第145話 エウリアス、頑張ってます
夜が明けたばかりの、まだ薄暗い早朝。
遅くまでパーティーに出席していたエウリアスだが、朝の訓練は欠かさず続けていた。
朝の訓練は、まずはジョギングから始まる。
「クッ……!」
意識して手を大きく振り、前へ前へと身体を押し出す。
ジョギングに短距離のダッシュを組み込み、とにかく足腰の強化を図る。
以前は一周だったジョギングの距離も、今は二周に増やしていた。
「ハァ……ハァ……ハァ……!」
ぶっ倒れるまで走り、しばし休憩。
芝生の上で大の字になり、息を整える。
寝転んだまま、タオルで汗を拭く。
「時間です、エウリアス様。」
「わ……分かった……。」
兵士に声をかけられ、エウリアスはのそのそと起き上がった。
タオルを
そうして真っ直ぐに立つと、両手を上に挙げながらジャンプ。
この時、腕は左右に広げるように動かす。
着地と同時にしゃがみ込み、両手を地面に着くと、両足を跳ねるように後ろへ。
そのまま腕立て伏せを一回行う。
再び足を跳ねるようにして引きつけ、立ち上がる。
この動きを十回繰り返し、一セット。
これを、小さく休憩を挟みながら、七回行う。
可能ならもっとセット数を増やしたいところだが、今のところはこれが限界だった。
「ゼェ……ゼェ……ゼェ……ッ!」
一通りのメニューをこなし、再びぶっ倒れる。
単純な動きの繰り返しながら、これがめちゃくちゃきつい。
ラグリフォート領主軍で採用しているトレーニングメニューということで、体力の増強を相談したら、グランザが教えてくれたのだ。
真面目にこなす者もいるが、手を抜いてやる者もいるらしい。
……ぶっちゃけ、これは手を抜きたくなるのも理解できる。
「時間です、エウリアス様。」
再び兵士に声をかけられ、エウリアスは両手で顔を覆う。
逃げたい……やめたい……。
本音を言えば、そんな気持ちが心の片隅で囁いているのは事実だ。
それでもエウリアスは、汗を拭うと差し出された
白んだ空の下、ゆっくりとした動きで『型』を確認する。
一通りの動きを確認し、今度は普通の速さで型を行う。
シュッ! ビュビュッ!
もはやへとへとだが、太刀筋は悪くない。
「はぁーーーっ……!」
型を終え、エウリアスは大きく息を吐き出した。
メイドから差し出されたタオルを受け取ると、わしわしと頭と顔を拭く。
離れて見ていた騎士と兵士が、エウリアスの前にやってくる。
「本日はどうしますか?」
「…………やるよ、勿論。配置についてくれ。」
エウリアスはそう言うと、タオルに埋めていた顔を上げる。
すでに足ががくがくと震えているが、もう少しの我慢だ。
革袋から水を一口飲むと、タオルと一緒にメイドに渡し、離れるように指示をする。
騎士が差し出した模造剣を受け取り、先程まで使っていた
ここからは、模造剣じゃないと危険だから。
「クロエ、いいか?」
「
その返事を聞き、エウリアスはぐるりと周りを見回す。
二十人ほどの騎士と兵士が、十メートルほどの距離を空け、エウリアスを取り囲む。
「じゃあ、始めてくれ。」
エウリアスが中段に構えると、兵士たちが一斉にかかってくる。
「「「おおおぅ!」」」
エウリアスは迫る兵士の位置を確認し、斬りかかってくる順番を予想する。
十人や二十人で囲んだところで、全員が「せーの!」と斬りかかってくるわけじゃない。
普通は、一人二人ずつタイミングを図りながら来るものだ。
「【
キィィイイインッ!
エウリアスは、最初の兵士の剣を【絶界】で受け、次に斬ろうとしていた兵士を仕留める。
そうして、【絶界】で止めていた兵士も仕留める。
エウリアスに斬られた兵士は、そこで退場だ。
邪魔にならないよう、訓練の範囲から離れるように指示していた。
エウリアスは次々に襲いかかる兵士を、【絶界】で止め、長剣で斬り伏せる。
そして、一瞬の隙をついて、最初の立ち位置で動かないでいる騎士に自分から突っ込む。
「【
「――――ッ!?」
まるで、瞬間で移動してきたようなエウリアスに、それでも騎士は剣を合わせた。
振り下ろされた剣を【絶界】で受け、その胴を薙ぐ。
その頃には、兵士たちもエウリアスに追いつき、再び囲んで斬りかかる。
そんな、一人対多数の戦闘の訓練を、エウリアスは毎日行っていた。
絶対に防御してくれる【絶界】と、一瞬で距離を詰める【襲歩】。
この二つを組み込んだ実践的な訓練だ。
「【
再びエウリアスは離れた場所にいる騎士に迫り、剣を受ける。
ガクンッ。
「おわっ!?」
……が、足の踏ん張りが利かずに、そのまま地面を転がった。
「くぅ~……っ。」
「大丈夫ですか、坊ちゃん?」
エウリアスを心配して、騎士が傍にやってくる。
「今日はここまでか。さすがに限界……。」
「分かりました。」
エウリアスが終了を宣言すると、騎士が合図を送る。
エウリアスの訓練に付き合っていた騎士や兵士が、集まった。
「坊ちゃん、さすがに厳しすぎじゃないですかね?」
「身体を壊しちまいますよ。」
「大丈夫さ。限界を感じたら、ちゃんとそこで止めてる。」
エウリアスは、足を揉みながら答えた。
意地になって無茶をしているわけではない。
毎日限界まで挑み、その壁に跳ね返されたところで止めることにしている。
