第137話 絵もそこそこいけます




 警備隊の応援が現場に到着してしばらくすると、領主軍からの応援も到着した。

 重傷者や軽傷者に治療を施し、近くの駐屯地に運ぶ手筈となった。


 エウリアスも二回ほど吹き飛ばされ、地面を転がった。

 おかげであちこち擦り傷だらけの、打ち身だらけ。

 領主軍が持ってきた馬車に乗せられ、治療を受けることになった。


「こんな傷で大袈裟だよ。」


 エウリアスは腕の擦り傷を見ながら、ぼやく。


「いーえ、万が一があってはいけません。もう少し腕を上げてください。」


 そうして腕の傷に薬を塗られると、ズキズキと沁みた。

 エウリアスは、涙目で腕を引っ込める。


「あたたた……。も、もっと優しく……。」

「我慢してください、エウリアス様。」


 引っ込めた腕を再び取られ、包帯をぐるぐるに巻かれる。

 おでこにも少し擦り傷があり、そちらも薬を塗られ、包帯を巻かれていた。


(やっぱり、大袈裟だよ……。)


 そんなことを思いながら、頭に巻かれた包帯をいじるエウリアスだった。







 馬なら夕方までには着くと考えていたレングラーの町だが、馬車ではそうもいかない。

 エウリアスたちは数台の馬車に乗せられ、屋敷に帰ることになった。

 コルティス商会の人たちもゲーアノルトに用事があるそうなので、一緒に屋敷まで乗せていくことにした。


「エウリアス! 無事か!」

「ユーリ坊ちゃま!」


 屋敷に到着すると、ゲーアノルトとポーツスが馬車に駆け寄った。

 すでに夜中だというのに、報告を聞き、心配して起きていたらしい。


「ご心配をおかけして申し訳ありません、父上。俺は何ともありませんから。」

「どこが何ともないのだっ!」


 あちこちを、包帯でぐるぐる巻きにしたエウリアス。

 確かに、見た目だけは重傷者だった。


「念のためにと、大袈裟に治療されただけです。実際は擦り傷と打ち身くらいのものです。」

「そう……なのか?」


 ゲーアノルトがタイストに確認すると、頷いた。

 それを見て、ゲーアノルトが大きく息を吐き出す。


「それよりも、父上に急ぎお伝えしなくてはならないことがあります。」

「ああ、勿論だ。何があったか、詳しく教えてくれ。」


 そう言いながらゲーアノルトが屋敷に戻ろうとして、別の馬車から下りてきた男に気づく。

 コルティス商会のホセだ。

 ホセは、両手でしっかりと金庫を抱えていた。


「ホセ……? これは、どういうことだ?」


 どうやら、ゲーアノルトはホセのことを知っているようだ。

 そう言えば、前にロランディ子爵領まで行き、コルティス商会に自分で足を運んでいるのだった。

 おそらく、そこで紹介されたのだろう。


「賊に襲撃を受けていたのが、コルティス商会の荷馬車だったのです。」


 エウリアスが簡単に説明すると、ホセが進み出て跪いた。


「お久しぶりでございます、ラグリフォート伯爵。この度は、危ないところをエウリアス様に助けていただきました。」

「そうか……荷馬車が襲われたというのは聞いていたが、コルティス商会だったのか。」


 そうして、ホセが金庫を捧げ持つ。


「ご依頼の物の試作品ができましたので、お届けする予定だったのです。」

「もしかして、もうができたのか?」

「まだ、完成とは言えません。ですが、かなりお考えの物に近いのではないかと。ご確認いただくつもりで、今回お持ちしました。」

「そうか、分かった。こちらで預かり、明日にでも詳しく話をしよう。」

「よろしくお願いいたします。」


 ゲーアノルトは金庫を受け取ると、ポーツスに渡した。


「今日はもう遅い。屋敷こちらに泊まり、ゆっくり休むがいい。」

「ありがとうございます。」


 女中メイドに案内され、ホセたちが客間の方に向かう。

 そうして、ゲーアノルトがエウリアスを見る。


「エウリアスはどうする? 明日にした方が良いか?」

「いえ、どうか今すぐ。急いで手を打つ必要があります。」

「分かった。タイスト、グランザ。お前たちも来なさい。」

「「はっ。」」


