第140話 同種か別種か
馬に乗り、エウリアスはグランザと並び、山道を比較的ゆっくりとした速さで下りる。
数人を斜面で使った板の片付けに残し、十数人で屋敷に向かう。
「客ってのは誰?」
そう尋ねると、グランザが眉を寄せた。
口をへの字に結び、視線が泳ぐ。
「忘れたんかい!」
「す、すみません、坊ちゃん。」
来る途中で、すっかり忘れてしまったようだ。
エウリアスが「やれやれ……」と首を振ると、誤魔化すようにグランザが聞いてくる。
「そ、それより、訓練の方はどうです?」
「訓練? 順調だよ。今日は、初めて最後までミス無しでいけたしね。」
「おお、ついにですか。そいつは良かったですな。」
グランザが頷く。
クロエのことを最初に伝えた時、胡散臭いと思っていたグランザだが、今では疑ったりはしていない。
先日の戦いは、クロエの協力によって助かったと、考えを改めたのだろう。
実際、クロエがいなければ犠牲者はもっと増えていただろうし、エウリアスがその中に含まれていた可能性が高い。
エウリアスは、膝を軽く撫でる。
「ただなぁ、足の負担が大きくてさ。すぐに痛くなっちゃって。」
「まあ、あの速さですからな。負担は相当かかるでしょう。足腰をしっかり鍛え、その上で柔軟に動けるようにしないと怪我に繋がりますな。」
「だからさ、朝の訓練を、もう少し下半身を鍛えるものに変えようかと思ってる。」
「それがいいでしょう。」
「でも、ようやく実戦の目途が立った。それだけは良かったよ。」
そんな話をするエウリアスとグランザに、クロエが抗議の声を上げる。
「ちっとも良くないのじゃ! 妾は疲れた! ろーどーかんきょーの改善を要求する!」
「はい? 何だよ、労働環境って。」
また、クロエがよく分からないことを言い始めた。
「酒を所望するのじゃ!」
「酒ぇ? 酒ならいつもやってるじゃないか。」
エウリアスは、肩を竦めた。
タイストに言って酒瓶を調達させ、王都にいた時と同じように、毎晩酒に浸けていた。
「朝晩の酒を要求するのじゃ!」
「朝からかよ! だめに決まってるだろ……。」
「何でじゃ!」
「何でって……朝っぱらから、酔っぱらって…………。」
そこまで言って、ふと気がつく。
「そう言えば、クロエっていつも酔っぱらってはいないよな?」
「酒なんぞ、いくら飲んでも酔うわけなかろう。」
え?
そういうものなの?
「飲んだことがないんで分からないのだけど、お酒って酔うために飲んでるんじゃないの?」
「それも目的の一つではありますが、まあ好きだから飲んでるってのが一番ですかね。」
「うむ。その通りじゃ。」
そういうものらしい。
酔っぱらわないのなら、朝から飲んでも問題はないのか……?
「あー……方法も含め、検討する。」
「検討ではだめじゃ! 妾は、要求が受け入れられるまで、これ以上の訓練はボイコットするぞ! ストライキじゃ!」
エウリアスは苦笑し、グランザを見る。
グランザも苦笑していた。
「クロエがよく頑張ってくれてるのは、俺も分かってるよ。でも、できれば俺の手元に常に置いておきたいんだよ。そうなると、朝はちょっと難しいかなぁ。」
「嫌じゃ嫌じゃ嫌じゃ嫌じゃ、嫌なのじゃ!」
クロエが、完全に駄々っ子のようになってしまった。
まあ、それくらい最近の訓練が大変なのだろう。
クロエの頑張りに応えてやりたいのは山々だが、なかなか実際は難しい。
だが、朝は訓練をして、浴室で汗を流して、朝食を摂り、学院に向かう。
常に手元に置いておこうとすると、ゆっくり浸けてる時間がないのだ。
とはいえ、「だめだめ」ばかりでは、交渉も何もない。
現実的な線で、とりあえず提案してみる。
「夜みたいに、しっかりは時間は取れないよ? 多分、五分とか十分とか。そのくらいなら何とかなると思うけど。」
「むぅ~~~……。ゆっくり味わいたいのじゃ。」
クロエが、不満そうに声を漏らす。
「とりあえず、クロエの要求は理解したよ。改善できる部分もあるかもしれないけど、まずはそれで手を打ってくれないか?」
「う~……、不満なのじゃ。」
「まあまあ……。」
そうして、不満そうなクロエを宥めながら、屋敷に戻るエウリアスだった。
屋敷に戻ると、一台の馬車が停められているのが見えた。
護衛の騎馬隊も含め、屋敷の横の停留場所に誘導しているところだった。
(……王国軍? あの馬車は、貴族の物か?)
