第148話 怪しい来客
徐々に暖かくなっていき、社交シーズンも終わりが近づいてきた。
そんなある日、ホーズワース公爵家に一人の男がやって来た。
男は立派な馬車に乗っていたが、残念ながらアポイントが無かった。
社交シーズンは、ただでさえ忙しい。
普段でもアポイント無しでの面会など、基本的には受けていない。
そのため、門番たちは男を追い返そうとした。
客車に乗る、濁った目の男が門番を見下ろす。
身なりのいい服を身にまとった“
「追い返すのは構わねーけどな。この手紙を公爵に渡して、お伺いを立てた方がいいぜ?」
そうして差し出した手紙には、きちんと封蝋がされていた。
手紙は三通。
すべて、
手紙を受け取り、門番が顔をしかめる。
封蝋に押された
そんな門番を見て、スワンプがにやける。
「ただぁ、追い返しちまうとよぉ? 公爵にとっちゃあ、ちと困ったことになるかもしれねーな。まあ、こっちはそれでも構わねーけどよぉ。」
そうして、その濁った目がすっと冷える。
「……いいから、さっさと聞きに行けや、
スワンプが、吐き捨てるように言う。
スワンプは身なりは整えたが、言葉や態度には品性の欠片も無かった。
普段なら問答無用で追い返すところだが、門番は嫌な予感を抱いた。
その予感は、スワンプの纏う不吉な雰囲気によるものか。
それとも、別の理由によるものか。
門番には分からなかったが、一応は上にお伺いを立てることにした。
「来客?」
ホーズワース公爵は、ソファーに寄りかかったまま、執事の顔を見上げる。
王城から戻り、私室で休んでいたホーズワース公爵の下に、執事が三通の手紙を持ってやって来た。
「はい。如何にも良からぬことを企んでいそうな男らしいのですが、こちらを持参していたとのことで……。」
そう言って、執事は手紙を差し出した。
門番は手紙を隊長に渡し、事情を説明した。
しかし、隊長にも判断がつかず、手紙は警備責任者の下へ。
その警備責任者が執事に相談し、公爵に判断していただこうということになった。
「伯爵家を含む、三家もの手紙を持参しているため、私どもでは判断いたしかねます。お疲れのところ、申し訳ございませんが。」
普通、貴族家の紹介だとしても、さすがに一つの貴族家から紹介状を持って来るだけだ。
一度に三つもの家から紹介状を持って来ることはない。
これだけでも、普通の相手、用件ではないことが窺えた。
ホーズワース公爵は手紙を受け取ると、一つの封蝋を剥がした。
そうして、中に書かれている内容を確認する。
執事は、そんなホーズワース公爵に報告を続けた。
「以前ラグリフォート伯爵より警告のあった『濁った目の男』というのがおります。門番の報告によりますと、どうもその男も目が――――。」
煩わしそうに手紙を読んでいたホーズワース公爵だったが、すぐに息を飲む。
目を見開き、ただならぬ様子で手紙を読む公爵に、執事が怪訝そうな顔になる。
「どうかなさいましたか、旦那様?」
そう尋ねられた公爵だが、それには答えず、別の手紙も封蝋を剥がす。
「…………なんてことだ……っ!」
三つの手紙を鬼気迫る様子で読んだ公爵が、唸る。
「…………まさか……そんな……? いや、しかし……!」
「旦那様、大丈夫ですか?」
さすがに執事は心配になり、再度声をかける。
だが、公爵は微かに首を振り、黙って唇を引き結んだ。
額に手を当て、項垂れる。
そうしてゆっくりと顔を上げると、苦し気に命じた。
「連れて来い……。」
「……よろしいので?」
公爵のあまりにおかしな様子に、執事が確認する。
「いいからっ、今すぐその男をここに連れて来いっ!」
ドンッとテーブルに拳を叩きつけ、公爵が声を荒らげる。
執事は、驚きに目を丸くした。
「
普通、来客の対応は応接室で行う。
私室に呼ぶのは、余程親しい友人か、演出で親しさを表すためくらいだ。
