第155話 公爵の焦り
エウリアスが応接室から出ると、ステインや使用人が廊下で待機していた。
ラグリフォート伯爵家の騎士だけでなく、ホーズワース公爵家の騎士も待機している。
その中に、学院に置いてきたタイストの姿を見つけた。
「お、タイスト、来てたか。」
「あのですね、エウリアス様……。」
タイストは、とても複雑な表情をしていた。
ルクセンティアや、ホーズワース家の護衛騎士がいるため、言いたいことがあっても言えないのだろう。
「すぐに出るぞ。それでは父上、失礼します。」
「失礼いたします、ラグリフォート伯爵。突然押しかけてしまい、申し訳ありませんでした。」
「ああ、気をつけてな。」
エウリアスに続き、ルクセンティアもゲーアノルトに挨拶をすると、そのままエントランスに向かった。
「は? エウリアス様!? どちらに?」
慌てた様子でエウリアスの後ろにつき、タイストが尋ねる。
「ホーズワース家に遊びに行くことにした。お前たち、すぐに準備しろ。」
「はぁあああ!?」
まったく話について来れず、タイストが声を上げる。
タイストが聞いているのは、学院で耳にしたことだけ。
ホーズワース公爵が現王派から造反した、ということだけだ。
それでルクセンティアがいきなり姿を
「一体、何がどうなって……。」
「それは説明できない。こんな所で話していいことじゃない。」
エウリアスがそう言うと、タイストが言いかけた言葉を飲み込んだ。
どんなに疑問を抱こうと、エウリアスが「行く」と言えば、それは行くのだ。
しかし、疑問を抱くのは何もタイストだけじゃない。
むしろ、ホーズワース家の護衛騎士たちの方が、動揺は大きい。
公爵のすることに異を唱えることなどできないが、なぜ陛下に背を向けるようなことをしたのか。
そのことに胸を痛めているのは、彼らの方なのだ。
しかも、そんな騒動の最中に、エウリアスが遊びに行くと言う。
彼らからすれば、ルクセンティアが何を考えているのか、問い質したいところだろう。
エントランスに着くと、エウリアスは自分の馬車に向かい、そこで立ち止まる。
くるりと振り返り、視線を巡らせる。
「あの……どうしましたか?」
ルクセンティアに聞かれるが、エウリアスは一人の騎士を手招きした。
一人だけ、身につけている鎧に小さな意匠が刻まれている。
この意匠が、隊長格であることを示すものだと思われる。
「貴方は、ティアの護衛隊の隊長かな?」
「え? ええ、まあ……。」
「一緒に乗ってくれ。」
「は?」
言うだけ言うと、エウリアスはルクセンティアが馬車に乗るのをエスコートし、自分も乗り込む。
「言う通りにしなさい。」
戸惑う隊長に、ルクセンティアが命じる。
隊長に続いてタイストが乗り込もうとするが、エウリアスはそれを手で制した。
「タイストは別便だ。ホーズワース家の馬車があるだろ? そっちでついて来てくれ。」
「エウリアス様!?」
「いいからドアを閉めろ。」
ピシャリと言うと、タイストは渋々ドアを閉める。
そうして、すぐに馬車が動き出した。
「隊長同士で、何か申し送りを受けていないか?」
馬車が動き出すと、早速エウリアスは隊長から聞き取りを始めた。
聞きたいのは、主にここ最近のホーズワース公爵についてだ。
領主一族の護衛に就き、常に身近に控えている騎士。
その隊長間で申し送りされた情報の中に、今回の公爵の不可解な行動に繋がる情報がないか探ることにした。
かなり際どい話になるので、タイストさえ排除する必要があった。
本来、ホーズワース公爵家の人間ではないエウリアスには、絶対に漏らせることではないだろう。
それでも、現在の両家の微妙な関係を理解してもらい、ルクセンティアにも説得してもらって、何とかヒントを掴みたいと思っていた。
「父とラグリフォート伯爵との間で協定が結ばれたのは、聞いていますね?」
「それは……はい。何かあれば、ラグリフォート家に協力するように言われています。」
隊長が、慎重に言葉を選びながら答えた。
ルクセンティアがたびたび巻き込まれる襲撃事件に、ラグリフォート家も巻き込まれている。
共通の敵を持つ貴族家として、協力し合うという話は、伝わっていたようだ。
エウリアスは、その隊長を真剣な目で見た。
「その両家の協定が、此度の公爵の行動により破棄されかかっている。勘違いしないで欲しいのは、俺は公爵を非難するつもりはないんだ。ただ、余程の事情があったに違いないと考えている。」
「ユーリ様は、協定の破棄を考えた伯爵を説得してくださったのです。ですが、お父様の事情が分からなくては、説得もままなりません。伯爵も一度は考え直してくださいましたが、事情も何も分からなくては再び破棄しようとされるかもしれません。」
ルクセンティアも隊長を説得しようと、必死に訴える。
しかし、隊長はじっと口を閉ざし、何も言おうとはしなかった。
この対応は当然だろう。
簡単に自家の事情をぺらぺらとしゃべるような者に、騎士が、ましてや隊長など務まるわけがない。
(公爵の事情が分からないのでは、いずれは本当に協定が破棄されてしまうかもしれないな……。)
やむを得ない事情だと分かればこそ、ゲーアノルトも協定の継続を真剣に考えてくれるだろう。
しかし、今のところは公爵がただ現王派を裏切ったとしか見えないのだ。
おそらく公爵は、覚悟の上で今回の行動に至ったのだろうが、それでは本当に敵の思惑通りとなりかねない。
起きてしまったことは仕方がないにしても、エウリアスとしてはこれ以上のダメージは避けたかった。
(トップの公爵が離脱したとして、現王派はどうなるんだ……?)
