第146話 筋肉は浪漫




 騎士学院、剣の授業。

 一年生も終わりが近づき、すでにクラス内で試合も行われている。

 そうして試合形式で授業が行われるようになると、負傷者数が跳ね上がった。

 これは毎年のことであり、怪我を厭うとては、とても騎士など務まらない。

 最低限の防具を身につけ、大怪我だけは避けるようにしながら、みんな頑張っていた。


 ガキンッ!


 エウリアスはトレーメルのソードを正面から受け止め、さらに押し返す。

 トレーメルは、渾身の一撃を押し返されるとは思わなかったのか、一瞬手が止まった。


「むっ!? やるな。」

「まだまだぁ!」


 冬休みで身体を鍛えまくったトレーメルは、一撃一撃の重みが増していた。

 以前のエウリアスなら、こうした剣を受け止めることを避け、いなしたりしていた。

 だが、最近はなるべく受け止め、その上で押し返すようにしている。


 実戦では流せるものは流し、体力の消耗を避けるのは理に適っている。

 しかし最近は「練習で消耗することを避けてどうする?」と考えを改めた。


 すでに、エウリアスの剣を回避する能力は、かなりの水準にある。

 それはそれとして、肉体的フィジカルの強さも求める。

 そのために、あえて正面から受け止めているのだ。


「ハアアアァッッッ!!!」


 エウリアスはダンッと強く踏み込み、連撃を繰り出す。


 ガギンッ! ガキン! ギンッガギンッ!


 トレーメルがエウリアスの長剣ロングソードを受け止める。

 それでも構わず、エウリアスは連続で剣を振り下ろした。

 何度も、何度も、まるでトレーメルの剣を叩き折らんとばかりに。


「グゥゥゥウウッ!」


 トレーメルは剣を横に構え、すべてを受け止めた。

 そうして弾き返さんとばかりに、思いっきりエウリアスの剣を払った。


「オラアァァアアッ!」

「タァァァアアアッ!」


 ガキーーンッ!