 エウリアスたちは今日あったことの詳細を伝えるため、ゲーアノルトの執務室に向かった。







「…………にわかには信じ難いな。」


 エウリアスの報告を聞き、ゲーアノルトの発した第一声がこれだった。

 とはいえ、これは仕方がないだろう。

 エウリアスだって、自分で見たことでなければ、とても信じられない。


「復讐を司るもの……? 腕が大きく変化して、しかも伸びる?」


 ゲーアノルトは眉間の皺を深くし、腕を組んで考え込む。

 そんなゲーアノルトに、グランザが言う。


「ゲーアノルト様。正直言えば、儂もこれまで信じられませんでした。いくら坊ちゃんの話でも、首を刎ねても動き回るだのと……。そんなもの、『いるはずがない』と。」


 エウリアスに言われ、信じようとしていたグランザだが、さすがに心のどこかでは信じられない部分があったようだ。


「ですが、儂が間違っておりました。あれは、正真正銘の怪物です。首を斬られ、血飛沫を上げながらも、儂らに向かってきたのです。腕が、不気味な怪物のそれへと変わりました。何十メートルも伸び、儂が斬りつけても斬れなかったんです。」

「……………………。」


 グランザの話を聞いても、ゲーアノルトは顔をしかめるだけで、考えがまとまらないようだ。

 確かに、人の姿をしながら、怪物に変身するなど信じられないだろう。


 エウリアスは立ち上がると、ゲーアノルトの机に向かった。

 そうして、紙とインクを取ってくる。


「すみません、父上。少し使わせていただきます。」

「それは構わんが、どうした?」


 エウリアスはそれには答えず、黙々と線を描く。

 懸命に記憶を引っ張り出し、その特徴を思い出す。

 それを見て、タイストとグランザが目を丸くした。


「っ!? 坊ちゃん!?」

「そ、そいつはっ!?」


 エウリアスが描いているのは、あの怪物の姿だ。

 遠目にも分かった特徴を、絵として描き出していった。


「絵は……あんまり得意じゃないんだけどね。」

「い、いえ! そんなことないですよ!」

「よく似ていますぜ、こいつは!」


 エウリアスは、浮き彫り細工レリーフ造りが趣味だ。

 見た物の特徴を捉えるのは、それなりに慣れていた。


 ただ、見た物を頭に思い描くことと、思い描いた物を紙に描くのでは、まったく別の才能が必要になる。

 エウリアスは、レリーフという形で表現することにはそれなりに慣れているが、絵はあまり慣れていなかった。

 それでも、まったく心得のないタイストやグランザよりは、遥かに的確に特徴を描いてみせた。


 とりあえず思い出せる特徴を、一通り描き終わる。


「こんなもんでどう?」

「…………正直、びっくりし過ぎて、何と言っていいか。」

「完璧にそっくりですぜ、ユーリ坊ちゃん……。」


 タイストとグランザは、エウリアスの描いた怪物の姿を見て、茫然とした様子で呟く。

 エウリアスは、その紙をゲーアノルトに差し出した。


「こいつが……。」


 それは、左腕だけが異様に大きい、女性の姿だった。

 皮膚が裂け、黒い靄が湯気の様に立ち昇る。

 鉤爪のような手も大きく、馬の首を鷲掴みにするほどだ。


「右腕も、左腕と同様に怪物の物に変わります。その辺りも含め、自在になるようです。」

「右腕も……こんな風になるのか?」


 ゲーアノルトが、描かれた左腕を指さす。

 エウリアスは頷いた。


「この腕が……伸びる? それも、五十メートルもだと……? こうして見ても、やはり信じられんな。」

「お気持ちは分かりますが、ゲーアノルト様。実際に、それで私たちはやられました。……生命いのちを、落とした者も。」


 タイストが苦し気に言うと、ゲーアノルトが重く頷く。


「そうだったな……。」


 実際に生命いのちを落とした者がいる。

 その兵士のことを思えば、信じる信じないの話ではないのだ。

 信じなければ、その兵士は何のために生命いのちを落としたのか、ということになってしまう。


 そんなゲーアノルトたちを気にせず、さらにエウリアスはペンを動かす。


(確か、こんな感じだったと思うんだけどなあ……。)


