第147話 それは良法か悪法か




 王城の控室。

 後期の議会も後半に差し掛かり、現王派が提出した重要な法案は、ほぼ成立する見通しが立っていた。


 ゲーアノルトは出席していた小会議が閉会し、控室に戻ってきた。

 今日出席する予定だった小会議がすべて終了し、これから屋敷に戻るつもりだ。


「お疲れ様でした、ゲーアノルト様。」

「議事録は?」

「昨日の午後の分と、本日の午前の分は、すでにこちらに。」


 そう言って護衛騎士が持ち上げた鞄を見て、ゲーアノルトは頷く。


「では、戻るとしよう。」

「「「はっ。」」」


 護衛騎士を従え、ゲーアノルトは控室を出た。


「ラグリフォート伯爵。」


 階段に向かう途中で、声をかけられる。

 横の通路からやって来たのは、四十半ばのスラッとした印象の男性。

 ヒンケル侯爵だった。


「侯爵。」


 ゲーアノルトが立ち止まり会釈すると、ヒンケル侯爵が頷く。


 ヒンケル侯爵は現王派であり、また王国北部に領地を持つ大貴族だ。

 同じ北部の大貴族ということで、ホーズワース公爵との繋がりが強い。

 家格を弁え、ホーズワース公爵の片腕といった立ち位置の人物だった。


「もう帰るのかね?」

「はい。この後にも所用がありまして。」


 ゲーアノルトがそう言うと、ヒンケル侯爵が軽く嘆息した。


 ゲーアノルトが、商業ギルドに関連するパーティーに足繁く通っていることは有名だ。

 そうした行動が『木こり伯爵』との評判に拍車をかけていることは理解しているが、稼ぎ時であることは事実。

 何より今年は、エウリアスが社交デビューを果たしたことで、お祝いとして大口の注文が大量に入っていた。


 すでに、何度となく領地に向けて注文書を送り、制作に取り掛からせていた。

 ゲーアノルトが領地に戻る頃には、早い物では完成している物もあるだろう。

 どんどん発送し、一気に稼ぐ算段だった。


 ヒンケル侯爵も、正直に言えばあまりゲーアノルトにいい印象は持っていなかっただろう。

 だが、ホーズワース公爵が現王派として正式に引き入れ、またエウリアスが学院でロルフを助けた。

 これらのことで、若干ながらゲーアノルトへの印象も変わったらしい。

 以前はゲーアノルトのことなど「相手にもしていない」といった感じだったが、最近は普通に貴族として接することが増えた。


「伯爵は、革新派の出した議題を聞いたかね?」


 ヒンケル侯爵に言われ、ゲーアノルトは逡巡する。

 後期になって現王派が提出した法案や、提起した議題はいくつかあるが、それは革新派も同じである。

 お互いに、様々な問題に対処すべく、様々な法案などを提出する。

 しかし、今ヒンケル侯爵が言っているのは、そういうことではないだろう。


「今、小会議にかけているものではなく、ですか?」

「そうだ。今日、出してきた。」

「今日……?」


 日程としては、ぎりぎりのタイミングだった。

 早くても数日後から小会議が開かれ、数回の話し合いが行われる。

 それから本会議で採決が取られ、その後に陛下に裁可を仰ぐ。


 普通はもっと早くに法案などが出されるはずで、こんなタイミングで出してくるのは異例だった。

 本当に通す気があるのか、と思わず考えてしまう。


革新派あちらは、どんな議題を出されたのですか?」

「家督承継に関わる議題だ。『長男が家督を継ぐもの』とする、現行法の撤廃を目的としたものだ。」

「また、ですか……?」


 ゲーアノルトは、呆れたように言った。


 家督は長男が継ぐもの。

 貴族家の家督争いを封じることを目的にした、古い法律だ。

 成立から、すでに三百年以上も経つ。


 家督争いがこじれにこじれ、内乱にまで発展するケースがあり、当時の王が強行した法律だった。

 当然多くの貴族家が反発したが、この法律が必要な原因はそもそも貴族である。

 法により無理矢理に家督争いを封じ、国内の安定を図った。

 そして、実際に家督争いは激減したのだ。


 それでも、個人的に決闘だ何だと血を流す者はいたが、騎士学院を作り、騎士道を浸透させることでそれも抑えた。

