第154話 協定の維持
「エウリアス。私は、ホーズワース公爵家との協定を破棄する。」
ゲーアノルトの宣言に、ルクセンティアの身体がビクンと震えるのを感じた。
エウリアスは、思わず目を閉じてしまう。
そうして「はぁーーーーーっ……」と盛大に溜息をついた。
「その結論は、さすがに早計では? 父上。」
「どこが早計だと言うのか。信頼できない相手との協定など、害はあっても利などない。」
「…………ラグリフォート、伯爵……。」
ホーズワース公爵のことを「信頼に値しない」と断じるゲーアノルトに、ルクセンティアが悲しそうに呟く。
しかし、公爵のしたことを思えば、何と言って説得すればいいのか。
ルクセンティアには分からず、ただ俯くことしかできなかった。
「ティア。」
エウリアスは、膝の上に置かれたルクセンティアの手に、そっと自分の手を重ねた。
「大丈夫だよ。ティア。」
「ユーリ様……。」
俯いていた顔を上げ、ルクセンティアがエウリアスを見る。
エウリアスは、真っ直ぐにゲーアノルトを見つめた。
ゲーアノルトが、エウリアスを睨むように射貫く。
「分かっているのか、エウリアス!
「分かっていますよ、父上。」
「だったら、なぜそんな――――っ!」
「信じていますから。」
鬼気迫るようなゲーアノルトの言葉を受け止め、それでもエウリアスはにこっと微笑む。
「…………何?」
「父上を信じていますから。俺を廃嫡するかどうかは問題じゃありません。そんなことはどうでもいいんです。」
「何がどうでもいいのかっ! ふざけたこと言って――――っ!」
「
エウリアスは、ゲーアノルトを真っ直ぐに見つめたまま頷く。
「父上なら、正しく判断されます。俺はそう信じているから、こんな法などどうでもいいのです。」
この法律があったため、嫡男として安泰だったというのは事実だ。
その恩恵は、これまで十分に受けてきた。
「俺はラグリフォート領が好きだから、立場が変わろうとやることは変わりませんよ。」
領主としてなら、領主として。
別の立場なら、別の立場として。
ラグリフォート領のためにあろう、というだけだった。
エウリアスがそう言うと、今度はゲーアノルトが盛大に溜息をついた。
「…………こんな領主であろうというような、気概はないのか?」
「領主としての気概は、領主になったら持とうと思います。今は嫡男ですので、嫡男としての気概しか持ち合わせていません。」
エウリアスがそう言うと、横からクスッと笑うのが聞こえた。
ルクセンティアが、困ったような複雑な表情でエウリアスを見ている。
「何と言うか……ユーリ様らしいと思います。」
「でしょ?」
そうして笑い合うエウリアスとルクセンティアを見て、ゲーアノルトががりがりと頭を掻いた。
「確かに、エウリアスらしいと言えばエウリアスらしいが……。ことはそうは単純ではないぞ。」
「分かっています。お家騒動が起きやすくなったのは、今日の学院を見ていて明らかですから。」
様々な思惑が渦巻き、暗殺などの非常手段に出る者もそのうち出始めるだろう。
さすがに、そこまでの強硬手段は、そうそう起きないと思いたいが。
それでも、これまでに何度となく襲撃を受けた身としては、今後はより一層気を引き締める必要があるだろう。
しかし、エウリアスが今考えるべきはそこではない。
今日、
――――なぜ、ホーズワース公爵がこのような行動に出たのか。
これについては、今のところまったく分かっていなかった。
「そもそもの話、ホーズワース公爵はこの議題に反対だったのですよね?」
まずは、話はそこからだ。
この前提が成り立たなければ、驚いているエウリアスやルクセンティアが単に知らなかったというだけ。
「そう聞いている。私は直接公爵から聞いたわけではないが、最初にこの議題が提出された時、ヒンケル侯爵から『現王派としては反対する意向』であることを聞いた。これは、ヒンケル侯爵がホーズワース公爵に確認したらしい。」