わざわざエウリアスに会いに来るような貴族に、心当たりがない。
エウリアスは馬をグランザに預け、エントランスに入った。
やや不安そうな顔をしたポーツスが、エウリアスを出迎える。
「ユーリ坊ちゃま。おかえりなさいませ。」
「ただいま、ポーツス。俺に客だって?」
「はい、何でも王城のセリオ様という方だそうで……。」
「セリオ様? 今どこに?」
「
来客は、王城の魔法使いセリオらしい。
魔法使いは男爵相当ということで、馬車も貴族用の物を使っているのだろう。
貴族が、当主であるゲーアノルトではなく、エウリアスに用があると言われポーツスは心配だったようだ。
客間に行くと、ソファーに座ってくつろいでいるセリオがいた。
セリオはエウリアスに気がつくと、笑顔を見せる。
「やあ、エウリアス君。久しぶりだね。」
「お久しぶりです、セリオ様。急にお見えになったので驚きました。」
「すまないね。ラグリフォート伯爵からの報告を聞いて、急いで来たんだよ。」
エウリアスはセリオの向かいに座ると、人払いをした。
例の怪物のことなど、屋敷の使用人でも知っている者は少ない。
また、セリオが使用人を気にして、言いたいことも言えないというのは避けたかった。
エウリアスは、自分の前に置かれたカップに手を伸ばし、一口だけ含む。
セリオも一口飲むと、足を組んだ。
「せっかくの帰省なのに、大変だったみたいだね。」
「ええ……さすがに今回は参りました。」
セリオが、真剣な表情で頷く。
「エウリアス君が描いてくれた怪物の姿。見せてもらったよ。正直言って、信じられないというのが最初の感想だった。」
エウリアスは、ゲーアノルトの前で描いた怪物の姿や女の似顔絵以外にも、同じ絵を数枚描いていた。
領主軍内で共有するためと、近隣領や王国軍に送る分、王城に知らせる分などだ。
すべてゲーアノルトに渡し、ゲーアノルトは方々に連絡した。
エウリアスの描いた絵を、一緒に添えて。
「詳しい状況や、エウリアス君が遭遇した魔物の話を、もっとよく聞きたくてね。こうした押しかけてしまった。」
「ええ、構いません。私も、セリオ様には王都に戻ったら、説明に伺う必要があると考えていましたので。」
そうしてエウリアスは、絵だけでは伝えにくかった部分を説明していく。
どう動き、どんな攻撃をしてきたのか。
纏っていた雰囲気といった、「エウリアスがどう感じたか」といったものも含めて。
セリオが、腕を組んで唸る。
「うーん……話を聞いて、ますます謎が深まったな、以前から、エウリアス君に狙いを定めていたのは間違いなさそうだが。」
そうして、手荷物から数枚の紙を取り出す。
「王城の書庫にあった文献から、特徴の一致する魔物がいないか資料を漁ったが、残念ながら完全に一致する記録はなかった。」
「そうですか……。」
ゲーアノルトによる特徴の説明と、エウリアスの絵を手掛かりに、文献を調べてくれたらしい。
「だが、一つのカテゴリで絞ってみると、いくつかの候補はあるんだ。」
「カテゴリ?」
「人の姿をしていた。そして、怪物に変身するということだ。」
エウリアスが知る限り、そんな魔物の存在は確認されていない。
だが、文献にはそうした魔物の存在が、いくつか記載されていたようだ。
「腕だけが変わるというのは、残念ながらいなかった。しかし、全身が人から魔物に変わるような魔物は、かつて存在したらしい。」
「そうなのですか?」
「
「それは、どういう魔獣なのですか?」
「これらは、普段は人の姿をしているという特徴がある。そして、怪物に姿を変えることがあり、人外のとても強い力を持つようだ。人を襲うという記述もあった。ただ……。」
そこで、セリオが溜息をついた。
「これらの魔獣にも、腕が伸びるなんて記述はなかったがね。なかなか、ぴったり当てはまる存在なんてのはいないようだ。」
「……そうですか。」
セリオの話に、エウリアスは少し落胆する。
亡くなった兵士の仇を取ってやりたくても、そもそもあの怪物の正体がはっきりしない。
それでも、諦める気など欠片もないが。
エウリアスが表情を曇らせると、あえてセリオは表情を和らげた。
「とはいえ、これまでの黒い
