第150話 法律の撤廃
騎士学院、昼休み。
エウリアスたちは、食堂で昼食を摂っていた。
「議事録を二年分? それはそれは……。」
今朝ゲーアノルトから言われた課題を伝えると、トレーメルが何とも言えない表情で呟いた。
エウリアスはテーブルに肘をつき、頬杖をつく。
「俺たち、まだ一年ですよ? 早すぎでしょ。いくら何でも。」
「そうかもしれないが、学年が上がるとあまり時間に余裕がなくなるだろうからな。今から少しずつ読むというのは、よい考えだとは思うぞ。」
「そうですね。演習なんかも入ってくるので、おそらく五年生ではそんな余裕はないでしょう。」
トレーメルの意見に、ルクセンティアも同意した。
「それに伯爵のことだ。二年分だけで終わりとは思っておらんだろう。これから毎年、その年の議事録と、過去の分も遡っていくのではないか?」
最終的に、エウリアスが学院を終了する頃には、過去の八~十年分くらいを読んでいることを目指しているのではないかと、トレーメルは予想した。
まじかよ……。
(さすがにそこまでは考えなかったけど、確かにあり得そうだ。)
三年生四年生になってから、三年分や四年分を読めと言うのは、かなり大変だろう。
そのため、今から少しずつ読ませていく計画ではないかというのが、トレーメルの予想だった。
「…………勘弁してよ。」
エウリアスは、両手で顔を覆う。
手の中で、大きく溜息をついた。
そんなエウリアスに、イレーネが同情の籠った目を向けた。
「貴族家の嫡男の方って、本当に大変なのですね……。」
そんな感想に、トレーメルが苦笑する。
「大変なことは否定せんが、それも各家でそれぞれだ。聞いている限りでは、ラグリフォート伯爵は教育に熱心なようだな。」
「そうなのですね。」
トレーメルの説明に、イレーネが頷く。
今年になり、イレーネも昼食を一緒に摂るようになった。
剣術の授業で、様々な理由により、トレーメルやルクセンティアの相手も務めることになったイレーネ。
本人はおっかなびっくりだが、それでも平民の中では唯一エウリアスたちとまともに会話をする、学年の平民を代表する人物となっていた。
それを、本人が望んでいるかどうかはともかく。
そうして先日、食事を受け取る列に並んだ時、たまたまイレーネが前に並んでいた。
その時にトレーメルが、「どうせなら一緒に食べるか」と言い出し、同じテーブルに着くことになった。
六名もの護衛騎士に固められた、王族と貴族家の縁者たちが着くテーブルで、だ。
その光景は、全学年の学院生が利用する食堂で、ばっちり注目を集めた。
この一件以来、全学年にイレーネ・コルティスの名は轟き、「王族と食事をともにする平民」と一目置かれるようになったのだ。
それを、本人が望んでいるかどうかはともかく……。
昼食を食べ終わり、トレイを返しに行くと、食堂の出入口の方が少し騒がしくなってきた。
エウリアスは、「何だろう?」と視線を向ける。
しかし、トレイの返却口と出入口は距離があり、また多くの学院生でごった返しているため、よく見えなかった。
「どうかしたのかしら?」
「何やら騒がしいな。」
ルクセンティアとトレーメルも騒ぎに気づき、振り返る。
騒ぎは気になるが、とりあえず先にトレイを返す。
そうして、出入口に向かった。
出入口の様子が見えてくると、何人かの護衛騎士が駆け込んで来るのが見えた。
「すまない、通してくれ。」
食堂に入ろうとする学院生を、また食堂を出ようとする学院生を押し退け、護衛騎士が入ってくる。
ルクセンティアが、表情を曇らせた。
「何かあったのでしょうか?」
出入口の様子を見て、タイストが警戒レベルを上げる。
どこの家の護衛騎士か分からないが、結構な慌てようだった。
トレーメルがその護衛騎士たちを目で追い、眉間に皺を作る。
「…………どういうことだ?」
「何が?」
トレーメルの疑問の声に、エウリアスが尋ねる。
