第138話 隠れた助力




 ゲーアノルトとの話が終わると、エウリアスは湯場に向かった。

 あちこち擦り傷だらけだが、汗を流さないとベッドで休む気になれなかったのだ。

 傷に湯が沁みる拷問を終え、再び薬を塗る拷問に耐え、エウリアスはようやく自室で休む。


 ゆっくりと休み、昼前に起きたエウリアスは食堂ダイニングに向かった。


「良く休めましたか、坊ちゃん。」


 後ろをついてくるタイストが尋ねてくる。


「ぐっすりだよ。タイストは? 休めた?」

「ゲーアノルト様が配慮してくださいまして。しっかりと休むことができました。」

「それは良かった。」


 そんな話をしながら、階段を下りる。

 丁度、ダイニングに向かうノーラとアロイスと鉢合わせた。


「おはようございます、母上。アロイスも。」

「ええ、おはよう。」

「…………おはよう。」


 エウリアスの方を見ようともせず、ノーラが挨拶を返す。

 アロイスも、母に続いて小声で挨拶を返した。


「昨夜は、随分と騒がしかったようだけど。」


 廊下を歩きながら、ノーラがそんなことを言ってくる。


「領内に賊が出まして。その対応を。」

「そう。」


 然して興味がないのか、それだけ言うと、ノーラは黙ってダイニングに入った。

 ちらりと、アロイスがエウリアスを見る。


「……少しは大人しくしてられないのかよ。」


 その口調には、嘲るようなものが含まれていた。


「王都でも、方々で騒ぎを起こして……。」


 後ろのタイストが、ムッとしたのを感じる。

 エウリアスは自分の席に座ると、向かい側に座るアロイスに視線を向けた。

 そうして、にっこりと微笑む。


「降りかかる火の粉を払っていただけだよ。王都はおっかない所だね。平和なラグリフォート領が恋しかったよ。」

「………………ふん。」


 ゲーアノルトがダイニングに入って来たため、そこで話を打ち切る。


「エウリアス、体調はどうだ?」

「ゆっくり休んだおかげで、もうすっかり。」

「そうか。」


 そう言うゲーアノルトの方が、少々お疲れ気味だ。

 おそらく、今も様々な対応で忙しいのだろう。


 ゲーアノルトが席に着くと、すぐに食事が運ばれてくる。


 食事が始まると、基本的には会話をしない。

 食事中の会話は、粗野な振る舞いとされているからだ。

 王都の屋敷にいる時や、学院でみんなと食べる時は割と話しながら食べているが、貴族家での食事のマナーとしてはあまり良いこととはされない。

 侯爵家出身のノーラが特に気にするため、重苦しい空気の中、エウリアスも黙って食事をするのだった。







 息苦しい食事を終え、自室に戻る。

 エウリアスの部屋に入ると、タイストが先程のアロイスの態度に憤慨した。


「アロイス坊ちゃんの態度、ゲーアノルト様にお話ししておきます。」

「いいよ、タイスト。それに父上も分かってるさ。余計な気苦労をかけるな。」

「ですが……あの態度はあまりにもっ……!」


 弟のアロイスは、ノーラにべったりだ。

 侯爵家出身の母に特別扱いされているため、エウリアスのことを下に見ている傾向がある。

 おそらく、自分には「侯爵家の血が流れている」と思っているのだろう。

 そのため、伯爵家の血しか引いていないエウリアスを、見下しているのだ。


 そんなアロイスのことを、ゲーアノルトも苦慮していた。

 いくらゲーアノルトが言っても、ノーラがアロイスを肯定してしまうから。

 実家との繋がりの強いノーラにも、ゲーアノルトの言葉は通じなかった。


「アロイスもつらいんだよ。『自分の方が上だ』なんて思っても、実際は家督を継ぐことができない。嫡男とそうでない者では、絶対的な差があるから。」


 そうした複雑な状況が、アロイスを追い詰めてしまっているのだ。


「父上もつらい立場なんだ。ただでさえ忙しい身なのに、こんな瑣事に煩わせたくない。いいな?」

「坊ちゃん……。」


 ゲーアノルトは、夫婦であってもノーラとは一歩引いて接していた。

 ノーラの実家のウェイド侯爵家には世話になっており、関係がこじれる方が困るのだ。

 現ウェイド侯爵が、商務省で副大臣を務めているからだ。


 エウリアスの祖父、先代のラグリフォート伯爵は、困窮していた領地を立て直した。

 だが、国内を奔走して販路を拡大し、領内の職人の質を上げるためにと、過重に働き過ぎたのだろう。