おかげで、少しずつだが限界が伸びていた。
強さを追及することを、エウリアスは決めた。
本物の怪物を前にして、己の未熟さを思い知ったから。
どうしたって、騎士や兵士は
それは分かっている。
それでも、一人でも犠牲を減らすために、一人でも多くの者を救うために。
エウリアスは、強くあろうと決めたのだ。
身体を解し、エウリアスはゆっくりと立ち上がった。
「ありがとう。今日はもう解散してくれ。」
そう言って、エウリアスは屋敷に向かった。
屋敷に入ると、タイストが待っていた。
「ご苦労様でした、坊ちゃん。いつも通り、浴室の準備ができてるそうです。」
「分かった。」
そうして、エウリアスはそのまま浴室に向かう。
汗で濡れた服を、脱衣所で脱ぐ。
最近用意させた台が、脱衣所には置かれている。
クロエに「朝も酒を飲ませる」と約束した
台の上には丸いトレイと、そのトレイに乗せられたコップ。
そして、酒が置かれていた。
コップに酒を注ぐ。
「早く早く。早くするのじゃ。」
「分かってるって。そう急かすな。」
エウリアスは苦笑しながら、首に下げた黒水晶のネックレスを外す。
そうして、酒を注いだコップに浸けた。
「ごぼごぼぐぼ……。」
「相変わらず、何言ってんのか分かんね。」
エウリアスは丸いトレイごと、そのコップを浴室に運ぶ。
広い浴室は湯気が立ち込めている。
トレイをお湯に浮かべた。
エウリアスは桶を使って湯舟からお湯を掬い、頭を流す。
何度も頭を流し、身体も軽くタオルで擦る。
そうして、湯に浸かった。
「ふぃ~~~……。」
肩まで浸かり、首を回す。
はっきり言って、あちこち筋肉痛だ。
それでも、クロエの協力もあり、かなり使いこなせてきていると実感もしていた。
「ごぼがぼごぼ……。」
「だから、分からないって。」
クロエが何か言っているが、まったく理解できなかった。
これで「何て言ってるの?」とか聞こうとして、酒から引き上げると文句を言うのだ。
エウリアスは全身の力を抜き、身体を伸ばした。
頭を湯舟の淵に乗せ、全身をだらんと弛緩する。
最近の寝不足が祟り、このまま眠ってしまいそうになる。
「はふぅ~~~……。」
声を漏らし、フッ……と意識が遠のく。
慌てて身体を起こし、頭を一つ振った。
「やばいやばい。本当に寝ちゃいそうだ。」
そう言うとエウリアスは、コップから酒を引き上げる。
「これ! まだ早いのじゃ。」
「もう出るよ。」
「妾はもっと酒に――――ごぼごぼごっ!」
何かを言いかけていたクロエを容赦なく湯船に浸し、酒を洗い流す。
お湯の中でじゃぶじゃぶと濯ぎ、そうして黒水晶をトレイに置くと、浴室を出た。
「まったく、其方はせっかちじゃのぉ。やはり、モテんじゃろ。」
「余計なお世話だ。モテようがモテまいが、どうせ関係ないんだから。」
ゴシゴシと頭を拭きながら、言い返す。
貴族の結婚など、そんなものだ。
容姿や性格という個人的な要素は、然程意味を持たない。
どの家と繋がることが、もっともラグリフォート家の利益となるか。
そうした基準で、エウリアスの嫁は決定されるだろう。
エウリアスも、別にそれで構わないと思っている。
大恋愛の末に結ばれる。
または、引き裂かれる悲恋物語。
そんなものは、本や劇の中だけのお話だ。
エウリアスは身体を拭くと、衣服を身につけていく。
最後に黒水晶のネックレスを手にすると、首にかけた。
「さあ、さっさと朝食を摂って、学院行くよ。」
「妾には朝食も学院も関係ないの。」
確かに。
とはいえ、エウリアスが万全の状態で戦うためには、クロエの協力が不可欠だ。
「いいから、文句言ってないで行くぞ。……俺だって、本当はサボりたいんだから。」
「サボれば良かろう。其方の家の者なら、『休む』と一言言えば休ませてくれるだろうに。」
「だから、簡単には言えないんだよ……。」
エウリアスがサボろうとすれば、際限なくサボらせてくれそうだった。
だからこそ自分で気をつけないと、どこまでも自堕落になってしまう。
そうして疲れた身体に鞭を打ち、エウリアスは脱衣所を出る。
護衛騎士とメイドを従え、
「確か今夜のパーティーは、美術商組合が主催するパーティーだったかな。」
様々な分野で成功した者が、ラグリフォート産の家具を買ってくれる。
将来の顧客にもなり得るので、今売れていない画家が相手でも、下手な態度をとってはいけない。
売れるようになって「いつか買いたい」という貧乏画家にも、「お待ちしております」と愛想を振りまく、立派なお仕事である。
まだ客ではないからと邪険にされた者が、いざ買えるようになった時に、果たして邪険にされたことを忘れてくれるだろうか。
そう考えれば、パーティーに出席している人たちは、全員が将来の顧客候補だ。
顔と名前を売っているのは、美術商や画家だけではない。
こちらも、そういう意味では同じ立場なのだ。
「……後期の社交も、そろそろ半分か。頑張ろう。」
そう密かに気合を入れると、エウリアスはダイニングで朝食を摂る。
パンや卵料理をお替わりし、がっつりと栄養補給をした。
しっかり食べないと、さすがに身体がもたないよ。
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