今回、賛成に回った現王派の貴族は、二十人にもなるという話だった。
もしも公爵が現王派を割ると、その派閥は全勢力のうちで最小となる。
反対の立場を取った現王派も、せいぜい日和見と同数程度。
最大派閥は革新派ということになる。
(まだ、どう転ぶか分からないが……下手をすると国が揺らぐな。)
公爵を脅している者は、そこまで狙っているのだろうか?
もはや、どこまでが計画されたものなのか、見当もつかなかった。
「知っていることを教えなさい。これは、今後のホーズワース家の未来を左右する、とても大事なことです。」
口を閉ざしたままの隊長に、ルクセンティアは真摯に訴えかける。
だが、それでも騎士は話そうとしなかった。
極端な話、当主が間違った選択をして家が潰れようと、それでも当主の決定は絶対だという考えが浸透している。
そこまで徹底させないと、貴族家が勝手に揺らぎ、何もなくても自滅しかねないからだ。
究極的には、どんな選択をしても、賛成もあれば反対もあるだろう。
人にはそれぞれ立場があり、それは貴族家に仕える使用人も同じだからだ。
常に多数の意見を採用しても、少数は反対しているわけだ。
強引でも何でも、これをまとめ上げる力量が当主には求められる。
今回の公爵の行動は、仕える騎士たちからしても納得できない部分があるだろう。
しかし、だからと言って不満をいちいちぶつけられていては、組織はあっという間に崩壊する。
個人でどう思っていようが、当主が決めたらそれに突き進むという価値観が、貴族家に仕える者には植え付けられていた。
エウリアスは背もたれに寄りかかり、足を組む。
正面に座る隊長を、真っ直ぐに見た。
「やっぱり、言えないか?」
エウリアスがそう言うと、「……申し訳ありません」と隊長が頭を下げた。
「ふぅ……。ま、そうだよな。」
「ユーリ様……すみません。」
落胆するエウリアスに、ルクセンティアが謝った。
エウリアスは意識して微笑んだ。
「謝ることじゃないよ。彼の対応は普通だ。無茶を言っているのは俺の方なんだから。」
貴族家に仕える以上、彼らもまた覚悟しているのだ。
何があろうと、この家を支えるのだ、と。
とはいえ、これで手が無くなったとも言える。
あとは公爵のいる所に乗り込んで、直接問い質すくらいしかない。
(できるわけねぇー、そんなこと。)
自分で考えてても、それがどれだけ無茶なことか分かっていた。
それこそ、その場で斬り捨てられても、文句を言うことも許されないような所業だ。
(さて、どうするかな……。)
しかし、名案など浮かぶことなく、そのまま馬車はホーズワース家の屋敷に到着するのだった。
■■■■■■
ホーズワース家のエントランス前に馬車が停車すると、外から客車のドアが開けられた。
ドアを開けた四十代の執事が、一瞬だけ目を丸くする。
「おかえりなさいませ、お嬢様。」
内心の驚きをすぐに引っ込め、後ろに下がる。
おそらく、エウリアスが乗っていることに驚いたのだろう。
しかし、余計なことは言わず、恭しく出迎えた。
同乗していた騎士の隊長が下りると、続いてエウリアスも下りる。
そうして、ルクセンティアが下りるのを、エウリアスはエスコートした。
「バリキュロ、お父様はお戻りね?」
「え、ええ……お戻りになられていますが……。」
バリキュロと呼ばれた執事が、戸惑いながら肯定する。
ルクセンティアはエウリアスに目配せすると、エントランスに入った。
そのまま応接室に直行する。
「お前たちはここで待ちなさい。バリキュロは中へ。」
ルクセンティアは護衛騎士に廊下での待機を命じ、エウリアスとともに応接室に入る。
そうして、バリキュロという執事だけ入室を許可した。
「一体何事ですか、これは……? 急なお客様もですが、随分と早いお帰りのようで……。」
いつもなら、まだ学院の午後の授業の時間だ。
そんな時間に帰ってきたルクセンティアに、バリキュロはとても驚いていた。