「学院内で、護衛騎士が認められているのは、誰だ?」
「誰って……俺たち三人と、あとはロルフ様くらいじゃない?」
第八王子、トレーメル。
ラグリフォート伯爵家嫡男、エウリアス。
特別に許可を得た、ホーズワース公爵家の三女、ルクセンティア。
あとは、ヒンケル侯爵家嫡男のロルフくらいだ。
「僕たち以外では、護衛騎士が認められているのはロルフしかないはずなんだ。それなのに、あんなに何人も護衛騎士が来るなんて、おかしいだろ?」
「言われてみれば、確かに……。」
護衛騎士たちの様子も、少し気になる。
随分と慌てた感じで、食堂内で誰かを探している感じだった。
「貴族家の縁者の方に仕える騎士でしょうか?」
イレーネが、ある学院生に話しかけている護衛騎士を見ながら、言う。
その学院生は、貴族家の縁者であることを示すブレザーを着ていた。
その刺繍から、嫡男ではないことが分かる。
「学院内への立ち入りは、基本的には禁止されているはずですが……。どうされたのでしょう?」
貴族家の縁者でも、学院に通うために護衛騎士をつけているのは普通のことだ。
ラグリフォート家の護衛騎士も、直接エウリアスの傍に控える護衛騎士以外に、別に護衛隊が組まれている。
そうした護衛騎士は、馬車と一緒に外で待機しているのだが……。
「それは本当か!?」
エウリアスたちが見ていた学院生とは、別の学院生が声を上げた。
その学院生も、刺繍から貴族家の縁者であることが分かる。
護衛騎士からの報告に、随分と驚いているようだ。
ルクセンティアは、比較的近くにやって来た護衛騎士に視線を向ける。
どうやら、その護衛騎士の仕える貴族家の縁者が、近くにいるらしい。
「……?」
そうして、護衛騎士が貴族家の縁者に話しかける。
「――――っ!?」
突然、ルクセンティアが目を見開く。
愕然とした様子で、口元を手で覆った。
「ティア?」
ルクセンティアの様子に気づき、エウリアスは声をかけた。
しかし、ルクセンティアはそれには答えず、小さく首を振った。
「……そ……な……っ、……とう……ま……っ!」
うわ言のように何かを呟き、いきなり走り出した。
「あっ!? ティア!」
ルクセンティアが周囲の人を掻き分け、食堂の外に飛び出してしまう。
ルクセンティアの護衛騎士たちは、周りの騒動に気を取られ、引き留めるのに失敗してしまった。
慌てて追いかけるが、小柄なルクセンティアなら抜けられた人と人の隙間も、護衛騎士たちにとっては大変な障害になる。
「すまない! 何があったんだ!? 教えてくれっ!」
エウリアスは、ルクセンティアの近くにいた貴族家の縁者に、慌てて声をかけた。
おそらくルクセンティアは、彼らの話を耳にし、ショックを受けていたのだ。
エウリアスに声をかけられたその学院生は、エウリアスのブレザーの刺繍を見る。
そうして、苦し気に唇を引き締めた。
言い辛そうに、僅かに顔を逸らす。
「……先程、議会でいくつかの採決が取られたんです。」
「本会議だな? 知っている。それで?」
エウリアスは、逸る気持ちを落ち着けながら、続きを促す。
その学院生も若干混乱しているのか、慎重に言葉を選びながら話した。
「否決されると思われていた、ある議題が通ったんです。圧倒的な多数で……。陛下もその結果を重く受け止められ、裁可されたそうです。」
「否決されると思ってた議題が、圧倒的多数で……?」
そんなこと、あり得るのか?
「それは、一体どんな議題だったのだ?」
トレーメルも気になるのか、先を促した。
トレーメルに声をかけられ、その学院生は少し焦る。
それでも、ごくりと喉を鳴らすと、はっきりと口にした。
「『長男が家督を継ぐものとする』。この法律が――――即時撤廃されました。」
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