「ライカン……スロープ?」
「ああ。そうした、人が魔獣に変わる種を、一括りにライカンスロープと呼んでいたらしい。文献によって記述に差があったりするのだけど。人の姿の時をライカンスロープと呼び、魔獣に変わった後をワーウルフやワージャガーなんて呼んだりね。」
「同じ魔物……魔獣なのに、姿で呼び分けているのですか?」
「混同しているような文献もあるけどね。それはともかく、これまで実在が確認できなかったライカンスロープが、実は人に紛れて今も生き残っていた……。」
そこで、セリオが真剣な表情でエウリアスを見る。
「こんなことが公になれば、パニックは必至だ。エウリアス君も、この話は他言無用で頼む。」
セリオにそう言われ、エウリアスは眉を寄せる。
「分かりました。……けど、実際に見た者が多数います。何より、父が各方面に連絡してしまっていますが……。」
エウリアスがそう言うと、セリオが渋い顔になった。
「伯爵がこの魔獣を危険視して、警告を送ったのは理解できるが……。正直、余計なことをしてくれたと思ってしまうな。」
領地の治安を一番に考えた場合。
この「魔獣の危険性」と「魔獣の存在を知った領民たちの混乱」の、どちらがより深刻だろうか。
セリオは、後者をより深刻に考えているようだが。
セリオたち王城の側からすると、国民が一斉に疑心暗鬼になり、パニックとなる方が恐ろしいだろう。
魔獣なら、運悪く出遭ってしまった者が犠牲になるだけだが、国民がパニックとなるとどれだけの被害や損失となるか。
そうした天秤にかけてしまうのは仕方のないことだと思うが、多少の犠牲は目を瞑れと堂々と言えるような腹の据え方は、エウリアスにはちょっと受け入れ難かった。
結果として、出てしまった犠牲を受け入れることは仕方ないと思えても、予め犠牲を折り込むのは、エウリアスの中では雲泥の差がある。
「とにかく、今は王城の方から『口外しないように』と指示を飛ばしているところだ。王国軍の中でも、この情報は現場には下ろさないことになった。あの女性の似顔絵だけは描き写して、警備隊なんかに配っているけどね。」
「ですが、それでは現場の兵士や警備隊に被害が……。」
「分かっている。十分に気をつけるように、指示は出している。」
「……………………。」
あんな怪物、どれだけ気をつけようとどうにもならないだろう。
だが、エウリアスには王国軍の決定に、口を挟むことさえ許されない。
これらを決定したのは、おそらく軍務大臣。
下手をすると、陛下の下知である可能性もある。
エウリアスが黙り込んで悩んでいると、セリオも考え込んでいた。
「どうされました?」
そう声をかけると、セリオが肩を竦める。
「いや、以前の『人ではなくなった存在』と今回の怪物、その違いが気になってね。」
「違いと言うと……腕が伸びたり、変身したり?」
「そう、この違いは何だろうかと思ってね。前は、普通に剣で斬れていただろう? 倒せないにしてもだ。だが、今回の怪物は、剣で斬っても大したダメージは入っていなかったと言うじゃないか。」
「強さという点で言えば、まったくの別物でした。」
「以前の『人ではなくなった存在』は、今回の怪物の成長途中だった……? それとも、もしかしたらまったくの別種?」
黒い靄が傷から漏れていたので、共通している部分もある。
だが、単純な強さで考えた場合、この二つを同列に扱うには無理があった。
セリオが首に手を添えて、軽く捻る。
「まあ、あれこれ考えたところで、答えが出るわけもない。私は私で、調べを進めるよ。」
「はい、よろしくお願いします。」
エウリアスが頭を下げると、セリオが頷く。
しかし、すぐに残念そうに項垂れた。
「復讐を司るもの、か……。捕えられたら、調べも随分と進んだのだろうけど…………残念だ。」
セリオの漏らした言葉に、エウリアスはげんなりしてしまう。
(……あんなの捕えるとか、無理だって。無茶言わないでよ。)
セリオが現場に無茶な指示しないか、心配になるエウリアスだった。
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