第139話 次元空間の断絶と、新たな訓練
昨日の戦闘では、何度となくクロエに助けられていた。
そうでなければ、エウリアスも
その事実に、エウリアスは今更ながら驚く。
不思議な音と衝撃の正体を知り、改めてエウリアスは疑問に思う。
「……でも、その『壁』って何だ? クロエの力って、歪みを操作する力だろう? 壁を作ったりなんてできるのか?」
「うむ。これは空間の歪みを利用しておる。分かりやすく壁と表現しているだけで、本当に壁ができているわけではないの。」
クロエの説明に、エウリアスは首を傾げた。
「どういうこと?」
「其方に言うても理解できんじゃろ。」
「まあ、そうかもしれないけどさ……。」
そもそも、歪みの力とかいうのもよく分かっていない。
理解できないと言われれば、その通りかもしれないが。
エウリアスが口をへの字にし、黒水晶を見つめると、溜息が聞こえてきた。
「はぁ…………そうじゃな。ごく単純に言ってしまえば、『次元空間の断絶』といったところか。」
「じげんくうかんの……だんぜつ?」
エウリアスは目を瞬かせ、クロエの言葉を繰り返した。
何だろう。
字面がえらく物騒な気がするのは、気のせいか?
「次元空間そのものを断絶させてしまえば、物理的には、どんなものもその断絶を越えることはできんの。そもそも、空間が途切れているのだから。連続した運動は、その断絶で止まるというわけじゃ。」
「うん、分かんね。」
エウリアスが、胸を張って頷いた。
何だよ、空間の断絶とか。連続した運動とか。
意味分からんわ!
「たとえば、そうじゃな。其方が石を放り投げたとするの?」
「うん?」
「その石は放物線を描いて飛んで行く。空気抵抗による多少の減衰はあるにしてもだ。」
「う、うん……。」
「そうした現象は、『同一次元空間内で』という条件がつくのじゃ。」
「…………………………。」
エウリアスは、黙ってクロエの言うことを聞いていた。
石を投げたら飛んで行く。
たったそれだけのことを、なぜクロエは難しく言うのだろう?
そんなエウリアスの様子を気にすることなく、クロエが説明を続ける。
「仮に、その放物線の途中に一枚の紙があればどうなる?」
「紙? 投げた石がぶつかるの?」
「うむ。」
「そんなの、紙に当たったら石が落ちるんじゃないの? 勢いにも寄るんだろうけど。」
「そうじゃ。放物線を描いていた石の、連続した運動がそこで止まるわけじゃな。」
そんな当たり前のことを、クロエがわざわざ例に出す意味が分からない。
「まあ、この場合は別の運動に分散して、石は落下することになるのでな。厳密には同じ状況ではない。実際には紙も紙ではないが、次元空間そのものを断絶させてやることで、連続した運動が伝わっていくことを阻害してやるというわけじゃ。これが、
クロエはそう言って説明を終わらせるが、エウリアスにはさっぱり理解できなかった。
「その……空間を断絶? そんなことして、大丈夫なの?」
「何がじゃ?」
「何がって……。その、空間が壊れたりとか……。」
「そんなことで次元空間が壊れることはないの。妾が干渉している間は世界に亀裂が入ったようなものじゃが、ほんの僅かな傷みたいなものじゃからな。すぐに修復されるから大丈夫じゃの。そもそも、其方が壁を飛び越えたりしていたのも、こうした空間への干渉によって叶えておる。効果や範囲に違いがあるだけで、やってることの原理は同じじゃ。」
「そうなの? ていうか、話を聞いても、全然大丈夫に聞こえないんだけど。」
クロエの説明を聞いても、結局はよく分からなかった。
もしかして、俺って馬鹿なのか……?
「でもさ、衝撃で俺は吹っ飛ぶことになったよな? クロエの説明では、そういうのも断絶とやらで伝わらないはずなんじゃないの?」
「それは、
「……たとえが物騒だな、おい。」
人の家を、勝手に壊さないでもらえる?
「範囲をかなり限定し、完全に次元空間を断絶させるつもりだったのじゃ。しかし、そこまではできなかった。そのため、弱まったとはいえ衝撃が壁を抜けてしまったわけじゃな。」
「弱まってあれかよ……。」
一体、どんな勢いで殴ったんだよ、あの女は。
「今回、其方の
「え? そうなの? あの左腕を落としたやつ?」
エウリアスが確認すると、クロエが肯定する。
「以前に、直接斬ってみろと言った方法は、【
「…………もはや、俺には何がなんだか。」
「だから言ったろうに。其方が理解するには、前提となる知識が足りなすぎるのじゃ。」
「うう……。」
エウリアスはへこんだ。
「まあ良いわ。つまりは、そうした違いから今回は『剣身に触れるな』と忠告したおいたのじゃ。次元空間を断絶する力が備わった剣身に触れれば、触れた物が千切れるのは当然じゃな。」
次元空間の断絶というのは、あらゆる物がそこで断絶することを意味するらしい。
左腕を斬った時も、まったく手ごたえを感じなかったのは、そういうことだからか?