もっとも、一番驚いたのはエウリアスが乗っていたことだろうけど。
「お父様の様子は?」
「…………………………。」
ルクセンティアはバリキュロの疑問には答えず、公爵のことを尋ねた。
バリキュロは僅かに眉を寄せ、逡巡する。
「バリキュロ、貴方は今日の議会のことは聞いてる?」
「いえ……お聞きしておりません。」
「でも、何かあったというのは、勘づいてるのね?」
「…………はい。」
ルクセンティアの質問に、バリキュロは素直に答えた。
何があったかまでは分からないが、公爵の様子から「何かがあった」ということだけは気づいたようだ。
ルクセンティアは一歩前に進み、バリキュロの正面に立つ。
「教えてちょうだい。ここ最近で、お父様に変わったことは? 何でもいいの。何か聞いていることはない?」
ルクセンティアに真剣な目で見つめられ、バリキュロが苦しそうに顔を歪める。
しばし悩み、やがて溜息をついた。
「旦那様に、何かあったのですね?」
「ええ。ホーズワース家は、今とてもまずい立場に立ってしまったの。ラグリフォート伯爵は、うちとの協定の破棄を口にしたわ。」
「なんと……っ!」
バリキュロは驚き、言葉が続かない様子だ。
ルクセンティアが、懸命に説得する。
「ユーリ様が伯爵を思い留まらせてくれたけど、事情がはっきりしなければ、やはり協定を破棄されてしまうかもしれない。それだけじゃないわ。今日の議会のことで、本当にホーズワース家は追い詰めらることになるかもしれない。お願いよ、バリキュロ。知っていることがあるなら教えてちょうだい。」
バリキュロは目を閉じ、考え込む。
そうして、口を開いた。
「…………一週間ほど前、旦那様に急な来客があったそうです。」
「来客?」
「はい。旦那様のご様子は、それからおかしくなったようでございます。常に苛立ち、とても焦っているご様子だと……。」
これだけでははっきりしないが、やはり公爵は脅されていたのかもしれない。
「その来客というのは?」
「分かりません。いくつかの貴族家の紹介状を持って、いきなり現れたそうです。馬車も身なりも立派だったようなので、おそらく貴族家の関係か、よほど裕福な家の者ではないか、と。」
エウリアスは、腕を組んで考える。
貴族家の紹介状を持っていたということは、その来客自身は貴族ではない可能性があるか?
金に物を言わせて、複数の貴族家から紹介状を出させた?
もしそうだとしたら、なかなかに強引なやり方だ。
エウリアスは、バリキュロにもう少し確認してみることにした。
「他に、何か特徴になりそうなものはないか? というか、来客というのが何者か、調べなかったのか?」
「特に調べるようには指示されなかったそうです。おそらくですが、旦那様には名乗られたのではないでしょうか。」
それはそうか。
公爵自身は、その来客が何者か分かった。
だから、特に調べさせなかった。
裏取りの必要もないと判断したのか?
エウリアスがそんなことを思っていると、バリキュロが「あ……」と声を漏らす。
「どうしたの、バリキュロ? 何かあった?」
ルクセンティアが尋ねると、バリキュロが首を捻る。
「その男について、使用人たちが話しているのを聞いたことがあります。その時に言われていた特徴を思い出しました。」
「特徴? どんな?」
「身なりはいいが、振る舞いはとても粗野だったそうです。それと……目が濁っていた、と。」
バリキュロの言う特徴に、エウリアスとルクセンティアは顔を見合わせる。
「濁っていた?」
「目が?」
「はい。とても不気味というか、不吉な感じのする男だったということで……。その目が原因なのかは分かりませんが、そういう雰囲気だったとのことです。」
バリキュロの言う特徴に、エウリアスは眉を寄せる。
「目が、濁っていた……?」
エウリアスは、そう呟くのだった。
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