第157話 ホーズワース公爵家乗っ取り計画1




 その部屋は、真っ暗だった。

 カーテンは閉められ、入ってきた入り口からの光で何とか部屋の中を確認する。


 奥に執務机、壁際には本棚やキャビネットが並び、部屋の中央付近にはソファーがある。

 そのソファーには、項垂れ、打ちひしがれた一人の男。

 エウリアスには、それが誰なのか一目では分からなかった。


「お、父様……!」


 隣に立つルクセンティアが、ショックを受けたように呻く。

 口元を覆う手が、微かに震えていた。


 エウリアスもこれまでに何度かホーズワース公爵と顔を合わせているが、いつも毅然として、まさに貴族の中の貴族という感じだった。

 だが、今の公爵の姿には、その見る影もない。


 エウリアスは、後ろ手にドアを閉める。

 カーテンの隙間から僅かに漏れ入る光りで、それでも辛うじて部屋の中を把握することができた。

 公爵の前のテーブルに、瓶が置かれていることに気づいた。


(酒か……?)


 公爵は、この薄暗い部屋で一人、酒を呷っていたらしい。

 自らが築き上げたものを、今日その手で打ち壊したのだ。

 確かに、やけ酒の一つもしたくなるというものだろう。


(とはいえ、このままというわけにもいかないか。)


 本人もショックだろうが、周囲も大きなショックを受けているのだ。

 一刻も早く事情を把握し、打つべき手を考えなくてはならない。


(……でも、どうするかな。)


 普通に聞いて、答えてもらえるとも思えない。


「どうするんだ、クロエ。」


 エウリアスは、小声で問いかける。

 そこに、まったく空気を読まない気軽な声で、クロエが返事をする。


「ホホホ……任せよ。」


 そう言うと同時に、ホーズワース公爵がゆっくりと顔を上げた。

 その目がエウリアスを捉えると、驚愕に目を見開き、みるみる表情が険しくなる。


「……貴様っ……いつの間に……! …………どこから入ってきた……っ!」

「あ、いや、公爵……! その、少しお話を伺おうと思いまして……!」


 それなりに覚悟をして侵入したが、それでも公爵の本気の怒気に、エウリアスは焦りを感じた。

 咄嗟に、言い訳をしようとしてしまう。


「これ以上、何が望みだっ……! 今更、貴様が名乗り出ても無駄だ!」


 公爵は、エウリアスの言い訳などまったく聞かず、憎々し気に吐き捨てる。

 しかし、そんな公爵の態度に、エウリアスは怪訝そうに眉を寄せた。


「……あの、公爵?」

「無駄じゃ。今、その男に其方らの姿は見えておらん。」

「はい……?」


 どゆこと?


「言ったであろう? おるのじゃ。今、公爵が見ているのは其方ではない。濁った目の男じゃ。」

「何だって?」

「其方の故郷で見かけた男と同じか分からなかったがの。もしかしたらと、あの時の男の姿を見せておるのじゃ。」


 エウリアスは唖然として、公爵を見る。

 ルクセンティアも茫然とした様子で、何度もエウリアスと公爵を見た。


 公爵は乱暴に酒瓶を掴み、呷る。

 ごくっごくっと喉を鳴らし、酒が流し込まれた。

 公爵はダンッと瓶をテーブルに置き、エウリアスを睨む。

 いや、実際は濁った目の男を、ということだろうか。


「……家督を継ぐのに、長男であることは関係なくなった! 嫡男は、当主が自由に選べるのだ! もはや貴様が何人貴族を抱き込もうと、ホーズワースこの家を乗っ取ることなどできん!」


 ――――っ!?

 公爵から飛び出した驚きの内容に、エウリアスとルクセンティアは顔を見合わせる。

 あまりに驚き過ぎて、上手く状況が把握できない。


(ちょちょちょ、ちょっと待ってくれ!? 乗っ取り? ホーズワース家を???)


 どういうことだ?

 ホーズワース家にはすでに長男のヨウシアがおり、家督を継ぐことが決定している。

 だからこそ、ヨウシアは若くして要職を歴任し、重用されているのだ。

 そのヨウシアを排除し、あの“スワンプ”とかいう濁った目の男がホーズワース家を乗っ取る?

 公爵家を、継ぐ?