「でも、あの女はその壁を殴ったんだろ? それじゃあ、手がどうにかなってるはずじゃないの?」
「あの女の手がおかしいのは確かじゃが、壁と剣では厳密には効果が違う。壁は『断絶した状態』を作ることであって、剣の方は『断絶させる力』を施しておる。」
「……え、えーと………………。」
要は『断絶した』と『断絶させる』という違いか。
エウリアスは分かったような分からないような複雑な表情で、黙って黒水晶を酒に沈めた。
もう、わけが分からないよ!
■■■■■■
クロエと話し合いをした日から、十日ほどが経った。
コルティス商会の荷馬車を襲った賊の取り調べは、それなりに進んだ。
とは言っても、そう大した裏のある連中ではなかったようだが。
濁った目の男は“
この男を取り逃がしてしまったのは、かなり痛い。
そして、正真正銘の怪物。
あの女のことは、賊たちも知らなかった。
嘘をついている可能性はあるが、取り調べにあたった警備隊の報告では「どうやら本当に知らないようだ」との印象らしい。
残念ながら、この二人の行方はまったく掴めていない……。
エウリアスは、これまで領内のあちこちに出掛けていたが、あれ以降は近場の山に毎日通っていた。
「それじゃあ、いくぞーーっ!」
比較的に緩やかな斜面。
岩も点在する足場の悪い場所で、エウリアスは両手を高々と振り、合図を送る。
「オーケーですぜー!」
「いつでもどうぞー!」
その斜面のあちこちに、丸太が立てられていた。
丸太は、近くても三十メートルほどは離れている。
そんなのが十個ほど立っており、少し離れた場所で兵士や騎士が待機していた。
丸太の高さはまちまちだ。
一メートルそこそこの物もあれば、三メートルを超えるような物もある。
共通点は、その丸太の上に板が立てられていることだ。
「クロエ、いくぞ。」
「やれやれ……妾はもう飽きたのじゃ。疲れるし。」
「そう言うなって。ほら、いくぞ。」
「まったく、仕方ないのぉ。」
そうしてエウリアスは腰を落とし、腰に佩いた長剣に手を添える。
「【
ダッ!
エウリアスが一歩踏み出すと、瞬く間に丸太の前にまで移動する。
三十メートルもの距離を、まるで馬が駆けるような速さで移動した。
「【
シュッ!
長剣を薙ぐと、丸太の上の板が真っ二つに斬られる。
その板が落ちる前に、再びエウリアスは移動した。
今度は、少し斜面を上がった辺り。
先程斬った板から、二十メートルは離れている。
シュッ!
三メートルもの高さにある板を、軽々と跳躍し、斬る。
すぐに、次の板に向かった。
斜面を凄まじい勢いで駈け上がり、途中で五十メートルほど離れた板に【
進んでいる方向とは、まったく別方向に【偃月斬】を繰り出しながら、エウリアスは次の板に向かう。
エウリアスが次の板を斬ったところで、【偃月斬】で狙った板も斬れる。
そうして斜面を上がりながら、ほんの二十秒ほどで十個すべての板を斬った。
すべての板は、最短で移動したとしても、四百メートルを超える。
それも、登り斜面で、足場の悪い場所にあるのにも関わらず、だ。
「ふぅーっ……!」
エウリアスは、駆け上がってきた斜面を振り返り、一応確認する。
すべての木の板に配置した兵士たちが、手を大きく挙げて
今エウリアスがやっているのは、クロエの力をフルに活用しての動きの練習である。
これまで、エウリアスはクロエの力を過信していた。
いや、この場合はクロエの力ではなく、自分の力と言うべきか。
クロエの力を借りれば、【偃月斬】を使える。
そして、人ではなくなった存在を倒すこともできる。
そこに、慢心してしまっていたのだ。
本当の怪物を前に、エウリアスは無力だった。
せっかくクロエという素晴らしい協力者がいながら、そこに胡坐をかいてしまった。
力を利用し、使いこなすことは考えたが、強さを追及してはいなかったのだ。
そのことを、先日の一件で思い知らされた。
エウリアスの慢心により、
初めからエウリアスが最善を尽くし、努力をしていれば、キーガーは死なずに済んだかもしれない。
そんな後悔の念を、エウリアスは抱いていた。
『あんな怪物に敵うはずがない。』
そう、諦めてしまうのは簡単だ。
しかし、自分は果たして、全力を尽くしただろうか。
クロエと話し合うことで、そう考えるようになっていた。
「次、準備してくれー!」
エウリアスがそう言うと、兵士たちが次の板を準備する。
そうして、木剣を手にした。
「準備はいいかー?」
「「「どうぞー!」」」
「クロエもいいか?」
「だめと言うてもやるのであろう。まったく、人使いが荒いのじゃ……。」
人だったっけ、などと余計なことは言わず、エウリアスは剣を構える。
今度は斜面を滑るように下り、同じように板を斬る訓練だ。
ただし今度は、兵士がエウリアスの邪魔をする。
木剣で斬りかかり、エウリアスはそれを
「【
ダッ!