 無理が祟ったのか、早くに亡くなってしまう。


 騎士学院を修了し、先代の手伝いをしていたゲーアノルトは、そんな中で家督を継ぐこととなった。

 仕事を引き継ぐだけでも大変だと思うのだが、ゲーアノルトはラグリフォート領の更なる発展を計画する。

 それが、国外にも販路を拡大することだ。


 そこでゲーアノルトが頼ったのが、ウェイド侯爵だ。

 ウェイド家からノーラを嫁がせるという話を、どちらが先に言い出したのかまでは、さすがに分からない。

 どちらが言い出したかは分からないが、結果的に結婚により両家は結びつきを強め、ゲーアノルトは国外での販路拡大に目途をつけた。

 その利益の一部を、ウェイド侯爵に渡すという取引がなされた上で。


 ステインが言うには、ウェイド家はかなりの浪費家のようだ。

 当時から商務省で幹部を務めていたウェイド侯爵だが、官職は無給。

 立場を使って利益を誘導しても、借金は膨れていったらしい。


 そうして十年以上の月日が流れ、今ではウェイド侯爵も副大臣という要職についている。

 ノーラとの関係がこじれると、そのままウェイド侯爵との関係までこじれかねない。

 ラグリフォート家からの資金提供をアテにしているウェイド侯爵も、ゲーアノルトとの関係悪化は望んでいないだろう。

 それでも、いざとなればどうなるか分からない。

 領地の発展を常に考えているゲーアノルトとしては、ウェイド侯爵との関係がこじれることは避けたいのが本音だ。


 エウリアスは椅子に腰かけると、一つ思い出す。


「そうだ、タイスト。お酒を一瓶もらってくれる?」

「酒? ……て、ですかい。」

「あれとは何じゃ、あれとは。失敬な。」


 タイストからの『あれ』呼ばわりに、クロエが抗議する。

 もうバレたと思って、直接言い返すことにしたようだ。


「昨日は随分と力を貸してもらったからさ。なるべくいいもので。」

「はぁー……、分かりました。ポーツスに言ってもらってきます。」

「うん。頼む。」


 王都の屋敷だったら、この辺りはやり易いのだが。

 さすがに、実家で酒をくすねたら、ポーツスに何か言われそうだ。

 もしかしたら、すでにゲーアノルトから話が伝わっている可能性もあるけど。







 そうしてクロエを酒に浸け、エウリアスは自室で浮き彫り細工レリーフ造りに勤しんだ。

 打ち身があちこちにあるため、今日は大人しくしてるように、みんなに言われてしまった。


 少しずつ木を削り、形を整える。

 だが、頭には昨日のことが浮かんでは消えていく。

 所謂、雑念というやつだ。


「んー……、どうにも集中できないな。」


 そう呟き、手にしていた彫刻刀を机に置いた。


「そう言えばさ。」


 エウリアスは、コップから出ているネックレスの鎖を持ち上げた。

 酒に浸かっていた黒水晶が、引き上げられる。


「これ! 何をするのじゃ!」


 クロエは、たいそうご立腹だ。


「昨日のことで、聞きたいことがあったんだよ。」

「後にするのじゃ!」

「えぇー……。いいだろ、別に。」


 そう言って、エウリアスは黒水晶を半分ほど酒に浸す。


「其方、わらわになんぞ恨みでもあるのかえ……?」


 クロエが、ひどく恨みがましく呟く。


「そんなことないって。ただ、ちょっと気になることがいくつかあってさ。クロエの話を聞きたいだけだよ。」

「まったく……なんて奴じゃ。妾の至福の時間を邪魔するなど……。」


 ぶつぶつと、クロエが不満を零す。


「クロエはさ、あの女みたいな怪物に、何か心当たりは?」

「心当たり?」

「人に化けたりする魔物とかってこと。」

「人に化ける、か……。」


 そう呟き、クロエが考え込む。


「おそらくじゃがの……あれは人じゃぞ?」

「…………………………は?」


 クロエの言葉に、エウリアスは間の抜けた声を漏らす。


「いやいやいや、何言ってんの!? 人なわけないじゃん!」

「元々は人の身だった。そういう話じゃ。」


 そう言われ、エウリアスはコップの中の黒水晶を見つめた。


「人ではなくなった存在。…………あの女も、同種のものってことか?」

「そうじゃな。これまで見てきた奴よりも、強い力は感じたぞ。しかしのぉ……。」

「しかし? 何だよ。」


 エウリアスが続きを促すが、クロエもいまいちはっきりしないようだ。


「何とも不思議な力じゃった。単純な力の大きさや、強い弱いの話ではなく……。」