 以後三百年にも渡り、戦争も内乱もない、平和な世が続いている。


 しかし、絶対に長男に継がせると決めてしまう法律は、多くの問題もあった。

 もっとも単純な理由としては、家督を継ぐべき長男があまり優秀でない場合だ。

 次男三男に優秀な子供がいても、継がせることができない。


 実際に才覚の無い当主が就き、お家を傾かせるようなことは幾度としてあった。

 そのため、この『長男に継がせる』と限定してしまう法律は、現王派や革新派を問わず、問題視している貴族は多い。


 ゲーアノルトは、厳しい表情でヒンケル侯爵を見た。


「……通しませんよね?」

「無論だ。いろいろ問題を抱えた法であることは確かだが、それでもこの法の果たしてきた役割は大きい。現王派われわれの中にも、内心では撤廃を望んでいる者もいるだろうが、影響が大き過ぎる。」


 ヒンケル侯爵の意見に、ゲーアノルトは頷いた。

 やや声を落とし、尋ねる。


「日和見は? やはり日和見も、慎重論ですか?」

「そうなる見通しだ。さすがにこれは、影響が大き過ぎるのでな。」


 日和見が同調しないのであれば、廃案となるのが濃厚だろう。

 これまでにも何度となく提出されてきたが、圧倒的な反対で否決されてきた議題だった。


「まったく……凝りもせず何度も出してくるなど。」

「気持ちは分かるが……伯爵。そう言うな。本来、家督を継ぐ者を選ぶのは、諸侯が持つ権利だった。むしろ、今の方が不当に権利を奪われている状態なのだ。」

「それは分かりますが……。」


 国内を安定させるために、王によって権利を奪われた。

 それを取り戻そうというだけの話ではあるが、それでも撤廃されるのはまずいとゲーアノルトは考えていた。


 長く施行され、すでに浸透した法律だからこそ、今では家督争いなどまったくと言っていいほど起きない。

 ごく稀に、暴発した者が処罰される程度。


 しかし、押さえつけていた重しが取れたら、一体どうなるだろうか。

 これまで表面化しなかったものが、一気に噴き出す可能性がある。


「先程、私の方でホーズワース公爵の意見を伺ってきた。現王派こちらはいつも通り、反対で一本化することが決まったのでな。伯爵にも伝えておく。」

「分かりました。教えていただきありがとうございます。おかげで、安堵いたしました。」


 ゲーアノルトが礼を伝えると、ヒンケル侯爵が頷く。


「それではな、伯爵。たまには、派閥の会合にも顔を出してくれ。」

「承知しました。」


 そう言って、歩いていくヒンケル侯爵を見送る。


「ゲーアノルト様……。」


 話を聞いていた護衛騎士が、少し苦し気な表情をして、ゲーアノルトを呼んだ。

 彼らなりに、不安を感じているのかもしれない。


「別に、これが初めてというわけではない。これまでも否決されてきた。公爵がはっきりと反対を表明してくれるおかげで、これが通ることは万が一にもない。」


 革新派だけでは、これが通ることはない。

 何より、陛下自身が『長男が継ぐ』という法律の撤廃を望まないだろう。

 採決で圧倒的多数を得れば、陛下に撤廃を迫ることもできるが、そうなる可能性はない。


 現王派が反対し、日和見も反対するなら、間違いなく廃案になる。

 もし仮に日和見が賛成に回っても、僅差での多数では、陛下を説得できないだろう。


 ゲーアノルトは不安そうな護衛騎士たちを見て、力強く言う。


「大丈夫だ。これが通ることはない。心配するな。」


 ラグリフォート領の安定のためにも、こんな法律を通すわけにはいかない。

 そうして、階段に向かって歩き出した。


「さあ、戻るぞ。今夜もパーティーがある。早く支度せねばならん。」

「「「はっ。」」」


 連日の議会やパーティーによって、疲労が溜まっている。

 それでもゲーアノルトはラグリフォート領のため、跡を継ぐエウリアスのために、やるべきことに全力で取り組むのだった。




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