 ルクセンティアも意味が分からず、困惑する。


「ユーリ様、これは……どういうことでしょう?」

「いや、俺にもさっぱり……。」


 エウリアスは額を手で押さえ、考える。


 ヨウシアがホーズワース家を継ぐ。

 これは自他ともに認める事実だ。

 しかし、それを引っ繰り返す事態が起きた。

 それが、スワンプという男の存在。


 これらが矛盾なく成立していることは、公爵の今回の行動で明らかだ。

 なぜなら、公爵はその事態を回避するために、自らの築き上げてきたものを投げ捨ててでも、行動する必要があったのだから。


 では、これらを矛盾させずに成立させる、スワンプとは一体何者なのか?


(……決まっている! からだ!)


 エウリアスは、辿り着いた答えに眩暈を覚えた。


 詳細はまったく分からない。

 だが、そう考えれば公爵の行動のいくつかに説明がつく。


(公爵はおそらく、あの男スワンプの存在を知らなかったんだ。死別したと思っていたのか。そもそも生まれていたことを知らなかったのか。理由は分からないが、おそらく本当に公爵は知らなかった。)


 だからヨウシアを嫡男とし、公爵家の跡取りとして立派に育て上げた。

 しかし、そこにすべてをぶち壊す男の存在が発覚した。

 いくつかの貴族家の紹介状を持っていたということは、すでに把握している貴族家があったのだ。

 だから、闇に葬ることもできない。


 これまでの王国の法律では、問答無用で長男が家督を継ぐものとされていた。

 たとえ野盗の類に身をやつしていようと、いくつかの貴族家が担ぎ上げれば、スワンプがホーズワース家を継ぐことになってしまう。


 もしも公爵がスワンプを害すれば、次に継ぐ者は王城が決定することになる。

 こうなると、完全に権力闘争パワーゲームだ。

 様々な思惑に利用され、何人ものホーズワース家の縁者をいくつもの貴族家が担ぎ上げる。

 きっと、自分たちの推す後継者を指名するよう、王城に働きかける者も出てくるだろう。


 だからホーズワース公爵は、取り戻すしかなかったのだ。

 次期後継者を、領主が選ぶ権利を。

 領主の権利を奪っている『家督は長男が継ぐものとする』という法を撤廃し、領主が自分で後継者を選択できるように。

 こうすれば、たとえ隠し子だろうが何だろうが、後から本当の長男なんて存在が発覚しようが関係ない。


(……だから、公爵はこの法律を撤廃するしかなかったんだ。たとえ現王派を裏切り、陛下の信頼を失うとしても。)


 エウリアスは、血走った目で睨みつけてくる公爵を、苦し気に見つめた。


 ここにいるのは、たとえすべてを失おうと、必死に家を守ろうとする一人の男だった。

 もしかしたら、公爵はこの件が片付いたら、家督をヨウシアに譲る覚悟なのかもしれない。

 ホーズワース家の名前に泥を塗ってしまった責任を取り、すべての汚名を引き受けて。


 跡を継いだヨウシアも苦労するだろうが、それでも公爵一人を悪者にすることで、信頼の回復は可能だろう。


『陛下と諸侯の信頼を裏切った父に、引退を迫った。』


 そういう形をとることで、ヨウシアは比較的フラットな目で見てもらえるようになる。

 元々ヨウシア自身も、官職で実績がある。

 これ以上晩節を汚す前に、隠居してもらうことにした、と言えば納得は得やすいだろう。


 ルクセンティアを見ると、悲し気に顔を歪め、公爵を見ていた。

 もしかしたら、ルクセンティアにも何が起きていたのか、見当がついたのかもしれない。


「クロエ、もっと情報が欲しい。何とか引き出せないか?」

「もっとかえ? ……そうじゃのぉ。では、適当に話しかけてみるがよい。」


 欲しい情報があるなら「自分で引き出せ」ということだろう。

 しかし、どうすれば……。


 エウリアスは腕を組み、かけるべき言葉を考える。

 そして、嫌らしい笑みを浮かべた。


「そう嫌うなよ、パパ。ちょっと会いに来ただけだろう?」


 必死に考え、エウリアスは心苦しさを押し殺して、あえて挑発することにした。

 本物がどんな態度で接したか知らないが、これだけ頭に血が上っていれば、細かいことは気にしないだろう。


 案の定、エウリアスの挑発に、公爵の表情が憤怒に染まる。

 酒瓶を握る手が、ぶるぶると震えていた。

 俺、生きてこの部屋出られるかな……。


「聞いたぜ? 随分と活躍だったみたいじゃないか。」


 エウリアスは挑発を続けながら、必死に頭の中で考える。

 そうして、一つ引っかかるものがあった。


『これ以上、何が望みだっ……!』


 公爵はそう言っていた。

 この『望み』というのは、一体何を指すのか?