 エウリアスとトレーメルの剣がぶつかり合い、激しい音を響かせる。

 そのまま鍔迫り合いになり、トレーメルが圧し掛かった。

 エウリアスはそんなトレーメルを押し返さんと、全力で抵抗する。


「ぐぎぎぎっ……!」


 歯を喰いしばり、必死に堪える。

 しかし、鍔迫り合いになれば、フィジカルでの差がダイレクトに影響する。

 エウリアスは、徐々に押され始めた。


「早くっ……降参しろ、ユーリ……!」


 顔を赤くし、ぷるぷると震えながら、トレーメルがエウリアスに降参を迫る。

 その顔は不敵に笑みを浮かべるが、まったく余裕などないのは一目瞭然。


「降参するのはっ……メルの方じゃないかなっ……! もしかしてっ、それで全力なのかいっ……?」


 エウリアスも余裕をアピールするため、笑みを浮かべる。

 しかし、歯を喰いしばり、額の血管がぴくぴく浮き上がるくらいには本気を出していた。

 ここまでくれば、後は意地と意地のぶつかり合いである。


「フッフッフッ……!」

「フ……フフッ……!」


 顔もぶつかりそうなくらいの距離で、二人は笑みを作る。

 顔を真っ赤にし、ぷるぷると震えながらの、気色の悪い笑み。

 見ている方が、げんなりとする光景だった。







 そんな二人を見て、まさにげんなりとしている二人の女の子がいた。

 ルクセンティアとイレーネである。


「よくやるわね。毎回毎回……。」

「あ、あははは……。」


 ルクセンティアの感想に、イレーネも苦笑するしかない。


 以前はエウリアスやトレーメルと組むことの多かったルクセンティアだが、最近はイレーネと組んでいた。

 理由は一つ。…………トレーメルが気持ち悪いから。


 冬休みに身体を鍛えまくったトレーメルは、全身の筋肉がはち切れんばかりだった。

 それくらいなら、普段から護衛騎士に囲まれているルクセンティアも、然程気にしない。


 しかし、最近のトレーメルは様子がおかしかった。

 自分の筋肉を、うっとり眺めることがあるのだ。


 まあ、自分で見ている分には、百歩譲っていいとしよう。

 だが、トレーメルはその筋肉を、ルクセンティアにまで見せようとするのだ。


 あまつさえ、胸の筋肉をぽよんぽよんさせながら、


「ほーら、すごいだろう? 遠慮せず、触ってみるがいい。」


 などと言い出した時は、本気で友人としての縁を切ろうかと考えた。

 見せつけるように筋肉を膨らませ、ぴくぴくさせることを喜ぶトレーメルに、本気でついていけなくなったのだ。


「どうして男の子って、あんなに筋肉が好きなのかしら。」

「あはは……。」


 一部の意見だとは分かっているが、無闇矢鱈と身体を鍛えたがる子がいる。

 どのクラスにも一人二人はそんな子がいて、力自慢を始めるのだ。

 周りの男の子たちも、そんな子をやいのやいのと持ち上げる。

 そうした光景が、運動の時間や剣の時間に繰り広げられることがあった。


 そんな筋肉の虜になってしまったトレーメルに付き合い切れず、ルクセンティアはエウリアスに押し付けた。

 同じ男の子同士なら、女の子の抱く感想とは、当然違ったものになるだろう。

 エウリアスは剣の腕も立つし、何より上手く受け流してみせる。

 そう思っていたのだが、なぜかエウリアスまで力で勝負し始めたのだ。


「まさか、ユーリ様までメル様みたいになるつもりかしら。」

「さ、さすがにそれは……ないと思いたいです。」


 イレーネも、顔を真っ赤にして、未だに鍔迫り合いをしている二人に引いていた。

 そんな二人を見て、ルクセンティアは大きく溜息をつく。


「…………男の子って、何を考えているのかしら。」

「そうですね……。」


 身分差はあれど、男の子という未知の生き物に、同じ感想を抱く二人だった。







 授業が終わり、エウリアスとトレーメルは更衣室で着替えていた。

 トレーメル付きの護衛騎士が、ポーズを決めるトレーメルに、声をかける。


「殿下、先に着替えられた方が……。」

「ん? ああ、そうだな。しかし、服を着てしまうと見えなくなってしまうのでな。」


 トレーメルは着替えている最中も、いちいちポーズを取って筋肉を眺めており、ちっとも着替えが進まなかった。


「メル。待ってるから早く着替えなよ。」

「すまん。すぐに着る。」


 慌ててズボンを履くトレーメルに、エウリアスは苦笑した。

 タイストから渡された長剣ロングソードを受け取り、留め金でベルトにつける。


「でも、随分と筋肉がついたよね、メル。普通に鍛えても、そんなにはつかないんじゃない?」

「そうなのか? 僕はよくは分からんが、食べる物も重要だとは言われたな。」

「ああ、それはよく言われるよね。肉や豆がいいって。」


 それで、油は少ない方がいいんだっけ?


「そうだ。あとは、細かく食べることが重要らしい。」

「細かく?」

「一日に、七回くらい食べるんだ。」

「七回も!?」


 それは初耳だった。

 しかし、それを聞いてエウリアスは顔をしかめる。


「でも、そんなに食べられる? 朝昼晩で十分でしょ?」

「一回一回の量を減らし、一日のトータルでは多く食べるようにするのだ。さすがに学院が始まってしまっては、そうもいかないがな。」


 学院が休みだったからこそ、身体づくりに適した食事方法なども実践できたらしい。

 とはいえ、それでもここまで短期間に鍛えられるのは、やはり体質も影響しているのではないだろうか。


「そういえば、ユーリ。何か聞いていないか?」


 シャツのボタンを留めながらトレーメルに聞かれ、エウリアスは首を傾げる。


「聞いてるって、何が?」

「ティアのことだ。」

「ティア? ティアがどうかしたの?」


 エウリアスが聞き返すと、トレーメルが少し言い難そうにする。


「僕の気のせいだと思いたいが、何だか最近避けられている気がしてな……。」

「ティアが? メルを? まさかぁ。」


 エウリアスは笑い飛ばす。

 しかし、トレーメルの顔色は晴れない。

 意外と、深刻な話なのか?


