第141話 彫刻の完成
突然屋敷に押しかけてきたセリオだが、明日には王都に向けて出発するらしい。
今夜にでもゲーアノルトと話し合い、あまり今回の怪物について、口外しないように要請するつもりだという。
また、セリオはトレーメルの手紙も持ってきてくれた。
トレーメルは今回の襲撃を聞き、エウリアスを心配していたらしい。
それは、手紙からもよく伝わってきた。
(メルにも心配かけちゃったか。)
ゲーアノルトが王城に知らせるために書いた手紙に、エウリアスは大きな怪我をしていないとも書かれていたそうなので、そこまでは心配をかけないで済んだようだが。
それでも、死傷者を多数出した事件のため、セリオに「直接エウリアスに会って確かめて欲しい」と頼んでいたそうだ。
セリオとの話し合いが終わると、エウリアスは
客間の前では、ポーツスやグランザが待っていた。
「ユーリ坊ちゃま、セリオ様は?」
「このまま父上が戻るまで
「かしこまりました。そのように手配いたします。」
迎える側が、家族と一緒に食事をする場を設けるのは、『最高のもてなし』をしていると示す手段の一つだ。
だが、セリオは今回の訪問を調査の一環と割り切り、ゲーアノルトとの会談の場だけをエウリアスに求めた。
可能なら、さっさとゲーアノルトと話をし、王城に戻りたいと考えているのだろう。
ポーツスは、横で聞いていた
そうして、自室に戻るエウリアスに付き従った。
部屋に戻る途中、何となく視線を感じ、振り返る。
ポーツスが、何とも言えない表情で、エウリアスを見ていた。
「……何?」
「いえ……何でもございません。」
エウリアスが尋ねても、ポーツスは首を振るだけ。
「何だよ、ポーツス。言いたいことがあるなら言いなよ。」
騎士学院に通うためにラグリフォート領を離れるまで、ポーツスがエウリアスの身の回りの世話を仕切っていた。
ポーツスは言われたことだけをやるのではなく、エウリアスの振る舞いにもいろいろ小言を言ってきた。
ラグリフォート家の嫡男として、相応しい振る舞いを行うようにだ。
だが、帰省してからはあまり小言を言われた記憶がない。
エウリアスに促されても、ポーツスは黙っていた。
エウリアスは部屋に着くと、机に向かう。
そうして椅子に座ると、足を伸ばした。
「らしくないじゃないか、ポーツス。前みたいに何でも言ってよ。」
軽く足を揉みながら、ポーツスに声をかける。
ポーツスは、思い悩むように表情を曇らせた。
「……坊ちゃまが、本当にご立派になられたと。しみじみと思っているだけでございます。」
「その割には、冴えない顔じゃないか。」
エウリアスがそう言うと、ポーツスが俯く。
そんな様子をを見ていたグランザが、横から助け船を出した。
「ポーツスは、坊ちゃんが心配なのですよ。」
「心配?」
グランザにそう言われ、ポーツスを見る。
ポーツスは、困ったような表情になっていた。
「……王都でのことは、私も多少は伺っております。坊ちゃまが旅立たれた時は、さぞご立派になられて戻られるだろう、と。希望に満ち溢れていました。それがまさか、このようなことになるなど…………夢にも思っていませんでした。」
苦し気にそう吐露するポーツスは、まるで後悔しているかのようだった。
「僅か一年も経たないうちに、坊ちゃまは本当にご立派になられました。何度も恐ろしい事件に巻き込まれながら、そのすべてを跳ね返せるほどです。」
だが、そこで一つ区切り、力なく首を振る。
「ですが、私が思い描いていたのは、このようなことではありません。なぜ、坊ちゃまばかりがこのような、恐ろしいことに巻き込まれなくてはならないのか……。」
遠く離れたラグリフォート領で、王都での出来事を耳にするたび、ポーツスは心を痛めた。
エウリアスは無事、との報告を受けても、心配になってしまうのだろう。
幼い頃からエウリアスを、ずっと見守ってきたから。
「ポーツス……。」
エウリアスは立ち上がると、ポーツスを抱きしめた。
エウリアスを見守り、時に叱り、時に褒めてくれた、家族同然の老執事。
こんな打ちひしがれた姿など、一度だって見たことはなかった。
(…………こんなに、弱々しかったったっけ……?)
