第149話 ゲーアノルトからの課題
サザーヘイズ大公爵家の屋敷で、ホーズワース公爵はマクシミリアンと会談していた。
人払いをした上で、詳しい事情なども説明せず、ただ要求だけを伝える。
「それは本気かね、レナンツォ。」
公爵の話に、マクシミリアンは驚いた様子で確認した。
レナンツォと呼ばれたホーズワース公爵は、真剣な表情で頷く。
それを見て、マクシミリアンは腕を組み、考え込むように俯いた。
マクシミリアンとホーズワース公爵は、それなりに親しい。
両家は永らく、娘に嫁いでもらったり、嫁がせたりしている関係だ。
また、かつて現王派を纏めていたのはマクシミリアンだった。
十年以上も前にマクシミリアンが日和見へと転向し、やや距離を置くようになったが。
それでも、基本的に現王派と歩調を合わせる路線でいるのは、マクシミリアンの舵取りによるものだ。
こうして議会の最中に意見交換をすることも、いつものことではある。
「ふぅむ……。確かに多くの問題を抱えてはいるが、その影響の大きさから、これまでは手をつけずにいたが。」
「今回、私は本気で動くつもりです。」
「では、現王派がそれで一本化するのか?」
その問いに、公爵は首を振った。
「いくつかの家は、おそらく同調するでしょう。しかし、さすがに一本化までは……。」
「それで、我々にも動いて欲しいというわけか。」
「はい。」
マクシミリアンは、目を閉じて考え込む。
逡巡し、すぐに頷いた。
「分かった。こちらのことは任せなさい。」
マクシミリアンの言葉に、公爵はほっと息をつく。
「ありがとうございます、マクシミリアン様。」
「なに、構わんさ。問題だと思っていながら、放置していたのは我らも同じ。レナンツォがそこに取り組もうとするのは、素晴らしい勇気だ。」
そう言われると、公爵は僅かに目を伏せた。
しかし、すぐに表情を引き締め、頭を下げた。
「それではマクシミリアン様。私はこれで。」
「もう行くのか? 良ければ、夕食でもどうだ?」
「申し訳ありません。しかし、今は時間が惜しいのです。」
「そうだな。あと三日が勝負といったところか。頑張りなさい。こちらはこちらで、しっかりと進めておこう。」
「よろしくお願いします。」
公爵は立ち上がると、もう一度頭を下げ、部屋を出た。
そんな公爵を見送り、マクシミリアンは頷く。
「…………頑張りたまえ、レナンツォ。」
マクシミリアンはテーブルベルに手を伸ばすと、澄んだ音を響かせた。
すぐに、仮面の執事が隣の部屋からやってくる。
「お呼びですか、旦那様。」
「ラルヴァ。いつもの面子を明日の晩、食事に招待する。予定の合わない者は、個別で話をする時間を取ってもらってくれ。」
「かしこまりました。」
ラルヴァは恭しく頭を下げた。
これで日和見の意見は、問題なく一本化できる。
「それと、
「はい。直ちに。」
そうして部屋を出て行くラルヴァを、マクシミリアンは何の感情もない目で見つめるのだった。
■■■■■■
大分暖かくなってきたが、暦の上では、春まではまだ三週間くらいある。
それでも、早朝はまだまだ冷え込みがきつい。
そんなある日、エウリアスはいつもよりも少し遅く起きると、
「ふぁ~~~……あふ……。」
「大丈夫ですか、エウリアス様? 眠いようでしたら、本日は学院をお休みされては?」
「…………父上に怒られるって。」
学院を休むように唆すメイドの言葉に、エウリアスは苦笑しながら答える。
ここはラグリフォート家の別邸で、このメイドは別邸のメイドだ。
昨夜、パーティーから遅く戻ったエウリアスは、別邸に泊ることにした。
さすがに早朝の訓練はキャンセルし、何とかいつもと同じくらいの睡眠時間を確保できた。
学院のブレザーに袖を通し、立て掛けていた
「父上は、もう起きてる?」
「はい。そろそろ
昨夜のパーティーでは、大分お酒を飲んでいたゲーアノルトだが、頑張って起きているようだ。
ゲーアノルトにとって、パーティーとは営業の場だ。
進んでお酒を飲もうとはしないが、昨日は勧められてガンガン飲まされていた。
横で見ていたエウリアスの方が心配になるくらいに。
エウリアスがダイニングに行くと、すでにゲーアノルトは席に着いていた。
コップいっぱいに入った、オレンジ色の何かを一気に飲み干しているところだった。
果実のジュースかな?
