第135話 復讐を司るもの
三頭の騎馬に先行させ、その後ろにタイストの馬で追従する。
前の三頭は、はっきり言ってしまえば囮だ。
エウリアスはグランザに、「女の目を引きつけろ」と命じていた。
そうして女の背後から迫り、また三頭の騎馬の排除で時間を稼ぐ。
時間を稼ぐと言うのは、この場合は距離を稼ぐと言いかえることもできる。
気づかれる前に、少しでも女に迫る。
何せ、あの女の左腕は自在に伸び縮みする。
まともに近づくことも難しいだろう。
兵士たちを囮に使い、騎士たちも囮に使う。
ひどい作戦だと、エウリアス自身も思っていた。
それでも、命じなくてはならない。
ラグリフォート領のために。
この領地で暮らす民のために。
あの怪物は――――ここで倒す。
前を走る騎馬が一頭、女の攻撃で倒された。
追い抜きざま、エウリアスは心の中で詫びる。
さらにもう一頭、倒される。
まだ女まで、二十メートルくらいある。
前を走る一頭が倒された時、タイストには上手く躱してもらわなくてはならない。
少しでもエウリアスの姿を隠した上で、女に近づくために。
だが、そこで女が横に飛んだ。
エウリアスから見て、右。
ひとっ飛びに、十メートル以上を軽々と跳躍した。
「クロエ!」
エウリアスの掛け声と共に、その身体が引っ張られる。
そして同時に、押し出される。
走る馬にさえ追いつく、あの凄まじい跳躍だ。
瞬く間に、エウリアスは女に迫った。
「っ!?」
女が、驚愕に目を見開く。
回避した動きに肉迫され、女が左腕を繰り出す。
シュッ!
エウリアスは斬り上げるように、女の左腕を肘の辺りで切断した。
あまりにも手応えのない、一振り。
まるで素振りでもしているように、女の左腕を斬った。
「何っ!?」
「これで、終わりだっ! うおおおぉぉおおおおっっっ!!!」
そのまま流れるような動きで、エウリアスの
女が、空中で身を捩る。
そうして、エウリアスは真横から強い衝撃を受けた。
キィィイイイイィンッ!
「ぐうううぅぅうっ!?」
再び不思議な衝撃を受け、エウリアスは横に吹き飛ばされた。
ゴロゴロゴロッ……と地面を転がる。
「坊ちゃんっ!」
「ユーリ坊ちゃん!」
エウリアスは、痛む身体を無理矢理に立ち上がらせた。
「ぐっ……クロエッ、もう一度だ!」
「無茶言うでない。あれこれやって、
「っ!」
仕方なく、エウリアスは地面を蹴って駆け出す。
この時になって、初めてエウリアスは自分を横から吹き飛ばしたものの正体に気づいた。
右腕。
女は、右腕が伸びていた。
先程までの、左腕のように。
黒い靄を纏い、右手が鉤爪のように変わっていた。
(左腕だけじゃないのかよっ!)
そう言いたくなるが、今はそれどころではない。
女の左腕は、エウリアスが切断し地面に落ちている。
ならば、あの右腕も落とせば――――!
だが、女は素早く距離を取り、馬車の陰に隠れてしまう。
ドガンッッッ! バキバキバキッッッ!!!
その瞬間、馬車が爆ぜた。
裏側から殴りつけ、馬車の板や床、中に積まれた木箱まで粉々に砕け、エウリアスに向かって飛沫のように吹き飛んできた。
「――――っっっ!!!」
咄嗟に顔を伏せ、首を竦ませる。
両腕をクロスさせ、喉と頭を守るように、庇う。
キィィイイインッ!