腕の中のポーツスが、ひどく華奢に感じられた。
春に王都に行くまでは、エウリアスのすべてを受け止められると信じて疑わなかった。
力強く、どんなことでも受け止めてくれる、と。
エウリアスは身体を離すと、にっこりと微笑んだ。
「俺なら大丈夫だよ、ポーツス。父上の教え、師匠の教え。みんなが、いろいろなことを教えてくれた。勿論、ポーツスも。」
「坊ちゃま……。」
「みんなに支えられて、いま俺はここにいる。みんながいれば、俺はどんなことがあったって大丈夫だ。」
エウリアスがそう言うと、グランザが頷いた。
「心配せずとも、儂らがしっかりとお支えする。何より、ユーリ坊ちゃんはお強い。」
グランザが笑う。
「お前さんの中では、坊ちゃんはまだまだ子供なのだろう? だが、子供の成長は早い。きっと、儂やお前さんが思っている以上に、坊ちゃんは強いぞ。」
「……グランザ。」
幼い頃から見ていたからこそ、却って見えなくなってしまうこともある。
グランザに諭され、ポーツスが目を閉じた。
今、ポーツスに去来しているものは、きっとまだまだ幼かった頃のエウリアスの姿。
今の姿との差異に、近いからこそ気づけないということもあるのだろう。
「…………申し訳ございませんでした、坊ちゃま。」
「何を謝ることがあるのさ。」
エウリアスも、笑った。
「心配されるうちが華さ。そのうち誰も心配してくれなくなりそうだ。」
「はっはっはっ! それも信頼の表れですな!」
グランザが、大きな声を上げて笑った。
何があっても「あー、どうせ大丈夫だろ」で片付けられたら、さすがにいじけてしまいそうだ。
「これからも頼むな。」
「勿論です、坊ちゃま。」
ポーツスが恭しく一礼するのを見て、エウリアスは頷くのだった。
■■■■■■
エウリアスがラグリフォート領に戻って、そろそろ一カ月が経とうとしていた。
三日後、王都に向けて出発する。
一週間かけて王都に戻り、冬休みが明けると騎士学院が始まる。
一カ月半ぶりに、トレーメルやルクセンティアと会える。
そのことが、今から楽しみだった。
エウリアスが懸念していた、ルクセンティアへの襲撃は、少なくともセリオが王都を発った時点では把握していないという。
つまり、厄介事が起きたのは、エウリアスだけということだ。
エウリアスは、再びゲーアノルトと王都に向かうことになる。
冬休みが明けると、後期の社交が始まるからだ。
再び一カ月ほど議会が開かれ、多くの問題が貴族たちによって話し合われる。
その議会に出席するため、ゲーアノルトも王都に向かうことになるのだ。
そうして王都に戻る日が目前に迫り、ついにエウリアスの下に連絡が来た。
ヤンジャスの造っていた、愛と美の女神ナーシャ・リーハムの彫刻だ。
正式に依頼を受けての制作ということで、木製工芸品の管理をしている使用人から、報告が来たのだ。
「エウリアス様に確認していただいた後に、梱包したいということで。早めにお越しいただきたいとのことでした。」
「今すぐ行ってくるよ。そのまま受け取って、俺が王都まで運ぶ。」
「え? よろしいのですか?」
運搬までエウリアスがやると言うと、使用人が驚く。
あの、国宝級(エウリアス的に)の彫刻の運搬である。
無事に王都まで運ばねば、とエウリアスは静かに闘志を燃やした。
とはいえ、その前に実物を拝みに行くことにする。
いつもなら馬に乗って行くところだが、今日は馬車を出してもらうことにした。
運搬中に破損することがないように、布で包んだり、綿を詰めたり、いろいろ保護する必要がある。
そのため、エウリアスが片手で扱えるような大きさの木箱では、収まらないことが分かり切っているからだ。
「てことで、よろしく!」
「ええ、それは勿論構わないのですが……。」
今にも浮き上がりそうなほど浮かれているエウリアスに、タイストが戸惑う。