一瞬でエウリアスが斜面を下り、兵士が咄嗟に木剣を振り上げる。
エウリアスは左手を広げ、その木剣に備える。
「【
キィィイイインッ!
澄んだ、不思議な高い音がすると同時に、エウリアスの左手に木剣が振り下ろされた。
全力の木剣を手のひらで受け止め、エウリアスは兵士の横をすり抜ける。
そうして、丸太の上に立てられた板を斬った。
次々にエウリアスは板に向かい、その都度左手で木剣を受け止め、板を斬る。
最後の一枚を斬り、エウリアスは振り返った。
「ひやひやしたぁ……。でも、何とか最後まで行けたな。」
そう言いながら、自分の左手を見る。
十日目にして、ようやく最後までクリアできた。
昨日まで、何ならさっきまで、途中でクロエの【絶界】が発動せずに、左手で直接木剣を受けることになってしまったのだ。
いくら木剣でも、本気で打ち込まれれば、かなり危険だ。
下手をすると、手や指の骨が折れてもおかしくない。
昨日までは、いつも途中で失敗していたので、兵士たちにも手加減して打ち込んでもらっていた。
だが、最後までクリアできる目途が立ったため、今回は本気で打ち込んでもらったのだ。
「ひやひやしたのは、妾の方じゃ……。まったく、無茶をさせおって。」
「ごめんごめん。でも、いけたじゃん。」
クロエのクレームに、エウリアスは笑って答える。
この訓練、二つの意味がある。
一つは、エウリアスがクロエの力を組み込んだ動きに慣れること。
高速の移動が可能になる、あの引っ張る力と押し出す力が混ざったような力を、エウリアスは【
速く動くことはできるが、あれは止まることは考えていない。
つまり、方向転換や停止には、エウリアスの身体能力も必要になるのだ。
さすがにエウリアスの脚力だけでどうにかなるものではないが、クロエと協力しながら何とか思い通りに動けるようになってきた。
そして、エウリアスの振るう長剣は、『次元空間の断絶』とやらの力を纏わせている。
木剣を受け止めたのも、同じく『次元空間の断絶』を利用していた。
この二つを、エウリアスは【
同じく次元空間を断絶させる力を利用する【絶界】だが、この名前の由来は「世界に亀裂をいれるようなもの」という、クロエのとんでもないたとえ話が由来している。
断
…………といろいろ言い訳をしたが、結局はエウリアスが「かっちょええ!」と感じた名称をつけただけである。
ちなみにエウリアスは、これらの名称を決めるのに実に二時間もの時間をかけていた。
それはともかく、エウリアスはこれらの力を複合的に組み込んだ動きを、急速に身につけていった。
この訓練のもう一つの意味は、勿論クロエが慣れることだ。
先の戦いで、クロエは一度にあれこれやって、あっという間に疲れてしまった。
そのため、クロエにこれらの力を同時に、また連続で使用しても大丈夫なように慣れてもらう目的がある。
クロエとしては、同時に使ったり連続して使っても、慣れれば問題ないらしい。
前回疲れてしまったのは、同時に使うことに慣れていなかったことが、一番の原因だという。
なので、クロエに存分に慣れてもらうため、十日ほどかけてみっちり訓練していた。
「坊ちゃーんっ!」
エウリアスが額の汗を拭うと、斜面の下の方から声をかけられた。
見ると、馬に乗ったグランザが、下で手を振っていた。
グランザは、今日は屋敷にいる予定だったはずだが。
「どうしたー?」
エウリアスは、斜面を下りながら声をかけた。
「坊ちゃんにお客さんです! 屋敷に戻ってください!」
「…………客?」
まったく心当たりがなく、エウリアスは首を傾げるのだった。
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