 あんまりしっかりと憶えていないが、何とか描いてみる。

 それを見て、グランザがまた驚いた。


「坊ちゃん、それは……あの女の似顔絵ですか?」

「そう。最初に少し話しただけだから、あんまり憶えてないんだけど……。ちょっと離れてたし。」


 エウリアスは、あの女と話をしている。

 ただ、少々距離があり、またすぐに血だらけになってしまった。

 そのため、元の顔をというのを、あまり憶えていないのだ。


「こんな感じじゃなかったっけ?」

「ええ、そんな感じでした。」


 長い黒髪という分かりやすい特徴だけでは、個人を特定することはできない。

 そんな人は山ほどいるし、髪を切ってしまえばいくらでも誤魔化せる。

 なので、それ以外にも、顔の造形を思い出して描いてみた。

 雰囲気という点で言えば、及第点。

 もう一度しっかり見られれば、もっと似せることもできるのだろうけど。


「この女の指名手配をお願いします。ラグリフォート領うちだけでなく、王国軍や近隣領、できれば王城にも。王城にいる魔法使いのセリオ様なら、少しは真剣に話を聞いてくれると思います。」

「分かった。しかし…………この女が、これに?」


 女の似顔絵を見ていたゲーアノルトが、先に渡した怪物の絵を示す。

 エウリアスたちは頷いた。


「本人は否定していましたが、トレーメル殿下襲撃に関与している可能性があります。屋敷や、学院での襲撃にも。特に屋敷や学院の襲撃事件の実行犯は、みな黒い靄を出していたという特徴があり、この女と特徴が一致します。」

「一連の事件の裏にいたのが、この女というわけか。」

「まあ、この女も単なる実行犯という可能性もありますが……強さが段違いでした。もし裏で企てた者が別にいるとしても、かなり近い立場だと思います。」

「ただの捨て駒ではない、と?」

「はい。」


 そうして、エウリアスは再びペンを手に取る。

 だが、いまいち思い出せない。

 ペンを手に持ちはするが、そこで止まってしまった。


 タイストが、訝し気に声をかけてくる。


「どうしました、坊ちゃん?」

「いや……荷馬車を襲っていた賊の顔を思い出してるんだけど……。」


 エウリアスは首を捻り、反対にも首を捻る。


「妙に変な目をしてることは憶えてるんだけど、どうも顔が思い出せないんだよね。」

「ああ……確かに。えらく濁った目をした男でした。」


 グランザの呟きに、エウリアスは頷く。


「目だけは俺も憶えてるんだけど……他の特徴がさ。」


 あまりに特徴的だったため、目だけは強烈に憶えている。

 しかし、目にばかり意識がいき、他が思い出せない。


「やたらと剣の腕が立つ、手練れってのは憶えてるんだけど。」

「そうですね。それに、すぐにあの怪物を相手にしたんで、男の方の記憶が薄れちゃったんじゃないですか?」

「あー……、そうかも。」


 一度にいろんなことがありすぎて、すべてをしっかり憶えるのはさすがに無理だったようだ。

 エウリアスは諦めて、ペンを戻した。


 ゲーアノルトが、頷く。


「賊も放っておくことはできないが、そいつは別に怪物ってわけではないのだろう?」

「はい。腕が立つので、注意は必要ですが。」

「ならば、その『濁った目』という特徴だけでも十分だ。そんな奴がいたら、よく注意するように通達を出しておく。」

「お願いします。」


 そこで今日のところは話を打ち切り、解散となる。

 さすがにエウリアスも体力の限界で、頭がクラクラしてきた。

 早朝から起きて行動していたので、眠くてしょうがない。


 ゲーアノルトが、ふと表情を和らげる。


「今日はよく休みなさい。災難ではあったが、お前が無事で良かったよ、エウリアス。」

「すみません。ご心配をおかけしました。」

「いいのだ。賊を見逃せないと、向かって行くこと自体は悪くない。ただ……。」


 そこでゲーアノルトが、言葉を区切る。

 仕方なさそうに首を振った。


「…………あとはただ、人に任せることを憶えてくれれば、と願うだけだ。」

「すみませんでした……。」


 賊を見かけても、普通は自分から突っ込んでいったりはしない。

 今回の場合、最初の最初でグランザに命じるだけで、エウリアスの役目としては十分だったのだ。


 何かあれば、すぐに自分で何とかしようとするエウリアス。

 そんなエウリアスに、ゲーアノルトは苦笑してしまうのだった。




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