ゲーアノルトのサポートのため、別邸に常駐しているステインが挨拶をしてくる。
「エウリアス坊ちゃま、おはようございます。お加減はいかがでしょう。」
「おはよう。ちょっと眠いけど、俺は平気だよ。それより、父上はどう?」
エウリアスがそう言うと、ゲーアノルトが謎の飲み物を飲み干し、大きく息を吐き出した。
「ふぅ……。私は問題ない。」
そう言うゲーアノルトの顔色は優れない。
完全に二日酔いである。
「あまり、無理をするのは……。」
「この程度、大したことではない。それに、今日が議会の最終日なのでな。陛下も臨席されるのだ。何にしろ休むわけにはいかん。」
今日は、小会議で話し合われていたことのいくつかが、本会議で採決にかけられる。
議題や法案に、賛成か反対か、最終的な意思を表明する日なのだ。
今日休むということは、意思表示する機会を放棄するに等しい。
また、最終日は陛下も議会に臨席されるのが通例だ。
普段は採決の結果だけを宰相らから報告されるが、最終日だけは最初から最後まで参加されると、家庭教師から教わった記憶がある。
エウリアスが席に着くと、食事が運ばれてくる。
朝からしっかりと食べ、パンや肉料理をお替わりまですると、ゲーアノルトが少し驚いた。
「前から、そんなに食べていたか?」
「いえ。最近、少し運動量を増やしたので。食べないと身体がもたないのです。」
「そうか。せっかく騎士学院に通っているのだ。しっかりと鍛えなさい。領主とは、何だかんだ言っても、最後には己の肉体が物の言う。鍛えた身体は無駄にはならん。」
「はい。」
バイタリティ溢れるゲーアノルトが言うと、説得力が違う。
とはいえ、平和な世にそこまで鍛えられた身体が必要だという、ゲーアノルトの日常生活が少々心配になった。
体力があるからと、相当に無理をしているのではないだろうか。
エウリアスは、ちびりとコップの水を飲むと、ゲーアノルトを見る。
「今夜はもう、パーティーはないのですよね?」
「ああ。いくつか開催はされるが、出る予定のものはない。一カ月よく頑張ったな、エウリアス。」
「俺よりも、父上の方が大変ですよ。倒れやしないか、ひやひやしていました。」
「
そうは言っても、さすがのゲーアノルトも今朝は食欲がないのか、何とかパンを千切って食べているくらいだった。
後は軽く果物を摘んでいた。
エウリアスが手を止めてゲーアノルトを見ていると、視線に気づいたゲーアノルトもエウリアスを見た。
「どうした?」
「いえ……。」
エウリアスが心配したところで、ゲーアノルトにはやらなくてはならないことがある。
どうしたって、それはゲーアノルト以外の者には、代わることなどできないのだ。
少なくとも、今は、まだ。
「お身体には気をつけてください、父上。」
「分かっている。」
そう言って、再びゲーアノルトがパンを千切り、口に入れた。
水で流し込み、思い出したように口を開く。
「学院で、議会のことは話題に上がったりすることはあるか?」
「学院でですか?」
エウリアスは、少し考えて曖昧に首を傾げる。
「メル……トレーメル殿下やルクセンティア様とは、少し話が出ることもあります。ですが、ほとんどの学院生はあまり議会には興味がないようです。『学院の廃止』が検討された時は、さすがにみんな気になったようですが。それもすぐに落ち着きましたから。今は、ほとんど気にする学院生はいません。」
平民にとって、議会とはまったく別世界のお話だろう。
勝手に法律が作られるが、自分の生活に直接影響するようなことはあまりない。
気にするとしたら、税が上がった時だろうか。
それだって、施行されて初めて知るという場合がほとんどだろう。
その前段階の、議会で話し合われている段階で気にするような平民はほとんどいなかった。
「それが、どうかしたのですか?」
「いや、そろそろエウリアスも議会について知っておくべきかと思ってな。」
「制度については、それなり理解しているつもりですが? さすがにまだ参加することはできませんので、実際を知ることはできませんが。」
エウリアスがそう言うと、ゲーアノルトが頷いた。
後ろに控えるステインに声をかける。
「今年の分と去年の分の議事録を、明日にでもエウリアスの屋敷に運んでおきなさい。エウリアス、一度に読む必要はないが、一通り目を通しておくように。」
カチャンッ!
エウリアスの手から落ちたフォークの音が、ダイニングに響き渡った。
エウリアスの給仕についていた
「…………ぇ……ぁ……? 二年分、ですか?」
エウリアスが、絶望したような顔で呟く。
「当主となり議会に参加するようになった時、過去にどういった話し合いがされ、可決されたのか。若しくは否決されたのか。事前に知っておくことは重要だろう。」
それは確かにそうかもしれないが……。
「議会に直接参加しなくても、官職に就くようになれば、関係した法律がどのように成立したのか。なぜその法律が必要だったのか。知っておくことは助けになるだろう。」
それは、確かにそうかもしれませんけど……。
それでも、二年分の議事録を読めと言われ、エウリアスはがっくり項垂れた。
まだ、一年生ですよ、俺?
もうすぐ二年生になりますけど、官職に就くのは早くても四年後ですよ?
すっかり食欲が失せ、新しく替えられたフォークは、使われることなくテーブルに置かれた。
「現在のリフエンタール王国が抱える、様々な問題を知るいい機会だ。少しずつ目を通しなさい。」
「はい……。」
一年あたり、どれくらいの議事録があるのか見当もつかないが、ニ~三件ということはないだろう。
十件? それとも二十件?
エウリアスは俯き、ごっそりと気力を失った。
(くっ……どんなに疲れていても、昨日のうちに帰っていれば……!)
昨夜、別邸に泊ることを選んだ自らの浅はかさを呪わずにはいられなかった。
それならそれで、ある日突然送りつけられてきただけだろうけど。
エウリアスが意気消沈していると、ステインがゲーアノルトに確認する。
「いくつかの議事録は、確か旦那様がラグリフォート領のお屋敷に持って行かれていたかと思いますが?」
「そうだったな。戻ったら、こちらに送るようにしよう。」
余計なこと言うんじゃないよ、ステイン!
別邸に置かれている分だけではなく、いくつかはラグリフォート領に持ち帰っていたらしい。
どれくらいの量かは分からないが、課題が増やされたことだけは理解できた。
エウリアスは何とか気力を振り絞り、にっこりと笑顔を作る。
「それでは、父上。俺は学院がありますので、これで失礼します。」
「ああ、しっかりとな。」
エウリアスは頷き、そそくさとダイニングを出た。
これ以上、課題を増やされてはかなわないと言わんばかりに。
「…………頑張ってください、坊ちゃん。」
馬車に乗り込む時、こそっとタイストが言ってきた。
エウリアスは振り返ると、じとっとした目でタイストを見る。
(お前も読むか、あぁん!?)
同情するタイストに、八つ当たり気味に、そんなことを思うエウリアスだった。
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