ゲーアノルトが直接確認したわけではないが、当初はホーズワース公爵も反対の意向だったようだ。
これは、過去にもこの議題が提出され、反対し続けてきたこととも矛盾はしない。
「それは、いつのことです?」
「二週間くらい前か。今期の議会で採決まで持って行こうとするなら、ぎりぎりのタイミングだった。『本気で通す気があるのか』と呆れたのを憶えている。」
ただ問題提起するだけなら、別に提出のタイミングを気にする必要はないだろう。
だが、本会議での採決を目指すなら、最低でも「いつまでに小会議が開かれる」という時間的な制約がある。
小会議である程度話し合われなければ、本会議で採決にかけることができないからだ。
ゲーアノルトの話を聞き、エウリアスは引っかかりを覚える。
ぎりぎりのタイミングでの提出、その議題が採決されるとしたら、必ず最終日になるだろう。
そして、本会議の最終日は陛下が臨席される。
「…………そこまで、仕組んでいたのか?」
エウリアスがポツリと呟くと、ゲーアノルトが怪訝そうに眉を寄せる。
ルクセンティアも、不安そうにエウリアスの顔を見ていた。
「エウリアス。仕組むというのは、どういうことだ?」
ゲーアノルトに問われ、エウリアスはこめかみに人指し指を添える。
そうして軽く揉むようにしながら、考えを巡らせた。
「採決の際の、公爵の演説……。その場に陛下がいなければ、そもそも意味はない。説得の相手がいないのだから。……だから、最終日を狙った?」
目を閉じ、これまでの話を思い出しながら整理する。
「なぜ、即時の撤廃を迫った……? そうしなくてはならない理由が、公爵にあったからか?」
そして、エウリアスは一つの結論に辿り着く。
目を見開き、愕然とするエウリアスにゲーアノルトが尋ねる。
「どうした? 大丈夫か、エウリアス?」
「え、ええ……。」
エウリアスは、自分の思いついた結論に、眩暈を感じていた。
「……これは、今のところ何の根拠もありません。実際の手段も分かりません。」
「何だそれは。ただの思いつきか。」
「はい。ただの憶測、いや妄想のようなものです。」
あくまで、エウリアスにはそう思えるというだけ。
しかし――――。
「今回の、本当の狙いは『王家とホーズワース公爵家の分断』かもしれません。」
「………………え?」
「何だと……?」
エウリアスの導き出した結論に、ルクセンティアが呆気に取られる。
エウリアスは、ゲーアノルトを真っ直ぐに見た。
「心当たりがありませんか? 俺は以前も、そんな可能性を耳にしましたよ。……父上から。」
「私から?」
そう呟き、ゲーアノルトが眉間の皺を深くする。
だが、すぐに目を見開いた。
「トレーメル殿下襲撃事件か!?」
ゲーアノルトが驚いたように声を上げると、エウリアスは頷く。
「あの、何を狙ったかよく分からないままになっている事件。可能性の一つとして、王家とホーズワース公爵家の分断があったはずです。」
「ああ……。」
「まさに、今回のことで、両家には決定的な楔が打ち込まれました。公爵には公爵の事情があったのでしょう。ですが、それでも両家の関係にヒビが入ったのは確かです。」
「そんな……!」
法の撤廃が狙いではなく、王家との分断こそが本当の狙いだと言われ、ルクセンティアがショックを受ける。
「オリエンテーリングの時の事件では、成功しようと失敗しようと、現王派にダメージがいくように仕組まれていました。その周到さを考えると、今回の『家督は長男が継ぐものとする』という法の撤廃も、きっと狙いがあるのでしょう。」
両家を分断し、邪魔な法律も撤廃させる。
一石二鳥の策というわけだ。
「ぎりぎりのタイミングで提出した議題。最終日の採決に滑り込ませることは、おそらく狙い通りだったはずです。ただ通すだけではだめだったんです。最終日でなければならなかった。なぜか?