また不思議な音がするが、衝撃に備える。
しかし、今度は何も起きなかった。
「坊ちゃんっ!」
「エウリアス様っ!」
みんなの声が聞こえ、恐るおそる顔を上げた。
どうやら馬車の破片などは、エウリアスには当たらなかったようだ。
地面を転がった痛みはあるが、破片が刺さった痛みはない。
何とも不思議な現象だが、今はそれどころではなかった。
「あいつは!?」
エウリアスは、馬車があった方に視線を向ける。
そこには、不気味な右腕で、切断された左腕を持った女がいた。
エウリアスが目を離した隙に、落とされた腕を回収したらしい。
女は、にやりと笑っていた。
「……楽しませてくれるわね、坊や。」
斬られた左腕を、斬られた腕に押し付ける。
黒い靄が膨れ上がると、ビクッと左手が動いた。
ややぎこちないが、左手がしっかりと動き出した。
「それは反則じゃね……。」
呆れたように、エウリアスは思わず零す。
これだけの思いをして、ようやく左腕を落としたと思ったら、右腕まで変形した。
しかも、斬った左腕もくっついてしまった。
これでは『振り出しに戻る』どころではない。
条件を悪化させた上で、やり直しだ。
異様に長い両腕を広げ、女が空を見上げる。
その表情は、恍惚としたものだった。
「フ……フフフ……素晴らしいわ。」
女の行動が読めず、エウリアスは長剣を構えて、必死に考える。
策は失敗したが、ならば次の策を考えるだけ。
何としてもこの怪物は、ここで倒さなくてはならない。
「ぐっ……!?」
だが、すぐに女の様子が変わった。
愕然としたように目を見開き、胸を押さえる。
「力を……、使いすぎたみたいね。」
そうして苦し気に顔を歪め、エウリアスを見る。
女の腕が、みるみる人の物へと戻っていく。
乾いた血を張りつけた顔で、いっそ真摯とでもいうような表情になった。
「坊やは、私が殺してあげる。それまでは勝手に死んじゃ嫌よ?」
「……勝手なこと言ってるのはお前だろう。」
エウリアスは長剣を構えたまま、前に進もうとする。
しかし、周囲に散らばった破片や釘に、進むのを阻まれてしまう。
はっきり言って、まともに歩ける状況でさえなかった。
「私は、復讐を司るもの。」
女が、真剣な顔で言う。
「エウリアス・ラグリフォート。貴方の名前、しっかりと刻んでおくわ。」
そうして、ぺろり……と唇を舐める。
「精々、他の連中に殺されないようになさい。つまらない奴に殺されたら、赦さないわよ。」
そう言った女は、ゾッとするほどに狂気を孕んだ目になった。
「もし勝手に殺されたら、
その狂気に、飲み込まれそうになる。
エウリアスはゴクリと喉を鳴らし、必死に正気を保つ。
「永劫に穢れ続けるの。救いも希望もない昏き底で、永遠に穢してあげる。」
「何を……。お前は、何を言っている? 何者だ、お前は……!」
「何者でもないわ。ただの一般人よ。」
「ふざけたことを……!」
エウリアスの怒りを楽しむように、女が笑う。
「フフフ……。」
そうして、投げキッスをした。
「また会いましょう。」
「待て! 逃がすか!」
だが、エウリアスの言葉を無視し、女が駆け出す。
まるで馬のような速さで、街道を南に向かった。
「…………くそ。」
エウリアスは、悔しさに顔をしかめる。
女は街道を外れ、あっという間に姿が見えなくなった。
「あんな怪物が、うろついてるだと……!」
人の姿をし、人の言葉を解す。
エウリアスの名前を口にした以上、以前から知っていたのは確実。
剣で斬ってもまともにダメージを与えられない魔物が、人々に紛れている。
その事実に、エウリアスは愕然とした。
「坊ちゃん!」
タイストが、地面に散らばった破片を足で払いながら、何とかエウリアスの下にやって来る。
見ると、完全に街道を塞ぐように、木片や金属、釘などが広く散らばっていた。
ドサッとエウリアスがしゃがみ込むと、タイストが慌てた。
「坊ちゃん!? 大丈夫ですか!」
「大丈夫じゃねーよ! どうすんだよ、これぇ!?」
時期的にあまり人の往来のない街道とは言え、片付けないとまともに通ることもできない。
「はぁぁああああああぁぁああああ……っ。」
エウリアスは盛大に溜息をつくと、頭を抱える。
あんな怪物が野放しになり、街道まで通れなくなってしまった。
それでも何とか気力を振り絞り、足に力を入れて立ち上がる。
「とにかく、まずは被害の確認だ。街道の片付けも手配した方がいいな。」
そう言って、エウリアスは周囲を見回す。
荷馬車の御者や、護衛をしていた者のうち、生き残った数名が一カ所に固まっていた。
エウリアスはタイストを見る。
「悪いが、もうひと頑張り頼むぞ。休むのは、その後だ。」
「坊ちゃんさえ無事なら、私からすれば上等ってもんです。他はみんな、おまけみたいなものですから。」
エウリアスは肩を竦め、もう一度周囲を確認する。
「無事な馬は少ないか……。」
戦闘に怯え、逃げてしまった馬もいるが、見える範囲で無事な馬は四頭のみ。
「この辺りだと、領主軍の駐屯地と警備隊の詰所、どっちが近いかな。」
「おそらく、警備隊の方が近いですね。まずはそこに連絡して、応援と各方面に連絡を頼みましょう。」
「警報もだ。…………と言いたいところだが、見た目が普通の女の人と変わらないんじゃ、警戒のしようもないか。」
そうして、もう一度溜息をつく。
「もし人に紛れて暮らしているのなら、普段は大人しくしてるのか……?」
いつでもどこでも、好きに暴れているのなら、話が伝わってこないはずがない。
おそらく、普段は人に紛れているか、人目につかない場所に隠れているのだ。
とにかく、やらなくてはならないことが山積みだった。
エウリアスは微かに首を振ると、比較的近くにいる騎士の下に歩き出すのだった。
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