公爵に睨みつけられ、慌てて執事は頭を下げた。
「か、かしこまりました。すぐに。」
そうして公爵の私室を出ると、急いで来客を通すよう指示を出すのだった。
コンコン。
「入れ。」
ドアがノックされると、公爵はすぐに入室を許可した。
部屋に入ってきたのは、如何にも不吉な顔をした男だった。
目が濁り、如何にも社会の裏側で生きる、無頼であることを思わせる。
そんなスワンプとともに入ってきた執事と護衛騎士に、公爵は視線を向けた。
「お前たちは出ていろ。」
「な!? なりません、旦那様! このような――――!」
「いいから出ていろ! 誰もこの部屋に近づけるなっ!」
有無を言わさぬ、公爵の言葉。
そんな公爵を見て、スワンプが嗤う。
「クックックッ…………もっと、家臣には優しくしてやった方がいいぜぇ?」
そう言ったスワンプを、公爵は睨みつける。
スワンプは、肩を竦めた。
退室を命じられた執事と騎士は、顔を見合わせる。
こんな得体の知れない者と、公爵を二人きりにさせるなどあり得ない。
そう思うが、公爵の様子から、この命令に意見するのは難しそうだった。
「…………かしこまりました。」
執事が騎士たちにも目配せし、部屋を出る。
そうして、スワンプと公爵は二人きりになった。
スワンプはキャビネットに行くと、勝手に酒瓶を手に取る。
ラベルを見て、口笛を吹いた。
「へへっ……いい
そう言いながら、すでに酒瓶の蓋を外していた。
公爵の返答など待たず、酒瓶を呷る。
「ぷはぁ! うめえ! いいの飲んでんなぁ。」
「貴様は、ここを酒場か何かと勘違いしているのかっ……?」
怒気を必死に抑え込むような公爵の声に、スワンプが片眉を上げる。
「……さっきから、何でそんなに怒ってんだ?」
「――――ッッッ!!!」
ダンッ!
公爵が堪えきれずに、テーブルを殴る。
その握られた拳は、怒りに震えていた。
スワンプは、そんな公爵の様子に肩を竦め、また酒瓶を呷る。
そうして、向かいのソファーに座った。
「少しは落ち着こうぜ? あんたを嵌めるだけなら、わざわざこんな出張ってくる必要なんかねーんだ。それは分かってんだろう?」
スワンプに尋ねられるが、公爵は睨み続けた。
そんな公爵の様子に、スワンプは軽く首を振る。
「調子のいい時ほど、
スワンプは、また酒瓶に口をつけた。
三千万の仕事で失敗したのは、さすがに痛かったなあ、と。
そんなことを頭の片隅で考える。
「だけどよ、そんなビッグトラブルが、ちょっとした美味い話に繋がったりするもんさ。」
そうして、嫌らしい笑みを公爵に向ける。
「いい解決策がきっとあるさ。俺ぁ……そのために来たんだからよ?」
相変わらず睨みつける公爵に、スワンプは片眉を上げた。
「そう睨むなって。あんただって、本当は分かってんだろう? なあ…………
スワンプのその言葉に、公爵はギリッ……歯を軋ませた。
■■■■■■
一時間にも及ぶ面会の後、怪しげな客は帰って行った。
執事は男を見送り、公爵の部屋に行くと、身支度をしていた。
「旦那様? お出掛けになられるのですか?」
あの男とどんな話し合いがされたのか、執事には分からなかった。
しかし、その内容がひどいものであったことは、憔悴した公爵の様子からも分かった。
「サザーヘイズ大公爵家に、すぐに遣いを出せ。急ぎ会談がしたいと。あと、いくつかの家にもだ。」
そうして公爵は、現王派の貴族家の名前をいくつか挙げた。
「なるべく早く、内密に話をする機会が欲しいと伝えろ。」
「か……かしこまりました。」
公爵のこんなに余裕のない姿を、執事は見たことがなかった。
漠然とした不安が胸に渦巻き、執事は額に浮いた汗をハンカチで拭うのだった。
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