「そこまで、狙っていたのか? 初めから……?」
ゲーアノルトが愕然としたように呟くと、エウリアスは頷く。
「今回は、小会議で潰されない自信があった。いえ、それは自信ではなく、そう仕組んでいたからです。」
小会議で賛同に回ったという日和見の貴族が、これを画策した者の仲間かどうかは分からない。
何か弱みを握り、そう誘導した可能性があるからだ。
そして、それはホーズワース公爵も同じだった。
「公爵は、相当な弱みを握られたのかもしれません。それをネタに、脅されていた可能性があります。」
「お父様が、脅しに屈した、と……?」
「ちょっとやそっとの弱みではないだろうね。それこそ、公爵家そのものが傾きかねない。そんな弱みだ。」
「ですが……そんな弱みが、お父様にあるとは思えません。」
ホーズワース公爵ほどの人が脅しに屈したなど、ルクセンティアには信じ難いことだろう。
それこそ、侮辱だと受け取られても仕方がないほどだ。
しかし、そうとでも考えなければ、今回の公爵の不可解な行動の理由に説明がつかない。
エウリアスは、ゲーアノルトを真剣な目で射貫く。
「父上。ホーズワース家との協定は破棄してはいけません。それは、これを画策した者の狙い通りかもしれないからです。」
「しかし、協定のことを知る者は、ほとんどおらんぞ?」
「そうですね。もしかしたら、これは俺の考えすぎかもしれません。ですが……。」
そこで、エウリアスは一度口を閉じる。
やはり、どう考えても
「これは、一連の襲撃事件を画策していた者からの、攻撃の可能性があります。」
エウリアスがそう言うと、ゲーアノルトが睨むような目つきになった。
テーブルを挟んで向かい合い、エウリアスとゲーアノルトが睨み合う。
「そのために結んだ協定ですよね、父上? ここで公爵を孤立させてはいけません。それは、敵に利するだけの愚策です。」
エウリアスが断言すると、ゲーアノルトが背もたれに寄りかかり、天井を仰ぐ。
両手で顔を覆い、エウリアスの出した結論の可能性を考える。
「ユーリ様……。」
不安そうに見つめるルクセンティアに、エウリアスは微笑みかける。
「大丈夫だよ、ティア。ラグリフォート家は、決して味方を見捨てない。…………ですよね、父上?」
「はぁぁああーーーーーーっ……!」
エウリアスがそう言うと、天井を見上げたままの姿勢でゲーアノルトが盛大に溜息をついた。
顔を覆っていた両手を下ろす。
そんなゲーアノルトを、エウリアスは苦笑しながら見る。
ただの憶測に過ぎないが、ゲーアノルトは「あり得る」と思い至ったのだろう。
破棄すべきか、協定の維持か。
ゲーアノルトは、苦しい選択を迫られているに違いない。
「父上が非難すべきは、公爵の間違った判断に対してです。なぜ、相談してくれなかったのか。家格に差があろうと、ともに立ち向かうと決めたラグリフォート家に相談してくれなかったことこそを、非難してください。」
ホーズワース公爵からすれば、協定と言いながらも、心のどこかで「力を貸してやる」という考えがあったのだろう。
ラグリフォート家が苦境に立った時、その後ろ盾にホーズワース公爵がなる、と。
まさか、自分の急所を突かれるとは思いもしなかった。
だからゲーアノルトに相談することをせず、自分だけで決めてしまった。
「それじゃあ、行こうか。」
急にエウリアスが立ち上がる。
ゲーアノルトとルクセンティアが、エウリアスを見上げた。
「行くって……、どこに行くのだ?」
「勿論、ホーズワース公爵家に決まっているじゃないですか。」
「ホーズワース家だと!?」
これから直接乗り込もうと言うエウリアスに、ゲーアノルトが驚く。
「あ。父上は、きちんとアポイントを取ってくださいね。当主同士、しっかり話し合ってください。」
貴族同士が会う場合、いきなり相手の屋敷に押しかけるということはしない。
余程、個人として仲の良い友人であれば別だが。
「俺はティアの家に遊びに行くだけだから、今から行っても問題ないよね。」
公爵に面会することが目的ではない。
あくまで、ルクセンティアの家に遊びに行くだけである。
これなら、今から行っても何の問題も無い。
だって、本人がここにいるんだもん。
「できれば、ちょこっと
そんなことを朗らかに言うエウリアスを、ゲーアノルトは呆れたように見るのだった。
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