この彫刻はトップ・シークレットなので、ヤンジャスとエウリアスしか実物をまだ見ていない。
まあ、実際は職人たちは盗み見たりしてるだろうけど。
護衛騎士たちに馬車を用意させ、加工工場へ。
いつもの倍ほどの時間をかけ、山道を登る。
「いよいよ、この景色も見納めか。」
「次は、また来年になってしまいますね。」
山の登りながら、ラグリフォート領の景色を眺める。
遠くの山には、結構雪が積もっているようだ。
今年は、レングラーの町の辺りは降らなかったけど。
そうして大きな橋を渡り、川を越える。
この川は、春には雪解け水でかなり増水するが、今はまだ水位が低い。
ちらほら、川底が水面から出ていた。
そんな懐かしい景色を眺めていると、工場に着いた。
「邪魔するよぉー! ヤンジャスー、いるー?」
声をかけながらエウリアスが工場に入ると、職人たちが集まる。
「あ、ユーリ様!」
「ようやく坊ちゃんが来てくださったぞ。」
「あはは……ごめんごめん。全然来れなかったね。」
また顔を出すと約束していたが、訓練に忙しく、結局ほとんど来れなかった。
他にも顔を出しておきたい工場があったり、町にある店にも顔を出していたためだ。
「おうっ、ヤンジャス! 坊ちゃんが見えたぞー!」
職人の一人が、奥に声をかける。
「いいよ、俺が行くから。検品しないとだしね。」
そう言って、エウリアスは奥の一画に向かった。
「おおぉぉおおおおぅ!? なんじゃあ、こりゃあ!?」
エウリアスは、その彫刻の色艶、光沢に驚きの声を上げた。
ただでさえエロかっ…………美しかった彫刻が、神々しい艶を纏っていた。
こ、腰回りや胸部の曲線が、艶によってえらいことに……!
「いやぁ、気合い入れて磨いたら、どんどん綺麗に仕上がるもんですから。ついつい夢中になっちまって……。」
そう照れたように笑うヤンジャスは、しかし満足そうだ。
すべてを出し切った、そんなやりきった感に溢れる笑顔だった。
「去年くらいから、艶出しの研究を旦那様の指示でやってるんですが、最近になって麓の工場ですごい方法を発見した奴がいるんですよ。その方法をべースに、またみんなで研究してましてね。」
「何それっ!? 俺知らない! 教えてよ!」
みんなばっかりずるい!
俺だって、綺麗な艶出しがしたい!
エウリアスが、目を輝かせて新技術に食いつく。
しかし、ヤンジャスが困ったような顔になった。
「一応、領地の職人の秘密ってことになってるんですけど……。」
「そ、そんなぁ~……。」
エウリアスはへなへなと座り込むと、絶望したように項垂れた。
そのエウリアスの様子に、ヤンジャスが苦笑する。
「ニムサさーん。坊ちゃんが例の艶出しを知りたいって言うんですけどぉ……。」
「あー……そっかぁ、坊ちゃんは知らなかったか。」
区切っている壁の向こうから、ニムさの悩む声が聞こえる。
「まあ、ユーリ坊ちゃんならいいんじゃないか。」
それを聞き、ヤンジャスがエウリアスの横にしゃがむ。
「じゃあ、俺は梱包しちまいますから。その間にニムサさんから教わっててください。」
「…………いいの?」
「まあ、坊ちゃんは特別ですから。でも、絶対に漏らしちゃだめですよ?」
「うん、分かってる。」
エウリアスは、真剣な表情で頷いた。
この秘密の手法は研究段階で、他にはまだ使われていないらしい。
きっとこの新しい艶出しは、ラグリフォート産家具の価値を更に高めることになるだろう。
エウリアスは職人たちに、絶対に漏らさないと固く誓った。
こうして、トレーメルに届ける彫刻を受け取り、また新たな艶出しの手法を教わり、エウリアスは大満足で冬休みを終えるのだった。
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