 そして、この言い方では、その望みがまるで


 エウリアスの狙い通り、公爵が挑発に食いついた。

 いや、この場合は噛みついたと言うべきか。


「貴様の言う通り、法を撤廃してやったんだっ! もうここには用はないだろう! 出て行け! 二度と顔を見せるなっ!」

「――――ッ!」


 公爵の言葉に、エウリアスは驚きを隠せない。

 予想はしていた。

 しかし、それではスワンプの狙いが、まったく掴めなくなってしまう。


(やっぱり、この法律の撤廃はスワンプに言われたからなのか。だけど……。)


 それでは、スワンプの狙いは何だ?

 ここに来て、エウリアスははっきりとスワンプの行動に、矛盾があることを確信した。


 一つは、ホーズワース家の乗っ取り。

 公爵に会いに来て、この可能性を匂わせたはずだ。

 単純にスワンプを消すだけでは、すでに貴族家にも知られているため無かったことにはできない。

 そうして公爵を追い詰め、要求を飲ませた。


 もう一つが、法の撤廃だ。

 これこそが、スワンプが公爵に突きつけた望み、要求ということになる。


 しかし、この二つは本来両立しないはずなのだ。

 スワンプが公爵家を乗っ取るために、『家督は長男が継ぐものとする』という法律が必要だから。

 もし本当に乗っ取りが目的ならば、わざわざ公爵に伝えに来る必要はない。

 しかも、その乗っ取りの根拠となる法律を、自分で撤廃させた?


(一体、何を考えているんだ? スワンプとは一体……?)


 エウリアスが考え込んでいると、公爵の身体がフラリ……と揺れた。

 そのまま、ソファーに倒れ込んでしまう。


「お父様!?」


 ルクセンティアが公爵に駆け寄り、身体を支える。

 公爵は意識が混濁しているのか、何かをぶつぶつと呟き、半ば意識を失っているようだ。


「しまった。興奮させすぎたか。」


 エウリアスも公爵の下に行き、倒れた酒瓶を直す。


「…………ナバールめ……ずっと……。…………嘲笑って、いたのか……。ミレイ……。」


 ナバール?

 公爵のうわ言に、気になる名前があった。


(ナバールって、ナバール男爵?)


 確かサザーヘイズ大公爵家のパーティーで、ワッティンソン子爵と一緒にいたのが、ナバール男爵だったはずだ。

 老紳士で、エウリアスも軽く会話を交わしたことがある。


(嘲笑うって、どういうことだ? それに、ミレイ?)


 公爵はどうやら、酔い潰れてしまったようだ。

 時折苦し気に呻きながら、ルクセンティアの手を煩わしそうに振り払う。


「ティア。執事か誰かを呼ぼう。公爵を休ませないと。」

「ええ……。」


 エウリアスが声をかけると、ルクセンティアが立ち上がる。

 そうして、急いで部屋を出た。


「エウも、今のうちに部屋を出るがよい。部屋の前の護衛たちはまだ、其方のことを認識できんようにしておる。」

「分かった。」


 エウリアスは立ち上がると、ドアに向かった。


「あとで大騒ぎになっちゃうかな。公爵は、スワンプが入ってきたって思ってるんだよね?」

「そうじゃの。……何なら、忘れさせることもできるぞ? まあ、何かのきっかけで思い出すかもしれんがの。」


 このままだと、やってもいない不法侵入を、濁った目の男になすりつけることになる。

 でも、これだけ酔っぱらってれば、寝惚けていたとか思ってくれるかな?


「まあ、いっか。認識を歪ませるとかいうのを、わざわざ使うまでもない。どうせあとで思い出しちゃうんだし。」


 そうして、ルクセンティアに呼ばれた護衛騎士が部屋に入ってくると、入れ違いに部屋を出た。


 エウリアスは部屋の入り口に立つと、振り返る。

 酔い潰れながら、それでも苦し気にうわ言を言い続ける公爵に、胸が苦しくなるのを感じた。


 エウリアスはその場で軽く頭を下げると、公爵の部屋を後にするのだった。




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