルトは溜息をつくと、エウリアスを睨んだ。


「まったく、お前という奴は……。」


 耐える、と口で言うのは簡単だ。

 しかし、実際にその矢面に立つのは、ゲーアノルトであり、ホーズワース公爵である。


「すみません、父上。」

「…………まあいい。言っていることは間違っておらん。」


 ゲーアノルトが、ヨウシアに視線を向けた。


「どうせ今期の社交も今日で終わりだ。私の方の影響は、それほど大きくはない。」


 元々、ラグリフォート家とホーズワース家の協定は、内々のものだ。

 何かあれば協力はするが、そうでもなければ周囲からは分からないだろう。







 公爵のいない場ではあるが、両家の方針は定まった。

 残っている問題は、敵は誰か。

 そして、そもそもスワンプは何者か、ということだ。


「あの男が長男ってことは、ヨウシア様よりも年上ってことですよね。ヨウシア様はおいくつなんですか?」

「今年三十二になった。」

「公爵は?」

「父は、五十二になったね。」


 つまりヨウシアは、公爵の二十歳の時の子ということか。

 ゲーアノルトが、思い出したように確認する。


「公爵は確か…………騎士学院を修了してすぐに結婚されたと聞いているが?」

「ええ、私もそう聞いています。」


 しかし、そうなると、どういうことになるんだ?


「下世話な話になるので、こういうのはあんまり好きじゃないんですけど……。スワンプは妾腹ってことになるんですか? ご落胤らくいん?」

「……………………。」


 ゲーアノルトが、じとっとした目でエウリアスを見る。

 教育に悪い、とか思っているのだろうか?

 それとも、何でそんな言葉を知っている、とか?


 ヨウシアも、非常に複雑な表情だ。

 まあ、自分の父親のなど、聞きたくないだろうしなあ。

 ちなみに、赤の他人だけど、俺だってそんなの聞きたくない。


「あの男の年齢が分からないので何とも言えないが、おそらく妾腹の可能性は少ないと思う。」

「何か、根拠が?」


 妾腹の可能性を否定するヨウシアに、ゲーアノルトが尋ねる。


「根拠というほどではないのですが……。祖父が厳しい方でしたので。」


 そう、ヨウシアは表情を曇らせる。

 エウリアスが、首を傾げた。


「祖父? ってことは、先代のホーズワース公爵ですか?」

「そう。父と母は、先代が決めた縁組だというのは聞いたことがある。父の騎士学院修了と同時に結婚させることも、先代が決めたんだよ。」


 先代のホーズワース公爵はかなり厳しい方だったようで、ヨウシアも小さい頃に会っているが、とてもおっかない人だったらしい。


「ひどく厳格な人で、父も先代には逆らえなかったらしい。古い使用人なんかは、その頃から仕えてくれている者もいるか……。何か、知っているかもしれないな。」


 年齢から逆算すれば、公爵が学院を修了し、結婚する頃に何かあったと考えるのが自然だ。

 ヨウシアは、その頃から仕えてくれている使用人に、知っていることがないか尋ねてみると言う。


(……そういえば。)


 エウリアスは、公爵が酔い潰れて言っていた言葉を思い出す。


「ナバール……。」


 エウリアスがそう呟くと、ゲーアノルトがエウリアスを見る。


「何だ?」

「ナバール、確か公爵がそう言っていたんです。酔い潰れた時に、うわ言のように。……あれはそう、『ナバールめ』。そんな感じで言っていました。」


 エウリアスは眉間に皺を寄せ、その時のことを思い出した。


「えーと……『嘲笑っていたのか』。そんな風に言っていた気がします。」

「嘲笑う?」


 ヨウシアも眉間に皺を寄せ、考え込んだ。


「ナバールというのは、もしかしてナバール男爵かな?」

「確か、西部の領主だったな。」


 ゲーアノルトも、ナバールという名前に憶えがあるようだ。

 エウリアスも頷く。


「そういえば、サザーヘイズ大公爵のパーティーでナバール男爵とは挨拶をしましたね。」

「あのパーティーでか?」

「はい。父上がです。ワッティンソン子爵と一緒にいて、子爵から紹介されたのです。」

「あの時か……。」


 エウリアスは、ゲーアノルトが大公爵から呼ばれたことを濁し、説明する。

 ゲーアノルトも、それで察したようだ。


「ナバール男爵か……。何か関係するのか?」

「もしかして、この件に関わっているのでしょうか?」


 ゲーアノルトとヨウシアが、難しい顔をして考え込む。

 エウリアスも、ナバール男爵の容姿や、その時の印象をよく思い出す。

 エウリアスの印象としては、品のいい、老紳士といった感じだった。


「お話しした感じでは、特に変な感じはありませんでした。男爵として、立派な方かと。」

「そうだな。私もあまり親しいわけではないので、詳しくは知らないが……。」


 ヨウシアが頷く。


「分かりました。その件についてはこちらで調べてみます。ここまで、伯爵やエウリアス君に頼りっぱなしでしたからね。それくらいはこちらで引き受けます。」


 公爵の結婚に関することと、ナバール男爵については、ヨウシアが調べると言う。

 また、スワンプが持参した紹介状の貴族家も、ヨウシアの方で調べるそうだ。


「それでは、今日のところはこれで。何か分かりましたら、ご連絡します。」

「ああ、分かった。」


 ゲーアノルトとヨウシアが、しっかりと握手を交わす。

 そんな二人を見て、エウリアスはほっと息をつく。


(何とか、協定は維持する方向で行きそうだな。)


 まだ公爵がどう動くか分からないが、ヨウシアにしっかり説得してもらおう。


「エウリアス君も、世話になったね。」

「いえ、後のことはよろしくお願いします。」


 エウリアスがそう言うと、ヨウシアが頷く。


 よし、これでもう俺の手は離れたよね?




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