(ティアがメルを避けるって、本当だとしたら結構深刻な問題だぞ。)


 何しろ、トレーメルは王族だ。

 もし仮に、トレーメルを嫌う人物がいたとして、それを馬鹿正直に態度に出すことはしない。

 なぜなら、トレーメルが王族だからだ。

 王族というだけで、基本的にはあらゆることが許される。


 エウリアスは頷き、トレーメルを安心させるように微笑む。


「分かった。誤解だと思うけど、それとなく聞いてみるよ。」

「すまない。あと……できれば、他の子たちのことも聞いてもらえるか? ……どうも最近、視線が気になると言うか、視線が冷たいというか。そんな気がするんだ。」


 どうやらルクセンティアだけではなく、他の人の視線も、以前と比べて居心地の悪いものがあるらしい。

 王族も貴族も、いるだけで視線を集める存在である。

 エウリアスも普段から視線を感じているが、居心地の悪さというのは特にない。


 トレーメルからの相談に、エウリアスはしっかり頷いた。


「分かったよ。イレーネあたりにも話を聞いてみて、何か気になる噂がないか確認してみる。」

「本当にすまない、ユーリ。僕の気のせいだとは思うのだが……。」

「このくらい、いいよ。任せて。」


 そうしてエウリアスは、いつも通りトレーメルと一緒に教室に戻った。







 後日、ルクセンティアとイレーネから話を聞き、エウリアスは愕然とした。


「…………筋肉が、気持ち悪い?」


 エウリアスが繰り返すと、ルクセンティアが気まずそうに視線を泳がせた。


「その……メル様が自分で『逞しくなった』って喜ぶのはいいのだけど……。見せつけてくるのは、ちょっと……。」


 特に、胸の筋肉をぽよんぽよんさせるのが、生理的に無理だと言う。

 以前の、お腹をぽよんぽよんさせていた時の方が、まだマシだと。


 また、イレーネからの話では、女の子たちからの評判がひどいことになっていた。


「その……大変失礼ながら、一言で言うと『キショい』という意見が多いみたいです……。鍛えられた姿を好む子は多いのですが、わざわざ見せつけてきたりする姿に、嫌悪感が……。」


 さあ見るが良い、とあっちこっちの筋肉を強調した上で、ぽよんぽよん動かす姿が大変不評だったそうだ。


「あ、でも、一部の男の子からは、絶賛されていました。」


 中には、向けている男の子が目撃されているらしい。


 これらの意見に、エウリアスは頭を抱えた。

 とてもではないが、正直に伝えることなどできない。


(こ……こんなの、どう言えばいいんだ!?)


 だが、このままではトレーメルの評判がだだ下がりになってしまう。

 そこでエウリアスは一計を案じ、アドバイスという形で好感度アップを図ることにした。


「やっぱり、メルの気にし過ぎだったよ。みんな学院に来るくらいだからね、鍛えられた身体は評判良かったよ。」

「おお、そうか!」

「でも、無理に強調した筋肉より、さり気ない自然な姿で引き締まってる方が好まれるみたい。」

「そうなのか? だが、極限まで突き詰めた、美しい筋肉の方が良いと思うが。」


 そう、トレーメルが上腕二頭筋を膨らませる。

 エウリアスは、しっかりと頷いた。


「僕もそう思うけど、わざとらしい姿より、自然な姿を好む人が多いみたいなんだ。まあ、人にもよるんだろうけどね。」

「なるほどなぁ。ありがとう、ユーリ。これからの参考にさせてもらおう。」

「いいんだよ。あくまで、自然に、ね。」

「うむ、分かっている。」


 この日を境に、トレーメルはあまり筋肉をぽよんぽよんさせなくなった。

 そして、ルクセンティアやイレーネからも、お礼を言われたよ。


 ちょっと冷や汗を掻いたけど、解決してよかったよかった。




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