「何、それ?」

「妾にも分からんのぉ。」


 エウリアスは肩を竦めた。


「そう言えば、不思議なことは他にもあったな。」

「他かえ? 何かあったかの?」

「ほら、あれだよ。俺が吹き飛ばされた時の。なんかキィーーンとかって音がしてさ。こう、綿で殴られて吹っ飛んだような、不思議な衝撃。」


 自分で言っていてもわけが分からないが、本当にそんな感じなのだ。

 柔らかい物で吹っ飛ばされた。

 そんな表現しか思いつかない、不思議な感覚だった。


「ぅん? それは……もしかしてこれのことかの?」


 クロエがそう言うと、途端にキィィイイインという音が聞こえてきた。

 エウリアスがぎょっとする。


「それそれ! っていうか、え? どゆこと?」


 あれって、あの女の攻撃じゃないの?

 エウリアスが驚いていると、クロエが苦笑したように言う。


「これは、妾が作った『壁』みたいなものじゃな。憶えておらんか? これを使った時は、其方が攻撃を受けた時じゃ。」

「攻撃を受けた時?」


 クロエに言われ、思い出してみる。


(最初にあの音がしたのはいつだ?)


 そうしてよく思い出していくと、音が聞こえたのは三回だ。


 女が現れる直前。

 女の左腕を斬った直後。

 そして、荷馬車が砕け、破片が吹っ飛んできた時。


「エウは気づいていないようじゃが、あの女は最初、其方を攻撃したのじゃ。」

「んん? ちょっと待て。どういうことだ? あの女が俺を攻撃した。だから俺が吹き飛んだ。それだけの話じゃないのか?」


 しかし、そうするとクロエの作った壁とやらは、関係がなくなる?

 エウリアスが混乱していると、クロエが順を追って説明した。


「あの女が現れる前、其方は馬で逃げようとする男を攻撃しようとしたの。【偃月斬えんげつざん】とやらでな。」

「あー、そうだったそうだった。それで、すぐに変な音がして、吹っ飛ばされたんだよ。」

「あの時、あの女は後ろから現れ、其方を殴り飛ばそうとしたのじゃ。咄嗟のことで、妾も上手くは作れなかったのじゃが。」


 その攻撃を防ぐために作ったのが、クロエの言う『壁』とやらのようだ。


「あの女は妾の作った壁を殴った。その衝撃が抜け、其方が吹き飛んだのじゃ。」

「あの時の音と衝撃はクロエの壁だったのかよ! 俺はてっきり、あの女に変な攻撃を受けてんのかと思ったよ!」

「攻撃を受けたのは間違いないの。おそらく、防がなければ大怪我をしていたじゃろう。」

こわっ! え、まじで!? そんな勢いだったの?」


 想像を超える状況に、エウリアスが目を丸くする。


「あの女の左腕を斬った時もそうじゃ。死角から、変形した右腕で殴ろうとしておった。其方はまだ宙にいて、回避することもできない状態じゃった。この二回目の時は結構上手く壁を作れたのじゃが、其方をバラバラにしかねない威力で殴ったようじゃな。だから、この時も衝撃が抜けてしまった。」


 それが、二度目に吹き飛んだ時にあったことらしい。


「最後は馬車の破片じゃ。これは無数に飛んできて、そもそも回避など不可能じゃった。なので、壁を作って防いだのじゃ。」


 エウリアスも咄嗟に頭や首を守ろうとしたが、それでも致命傷を受けそうなくらいには、破片が飛んできた。

 それなのに、エウリアスは一つも破片で怪我をしなかった。

 そういえば、あの時も無傷であったことを不思議には思ったのだ。


「あれは、クロエが守ってくれてたのか……。」

「そういうことじゃ。正直、えらく大変じゃったぞ? 其方を飛ばしながら、剣に力を注ぎ、壁を作った。一度にあれこれやり過ぎて、へとへとだったのじゃ。」


 エウリアスの知らないところで、クロエは何度も助けてくれていたらしい。


(そういえば、クロエも『疲れた』って言ってたっけな。)


 左腕を斬ることには成功したが、女にトドメを刺せなかった。

 エウリアスは更に攻撃をしようとしたが、クロエがギブアップした。

 それには、こんな理由があったらしい。


「ありがとう、クロエ。全然気づかなかったよ。ごめん。」

「まあ、妾も言ってなかったからのぉ。」


 エウリアスが擦り傷や打ち身程度で済んだのは、クロエの隠れた助力があったから。

 そのことを今更ながらに知り、エウリアスはクロエに感謝するのだった。




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